日本史

火縄銃の広がり

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1 火縄銃の火薬の問題について

鉄砲と切り離すことのできない火薬の問題は、どうして解決されたのでしょうか?「鉄炮記」は、種子島時尭が、火薬調合の技術を篠川小四郎に学ばせたと記していますが、これはどこまで信じられるでしょうか。この点については「種子島家譜」の天文18年(1549年)のところに載せている文章が有力な手がかりになります。

これによれば、将軍足利義輝が、時尭に南蛮人直伝の火薬調合の秘伝を伝えてくれるよう、近衛稙家を介して頼み込み、時尭も、これを他にもらさないという約束のうえで、義輝に伝えることとしたことがはっきりするので、「鉄炮記」の記事は信じられるのです。

それでは火薬の知識は日本にはこれ以前にまったくなかったのでしょうか?
中国の火薬の歴史は古いし、1356年、倭寇鎮圧のため火器と火薬を中国にもとめたという記事が、朝鮮側の史料にみえるくらいなので、日本人も火薬の知識がまったくなかったとみることはできません。
けれども、火薬の主要な成分の一つである硝石が日本国内ではほとんど産出しなかったため、たとえその知識があったとしても、火薬の調合使用が広まらなかったことは十分考えられるところです。
天然硝石によらずに塩硝をつくる技術は、むしろ鉄砲の普及以後に広まっていったのであって、鉄砲が実用されだした初期では、中国・インド産の輸入硝石に依存していたと考えられます。

2 鉄砲製造技術の伝播

優秀な性能を備えたムスケット銃と火薬製法が種子島に伝えられたのち、日本人はどのようにしてこれを広くわがものとしていったのでしょうか。「鉄炮記」によると、種子島の鍛冶職人も伝来の翌年、はやくも数十挺の製造に成功したということですが、種子島から本土に伝えられた最初の鉄砲は、時尭から貴重な一挺を譲り受けた根来の杉坊のものということになるでしょう。
その際、杉坊の懇望に応じて時尭が鉄砲を根来に持たせてやった津田監物という人物を時尭の家臣とする「鉄炮記」の記述は正しくなく、元来杉坊の院主をだす家筋の人物だったとみるのが専門家の説です。
強力な僧兵軍によって武力を誇っていた根来に伝えられた鉄砲が、新鋭武器としてこの軍事集団に採用されたことは当然であり、根来の鉄砲技術の名声は「北条五代記」にもみられるように、たちまち関東にまでとどろき渡るほどになります。

一方、「鉄炮記」は和泉の堺からきた商人橘屋又三郎が、種子島で鉄砲製造技術を習得して帰り、堺で鉄砲又とよばれるほどの製造業者になったことも伝えています。
当時の国際貿易の中心地であった堺の商人が、中国系の鉄砲に関する知識をもっていたことは当然であるので、橘屋が示したような鉄砲への鋭敏な反応は十分理解できるところです。そのうえ、堺は商人だけの町ではなく、中世以来の河内鋳物師の居住地ともなっていたので、鉄砲製造の技術的基盤も十分そなわっていたのです。
現に、根来の鉄砲製造の中心であった鍛冶工、芝辻清右衛門も堺の出身でした。また鉄砲製造地としてもっとも有名な近江の国友村にしても堺から技術が伝えられたのでしょう。「国友鉄炮記」には時尭から将軍義輝に献上された鉄砲が、国友の鍛冶に貸し下げられ、それを手本として模造品をつくりだしたという記述がありますが、その点は他の信頼できる史料で裏付けることはできません。

こうして鉄砲は堺・根来・国友など畿内中央地帯の各地で製造されだしましたが、同時に種子島にはもっとも近い九州などでも早くからつくられるようになりました。鄭舜功の「日本一鑑」には、
「初め、仏郎機国に出づ、国の商人始めて種子島の夷に教へ作る所也。次に即ち棒津平戸豊後和泉等の処通じて之を作る。其鉄既に脆く作るべからず。多くシャム鉄を市して作る也。」
という記事があります。
鄭舜功の滞日は、鉄砲伝来の天文12年から10年ほどしか経たないころのことですので、この記述の信頼度は高いと考えられるし、「鉄炮記」との関連も理解しやすい。
これによって鉄砲の波紋がたちまち大きく各地に広がっていった状況がうかがえます。  

3 合戦での実用例

では、鉄砲はいつごろから日本国内の実戦に使われるようになったのでしょうか。
常識的には信長・家康連合軍が武田勝頼の軍を破った長篠合戦が、鉄砲の威力を発揮した最初のケースとして知られています。
けれども、この合戦は天正3年(1575年)のことであり、鉄砲伝来の年からすれば、30年あまりのちになります。実際には、もっと早くから実用化していたと考えねばならず、それについては十分に証拠もあります。
こういった史料から考えれば、すでに種子島伝来から10年前後のころから、各地の実戦に使われていたことは疑いありません。
したがって、九州・畿内などから製造のはじまった鉄砲がたちまちのうちに全国に広まるとともに、実用されだしたことは明らかであり、鉄砲のもたらした衝撃がいかに大きかったかが雄弁に物語られています。
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