京都屈指の観光名所「清水寺」付近の観光スポット5選!

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清水の舞台でも有名な清水寺付近は年中、多くの観光客が訪れる人気の観光地となっています。
そこで古い歴史を誇る清水寺やその周辺の観光スポットを紹介していきたいと思います。

1、清水寺

音羽山の中腹にある北法相宗の大本山で、西国33か所第16番札所でもあります。
寺伝によると妻の安産のために鹿の胎児を求めて音羽山にきた坂上田村麻呂が音羽滝で修行中の延鎮に生類殺生の非を説かれ、妻とともに帰依して八坂の自邸を寺として北観音寺と称したのが起こりとされています。
798年には本堂が建立され、805年には桓武天皇も堂塔を造立し、806年には紫宸殿が下賜されて本堂としたところで現在の寺号に改められました。
しかし平安時代は清水寺は奈良の興福寺に属しており、北隣の祇園感神院(八坂神社)は延暦寺に属していたためにしばしば対立を繰り返して破壊されました。
天災や人災を合わせると10回ほど焼失しましたが、その都度再建されてきたのです。
音羽山中腹を占める境内は約12万㎡と広く、国宝や重要文化財指定の堂宇が整然と立ち並んでいます。
南に阿弥陀ヶ峰、稲荷の山があり、西に京洛をみおろし、遠くは愛宕や嵐山を望むことができる風景絶佳の地で、樹木も多く、洛中にある寺とは思えない深山幽谷の趣があります。
とくに奥ノ院の音羽の滝から二の滝、浅香池、月漏池、影の谷、西大谷と続く渓間には楓が多く、錦雲渓の名が示すように秋の紅葉は見事です。

2、法観寺

円徳院の南、二年坂近くの立て込んだ民家の間にあり、五重の八坂塔で知られている寺です。
寺伝では588年、聖徳太子の創建と伝えられており、京都市内では最古の由緒を持つ寺でもあります。
延喜式七ヶ寺の一つで、四天王寺式の伽藍を備えて大いに栄えたとされていますが、現在は重要文化財に指定されている五重塔のほか、太子堂・薬師堂を残すのみとなっています。
五重塔は室町時代の1440年、将軍足利義教の再興であるとされています。
清水寺などの有名観光名所の近くにあり、二年坂付近を飾る景観として有名な塔があるために訪れやすい名所でもあります。

3、霊山歴史館

高台寺のすぐ南に霊山観音があり、そのすぐ東に霊山護国神社があります。
明治元年、勅旨によって幕末から明治維新にかけて国事に奔走して倒れた志士たちを祀ったのが起こりで、日本ではじめての官祭の招魂社です。
当時は各藩ごとの招魂社があるのみで合祀した社殿ができたのは1939年になってからで、このときに現在の社号になりました。
境内背後の霊山の西山腹に幕末から明治維新にかけて活躍した木戸孝允、坂本龍馬、中岡慎太郎、頼三樹三郎たち志士550人の墓があり、一帯は明治維新史跡公園となっています。
また、墓地に至る道は「維新の道」と呼ばれ、墓地を突き抜けて山頂に登ると素晴らしい景色です。
その霊山護国神社のすぐ南にあるのが霊山歴史館です。
幕末の志士たちの遺品など約500点が展示されており、幕末好きな観光客が多く訪れています。

4、安井金比羅宮

建仁寺のすぐ西側にあります。
藤原鎌足が一宇を創建し、境内に藤を植えて家内の隆盛と子孫の繁栄を願って藤寺としたのが起こりとされています。
聖武天皇のときに勅旨によって堂塔を増築して観勝寺と称しました。
平安時代1146年に境内の藤を愛した崇徳上皇がお気に入りの阿波内侍を住まわせてたびたび訪れていました。
保元の乱に敗れて讃岐に流され、そこで亡くなった崇徳上皇を祀って1177年に神殿が再建されました。
応仁の乱のあと荒廃しましたが、1695年に別当道恕が讃岐の金毘羅宮を勧請して以来、安井金毘羅宮と称されるようになり、社寺ともに栄えるようになりました。
明治維新の神仏分離で寺は嵯峨大覚寺に合併され、安井神社として独立しました。
戦後、安井金毘羅宮に復称し、現在も水難除け、交通安全の神として信仰を集めています。
境内には全国の絵馬や日本最古の絵馬を展示している金毘羅絵馬館があります。

5、建仁寺

祇園の繁華街近くにある臨済宗建仁寺派の大本山です。 1202年に源頼家の帰依を受けた栄西が宋の百丈山にならって建立した京都最初の禅寺です。 栄西は日本に初めて茶をもたらした禅僧としても知られており「喫茶養生記」を著しました。 当時寺域は鴨川の東、南は五条通、北は四条通にいたる広大な地域を占め、室町時代には京都五山の第3位となり、五山禅林文学の中心としても栄えました。 その後、幾度となく兵火にあって荒廃していたのを安土桃山時代に安国寺恵瓊が再興しました。 現在の方丈は恵瓊が住持していた安芸国の安国寺の方丈を移したものです。
勅使門は扉に矢キズがあるところから矢ノ根門といわれ、平重盛の六波羅第から移したとされる唐様門です。
約10万㎡の広い境内には仏殿、安国寺塔、鐘楼、開山堂、摩利支天堂、真言院、明星堂などがあり、ととのった寺観をしています。
塔頭は最盛時には64院あったとされていますが現在は?院となっています。
また、境内には赤松則村、織田有楽斎、武野紹鴎の墓があります。
なお寺の西側には創建当時のものといわれる竹垣が残り、建仁寺垣として知られています。
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