必見!迫力ある多度大社の上げ馬神事
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三重県にある多度大社は、伊勢神宮に次ぐ伊勢国二宮の伝統ある神社です。
本宮と別宮の二宮を擁し、それぞれに天照大神につながる神を祀っています。
多度祭で行われる上げ馬神事は、多くの人が訪れる勇壮な神事。朝廷につながる神社でありながら、武家の文化を色濃く伝えており、氏子たちの熱い思いも伝わってくる祭りのハイライトです。
本宮と別宮の二宮を擁し、それぞれに天照大神につながる神を祀っています。
多度祭で行われる上げ馬神事は、多くの人が訪れる勇壮な神事。朝廷につながる神社でありながら、武家の文化を色濃く伝えており、氏子たちの熱い思いも伝わってくる祭りのハイライトです。
北伊勢と呼ばれる伊勢国二宮の多度大社
多度大社は三重県桑名市にある神社で、5世紀後半の雄略天皇の時代に建てられたと伝えられています。三重県内では伊勢神宮・二見興玉(ふたみおきたま)神社・椿大神社(つばきおおかみやしろ)に次いで、4番目に参拝客の多い神社です。ご祭神の天津彦根命(アマツヒコネノミコト)が天照大神の第3皇子であることから、伊勢神宮に次ぐ伊勢国二宮として「北伊勢」と称されたほど、重要な神社のひとつに数えられてきました。
もとはこの地方の桑名首(くわなのおびと)の祖神で、多度山を御神体とした信仰が根付いていたものを、雄略天皇の御代に社殿を立て神社にしたもののようです。御神体の多度山に農耕や安産の祈願を伝えるのは、神の使いである馬とされており、古来より馬は大切に扱われてきました。多度山には1500年以上も前から、神の使いの白馬が住んでいるという伝説も残されています。そのため中世より馬を神事に用いた、「上げ馬神事」や「流鏑馬」が行われるようになりました。
もとはこの地方の桑名首(くわなのおびと)の祖神で、多度山を御神体とした信仰が根付いていたものを、雄略天皇の御代に社殿を立て神社にしたもののようです。御神体の多度山に農耕や安産の祈願を伝えるのは、神の使いである馬とされており、古来より馬は大切に扱われてきました。多度山には1500年以上も前から、神の使いの白馬が住んでいるという伝説も残されています。そのため中世より馬を神事に用いた、「上げ馬神事」や「流鏑馬」が行われるようになりました。
別宮「一目連神社」の御祭神は一つ目の神様
天津彦根命を祀る本宮とともに、多度大社の境内には別宮を祀っています。主祭神は天津彦根命ですが、別宮の神様もほぼ同等の扱いを受け、本宮・別宮の両方をさして「多度両宮」と呼ぶこともあります。この別宮「一目連(いちもくれん)神社」の御祭神・天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)と呼ばれる神様は、本宮の天津彦根命の御子神で、名前の通り「一つ目」の神様と考えられています。たくさんの別名を持つ神様で、古事記や日本書記をはじめとする神話や説話に、何度も登場してくる意外とポピュラーな神様です。
天目一箇神は製鉄や鍛冶の神様で、「岩戸隠れ」では刀斧・鉄鐸を作ったり、大物主神や高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)を祀るときに作金者(かなだくみ)として祭祀の道具を作ったりと、金属加工を得意としています。ところが、多度大社の一目連神社の天目一箇神は、天候を司る神様で「海難防止」の神様として祀られているのです。これは多度山にあった「一つ目の龍神」を祀る信仰が、天目一箇神と集合したと考えられています。もとは多度山にかかる雲や霧の状態を見て、伊勢湾の天候を予測していたのが信仰の由来だという説もあり、山の形が龍の姿に通じるところからも信憑性がありそうです。
「一つ目」の共通点も天目一箇神と龍神の習合した理由の一つでしょうが、おそらくこの地に製鉄神を信仰する人々が入ってきたとも考えられます。天目一箇神が古代朝廷の祭祀を司った忌部氏(いんべし)の祖神であることからも、大和朝廷の東征に伴ってこの地へ製鉄民が入ってきたのが由来なのかもしれません。
天目一箇神は製鉄や鍛冶の神様で、「岩戸隠れ」では刀斧・鉄鐸を作ったり、大物主神や高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)を祀るときに作金者(かなだくみ)として祭祀の道具を作ったりと、金属加工を得意としています。ところが、多度大社の一目連神社の天目一箇神は、天候を司る神様で「海難防止」の神様として祀られているのです。これは多度山にあった「一つ目の龍神」を祀る信仰が、天目一箇神と集合したと考えられています。もとは多度山にかかる雲や霧の状態を見て、伊勢湾の天候を予測していたのが信仰の由来だという説もあり、山の形が龍の姿に通じるところからも信憑性がありそうです。
「一つ目」の共通点も天目一箇神と龍神の習合した理由の一つでしょうが、おそらくこの地に製鉄神を信仰する人々が入ってきたとも考えられます。天目一箇神が古代朝廷の祭祀を司った忌部氏(いんべし)の祖神であることからも、大和朝廷の東征に伴ってこの地へ製鉄民が入ってきたのが由来なのかもしれません。
多度祭のハイライト「上げ馬神事」
毎年5月に行われる多度祭は、多度大社の最大の祭礼。毎年10万人もの人が訪れる大祭です。上げ馬神事はこの多度祭で行われる行事のひとつ。境内にしつらえた崖のように急な「上げ坂」を、勢いをつけて馬で駆け上がる神事です。南北朝の時代に武家が始めたと言われる祭で、現在もその当時の勇猛さが残されています。
7つに分けられた氏子地域(御厨と呼ばれる)のそれぞれから、毎年交代で神児1名と騎手6名が選ばれ、6名の騎手は上げ馬神事で晴れ舞台に上ります。無事に上りきった馬の数でその年の豊作を占い、上りきった馬の数が多ければ豊作、少ないと凶作の暗示です。同時に序盤・中盤・終盤のどの馬が登れたかで、その年のイネの品種も選ばれます。序盤戦に上れた馬が多ければ早稲(わせ)、中盤なら中稲(なかて)・序盤なら晩稲(おくて)といった具合です。
上げ馬神事の行われる上げ坂の横には、歴代の桑名藩主が神事を見学した場所で、現在は多度祭の資料などを展示する多度祭御殿が建っています。ここから眺める上げ馬神事は、ちょうど上から見下ろす位置にあり、神事の迫力がまぢかに伝わってくる絶好の観覧スポット。当時の桑名藩主の気分も味わうことができそうです。それぞれの御厨の「自分の馬を上げてやりたい」という、熱い思いもひしひしと伝わってきます。
7つに分けられた氏子地域(御厨と呼ばれる)のそれぞれから、毎年交代で神児1名と騎手6名が選ばれ、6名の騎手は上げ馬神事で晴れ舞台に上ります。無事に上りきった馬の数でその年の豊作を占い、上りきった馬の数が多ければ豊作、少ないと凶作の暗示です。同時に序盤・中盤・終盤のどの馬が登れたかで、その年のイネの品種も選ばれます。序盤戦に上れた馬が多ければ早稲(わせ)、中盤なら中稲(なかて)・序盤なら晩稲(おくて)といった具合です。
上げ馬神事の行われる上げ坂の横には、歴代の桑名藩主が神事を見学した場所で、現在は多度祭の資料などを展示する多度祭御殿が建っています。ここから眺める上げ馬神事は、ちょうど上から見下ろす位置にあり、神事の迫力がまぢかに伝わってくる絶好の観覧スポット。当時の桑名藩主の気分も味わうことができそうです。それぞれの御厨の「自分の馬を上げてやりたい」という、熱い思いもひしひしと伝わってきます。
合格祈願にもご利益がある流鏑馬の当たり的
多度大社の流鏑馬は上げ馬神事の後にも行われますが、新嘗祭(にいなめさい)に合わせて11月下旬に行われる流鏑馬の方が本命。平成に入ってから始まったまだ新しい行事ですが、年々訪れる人も増えています。流鏑馬の迫力ある勇壮な姿も見どころのひとつですが、見学客が訪れるもうひとつの目的は「当たり的」です。流鏑馬の後に希望者に頒布されるその年の「当たり的」は、「一発必中」にあやかって受験生など合格祈願のお守りとして人気があります。その年の当たり的だけを頒布するので、数も限られておりその希少性も人気の要因のひとつになっているようです。
幾つかある流鏑馬の流派の中で、多度大社の流鏑馬を行っているのは小笠原流一門。毎年、五穀豊穣・天下泰平の感謝を捧げる新嘗祭に合わせて、小笠原流の奉仕の形で桑名市が開催を運営しています。騎射の形で行う流鏑馬は、鎌倉時代に確立した武家の式法。公家の文化を取り入れた武家礼法を伝える小笠原一門は、流鏑馬の技法だけでなく立ち姿や動作といった、立ち居振舞いにまで「美」を追求した、華やかさを備える流鏑馬を今に伝えています。鎌倉・室町時代から30代以上も続く、研ぎ澄まされた武家の礼法を間近で見られる行事です。
幾つかある流鏑馬の流派の中で、多度大社の流鏑馬を行っているのは小笠原流一門。毎年、五穀豊穣・天下泰平の感謝を捧げる新嘗祭に合わせて、小笠原流の奉仕の形で桑名市が開催を運営しています。騎射の形で行う流鏑馬は、鎌倉時代に確立した武家の式法。公家の文化を取り入れた武家礼法を伝える小笠原一門は、流鏑馬の技法だけでなく立ち姿や動作といった、立ち居振舞いにまで「美」を追求した、華やかさを備える流鏑馬を今に伝えています。鎌倉・室町時代から30代以上も続く、研ぎ澄まされた武家の礼法を間近で見られる行事です。
武家の文化を伝える多度大社
北伊勢と呼ばれ伊勢神宮に次ぐ神社としてその名を馳せた多度大社は、公家大名と呼ばれる北畠氏に擁護されたことから、武家の文化を色濃く伝える神社です。その後、戦火に焼失してしまいましたが、江戸時代に桑名藩主の本多忠勝によって再興され、上げ馬神事などの祭礼も再開されました。武家の力で再興された多度大社は、天照大神につながる天津彦根命を祀ることから、大正時代に入って国幣大社に昇格し現在に至っています。
龍神につながる天目一箇神に習合された地元の信仰と、朝廷の天照大神につながる天津彦根命、そして武家の文化の色濃い神事祭礼。多度大社ではそれらのすべてが集約された、上げ馬神事のときに訪れ、当時から続く文化と伝統を肌で感じてみてください。
龍神につながる天目一箇神に習合された地元の信仰と、朝廷の天照大神につながる天津彦根命、そして武家の文化の色濃い神事祭礼。多度大社ではそれらのすべてが集約された、上げ馬神事のときに訪れ、当時から続く文化と伝統を肌で感じてみてください。