「三昧」の読み方は「ざんまい」ではない?座禅で到達する「三昧」の境地とは

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「ぜいたく三昧の生活」とか「かに三昧」など、「三昧」は日常的にもよく使われることばです。

俗語としては、「 ともすればその傾向になる」「そのことに熱中する」「心のままにする。したい放題、○○放題」という意味で使われています。名詞につけて使うと濁るので「○○ざんまい」と読むことが多いですが、「さんまい」が正しい読み方で、語源はサンスクリット語「サマーディ」からきています。この「サマーディ」、「三昧」は座禅とも深い縁があることば。座禅で精神集中が深まりきった状態がすなわち「三昧」です。「三昧」とは、いったいどんな境地なのでしょうか。

インドで見出された精神集中の状態「三昧」

「三昧」の語源サマーディは、仏教やヒンドゥー教における瞑想修行において、精神集中が深まりきった状態のことを指します。

一つの対象に心を集中し、つぎつぎに浮かんでくる雑念を払って没頭することで、対象を正しくとらえることができるとされています。この「三昧」の境地は、古くからインドで行われてきた瞑想法の中で見出され、お釈迦様が極められたといわれています。ヒンドゥー教やヨーガでもサマーディは重要なことばです。漢字では三摩提、三摩地など訳されることもあります。仏教においては、精神集中が深まりきった状態、「三昧」になるために、たくさんの修行法が試みられ、読経する、念仏を唱える、歩行するなどさまざまなやり方が行われています。座禅もそのひとつといえます。

座禅の場合、体を調え、息を調え、心を調えて座っていると、体と息と心が統一されて揺るがない安定した状態になることができます。この状態が「定」であり、サマーディすなわち「三昧」とされています。「三昧」は受動的な恍惚感とか、眠気を伴うようなものではなく、世界がいきいきと動きこれまで見えていたものとは違うものにきづくような感覚だといいます。

仏教経典の『阿含経(あごんきょう)』では、この三昧の過程には、9段階があるとしています。最初の四禅(四静慮)では4段階があって、続いてそれぞれが、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処と名付けられた4段階。さら深まった特別な状態として、お釈迦様が到達された「心のあらゆる動きが全く止滅した状態」である滅尽定があります。

最初の四禅を簡単に説明します。瞑想修行によって、日常の欲、世間的な苦楽や悪いことを捨て去ると、第一禅に入ることができます。
第一禅はことばによる思考とことばによらない思考が混在していて、あらゆる関わりから離れた喜びや幸福に満たされた状態です。
第二禅では、ことばによる思考とことばによらない思考がどちらも消えて心が穏やかになり、喜悦感と幸福感に満ちた禅定です。意識して集中しなくても、心が統一されていてリラックスした状態になっています。この段階からが「三昧」の境地にあるといえるそうです。
そこから先、第三禅では喜びからも離れ、平安であり、心穏やかで落ち着いた幸福な状態に、第四禅では幸福感もなくし、苦しくも楽しくもない清らかな平安に至った状態になります。

つまり、座禅で日常の憂さや欲をなくすことができた先には、さらにことばによる思考をなくし、ことばによらない思考や喜びすらもなくし、穏やかな幸福感さえ感じなくなる境地に達するということです。そこから先、お釈迦様の達された境地まではまだまだ遥か遠いものがあります。

趣味の座禅では「三昧」の境地の入り口に到達するだけでも難しく、理解しがたいことですが、精神統一を極めた先にあるものがどんな精神世界なのか、興味深いものがありますね。

「三昧王三昧」~座禅こそが最高の精神集中法

「三昧」に達するための方法はいろいろと工夫されてきました。

座禅以外にも、阿字観、念仏、踊念仏、お題目を唱えるなど、それぞれが「三昧」の境地へのアプローチ法といえます。禅宗では、あらゆる経論は座禅によって生み出されたとする考え方があり、座禅こそが最高の精神集中法、「三昧」の王としています。それを表しているのが「三昧王三昧」ということばです。ちなみに浄土門では念仏が最高の精神集中法であり念仏こそが「王三昧」としています。

『摩訶般若波羅蜜経』には、お釈迦様が「結跏趺坐をして三昧王三昧に入っていかれた」という記述があるそうです。お釈迦様にとって、結跏趺坐での瞑想、後の座禅こそが「三昧」への究極のアプローチだったのでしょうか。道元禅師は『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』において、結跏趺坐での座禅をもって最高の修行法、「三昧法三昧」とし、只管打座を説かれました。

引用しますと、
「葛然として尽界を超越して、佛祖の屋裏に太尊貴生なるは、結跏趺坐なり。外道魔党の頂寧を踏翻して、佛祖の堂奥に箇中人なることは、結跏趺坐なり。佛祖の極上極を超越するは、ただこの一法なり。このゆえに、佛祖これをいとなみて、さらに余務あらず」

道元禅師の座禅に対する強いお気持ちが伝わります。

「三昧」のつくことば~焼き場を意味する「三昧場」

仏教用語には「三昧」のつくことばがたくさんあります。そのことばをいくつか紹介します。

「三昧僧(さんまいそう)」……三昧堂・常行堂などに常住する僧のこと。法華懺法(せんぼう)や不断念仏などの修行をします。

「三昧堂(さんまいどう)」……僧が中にこもって念仏三昧の修行をする堂(常行三昧堂)や、法華経についての長講を行う堂(法華三昧堂)のこと。天台系統の大伽藍に置かれています。最澄が比叡山に建立しようと発願して、円仁が建てたものが始まりです。

「三昧湯(さんまいとう)」……寺院などで、暑気払いのために沸かす薬湯。

「三昧場(さんまいば)」……死者の冥福を祈るため、墓の近くに設けて僧がこもる堂のこと。転じて、墓所・葬場のこと。奈良時代後半から平安時代まで、天皇の火葬を行う場所は「山作所」と呼ばれており、同じころ天皇家以外では火葬を行う場所を「三昧」(さんまい)または「三昧場」と呼ぶようになりました。

「三昧耶(さんまや)」……「三昧」がついていますが、「三昧耶」はサンスクリット語「サンマ」の音写で「サマーディ」との関係性はありません。「1、時。時間。集会・平等・教理などを意味する語。2、密教で平等・本誓(ほんぜい)・除障・驚覚の意。仏と衆生(しゆじよう)が本来は等しく同一であることを根本とする。3、三摩耶形(ぎよう)」の略。

以上「三昧」についてまとめてみました。
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