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伊勢神宮では別宮も参拝するのが正統派

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伊勢神宮の正式名称はただ「神宮」のみ。皇大神宮・豊受大神宮の他に、合わせて125の神社で構成されています。神宮を訪れたなら、有名な内宮・外宮以外にも、数多くある別宮や神社を参拝するのが正統派。少なくとも別宮だけは、予定に入れるのがセオリーです。

伊勢神宮はすべての神社を統べる

伊勢神宮と呼ばれていますが、ただ「神宮」と呼ぶのが正式名称。宮域内に125社ある神社の総称です。神宮には中心となる内宮・外宮の他に、全部で125もの神社があります。一部は大きな宮の内部にあり、参拝できないものもありますが、多くは一般の人も参拝できる神社です。すべてを回るのは難しいですが、せめて別宮と呼ばれる神社にだけは、参拝できるように予定を組みましょう。

神宮の中心となるのは内宮と呼ばれる「皇大神宮」と、外宮と呼ばれる「豊受大神宮」の2社。それぞれ、天照坐皇大御神(アマテラシマススメオオミカミ)と豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)が御祭神です。天照大御神を祀る他の神社と違い、皇大神宮では「坐(そこにい続ける)」と「皇(王・統べる)」の2文字が加えられています。天照大御神が「神々を統べる立場として、神宮に居続ける」という意味が示されており、全ての神を祀る神社の頂点である証しです。

神宮は本来「天皇が国家のことを祈る」ための場であり、個人の願いを祈る場ではないとされています。以前は「紙幣禁断」といい、個人からの奉納も受け付けていませんでした。皇大神宮では個人的な願いを祈るのではなく、個人を取り巻く環境(家族・地域・国家)のことを願う、ひいては祈り願うのではなく「感謝の気持ちを込めて頭を垂れる」ことこそが、神宮で開運を導く最良の作法と考えられています。個人の願い事については、他の123ある神社をお参りするのが良さそうです。神宮には他にどんな神社があるのでしょう。

外宮「豊受大神宮」にある4社の別宮

最初に参拝する外宮・豊受大神宮には、内側に3社、外側に1社と計4社の別宮があります。内側にある別宮のひとつめは「多賀宮(たかのみや)」です。高台に位置することから、その名前がつきましたが、明治以前にはそのまま高宮と書いていたようです。豊受大御神の荒御魂を祀っています。穏やかな側面の和御霊(にぎみたま)に対し、荒御魂は行動的な神格を指しています。そのため、荒御魂を祀る多賀宮の方が、現実的な後押しをしてくれる、力強い神様だとして崇敬する人も多いようです。

ふたつ目の「土宮(つちのみや)」は、大土御祖神(オオツチノミオヤノカミ)を祀る神社です。氾濫を繰り返していた、宮川の堤防の守り神として信仰されてきました。土宮は他の別宮と異なり、東向きに建てられていることも特徴です。理由がわかっていないことから、他の別宮に合わせて南向きに建て替える話も出たそうですが、古式に従って現在もそのままの姿で建てられています。

最後の「風宮(かぜのみや)」は、風の神様の級長津彦命(シナツヒコノミコト)と級長戸辺命(シナトベノミコト)の2柱の神様を祀る神社。両神は風雨の調節を司っている神様で、農業と関わりの深い神様です。鎌倉時代に起きた「元寇」で、二度にわたって神風を吹かせたのは、この風宮と内宮の別宮・風日祈宮(かざひのみのみや)と言われています。
豊受大神宮の外にある別宮・月夜見宮(つきよみのみや)は、天照坐皇大御神の弟神・月夜見尊(ツクヨミノミコト)とその荒御魂を祀る神社です。三方を掘りに囲まれ、楠や欅・杉などの樹林に覆われた姿は、とても伊勢市街の中心部にあるとは思えない静けさ。お宮の右手にある大楠は、月夜見宮を参拝する前に、手を合わせて祈る人がいるほど、神々しい姿をしています。

内宮「皇大神宮」の別宮と付近の神社

内宮には別宮の他にも、参拝しておきたい神社がいくつかあります。まず別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)は、天照大御神の荒御魂をお祀りする神社で、御正宮(ごしょうぐう)に準ずる第一の別宮です。公の宮である御正宮では感謝を捧げ、個人的な願いはこの荒祭宮でお祈りするのがおすすめ。行動的な神格の荒御魂を祀っている荒祭宮は、強いパワーがあると地元の人からも篤く信仰されています。
風日祈宮は五十鈴川の支流・島路川の上にかかる風日祈宮橋を渡って参拝します。御祭神は外宮別宮・風宮と同じく、伊弉諾尊の御子神である級長津彦命と級長戸辺命の2柱の神様。20年に一度の式年遷宮では、宇治橋・火除橋とともに、この風日祈宮橋も新しく架け替えられます。樹林に囲まれた風日祈宮は、心なしか清々しい風を感じられ、悪しきものを吹き祓ってくれるかのようです。
内宮にお参りするときに、まず遭遇するのが宇治橋。この宇治橋を守っているのが、宇治橋の正面に鎮座する饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)です。宇治橋の欄干にある16基の擬宝珠(ぎぼし)のうち、2番目の擬宝珠の中には、この神社で祈祷された万度麻(まんどぬさ)と呼ばれる神札が収められています。また、御正宮の近くにある御稲御倉(みしねのみくら)は、唯一神明造を目の前で見られる建築物。お米の神様である稲魂がお祀りされています。

天気が良ければ手水舎の代わりに、五十鈴川の御手洗場(みたらし)でお清めするのが、より良いとされる内宮参拝の作法。この五十鈴川を守っているのが、見逃してしまいそうなほど小さな祠。五十鈴川と水の守り神とされる、滝祭神(タキマツリノカミ)が祀られています。地元の人たちの間では、夏の土用の丑の日と8月1日に、五十鈴川の水を汲んで滝祭神にお供えし、持ち帰って神棚に置いて無病息災を祈る風習があり、体の調子の悪いところにこのお水をつけるそうです。

内宮から離れた場所にもある別宮

内宮には離れた場所にある別宮もあります。月讀宮は内宮から約1.8キロメートル離れた場所にある別宮です。木立の中に4つの社殿が並んでおり、東から月読尊荒御魂・月読尊・伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)の4柱の神様が祀られています。外宮の別宮では「月夜見」の字が当てられていますが、どちらも同じ天照大御神の弟神。伊弉諾尊が禊をした時に生まれ、夜の国を支配するよう命じられました。月の満ち欠けで農作業の計画を立てたことから、農業との関わりも深いとされています。

内宮と外宮のほぼ中間に鎮座する倭姫宮(やまとひめのみや)は、4ヘクタールもの広大な森に包まれています。神宮を構成する宮の多くが、奈良時代以前に創建されているのに対し、倭姫宮は1923年(大正12年)とまだ新しい神社です。皇女であった倭姫命は天照大御神の御杖代となり、新しいご鎮座地を求めて各地を巡った末に、伊勢の地に神宮を創建しました。神宮の創建後は、神嘗祭をはじめとする神宮の祭祀と、祭祀の運営の確立にも尽力したと伝えられています。

さらに遠く離れた場所にある遙宮

伊雑宮(いざわのみや)は志摩の海に近い磯部町に鎮座する、神宮からは遠く離れた内宮の別宮です。別宮の中でも特に離れているため、遙宮(とおのみや)と呼ばれています。天照大御神の荒御魂を祀る神社で、神宮へお供えする神饌(しんせん)を採る御贄所(みにえどころ)を求めていた倭姫命が、志摩国に入って伊佐波登美命(イザワトミノミコト)に迎えられ、ここに宮を建てたと言われています。
海女で有名な志摩国は、海の幸に恵まれているだけでなく、宮に隣接する神田で行われる御田植式が、国の重要無形民俗文化財に指定されていることからも、農作物にも恵まれていたようです。

磯部の伊雑宮とともに遙宮と呼ばれる瀧原宮は、山間に鎮座する皇大神宮の別宮です。手水舎もありますが、すぐそばを流れる谷川の水で手水をするのが、瀧原宮を参拝する際の古くからの作法。御清めを済ませて社殿に向かうと、瀧原宮と瀧原竝宮(たきはらならびのみや)の2つの社殿が並んで建っています。
どちらの宮も天照大御神の荒御魂を祀っており、神宮へ鎮座する前に、倭姫命はこの地に宮を建てられました。地勢が似ていることから、内宮は瀧原宮を参考に建てられたとも言われています。

宮域を超えて神威を見せる神宮

神宮の宮域は約5500ヘクタール。なんと伊勢市全体の4分の1を占める広さです。
多くは式年遷宮に使われる御用材を賄う宮域林などの樹林ですが、境内一帯の神域だけでも相当な広さ。この広い境内に100を超える神社が建てられています。境内の外にも遙宮と呼ばれる内宮の別宮があり、まるで神域を超えて神宮の神威を示しているかのようです。実際、どの別宮にも皇大神宮に通ずる、神聖さを秘めた静けさが漂っています。

紹介した別宮と内宮・外宮を全て参拝するには、最低でも2泊3日の日程が必要ですが、1泊2日や日帰りでも幾つかの別宮を参拝できます。次に神宮を訪れるときには、ぜひ別宮や他の神社もお参りしてください。
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