臨済宗と曹洞宗どちらの座禅スタイルが好き? 趣味で座禅を楽しむ人にもわかりやすく解説

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禅宗の二大宗派といえば、臨済宗と曹洞宗。
あなたはどちらの座禅が好きですか?

まったく違う宗教を信じている人、特別な宗派にこだわりなく、趣味で座禅を楽しむ人にとっても、この2つの宗派の座禅の違いは気になるところです。見た目の座禅スタイルの違いで最もわかりやすいのは、禅堂で座禅を組むときに面壁するか対面するかではないでしょうか。
壁に向かって座禅を組む曹洞宗に対して、お互いに向き合って座る臨済宗。面壁しない臨済宗の座禅スタイルがどこから生まれてきたかを探ってみました。

座禅は面壁が基本

中国禅の開祖は、インドの王子だったという仏僧、達磨大師です。
達磨大師は5世紀後半から6世紀半ばに南宋を訪れて、座禅を組むことによって悟りを開かれました。達磨大師が座禅を組んだ場所とされているのが、洛陽郊外の嵩山少林寺。仏道の修行のために、ずっと洞窟にこもり壁に向かって座り続けられたといいます。その期間は9年間にも及びました。あまりに長期間の座禅で、手が腐り、足が腐ったこという言い伝えから、「わき目もふらずに努力しなしとげること」の象徴となり、「面壁九年」という四字熟語が生まれ、縁起物である「だるま」の発想のもとになりました。

ただし、達磨大師は本当に面壁で座禅することを推奨されていたのだろうか、という疑問もあるそうです。達磨大師は「壁観」ということを提唱されましたが、この「壁」は建築物の「壁」を指しているものではありません。「壁に向かって座禅する」こととは関係がないにも関わらず、「面壁」で行うものと誤解されたのではないかというのです。

いずれにしても、日本では、達磨大師の「面壁九年」の故事から、古くから座禅は「面壁」で行うものとされてきました。壁に向かって座ると気をそらさずに済むということもあったのでしょう。江戸時代、臨済宗妙心寺の住持を三度務めた無着道忠禅師の「小叢林略清規」でも、面壁で座禅を行うことを推奨した文章が残されています。臨済宗もこのころまでは壁に向かって座り座禅を組んでいたようです。面壁して行う座禅から、互いに顔と顔を合わせて座る座禅の変化の中に、今日の臨済宗の根本と関わる何かがあるのではないでしょうか。

禅病と公案が座禅スタイルを変えた?

臨済宗の僧が面壁で座禅を組まなくなった時期は、臨済宗の江戸時代中期の臨済宗中興の祖、白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師のころではないかといわれています。臨済宗は、もともと公家や鎌倉幕府、室町幕府といった時の権力者に支持されて広まってきた宗派でした。鎌倉時代ら制定された鎌倉五山、室町初期に制定された京都五山はいずれも臨済宗の寺院だったところをみても、臨済宗が武家政権に支持され保護されてきたのは明らかです。ところが、江戸時代になると武士や民衆に支持された曹洞宗のほうが隆盛になってきます。

臨済宗が人気を失いかけた時期に、臨済宗を再興されたのが白隠禅師でした。悟りの後の修行をとても大事に考えた方で、語録を再編して公案を洗練させました。また、禅画などを使って民衆へも臨済宗を広めた功績も大きいものがありました。画像の絵も白隠禅師が描いた禅画です。腰に注連縄を巻いたほとんど裸の坊主は、すたすた坊主(願人坊主)といって、金持ちの代わりに寺社に代参したり、大道芸や物乞いをしたりして生計をたてていました。白隠禅師はすたすた坊主を布袋になぞらえつつ、自画像として描かれています。優れた技法はもちろん、ユーモアのセンスがある方ということがわかりますね。

自身がかかった禅病の治癒体験から、地数の僧に治療を行ったことでも有名です。禅病とは、当時の修行僧に多かった病気で、瞑想に集中するあまり、そのストレスや過度の緊張から、のぼせや頭痛などの身体症状が現れるものです。今でいえば、自律神経失調症やうつ病のようなものでしょう。白隠慧鶴禅師は、内観法、軟酥(なんそ)の法などを用いて治療にあたられました。内観法は丹田を意識した呼吸法による自律神経訓練法です。軟酥の法はイメージトレーニングの一種で、軟酥とは牛乳を煮詰めてつくったチーズのようなものだそうです。額に置いた卵大の軟酥が段々と溶けていって、芳香とともに額から顔、首、体へと流れ落ちていくという光景を思い描きます。そして溶けていくバターとともに体の中の悪いものがすべて流れ去っていくことをイメージします。このイメージトレーニングが、禅病の治療に役立ったそうです。

座禅を組むとき、面壁を避けるようになったのは、この禅病の予防や治療のためという説があります。壁に向かうと自分の思いに深く入り込んでしまいます。それは本来座禅が目指す境地ではなく、病の原因にもなってしまうから、と面壁をやめたということです。

もうひとつ、白隠慧鶴禅師が確立された公案禅と関わっているのではという説があります。禅堂での修行中、喚鐘が鳴ると修行僧は一斉に師家のもとに向かい、順に一対一の問答を行います。座禅中に壁に向かって座っていると、立ち上がる動作に無駄が多かったりぶつかったりするので、それを避けるために対面で座るようになったのではないか。また、自分ひとりで修業するのではなく、公案を通して互いに磨きあおうとする姿勢が、面壁から対面に変えたのではないか、という考え方もあります。

どちらも真偽のほどははっきりしませんが、臨済宗の公案や座禅に対する考え方が、対面スタイルに表れているのは確かなように思えます。

臨済宗の看話禅と曹洞宗の黙照禅

臨済宗の禅は、坐禅をしながら公案について考えることで、心の迷いを吹き消し、段階的に悟りへと至ろうとする禅の修行法で、「看話禅」ともいわれています。
もともとは坐禅を行うことで仏性を見出すことができる主張する南宋の曹洞宗の僧、宏智正覚 (わんししょうかく) が、臨済宗の大慧宗杲 (だいえそうごう) の禅風を批判して言った言葉だそうです。「看」はじっと見守る、注意を払う、「話」は話すことや公案をさしているのでしょう。
公案ばかりに注意を払っている、おしゃべりばかりしているという批判でしょうか。

一方、大慧宗杲は曹洞宗の修行法を黙照邪師と批判しています。語らずにひたすら座っている姿勢を批判したものですが、このことばを逆手にとって、曹洞宗は自ら「黙照禅」と称するようになりました。このやり取りですが、中国では臨済宗を支持する人が多かったといいます。それにしても、互いの宗派を批判して言ったことばの中に、お互いの本質を示すものがあったということが面白いですね。

公案とは修行僧が悟りを開くための課題として、師家から与えられる問題のことをいいます。よく意味のわからない話を揶揄して「禅問答」と言うように、一般人には理解しがたいやりとりに思えます。有名な公案として「隻手の声」、「狗子仏性」などがあります。

「隻手の声」とは白隠禅師の公案で「(両手を打ちあわせると音がするが)片手で打って出る音を聴け」という課題です。この問いに対する答えは「片手で出す音は耳では聞えない音」で「音とは耳で聞こえるものだ」という日常的な判断や思考にとらわれていてはいけない、理屈やことばを超えたところに体現できるものがあるということを悟るための公案だそうです。

「獅子仏性」とは「趙州無字」ともいわれている公案で、ある僧が趙州和尚に「犬にも仏性がありますか?」と尋ねたら、趙州は「無」と答えたというものです。本来、仏教では「すべてのものに仏性はある」とされています。それに対して「無」という答えをどうとらえるかと問いかけになります。この「無」は「有り」「無し」の「無」ではない、言葉にできない絶対の「無」である、というのが答とされているようです。

公案の意図や答らしきものを探してまとめてみましたが、どちらも俗人には理解しがたいものです。このわからない課題をつきつめて、師と向き合ってとことん考えていくことこそが「看話禅」。機会を見つけてチャレンジしてみてはいかがですか?
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