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鳥居は本来の姿をとどめているのか。鳥居の形態と素材の種類

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神社にお参りする際に、必ずと言っていいほどくぐる鳥居。見上げるほど大きなものから、腰を屈めるほど小さなものまで、形も素材もバリエーションが豊富です。様々な形態に発展した鳥居ですが、本来はどのような形だったのでしょうか。

鳥居にはいろいろな種類がある

神の坐す神域と人間の住む俗世とを分けるように、神社の入り口に立つ鳥居。神社の地図記号にもその形が使われており、神社を表すもうひとつの顔と言っても良いでしょう。神社の象徴として誰もが知る鳥居ですが、その起源は未だ解明されておらず、今なお謎の多い建物です。

鳥居は左右に建てられた2本の柱の間を、上下2本の横木で構成された単純な構造。上の横木を「笠木」、下の横木を「貫」と呼びます。単純な構造の鳥居ですが、構造や装飾の仕方の特徴から、大きく2つに分類されます。

研ぎ澄まされたシンプルな神明鳥居

「神明鳥居」はほとんど装飾の無い、シンプルなデザインの鳥居の総称です。神明鳥居の基本的な構造としては、柱・笠木・貫のどれもが円柱でできていることが多く、貫は柱を貫通していないことが特徴。切り出した木材を、そのまま皮を剥がずに使った「黒木鳥居」と、白木にして使った「白木鳥居」が、神明鳥居のルーツになります。黒木鳥居の方が古いとされていますが、実際には白木鳥居の方が古いのではないかという説もあり、真偽は未だ解明されていません。

いずれにせよ白木鳥居・黒木鳥居が、以下のバリエーションの基本になっていることは、間違いないでしょう。白木鳥居に対して、さらに製材して太さを均一にした木材を使用した鳥居を、「化粧仕立て」と呼んで区別しています。陵墓鳥居という名称を使うこともあり、白木鳥居と陵墓鳥居の両方をまとめて白木鳥居と呼ぶこともあるようです。ちなみに、地図記号にはこの化粧仕立ての鳥居の形が採用されています。

「靖国鳥居」は貫の形が円柱(丸貫)ではなく、角柱の平貫を採用していること。靖国神社が名前の由来ですが、靖国鳥居の形をした鳥居自体は、靖国神社以前から存在していました。靖国神社の鳥居も、もともとは靖国鳥居ではありませんでした。

伊勢神宮の内宮・外宮にあるのが「伊勢鳥居」。笠木が五角形なのが最大の特徴です。笠木の両端は斜めに切り落とされており、貫も平貫が使用されています。御正宮の千木と合わせて斜めに切ったという見方もありますが、どうやらこの後に紹介する「明神鳥居」に対抗したデザインのようです。

「鹿島鳥居」は円柱で構成されますが、貫が柱を突き抜けたデザインなのが特徴。笠木も端は斜めにカットされています。鹿島神宮がその名の由来とされていますが、デザインとしては比較的新しく採用されたもののようです。 

洗練されスタイリッシュな明神鳥居

「明神鳥居」の最も大きな特徴は、笠木の両端が反り上がっていること。笠木の下に島木が置かれることや、額束(額柱)が島木と貫の間の中央に据えられているなど、神明鳥居には見られない構造もあります。一部の神明鳥居にも見られますが、明神系は貫が左右に必ず突き出ているのも特徴です。中国など海外からの影響を強く受けていると考えられ、朱塗りの鳥居など、華やかな鳥居が目立ちます。

「台輪鳥居」は明神鳥居の基本形はそのままに、島木と柱の間に台輪と呼ばれる円形の座が挟み込まれた構造の鳥居。仏教建築に多く見られる建築様式で、神仏習合の影響とも考えられます。この台輪鳥居の柱の脚部に、寸胴の根巻きを取り付け、島木と根巻きは黒く、全体は朱に塗ったものが「稲荷鳥居」です。さらに柱に控柱(稚児柱)を取りつけ、四つ脚にしたものを「両部鳥居」と呼びます。両部鳥居は厳島神社の大鳥居などが代表的です。

「八幡鳥居」はほぼ明神鳥居と同じ形ですが、笠木が反り返っていないのが特徴。両端は襷に切られています。八幡鳥居の笠木と島木の両端を垂直に切り取ると「春日鳥居」です。明神鳥居の特徴である反り返りは見られませんが、島木や額束があることで明神系に分類されます。

笠木の上に合掌型と呼ばれる山型の飾りのついた「山王鳥居」は、比叡山の日吉神社などの日吉山王・山王権現から名付けられた鳥居です。合掌型の上に裏甲と呼ばれる雨覆が乗せられた独特の形は、一度見たら忘れられません。山王鳥居の合掌型が、笠木の上から島木と抜きの間に移動した「奴禰(ぬぬ)鳥居」という鳥居もあります。

鳥居が三つ並んだような「三ツ鳥居」は、「三輪鳥居」とも呼ばれます。鳥居の左右に脇鳥居(袖鳥居)を控えた独特の構造を持ち、大神神社や三峰神社などのごく一部の神社で見られる鳥居です。左右の脇鳥居に扉がつけられた鳥居もあります。ここまで発展してくると、鳥居だけで一大建築物ように見えてきます。

鳥居に使われる材料も種類が豊富

神明系鳥居・明神系鳥居と形に様々なバリエーションのある鳥居ですが、材料にも色々な素材が使われています。

最も古くから使われた材料が、木材です。中でも檜材は優れた耐久性を持ち、書こうにも適していたため、特に重宝されてきました。木曽や吉野の檜が有名ですが、吉野の檜はより粘りが強く曲げなどの耐久性に優れ、木肌を水が弾いて玉になって流れ落ちるほど油気も多く、木材としては最高級品です。良質の檜材を生む産地は、現在国有林化され、大切に保護されています。檜以外には、クスノキやネズミモチ、クヌギや杉なども用いられてきました。一部の地域では、ケヤキなどが好んで使われています。

鎌倉時代を境に、檜をはじめとする木材の多くで、用材に足る大木を調達することが難しくなってきました。
鳥居だけでなく神社仏閣や邸宅などの建造のため、それ以前の奈良時代・平安時代にかけて、多くの用材が伐採されたことが原因です。木材の代わりに登場したのが、御影石などを用いた石造の鳥居です。現代では特に違和感を感じることはあまりありませんが、初めて登場した当時は木製の社殿の前に立つ、灰色の御影石でできた鳥居はアンバランスに映ったかもしれません。これが原因で、それまで社殿と鳥居は不可欠であったものが、次第に社殿から遠ざけられ、鳥居が本来の意味を失い、形骸化していった要因だとする説もあります。

金(かね)の鳥居も登場しました。この「金」はゴールドではなく、金属を指しています。
銅製の鳥居が主流だったようですが、鉄製の鳥居も古くから存在していたようです。ただし、その縁起については疑問の残るものが多く、それぞれの成立年代は明らかではないと見られています。金の鳥居は戦時の供出などによって失われ、古くから現存しているものは少なくなっていますが、中には戦後に鉄管を用いて作られた、工業製品のような鳥居もあるので、由緒ある鳥居かいなかは、素人目には判断が難しくなっているようです。

陶器製の鳥居もあります。江戸時代の中頃から広まったと考えられていますが、現存する陶製鳥居がほとんどないため、実態は改名していません。現在見られるものの多くは、明治時代に作られたもの。焼き物の生産地に多く見られます。
別々に焼き上げたパーツを組み見立てているのが特徴です。さらに時代が下るとコンクリート製の鳥居も登場します。大正末期頃から使われるようになった鉄筋コンクリートは、関東大震災を経験したことから、頑丈な建造物を作る素材として、急速に広まっていきました。鳥居にも鉄筋コンクリートを使うようになって、巨大な鳥居を作れるようになり、鳥居の世界に画期的な変革をもたらしました。

未だに謎の多い鳥居のルーツ

多様な変化を遂げてきた鳥居ですが、冒頭でも述べたようにそのルーツなど、解明されていない謎が多く残されています。その発祥についても、「2本の木を縄で結んだもの」や「鳥の止まり木を神社の前に立てた」など、多くの説が説かれてきました。インド仏教や中国をルーツとする説もあるようです。このような様々な説が説かれながら、未だに解明していないのはなぜでしょう。それは鳥居が次第に神社から切り離されてしまったことに要因があります。

神社に立つ鳥居の詳細を聞こうとそこの神職に尋ねても、多くの神職の方が縁起や詳細を知らないことが多いようです。社殿やその他の建造物については詳しく知っているのに、鳥居については神職ですらほとんど重要視していないという事実があります。木材が不足して不釣り合いな石造りの鳥居が増えたなど、幾つかの要因は考えられますが、鳥居の由来や意味が次第に忘れられてしまうのは悲しいものです。とはいえ、私たちは現在から未来へ生きています。今ある鳥居の役割は、私たちが神聖に思う気持ちを大切にすれば、いつか本来の姿を取り戻していくに違いありません。
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