日本史

「弁慶の泣きどころ」「アダムの林檎」「アキレス腱」歴史人物にまつわる慣用句集"

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 古今東西、その人柄や軍功、あるいはとんでもない悪事によって、多くの人物が歴史にその名をとどめてきました。なかには、歴史の巻物に名を残すだけでは飽き足らず、わたしたちが日常で使う日本語にもその名を残した人物たちがいます。わたしたちが使っている歴史人物にまつわる慣用句には、実は興味深い歴史ドラマが含まれていることもしばしば。また、何気なく使っている言葉でも、その裏には歴史上の有名人のエピソードが隠れていることもあります。「弁慶の泣きどころ」や「アダムの林檎」など、言葉に隠された歴史物語を紹介します。

1.弁慶の泣きどころ ~武蔵坊弁慶(?-1189)?

 日本人なら誰しも知っているこの言葉、「子供の頃は、弁慶その人は知らないけれど、弁慶の泣きどころは知っていた」なんて方もいるかもしれません。意味は、「剛毅の武者である弁慶ですら、叩かれると痛みのあまり泣いてしまうほどの弱点、特にむこうずね」といったところでしょうか。

 わざわざ説明するまでもないでしょうが、この慣用句における「弁慶」は、強いものの代表として引き合いに出されているのであって、実際に弁慶がすねを打たれて泣いた、という歴史的な記録はありません。(そもそも、弁慶の名は歴史書にほとんどあらわれず、実在すら疑われていますけれども。)ほんとうに弁慶が泣くかどうか、どうしても気になる方は、タイムマシンで12世紀後半にワープして、弁慶を捕まえて、すねを蹴ってみるしかありません。

 もう一つ弁慶に由来する言葉として、「弁慶の立ち往生」があります。普段わたしたちが耳にする「立ち往生」は、「大雪で車が立ち往生する」といった文脈で、進退窮まる、といった意味に使われることがもっぱらです。ですから、「弁慶の立ち往生」と聞くと、大男の弁慶がにっちもさっちもいかなくなって、オロオロしている様子を思い浮かべてしまいますが、そうではありません。言葉の起源となったのは、1189年の衣川の戦い。頼朝の追撃によって義経とともに進退窮まった(つまり今でいうところの「立ち往生」をしたわけですが)弁慶は、義経をかばうために、敵の矢面に立ちます。やがて弁慶は死に絶えますが、彼はなぎなたを杖に立ち続けました。文字通り「立ち」ながら「往生」したわけです。言われてみると、「立ち往生」は、字面通りに読めば、立ちながら死ぬことを意味していることに気づきます。ちなみに筆者は、平泉でガイドさんにこのお話を伺うまで「立ち往生」の本来の意味を知りませんでした。また、「弁慶の立ち往生」の由来を知ってからというもの、「立ち往生」という言葉がめっきり使いづらくなってしまいました。「立ち往生」、結構重みのある言葉なのでした。

2.アキレス腱 ~アキレウス ホメロス『イリアス』より~

 「弁慶の泣きどころ」においては、弁慶は屈強な人物を代表しました。では、西洋を代表する強者といえば誰でしょうか。答えはアキレウス。『オデュッセイア』と並ぶホメロスの名叙事詩『イリアス』に登場するアキレウスは、笑ってしまうほどの強さで有名です。なにしろ彼は、触れると不死身になるという冥府の川ステュクスの効験によって、ほぼ不死身だったのですから。(なんとまぁ、ズルいこと。)『イリアス』では、トロイヤの誇る最強の戦士ヘクトルを破り、向かうところ敵なし、大車輪の活躍を見せたアキレウスですが、そんな彼にも一つ弱点がありました。それがご存知、アキレス腱(Achilles’ tendon)。なぜ、弱点だったかというと、ステュクスの水がそこだけかからなかったからだそう。アキレス腱だけ水につかないように全身を浸した、というのはなかなか理解に苦しみますが、なにはともあれ、アキレウスはその弱点を突かれ、ついに息絶えます。このようなエピソードから、日本語で「踵骨腱」(しょうこつけん)とよばれるアキレス腱は、「強者の急所」という意味を持つに至りました。

3.アダムの林檎 ~アダム 『旧約聖書』より~

 さて、二つの弱点を紹介しましたが、もう一つ弱点を紹介します。それは「アダムの林檎」(Adam’s Apple)。アダムの林檎とは、「のどぼとけ」を意味します。なぜ、のどぼとけがアダムの林檎とよばれるようになったのか、その答えはアダムとイブの登場する『旧約聖書』にあります、、、と思いきやありません。

 たしかに、エデンの園で禁断の果実を食べたアダムが、その実を喉につまらせた、という説が1913年のウェブスター辞典をはじめとして、一般に受け入れられているのは事実です。しかし、『旧約聖書』においては、アダムが喉に林檎をつまらせた、という話はなく、禁断の果実が林檎であったのかも明記されていません。つまり、アダムの林檎の由来は、『旧約聖書』にあるというよりもむしろ『旧約聖書』から生まれた都市伝説といったほうがよいでしょう。

 アダムの林檎はヘブライ語の誤訳に由来する、という説もあります。その説によると、もともと、のどぼとけに対しては「人間にある突起部」というヘブライ語が使われていました。しかし、「突起部」を意味する言葉とリンゴを意味する言葉が似ていたことから混同され、さらにヘブライ語で「アダム」は人間全体を指すこともあったため、誤訳が起こり、「アダムの林檎」となったというのです。  

 いずれにせよ、『旧約聖書』におけるアダムの行動は、ダメと言われた物に手をだしてしまう人間の性こそ、ほんとうの弱点であることを教えてくれます。
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