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出雲大社に匹敵! 島根県一之宮の熊野大社へ行ってみよう!

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島根県松江市に熊野大社があります。
平安時代の「延喜式神名帳」には出雲大社と社名を並べており、島根県を代表する神社です。 そして随神門や本殿には、出雲大社にあるような大きな注連縄が私たちを出迎えてくれます。 神社の前には意宇川が流れ、境内は緑豊かで自然があふれていて心が落ち着く神社です。 なぜ、熊野大社は出雲大社に匹敵するほどの神社なのでしょうか。
今回はその謎を解きながら、魅力をご紹介いたします!

熊野大社のご祭神は?

熊野大社のご祭神は、伊邪那伎日真名子、加夫呂伎熊野大神、櫛御気野命です。
実はこの神様はすべて同じ神様なのです! その神様は素戔嗚尊。日本の最高神・天照大御神の弟神です。

「伊邪那伎日真名子」とは「伊邪那伎命と伊邪那美命にかわいがられる御子」という意味です。
伊邪那伎命は素戔嗚尊の父神、伊邪那美命は母神です。 「加夫呂伎」とは「神聖なる祖なる神様」という意味で、「熊野大神」は「熊野に坐します尊い神」という意味がこめられ、素戔嗚尊だといわれています。 そして、櫛御気野命は素戔嗚尊の別名です。 どの名前も素戔嗚尊のことだとは驚きですよね。

熊野大社では素戔嗚尊は「生きとし生けるものの幸栄の縁を結ばれる大神である」と伝えています。 そして、「辛苦を尽くして人々の期待に報い、人々の幸栄を保証するむすびの神様であり、蘇生復活の神様」として、尊崇しています。 素戔嗚尊を崇め奉るからこそ、いろいろな名前がつけられているのも納得です。

ちなみに古事記では、出雲大社のご祭神・大国主命は素戔嗚尊の6代後の子孫であり、娘の須勢理姫命の夫でもあります。日本書記では大国主命は須戔嗚尊の息子とされています。 実は家族で出雲を守っているのですね。

熊野大社の歴史とは?

熊野大社の創建は神代といわれています。
社名がはじめて見られるのは歴史書「日本書記」で、斉明天皇5年(659年)に「出雲國造を厳神の宮をつくらしむ」と書かれています。 「出雲国風土記」にも、熊野山の項目に「熊野大神の社坐す」と書かれていました。
熊野山とは現在の天狗山のことで、当時はそちらに鎮座されていました。 冒頭でもお伝えしたとおり、「延喜式神名帳」に出雲大社と並び、出雲国の一之宮として大切に扱われてきました。 中世に入ると、熊野山の麓に鎮座されるようになり、「上の宮」と「下の宮」の2社に分けられていました。 江戸時代末期まで、「上の宮」は熊野三社権現、「下の宮」は伊勢宮とも呼ばれていました。 朝廷から庶民までの幅広い信仰があり、今日まで出雲大社とともに出雲国を守っています。

明治4年(1871年)には国幣中社になり、大正5年(1916年)には国幣大社になりました。
ところが、明治に入ったとき神社制度が改正され、「大社」から「神社」になりました。 長年、「大社号」だったため、「なぜ……」という想いが当社にも氏子たちにもあったことでしょう。 そして、復活の想いが通じ、昭和53年(1978年)の昭和戊午遷宮で「熊野大社」に戻りました。

摂社の「稲田神社」と「伊邪那美神社」にお参りしよう!

熊野大社の摂社に「稲田神社」と「伊邪那美神社」があります。
「稲田神社」は拝殿からみて右側にあり、素戔嗚尊の后神・櫛名田比売命と櫛名田比売命の父神・足名椎命と母神・手名椎命が祀られています。 そして、「伊邪那美神社」は拝殿からみて左側にあり、素戔嗚尊の母神・伊邪那美命が祀られています。

素戔嗚命は産まれたとき、亡くなってしまった伊邪那美命に会いたいとわんわん泣きわめきました。
会いたいがために死者が住む黄泉の国に行こうとするほど。
姉の天照大御神が住む高天原(神様が住む天上世界)で大暴れもして、やりたい放題の神様でした。 素戔嗚尊は高天原から追放されるとき、ほかの神々に爪をはがされ髭をそられたりしました。それが「禊ぎ」となり、荒々しい性格が変わっていきました。 出雲に降り立った素戔嗚尊は、怪物のヤマタノオロチに生け贄にされそうになっていた櫛名田比売命を助け、のちに結婚。幸せに暮らしました。そして、たくさんの子供が生まれました。
泣き虫だったり、大暴れした素戔嗚尊ですが、女性を助けた英雄へと成長したのです。

夫婦や親子で祀られている熊野大社。
きっと、たくさんのご縁をいただけることでしょう!

出雲大社に苦情を言い立てる!? 「亀太夫神事」とは?

熊野大社には「鑽火祭」という大きな祭事があります。
毎年10月15日に執り行われており、出雲大社の宮司が「古伝新嘗祭」で使用する「燧臼」と「燧杵」を授かります。この礼式を「亀太夫神事」といいます。 「燧臼」と「燧杵」は火を起こすための道具で、古代の人々が使用していました。 出雲地方の神社では現在も神事やお祭で使われており、古いしきたりを大切にしています。

熊野大社の「燧臼」は約1m×12cm×3cmの檜の板です。「燧杵」は長さ80cm×直径2cmの卯木の棒です。
燧臼に燧杵を立て、両手で燧杵を挟んでこすると、摩擦で火が起きます。 そして、熊野大社では「燧臼」と「燧杵」を保管する鑽火殿があります。この鑽火殿はほかの神社にはなく、熊野大社の特徴となっています。 ぜひ、ご覧になってください!

さて、「亀太夫神事」に話を戻します。
「亀太夫神事」では、出雲大社から餅が奉納されます。 なんと、熊野大社側は餅の出来栄えに苦情を言い立てるというのです!
出雲大社に文句をいえるなんて、大国主命のご先祖様でもあり舅神でもあり父神でもある素戔嗚尊を祀る熊野大社だからこそできることですよね。 そして、神事のあとは出雲大社の宮司が「百番の舞」を披露します。 厳かな中に人間のようなやりとりがあるのはとっても面白いですよね!

いかがでしたか。
熊野大社は出雲大社と肩を並べる大きな神社ということがお分かりいただけたでしょうか。 素戔嗚尊はお母さんがいなくなって泣いたり、成長して怪物をやっつけるほど強くなったりと、人間に一番近い神様かもしれません。 そんな神様は私たち人間にそっと寄り添ってくれるでしょう。
ぜひ、素戔嗚尊に会いに熊野大社に参拝してくださいね!

■所在地
〒690ー2104
島根県松江市八雲町熊野2451

熊野大社「熊野」の名を持つ他の神社との違い

熊野大社の「熊野」というのは言うまでもなく地名です。八岐大蛇の退治後、妻の奇稲田姫と共に熊野の地を新天地として生活を始めたことからここに社が建てられました。

そうした経緯を持つ熊野大社ですが、「熊野」の名を持つ神社は、実は日本中にあります。これは、「熊野大社まで行きたいけど、ちょっと遠い」という交通事情が元で作られた結果です。

一般に熊野信仰と呼ばれるこれらの神社の中でも飛びぬけて有名なのが、紀伊の国にある熊野三山になります。

【熊野三山とは】
熊野三山は熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社です。熊野大社とは本社、摂末社の関係にあるとの説もありますが、神仏習合の影響でやや仏教めいた性格も持ち合わせます。また修験道もこの地を聖地としたため、トリプル信仰による聖地としての価値や信頼度はかなり高かったとされます。
浄土教が普及すると元より皇室と関係深い熊野の地は極楽浄土と同一視されました。熊野三山へ詣でることで死、そして再生を疑似的に経験したのです。熊野三山は蘇りの場所と呼ばれています。

【熊野本宮大社】
素戔嗚尊が主祭神です。神仏習合により、阿弥陀如来が本事仏とされています。本事仏というのは神々の本来の姿である仏のことです。神道において素戔嗚尊はれっきとした神ですが、神仏習合により阿弥陀にぃらいの仮の姿とされていました。

【熊野速玉大社】
熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を祭神とします。この二柱の神は伊弉諾尊と伊耶那美命と同一視されており、前者は千手観音、後者は薬師如来が本事仏です。

【熊野那智大社】
熊野夫須美大神を主祭神とします。

一般に知られていない名前になっていますが、熊野三山で祀られている神様のうち二柱が伊弉諾尊、伊耶那美命というのは興味深いですね。

仏教徒にとって極楽浄土と目されたこの地に、冥途と関係深い二柱が祀られているのは偶然ではないでしょう。

伊耶那美命は黄泉の国に残りましたが、伊弉諾尊は生還を果たし、輝かしい三貴神を産みました。

境内に祀られる母と妻と義両親

熊野大社の境内には、素戔嗚尊だけではなく奇稲田姫、手名椎、足名椎、伊耶那美命も祀られています。
奇稲田姫は素戔嗚尊の妻であり、手名椎、足名椎はその両親です。母の伊耶那美命も含め、家族で祀られていることになります。八岐大蛇伝説で知られる奇稲田姫とその両親ですが、具体的にはどういった神様なのでしょうか。

【奇稲田姫】
奇稲田姫は言うまでもなく素戔嗚尊の妻となった女神です。櫛名田比売と表記されることもありますが、祭神とされる時は「櫛(または奇)」をとり、稲田姫命(いなだひめのみこと)と呼ばれます。
一説には稲田を司るとされますが、大蛇退治のとき櫛に変えられたことから「櫛になった姫」という意味合いでつけられたなど諸説あり。
ちなみに、櫛に変えられた後家の中に隠されたかと言えば、さにあらずでした。素戔嗚尊はそのまま自分の頭に妻にすると決めた女性の化身を差し、そのまま化け物との戦いに出たのです。
もちろんちゃんと理由がありました。良い所を見せようというのではありません。「あなた(女性)の力をお借りします」との意味です。
戦後女性は強くなったと言われますが、実は神話の時代から男性にはない生命力があるとされていたらしく、その力を借りるという行為が櫛として頭に差す形で表された、と言われます。
また櫛には魔を払う呪力があるとされており、伊弉諾尊が黄泉の国の追っ手から逃げる時に櫛の歯を追って逃げおおせたとの伝承も存在。ただ髪の毛を溶かすだけの道具かと思いきや、櫛は意外と侮れません。

【手名椎と足名椎】
一般的には八岐大蛇でかわいい娘たちをオロチの生贄にされたとのイメージが強いです。
では具体的には何を司っているのか。実は諸説あります。まず、「てなづち」「あしなづち」という名前。この「なづ」という言葉は「撫でる」を意味するとの説が存在します。手や足をん出てかわいがる両親、という意味合いです。
他にも手と足を持たない蛇の神という説もあります。蛇の別名が「みづち」であり、てなづち、あしなづちとは「手無しのみずち、足無しのみずち」という意味だとの説です。
大蛇と関連がある点からすると、あながち否定も出来ませんね。
ちなみに氷川神社でもこの二柱は祀られています。門客人神社なるお社に、アラハバキという出所不明の神(一説には水神)と共に。結構興味深い神々ですね。

荒々しいばかりではなかった素戔嗚尊の一面

素戔嗚尊には、良く言えば雄々しい、悪く言えば荒々しい伝説があります。泣いて暴れて、高天原でも乱暴狼藉の数々を働いて追放。八岐大蛇という化け物にも臆せず立ち向かう辺り勇ましいけど、気が荒い。そんなイメージを持つ人もいるのではないでしょうか。

そもそも泣いて暴れたのは母親を慕ってのことですし、高天原で暴れた経緯にもちゃんと事情がありました。

「いつまで泣いてるんだ!」と父の伊弉諾尊に怒られて追放をされた素戔嗚尊は、大手を振って母に会いに行くことにします。

「母上に会いに行く前に、姉上に挨拶をしていこう」と、向かった先は高天原。しかし、「お母さんに会いたいよー!」と泣いて暴れた経緯は高天原にも伝わっていました。

天照大神は末弟が乱暴者と化し、高天原を奪いに来たと武装。「姉上、私は今から・・・何で男の恰好をしているの?」という事態になります。

言ってみれば姉弟のすれ違いが原因なのですが、素戔嗚尊がやって来る時に大地が震えたと伝えられます。そんな状態で警戒するなという方が無理というものです。

「ひどいな姉上。私は高天原を乗っ取りに来たんじゃないよ」と身の潔白を証明するため、ある申し出をしました。天の安河を間に、二神は互いの持物を交換。それを噛み砕き、息を吐き出すという宇気比なる誓約を行います。

素戔嗚尊の持物である剣からは三柱の女神が誕生。天照大神の勾玉からは五柱の男の神が誕生しました。

「ほら、私は潔白じゃないか。心が綺麗だから優しい女神が生まれたんだよ」とし、ここで少し調子に乗って高天原で暴れることとなったのです。それでも何とか弟を諫めようとしましたが、神様でも堪忍袋の緒が切れることはあります。天照大神は「もう、知らない」とばかりに天岩戸に隠れるのでした。神々の一計で天岩戸の件は無事解決しますが、素戔嗚尊は追放されてしまいます。

確かにやりすぎではありますが、母親を慕って暴れたわけですし、力が強すぎただけで根は純粋とも取れます。「ほら潔白でしょ?」と喜ぶところも何だか共感できますね。

うさぎを探して大願成就

熊野大社にはちょっとした運試しができる仕掛けがあります。本殿の裏に、三羽のうさぎが透かし彫りされているというのです。このうさぎを全て見つけると幸せになるとされています。金運上昇願いの成就など、幸福がやってきます。

ただし、有頂天になって「全部見つけたよ!」と言いふらさないようにしましょう。また誰かに「あそこにいるよ」と教えるのもいけません。罰こそ当たりませんが、効果がなくなります。

節度を守り、有頂天になりすぎず自分でつかみに行く人にこそ、幸運は訪れます。

【熊野大社】超国際的怪談作家の想いを辿る・小泉八雲旧居と小泉八雲記念館

人生において、何がどのように作用するか。それは誰にも分かりません。『雪女』『耳なし芳一』の作者である小泉八雲という人物は、まさにそんな「何が起こるか分からない」を地で行くような人生の歩み手と言えます。
小泉八雲。バリバリの日本人名ですが、イギリス出身のこのお方、怪談、怪奇小説家なだけではなく民俗学者としても知られます。今もなお彼のファンは多く、住居や記念館が作られる程です。
彼は日本に帰化し、日本人の妻をめとりました。そんな八雲が日本の地を踏んだのは、40歳の時。意外と遅いです。それ以前の波乱万丈な人生の中、様々な文化に触れたことが、日本で作家となるに至ったきっかけなのでしょう。
著名人の生家など、かつての文豪と縁ある場所には、博物館とも寺社仏閣とも違った空気があります。

【小泉八雲旧居】
小泉八雲旧居は、生涯最後の14年間を日本で過ごした八雲の、日本における家の一つです。この家には半年も住んでいませんでしたが、八雲がいた当時の様相を遺しています。行ってみる価値は極めて高いです。怪談作家の住んでいた場所が当時のままだと考えると、不思議な気持ちになってきます。

所在地:〒690-0888
島根県松江市北堀町315

【小泉八雲記念館】
八雲の足跡をたどることができる場所です。見た目には旧日本家屋ですが、内部は八雲の人生の集大成が詰まっています。遺髪を収めた塔、著書を読むことができる図書室があり、怪談好き、八雲好きにはたまらない空間です。
内部と外部のギャップが、まさに怪談のように「見た目だけでは分からない」様相を呈しています。

所在地:〒690-0872
島根県松江市奥谷町322
開館時間:4月1日~9月30日・8:30-18:30、10月1日~3月31日・8:30-17:00

神様の地で一味違った入浴、買い物を・玉造温泉ゆ~ゆ

日本全国にある温泉。その最古の温泉が、実はこの玉造温泉でした。その歴史は何と1300年。神話にも登場する少彦名命によって発見されました。
「一旦入れば肌が綺麗になって、二回入ればどんな怪我や病気も治る」と733年に記された出雲国風土記には記されており、神様が見つけた神の湯として親しまています。
ここで得られる美肌効果は主に三つ。潤いを補給し、肌の色を美しくし、肌の質そのものも美しくすると言うものです。
浴槽が勾玉の形状をした「まがたまの湯」は天井が高く、独特の形状の湯船や太陽光も神々しく、心も洗われる思いです。窓も大きいので窮屈さはなく、むしろ広く感じるかもしれません。
打たせ湯やサウナ、露天風呂などもあり、お風呂の種類だけでも飽きることがないので長く楽しめます。
お土産コーナーでは旬の果物、野菜、島根の海で取れた海の幸やその加工品などが売られており、見ているだけでも面白いです。
おすすめとされるのがチェリー味のソフトクリーム。普通のバニラ味、ミックスなどもあります。
島根の血で神様が見つけた湯の里は、美肌効果を持つ湯や、美味しい食事での満足感の得られる場所です。一種の聖域と言ってもいいでしょう。

所在地:〒699-0201
島根県松江市玉造町玉造255
定休日:毎週月曜日
営業時間:10:00-22:00
朝風呂:5:00~7:30(日曜、お盆、正月、ゴールデンウィークのみ)
料金:中学生以上300円、3歳~小学生250円

民話に工芸展望台・出雲かんべの里で学んで遊ぼう

折角八百万の神に関わる島根に来たのですから、出雲にまつわる文化などを学んでみましょう。堅苦しいお勉強ではなく、楽しみながらの学習です。
出雲かんべの里は民話館、工芸館、自然の森から成り、緑豊かな土地で文化や歴史について楽しく学べます。

【民話館】
「とんと昔のお話会」なる語り部たちが、色々なお話を聞かせてくれます。語りで聞くだけではなく、影絵やスライドでもお話を楽しめますし、展示室や本を読むための部屋、『耳なし芳一』のお話を立体映像で見られるお部屋も存在。
知っていた話も知らなかった話も、皆新鮮な気持ちで聞ける空間です。

開館時間:9:00~17:00
休館日:火曜日
入館料:大人260円、子供130円

【工芸館】
和紙によるてまりや陶芸、機織りといった、地元の工芸品づくりを体験できます。いずれも後世に伝えるべき和の伝統です。古臭さなどなく、新鮮味を取り入れることも忘れません。
思うように作るのは難しいと感じるでしょうが、簡単な入門クラスのものを、プロの方が教えて下さるのでご安心ください。

開館時間:9:00~17:00
休館日:火曜日
入館料:無料
和紙てまりづくり料金:800円~2000円
陶芸体験料金:750円(粘土500g分)~絵付け1000円~
機織り体験料金:500円~3000円
木工体験料金:500~2500円
籐工芸体験:1200円

【自然の森】
ツツジ、アカマツなどが生い茂る、まさに自然豊かな森です。水生動物なども多数生息していますので、ちょっとした散歩をしながら生命の息吹を感じ取るのに最適と言えましょう。

所在地:〒699-0033
島根県松江市大庭町1614番地

本邦初の英国式庭園・松江イングリッシュガーデン

19世紀中期から20世紀の頭頃の英国の庭園様式を取り入れた松江イングリッシュガーデンは、日本初の本式の英国庭園を採用した場所です。
敷地の外には日本の風景が広がっていますが、園内の洋風の庭園と不思議な調和を成すことに成功しています。
イギリスでは、庭とは野外の部屋と称されいかに飾るかといった点にも気を使います。ただ雑然と美しい花を並べて愛でるだけではありません。
日本の寺社仏閣にある庭園とは違った美をご堪能ください。

所在地:〒690-0122
島根県松江市西浜佐陀町330-1(旧ルイス・C.ティファニー庭園美術館)

熊野大社最寄りの食堂・知足亭

熊野大社の参拝を済ませ、お腹がすいたらどこに向かうか。色々お薦めのお店はありますが、最寄りの知足亭ではお安い値段でお替りまでできてしまいます。ボリュームもありますし、パンや唐揚げなども売っているので、どこか外で食べるのおすすめです。

所在地:島根県松江市八雲町熊野793-1
定休日:月曜日~木曜日、祝日、正月

手打ちの出雲そばを食べられる・海潮路

日本の三大蕎麦の一つ、出雲そばを食べるなら、海潮路がいいでしょう。風情ある古民家風の店構え、蕎麦の入ったせいろなどがノスタルジックです。
そばの専門店ではなく、金曜から日曜までの三日間、そして祝日しか営業していないにもかかわらず、中々の人気を誇っています。

所在地:〒699-1311
島根県雲南市大東町薦澤177-1

帰りのランチに是非どうぞ・あじ彩

短い時間鹿営業していないものの、カレーライスや丼物などが結構なボリュームで出されます。
道路の途中にぽつんと立っている店の佇まいも味わい深く、店の雰囲気も温かみがあって食が進むでしょう。
涼、味いずれもランチには最適のお店と言えます。

営業時間:11:30~14:00
所在地:島根県雲南市大東町薦澤929-2
定休日:月曜日~木曜日

監修:えどのゆうき
日光山輪王寺の三仏堂、三十三間堂などであまたの仏像に圧倒、魅了されました。寺社仏閣は、最も身近な異界です。神仏神秘の世界が私を含め、人を惹きつけるのかもしれません。
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