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全国に点在する若宮八幡宮とはどんな神社?

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神社は日本全国に約88000社あるといわれています。
その中でも「若宮八幡宮」は全国に点在し、人々を見守っています。
しかし、若宮八幡宮とはどういった神様が祀られているかご存じでしょうか。
なぜ、全国に若宮八幡宮が点在しているのでしょうか。
そこで今回はその謎を解き、全国の若宮八幡宮をご紹介します!

若宮八幡宮に祀られている神様とは?

若宮八幡宮とは「八幡宮の若宮」という意味があり、宇佐神宮や石清水八幡宮、鶴岡八幡宮などの八幡大神を祀る神社から勧請した神社のことをいいます。 八幡大神とは第15代応神天皇のことです。 また、皇后の比売大神(宇佐神宮や石清水八幡宮では宗像三女神)・応神天皇の母の神功皇后を合わせて「八幡三神」とよばれています。 八幡三神は応神天皇・神功皇后・仲哀天皇(応神天皇の父)の3柱のことをさすともいわれています。 さらに、若宮とは皇族の子・皇子の幼少期の呼称という意味があることから、若宮八幡宮は応神天皇の皇子・仁徳天皇を祀っている神社のことをいいます。

仁徳天皇は「聖帝」とよばれるほど、優れた天皇でした。
仁徳天皇はある日、民家からかまどの煙が出ていないことを見て、民が貧しい生活を強いられていることを悔いました。 そこで3年間、税の徴収と労役を取りやめる御布令を出しました。そして、自身の生活も質素を心がけたのです。 また、土木工事を行って河川の氾濫を抑えたり、用水路を作って田地開拓をしたりと、国による大規模事業を初めて行った天皇です。

全国の若宮八幡宮には八幡大神が祀られていたり、仁徳天皇が祀られていたり、あるいは一緒に祀られたりと、さまざまです。

八幡大神の託宣と言い伝え

神道では、八幡大神は応神天皇の神霊だと伝えられています。
初めて八幡大神が登場する資料は884年の「宇佐八幡宮弥勒寺建立縁起」で、八幡大神とは応神天皇の神霊だと記されています。 また、応神天皇は日本最古の歴史書の古事記では「品陀和気」、日本書記では「誉田別」と記されています。

そして、八幡大神は「武運の神様」といわれ、多くの武将たちが崇敬していました。 現在でもスポーツの試合などで、勝利祈願する人々が訪れています。 なぜ、「武運の神様」なのでしょうか。

神功皇后は三韓征伐(新羅へ出兵し、朝鮮半島の広い地域を服属下においた戦い)の際、応神天皇を身ごもっていました。 この三韓征伐は神功皇后が仲哀天皇とともに熊襲討伐のため香椎宮へ訪れた際、神がかりにあい神託を受けたのです。それは熊襲討伐より新羅を攻めよ、というものでした。

しかし、神託を信じなかった仲哀天皇は熊曾討伐を行い、敗北しました。その後、崩御してしまったのです。 そして、神功皇后は自らが指揮をとり、熊襲を討伐しました。 その後、住吉大神の新羅討伐の神託があり、応神天皇を身ごもったまま出兵したのです。新羅を配下においたあと、その帰りに出産しました。 応神天皇は胎内にいる時点ですでに天皇になることが決まっていたため、胎中天皇とよばれました。

出生した応神天皇は皇后の死後、天皇に即位しました。 そして、中国の文化を取り入れ、日本文化の礎を築いたといわれています。 ところが、当時から八幡大神とよばれていたわけではありませんでした。 八幡大神にはさまざまな言い伝えがあり、八幡総本宮の宇佐神宮にはこんな伝承があります。

日本書記には、天照大御神と素戔嗚尊の誓約で産まれた宗像三女神が葦原中国(人間が住む地上世界)の宇佐嶋に降り立ったといわれており、この地に住む豪族の宇佐氏が氏神として祀ったのがはじまりといわれています。 宇佐神宮の社伝によると、欽明天皇29年(569年)、境内のひし形のなった池のほとりに、ひとつの体に8つの頭を持つ鍛冶の翁が現れました。 その姿をみたものは病気になったり、亡くなったりしたのです。 大神氏の祖・大神比義が様子を見に行くと、金色の鷹がいました。
「誰かによって鷹に変えられたのか? それとも自分の意志で鷹になったのか?」
と問うと、鷹は金色の鳩に変わって比義の袂の上に止まったのです。
比義は「神が人を救済しようとして、自分から変身したのかもしれない」と感じ、3年も断食をして祈り続けました。すると、欽明天皇32年(571年)の2月初卯の日、池に童子が現れ、
「われが誉田の天皇広幡の八幡麿なり。わが名は護国霊験威力神通大自在菩薩、垂迹(仏菩薩が衆生を救うために仮の姿になってこの世に現れること)せし者なり」といい、金色の鷹になって駅館川の東岸の松の上に止まりました。
そこで比義は金色の鷹が止まった地に「鷹居社」を建て、八幡大神を祀ったのが宇佐神宮の創立といわれています。 「誉田の天皇」とはつまり、応神天皇が八幡大神ではないかと結びつけられていったのです。

また、奈良時代の720年にはこんな言い伝えも残っています。
律令国家の建設に反対していた南九州の隼人という人物が反乱を起こした際、八幡大神に神託をお願いしました。すると、「われ征ゆきて降くだし伏おろすべし」と告げ、神輿にのって制圧しました。 征伐したあと、八幡大神は殺生の罪を悔い、仏教に救いを求めました。 そして、「年ごとに放生会を修すべし」と託宣を下したのです。 いまでも放生会は仲秋祭として、宇佐神宮で執り行われています。 このころからすでに、八幡大神は仏教と習合していたことがわかります。

さらに、八幡大神の信仰を厚くするこんな言い伝えもあります。
天平12年(740年)、藤原広嗣の乱で朝廷は八幡大神に加護を祈り、勝利しました。 天平勝宝元年(749年)には、八幡大神が入京するという託宣があったため、八幡大神に一品、比売神に二品の神階を贈りました。このように朝廷からの崇敬は厚かったことから、八幡大神が広く信仰されていきました。

このことに加え、八幡大神はまたも託宣を出しました。
ひとつめは、奈良にある東大寺の大仏を建立するときです。 天平17年(745年)、聖武天皇は疫病や社会不安から国家を鎮護するため、大仏の建立を発願しました。 しかし、莫大な費用がかかるため、貴族たちから反発があるかもしれません。そんなとき、八幡大神が、
「われ天神地祓を率い、必ず成したてまつる。銅の湯を水となし、我が身を草木に交えて触ることなくなさん(我が天の神、地の神を率いて、我が身をなげうって協力する。我が身を高じの草木や土に交えて障害を無くそう)」
という託宣を出したのです。
さらに、「大仏に塗る金が不足すれば、必ず国内より金がでる」という託宣も出しました。
すると、本当に陸奥国から金が献上されたのです。

ふたつめの託宣は、神護景雲3年(769年)に起こりました。
女帝の称徳天皇の御代で、寵愛を受けていた僧侶・弓削道鏡がしばしば政治に介入していました。
道鏡は八幡大神から、「道鏡を皇位に就かせたならば国は安泰する」という託宣をいただいたというのです。 宇佐神宮を崇敬していた称徳天皇は、その託宣が本当かどうか確かめるため、官僚の和気清麻呂を遣わせました。
すると、八幡大神は、
「わが国は開闢以来、君臣の分定まれり。臣をもって君となすこと未だあらざるなり。天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしく早く掃除すべし(わが国はこの世が始まって以来、君臣の分は定まっている。臣によって君となることはいまだない。天皇の位を継承するには必ず天皇の継嗣を立てよ。そうではない者は早く掃い除けよ)」
と、告げました。
これを聞いた道鏡は怒り、清麻呂を流罪にしました。
実は、道鏡が受けた八幡大神の託宣はウソだったのです。
清麻呂は大隈国へ流される途中、道鏡の刺客により暗殺されそうになりますが、突然雷が鳴ったり、300頭あまりのイノシシの大群が守ってくれました。 清麻呂が宇佐神宮へお参りすると、道鏡に傷つけられた脚が回復するなど、八幡大神による奇跡が相次いだのです。 その後、称徳天皇が崩御すると、道鏡は失脚しました。 この一連の事件で、八幡大神の神威は高まり、「八幡信仰」がさらに広がっていったのです。 ですから、全国に八幡社が多いのです。 そして「朝廷の守護神」として、伊勢に次ぐ第二の宗廟とされました。

そのため、八幡大神は「武運の神様」だけではなく、「国家鎮護の神様」や「託宣の神様」として崇められるようになったのです。

若宮八幡宮はどこにある?

ここまでご祭神について述べてきました。
それでは、全国にある若宮八幡宮(若宮八幡神社)を一挙ご紹介します!

○青森県
・若宮八幡神社
〒039ー0104 三戸郡南部町小向村中39
ご祭神 誉田別命

○秋田県
・若宮八幡神社
〒010ー1103 秋田市太平中関字八幡野8
ご祭神 応神天皇、天照皇大神

○宮城県
・若宮八幡神社
大崎市三本木新沼字若宮113
ご祭神 誉田別尊、大鷦鷯尊(仁徳天皇)、神功皇后

○山形県
・若宮八幡神社
〒999ー3701 東根市東根甲1
ご祭神 応神天皇、仁徳天皇

○岩手県
・若宮八幡宮
〒028ー0001 久慈市夏井町鳥谷第9地割1-4
ご祭神 大雀命、毘沙門天神、稲荷大明神

○福島県
・若宮八幡神社
〒968ー0607 南会津郡只見町布沢宮ノ本945
ご祭神 大雀命

○茨城県
・若宮八幡宮
〒313ー0006 常陸太田市宮本町2344
ご祭神 大雀命

○群馬県
・若宮八幡宮
〒370ー0874 高崎市中豊岡町1428
ご祭神 大雀命

○東京都
・天祖若宮八幡宮
〒177ー0051 練馬区関町北3ー34ー32
ご祭神 大日靈貴尊、狭依姫命、倉稲魂命、誉田別尊、仁徳天皇

○神奈川県
・若宮八幡宮
〒250ー0853 小田原市堀之内158
ご祭神 応神天皇

○埼玉県
・若宮八幡神社
〒352ー0011 新座市野火止3ー13ー8
ご祭神 大雀命

○山梨県
・若宮八幡宮
〒407ー0015 韮崎市若宮1ー4ー14
ご祭神 大雀命

○富山県
・若宮八幡社(お蚕宮)
〒939ー0000 富山市八尾町城ヶ谷4555
ご祭神大雀命

○石川県
・若宮八幡宮
〒924ー0805 白山市若宮1ー100
ご祭神 応神天皇、綿津見神、大山祇神、日本武尊、豊受比売神、大田神

○長野県
・若宮八幡宮
〒383ー0011 中野市若宮大道添607
ご祭神 大雀命

○新潟県
・若宮八幡宮
〒949ー7316 南魚沼市一村尾128
ご祭神 大雀命

○福井県
・若宮八幡神社
〒916ー0065 鯖江市当田町19ー1
ご祭神 大雀命

○静岡県
・若宮八幡宮
〒421ー1121 藤枝市岡部町岡部81ー2
ご祭神 大雀命

○岐阜県
・若宮八幡神社
〒509ー6101 瑞浪市土岐町8418
ご祭神 大雀命

○愛知県
・若宮八幡宮
〒444ー0022 岡崎市朝日町森畔12
ご祭神 大雀命

○三重県
・若宮八幡宮
〒515ー3532 津市美杉町川上3498
ご祭神 大雀命、素盞嗚尊、誉田別命

○滋賀県
・若宮八幡神社
〒520ー0054 大津市逢坂1ー11ー2
ご祭神 応神天皇

○兵庫県
・若宮八幡宮
〒673ー0423 三木市宿原1223
ご祭神 応神天皇、仲哀天皇、仁徳天皇

○大阪府
・若宮八幡大神宮
〒536ー0016 大阪市城東区蒲生4ー3ー16
ご祭神 大雀命

○京都府
・若宮八幡宮社
〒605ー0846 京都市東山区五条橋東5丁目480
ご祭神 大雀命

○和歌山県
・若宮八幡神社
〒640ー8390 和歌山市有本653
ご祭神 応神天皇、仁徳天皇、神功皇后

○徳島県
・若宮八幡神社
〒772ー0044 鳴門市大津町大幸 若宮ノ本13ー2
ご祭神 大雀命

○高知県
・若宮八幡宮
〒781ー0270 高知市長浜6600
ご祭神 応神天皇、神功皇后、市杵島姫命、湍津姫命、田心姫命、たかおかみのかみ

○愛媛県
・若宮八幡神社
〒791ー4321 松山市元怒和宮ノ浦甲1711
ご祭神 誉田天皇、神功皇后、田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命

○岡山県
・若宮八幡宮
〒701ー4212 瀬戸内市邑久町尻海3038
ご祭神仁徳天皇、仲哀天皇、神功皇后、大山祇神

○広島県
・若宮八幡神社
〒728ー0014 三次市十日市南4丁目7ー55
ご祭神 応神天皇、神功皇后、仲哀天皇

○山口県
・若宮八幡天満宮
〒745ー0016 周南市若宮町1
ご祭神 誉田別命、菅原道真

○福岡県
・若宮八幡宮
〒822ー0151 宮若市水原395ー5
ご祭神 応神天皇、神功皇后、仁徳天皇、武内宿禰命

○大分県
・若宮八幡宮
〒876ー0013 佐伯市若宮町5ー5
ご祭神 大雀命

○佐賀県
・若宮八幡神社
〒849ー0906 佐賀市金立町金立1055
ご祭神 大雀命

○熊本県
・若宮八幡宮
〒869ー1101 菊池郡菊陽町津久礼429
ご祭神 大雀命

○長崎県
・若宮八幡神社
〒859ー5504 平戸市下中津良町360
ご祭神 誉田別命

ご紹介したのはほんの一部です。
あなたの近くの若宮八幡宮はどこにありましたか? ぜひ、訪れてみてくださいね! いかがでしたか。 今回は全国に点在する若宮八幡宮についてご紹介しました。 計りしれない八幡大神の神威は、全国に広がっていったのがよくわかりますよね。 奈良時代以前より信仰されていた八幡大神や仁徳天皇は、ずっと人々を見守り続けています。 ぜひ、お近くの若宮八幡宮にお参りしてくださいね。
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