埼玉の川越大師「喜多院」の歴史がすごい? 実は『日本三大東照宮』のひとつ

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埼玉県川越市にある喜多院は『川越大師』とよばれ、地元の人々に親しまれているお寺です。
創建からもうすぐ1200年を迎えようとしており、長い歴史の中ではとくに徳川家とは深い関わりをもっていました。 また、建物や展示物のほとんどが国や県の重要文化財に指定されており、埼玉県屈指の由緒あるお寺です。 今回は喜多院の魅力や見所をご紹介します!

喜多院の歴史とは?

喜多院は天台宗のお寺で、山名を星野山といいます。
天長7年(830年)、淳和天皇の勅により円仁(慈覚大師)という僧侶が創建しました。 ご本尊は阿弥陀如来で、不動明王や毘沙門天などを祀り、『無量寿寺』と名付けられました。

正安3年(1301年)、後伏見天皇が『東国580ヶ寺の本山たる』という勅書を賜り、後奈良天皇も現在の山名『星野山』の勅額(天皇など政治を行う者が国内の寺院に与える直筆で記した寺社額)を賜りました。 慶長4年(1599年)には、江戸幕府初代将軍・徳川家康の側近だった天海僧正(慈眼大師)が第27世の住職として入寺し、寺号を『喜多院』に改めました。 家康は喜多院に寺領4万8000坪および500石を下し、第4代将軍・家綱のときには、東照宮に200石を下しました。 また、家康は亡くなる前、自分の神号を作ってほしいと天海らに託すと、天海は『権現』として祀るべきだと主張しました。 第2将軍・秀忠は天海の提案を採用し、家康の神号を『東照大権現』にしました。 天海は家康・秀忠・第3将軍の家光に仕え、徳川家にはなくてはならない存在でした。しかも、107歳という長寿だったというから驚きです!

ところが、喜多院は元久2年(1205年)、天文6年(1537年)の兵火により火災に見舞われます。 さらには、寛永15年(1638年)に起きた川越大火で山門以外のすべてを焼失してしまったのです。 家光は堀田加賀守正盛にすぐ復興へ取りかかるよう命じ、江戸城の紅葉山の別殿を移築しました。 そのため、客殿には『徳川家光公 誕生の間』、書院に『春日局(家光の乳母) 化粧の間』があります。

こうやって喜多院は数々の災難を乗り越え、人々から崇敬されてきました。 きっと参拝すれば、数々の試練を乗り越えられる力をいただけるのではないでしょうか。

喜多院は「日本三大○○」のふたつに選ばれている!

天海は家康の神号を決めただけではなく、家康の大法要を行いました。 その後、境内に『仙波東照宮』が建てられ、鳳来山東照宮・滝山東照宮とならび『日本三大東照宮』のひとつに選ばれています。 現在の社殿は、川越の大火で焼失してしまったあと家光の命により建てられたものです。

そして、もうひとつが『日本三大五百羅漢』のひとつで知られている五百羅漢です。
羅漢とは阿羅漢の略で、『尊敬や施しを受けるに相応しい聖者』という意味があります。 喜多院には538体もの石仏が鎮座し、釈迦の十大弟子や十六羅漢をはじめ、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、阿弥陀如来、地蔵菩薩などがいます。 いろんな表情をしている羅漢を見るのも楽しみのひとつです。

また、深夜にこっそりと羅漢の頭をなでると、かならずひとつだけ温かいものがあるのです。 その顔は亡くなった自分の親に似ている、という言い伝えがあります。

日本にたくさんある中で、東照宮と五百羅漢の2つがあるのは喜多院だけです。 ぜひ、ご覧になってください!

小江戸七福神大黒天へお参りしよう!

喜多院には『小江戸川越七福神』の大黒天が祀られています!
『小江戸川越七福神』は小江戸と呼ばれた川越市のなかに、昔から七福神を祀っているお寺が7つあります。 そして、『小江戸川越七福神めぐり』と称し、全行程6kmのコースを巡ります。 そのなかのひとつが、喜多院の大黒天なのです。

大黒天は古代インドの闇黒の神様です。仏教では戦闘の神様で、日本に伝わってきたあとは台所の神様として信仰されるようになりました。 また、神道の大国主命と同一神と考えられるようになり、大国主命のご神徳に合わせ、『糧食財宝』が授かる神として崇められるようになりました。 大黒天は黒い肌をしているため、『黒くなってまめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと、大福利益が得られる』といわれています。 そして、ほかの6つの神様もご紹介します!

○毘沙門天(仏教の守護神。心には勇気の決断、暮らしには財を施す神様)
妙善寺
〒350ー0046
埼玉県川越市菅原町9ー6

○寿老人(長寿の神様)
天然寺
〒350ー0034
埼玉県川越市仙波町4ー10ー10

○恵比須天(海、田、山、商売の神様)
成田山
〒350ー0055
埼玉県川越市久保町9ー2

○福禄寿神(方位、除災、商売繁盛、延寿福楽の神様)
蓮馨寺
〒350ー0066
埼玉県川越市連雀町7ー1

○布袋尊(家庭円満、家運隆昌、子宝、平和安穏の神様)
見立寺
〒350ー0062
埼玉県川越市元町2ー9ー11

○弁財天(芸術、弁舌、財運、延寿の神様)
妙昌寺
〒350ー0067
埼玉県川越市三光町29

ぜひ、観光をかねてお参りしてみてくださいね!

「第九の夕べ」を見てみよう!

喜多院では、小仙波自治会連合会と市民有志による音楽会『第九の夕べin喜多院』を開いています!
毎年10月上旬に開催され、本堂の前で200人以上がベートーベン作曲交響曲第9番『歓喜の歌』(通称『第九』)を合唱します。 お寺で合唱するなんて、とっても斬新ですよね!

第九の夕べは2006年に一度だけの開催予定でしたが、「一回だけではもったいない」との声が上がり、翌年に2回目を開催しました。 参加希望者も増え、動員数700人以上を集める人気のイベントなのです。 今では実行委員会も作って『喜多院で第九を歌う会』を発足しました。 また、本番では子どもたちによる合唱や聴衆も参加できる合唱があります。

ぜひ、喜多院で秋の夜を楽しんでくださいね!

赤坂日枝神社の本社へ行こう!

喜多院の山門の前方には、『日枝神社』があります。
日枝神社といえば、東京赤坂にある日枝神社が有名ですが、実は喜多院の日枝神社から分祀したものなのです。 赤坂の日枝神社は、江戸城を造営した太田道灌が喜多院にある日枝神社から勧請し、江戸城内の紅葉山に祀りました。 そのため、赤坂日枝神社の本社として崇められています。 赤坂に比べるとこじんまりとした小さな神社ですが、江戸城の鎮守として分祀された由緒ある神社です。

喜多院にお参りしたときは行ってみてくださいね。

いかがでしたか。
喜多院は埼玉県の寺院の中でも歴史が古く、徳川家がとくに目をかけていた立派なお寺です。 しかし、七福神めぐりのひとつになったり、第九を合唱したりと、敷居が高くなく親しみやすいお寺なのです。 建造物や展示物も貴重ですばらしいものですので、参拝すれば十二分に堪能できるのではないでしょうか。 ぜひ、喜多院へ行ってみてくださいね!

■所在地
〒350ー0036
埼玉県川越市小仙波町1ー20ー1

■拝観・本堂参拝時間
○3月1日〜11月23日
平日8:50〜16:30 日祝8:50〜16:50

○11月24日〜2月末日
平日8:50〜16:00 日祝8:50〜16:20

お休みは、12月25日〜1月8日、2月2日・3日、4月2日〜5日、4月下旬と5月下旬(宝物特別展開催日の前後日)、8月16日です。

■拝観料(客殿・書院・慈恵堂(本堂)・五百羅漢 拝観コース)
大人400円
小人(小・中学生)150円
※ただし、宝物特別展の期間は金額が変更します
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