「あじさい寺」として親しまれている本土寺

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千葉県松戸市平賀にある本土寺(ほんどじ)は、「あじさい寺」として有名です。6月になると、境内には10種類以上5万本以上のあじさいが咲き誇ります。
本土寺の本土とは、「我此土(わがこのど)」すなわちお釈迦様が本当の仏となって住む国土「本土」に由来しています。

本土寺は「朗門(ろうもん)の三長三本(さんちょうさんぼん)」の本山です

本土寺は、山号は長谷山といい、東京都大田区池上にある長栄山本門寺、鎌倉市大町にある長興山妙本寺とともに「朗門の三長三本」と称されている日蓮宗の本山(霊跡寺院)です。
「朗門」とは日蓮の弟子で日蓮六老僧のひとりである日朗(にちろう)の門流という意味です。
「三長三本」とは、3つのお寺の山号と寺号にいずれも「長」と「本」の字が含まれていることを指します。
新潟県三条市にある長久山本成寺を含めて四長四本ということもあります。
いずれも、日朗ゆかりの寺として有名です。本土寺は、日蓮宗を保護していた下総(しもうさ、現在の千葉県北部)の豪族であった千葉氏の家臣曽谷教信(そやきょうしん)が建治3年(1277年) 領内の地蔵堂を移して法華堂とし日朗が本土寺として開堂供養しています。
貞治4年(1365年)に山号を北谷山から長谷山に改称したとされています。

不受不施派(ふじゅふせは)の弾圧と本土寺

不受不施派とは、日蓮の教義である法華経を信仰しない者からは施しを受けたり与えたりしないという教義を唱える日蓮宗の宗派です。
文禄4年(1595年)に豊臣秀吉が方広寺大仏殿千僧供養会のために、天台宗や、真言宗、禅宗、浄土宗、日蓮宗などに出仕を命じたことに始まります。
日蓮宗は出仕を受け入れて宗門を守ろうとする受布施派と、出仕を拒み不受不施義の教義を守ろうとする不受不施派に分裂して対立します。
この時に、京都妙覚寺の日奥は、出仕を拒否して妙覚寺を去り派祖となります。
不受不施派は次第に追い詰められていき、寛永7年(1630年)の身池対論(しんちたいろん)と呼ばれる江戸城での受不施派(身延久遠寺)と不受不施派の論争で、決定的な敗北を迎えます。これ以降、不受不施派は江戸時代末期までキリスト教と並んで弾圧の対象とされます。
この身池対論で不受不施派として参加していた本土寺の日弘は、池上本門寺の日樹、中山法華経寺の日賢などと同様に流罪とされてしまいます。本土寺は、寛文5年(1665年)に受不施派の久遠寺の支配下に入り受不施派寺院として改革が進みます。
貞享元年(1684年)には徳川光圀の申し出により徳川家康の側室であった秋山夫人の墓が本堂脇に移され参道の整備がされます。
安政3年(1856年)には末寺4院6坊(仏持院のみ現存)75寺を数えるほどのお寺へと発展しています。

三聖人の生誕地として有名な本土寺

本土寺は、もともと源氏の名門である平賀家の平賀忠晴の屋敷跡と伝えられています。
三聖人とは日朗上人、日像上人、日輪上人の平賀家の三兄弟のことです。
日朗上人は平賀有国と日昭上人の妹である妙朗尼(当山の妙朗堂に祀られている)との子どもです。妙朗尼は、有国没後に平賀忠晴と再婚して日像上人、日輪上人を授かります。日朗上人は、日蓮聖人の直弟子で大国阿闍梨・正法院と尊称されている人物です。門下の肥後阿闍梨日像や大乗阿闍梨日澄、大教阿闍梨日輪など朗門の九鳳(くほう)・九老僧(くろうそう)と称される9人の高弟を育てています。
日朗の弟子の日像上人は、日蓮聖人から京都の布教と天皇への布教を託されます。三度の追放と赦免を繰り返しながらも京都の布教に尽くした後、後醍醐天皇より寺領を賜り妙顕寺を建立します。
建武元年(1334年)には後醍醐天皇より綸旨を賜り勅願寺となり、ついに日蓮聖人の遺命を遂げます。
日輪上人も日朗の弟子であり、昭和16年まで両山一首(ひとりの貫首が両山を統括する)であった池上本門寺、比企ヶ谷妙本寺(ひきがやつみょうほんじ、鎌倉市大町)の第三祖です。

約1500本の紅葉が美しい本土寺

本土寺はあじさい寺で有名ですが、それに負けじと境内を彩るのが約1500本の紅葉です。
例年11月中旬頃から下旬にかけて見頃を迎え、多くの参拝客でにぎわいます。
徳川家康の側室である秋山夫人の墓が近くにあることからその名がついたとされる秋山紅(しゅうざんこう)や山もみじ、大盃(おおさかずき)の3種の紅葉が鑑賞できます。本土寺の仁王門や五重塔、像師堂、回廊といった建造物には紅葉がよく映えます。ライトアップされた紅葉も見ごたえ十分ですよ。

「花の寺」本土寺

本土寺は、花の寺としても有名です。花は、本仏に捧げる花で宝樹であるとされます。
美しく咲き誇るのは、あじさいや紅葉だけではありません。3月下旬から4月上旬にかけては約100本の枝垂れ桜、ソメイヨシノ、八重桜の桜がとても美しく咲いて楽しませてくれます。
6月上旬になると、山内奥の菖蒲池では約5000本の花菖蒲が一面に咲き誇り、あじさいとの豪華競演を満喫できます。花好きな人にはたまりませんね。

ここ長谷山本土寺は、開運や安産、所願成就など霊験豊かなお寺としても有名です。境内に足を踏み入れると、日蓮宗の名刹らしく凜とした雰囲気を味わうことができます。日朗、日像、日輪の三聖人が生まれ育ったこの地を訪ねてみませんか。

本土寺が守り伝える本土寺過去帳

本土寺は千葉県にある日蓮宗の寺院。
紫陽花の綺麗な寺としても有名ですが、歴史解明の手がかりとなる過去帳を持つことでも知られています。東国の歴史がつぶさに記録された過去帳は、同時に本土寺の歴史を綴った資料でもあり、そこには開山から勢力を増していく過程が綴られています。

三長三本の一つに数えられる長谷山本土寺

千葉県松戸市にある本土寺は、日蓮宗の寺院です。現在は本末を解消していますが、もともとは日蓮宗の本山で、山号を長谷山と称しました。日蓮の弟子の日朗の門流で、大田区池上の長栄山本門寺と鎌倉の長興山妙本寺とともに、どの寺院も山号に「長」と寺号に「本」が入っていることから、朗門の「三長三本」と呼ばれています。

本土寺は松戸市北の平賀にあり、最寄り駅は常磐線の「北小金」駅。駅から15分ほど歩いた、住宅地の中にあります。境内には季節ごとに花や紅葉が目を楽しませてくれ、特に紫陽花の季節は多くの観光客が訪れる、あじさい寺としても有名です。本土寺を有名にしているもう一つのものが、本土寺に伝わる「本土寺過去帳」と呼ばれる書物。現在目にすることができる中世期の過去帳として、貴重な歴史資料になっています。

色とりどりの花が埋め尽くすあじさい寺

本土寺の境内で見られる紫陽花の種類は、約10種類とそれほど多くはありませんが、株の数は1万株を超えています。本土寺の公式ホームページには5万本以上と書かれているので、シーズンには紫陽花が文字通り埋め尽くすように咲き誇る様子を見ることができます。

ほぼ同じ季節には、5千本の花菖蒲も見頃を迎えます。仁王門をくぐり右手の奥にある菖蒲池は、花菖蒲と紫陽花の花の美しいコラボレーションが奏でられる、絶好の観賞スポットです。シーズンには多くの人出があり境内も混雑するようですが、タイミングが良ければベンチに座ってゆっくり眺められる場所もあります。

桜や紅葉の季節も人気がありますが、梅やモクレン、コブシや曼珠沙華など季節の花を楽しめる寺院です。弁天堂のある池には、睡蓮も花を咲かせるので、シーズンには早起きしていくのも良いでしょう。

日蓮の六老僧の日朗が開山した本土寺

本土寺は地域の有力者であった平賀氏の持仏堂が起源と言われており、1277年に現在の地へ移転しました。その移転の際に街道供養を行ったのが、日蓮の六老僧の一人の日朗だったと言われています。別の記録では日朗の弟子の日伝が開山したとする記述もありますが、概ね13世紀後半から14世紀初頭にかけて、日朗の主導下において成立したとみて間違い無いようです。

日朗は下総国の出身で、日蓮が臨終に際して指名した六老僧の一人です。日蓮が入滅の際に開堂した池上本門寺を受け継ぎ、本門寺の基礎を築き上げました。それ以前に日蓮から継承していた鎌倉の妙本寺の両山は、以後「両山一首制」を取り1941年まで1人の住職によって管理されていました。その後、千葉氏より寄進された土地に、本土寺を開くことになります。

領主である千葉氏やその家臣の曽谷氏の保護を受け、関東一帯で信仰を集めました。特に曽谷氏からの保護は大きく、曽谷教信はのちに日蓮の元で出家し、日礼と名乗るようになり、法華堂を建立したと言われています。

本土寺過去帳は貴重な中世の歴史の手がかり

本土寺のもう一つの特徴が、「本土寺過去帳」と呼ばれる資料を持っていること。過去帳とは戒名や俗名、死亡年月日や享年などを記す帳簿のことです。本土寺の過去帳は13世紀後半から18世紀前半にかけての記事が書かれており、特に関東の歴史を知る上で貴重な資料とされています。

本土寺に保存されている過去帳で、最も古いものは1583年に書かれた「天正本」と呼ばれる過去帳。他にも「明暦本」「天和本」があります。現在はそれらをまとめて編纂しなおした「千葉県資料」が刊行され、資料を当たる時にはこれを用いているようです。

過去帳は主に当時の人々の没年の考証に使われることが多いですが、各家の類型を辿ったり死因や身分、生前の事績などを調べたりすることにも使われています。本土寺過去帳は東国の人口動態や、日蓮宗の不受不施派の実態の把握などに用いられている研究資料です。

七世・日意の時代に勢力を拡大

七世日意の代になって、本土寺は火災で堂宇を焼失してしまいます。ここでも曽谷氏の援助によって仮堂を据え、日意は勧進に出ますが享徳の乱によって中断されてしまいます。同じ頃に千葉氏の内紛により、経典などが散失してしまい、過去帳を新調したのが現在伝わっている過去帳の元になるようです。

その後、日意は精力的に各地に末寺を次々と開き、日意が開山した寺院は記録によれば17寺にもなりました。急速に精力を拡大していった要因は諸説あるようですが、概ね当時の上杉氏と古河公の精力争いや、楼門内部での混乱が原因と考えられているようです。こうして末寺を増やしていくことで、着実に勢力を浸透させて行き、幕末には末寺4院6坊75寺という、本土寺は関東圏において強い基盤を築き上げていきました。

不受不施派弾圧と廃仏毀釈と苦難の近世

江戸幕府による不受不施派弾圧によって、本土寺も日弘が島流しになるなど、辛い時代を迎えます。不受不施派とは、日蓮宗を進行しない人からは、施しを受けたり法を説いたりしないという宗派です。もともと不受不施派の傾向の強かった本土寺も弾圧の対象になり、結局は受布施派の久遠寺の下に組み入れられ、受布施派としての改革がおこなれました。

明治期には廃仏毀釈運動により、衰退を余儀なくされますが、もとより地域に根付いていた本土寺は、現在でも人々から変わらぬ信仰を集めています。最盛期ほどではないにせよ、境内には国の重要文化財に指定された梵鐘をはじめ、本土寺過去帳や日蓮筆の書簡が大切に守られ、四季を彩る花々が手厚く育まれているところに、仏の御心が伝わってくるようです。

美しさにうっとり……四季折々の姿をみせてくれる本土寺へ行こう!!

千葉県松戸市に本土寺があります。
JR常磐線の北小金駅から15分ほど歩いた場所にあり、アクセスが便利なお寺です。 本土寺は「あじさい寺」と称されるほど、あじさいがたくさん咲きます。 そして、あじさい以外にも花菖蒲や紅葉も観賞でき、四季折々の姿は訪れる人々を楽しませてくれます。 伽藍や宝物も魅力的なものばかりで、一日中楽しめるお寺なのです。
そこで今回は、本土寺の魅力や見どころをご紹介します!

本土寺は「聖人出生の場所」だった!

本土寺は日蓮宗の本山で、山号は長谷山です。

もともと、源氏の名門・平賀家の屋敷跡でした。
建治3年(1277年)、領主の曽谷教信により、領内にあった地蔵堂を移して法華堂としました。 その後、日蓮宗開祖・日蓮により「長谷山本土寺」という寺号を与えられ、弟子の日朗が開山しました。 お寺によると、「本土」とは「我此土(わがこのど)」のことで、釈迦が本佛となって住む国土「本土」に由来しています。 境内にある花たちは本佛に捧げる花であり、宝樹なのです。

本土寺は、池上(東京都大田区)の長栄山本門寺と鎌倉比企ヶ谷の長興山妙本寺とともに、「朗門の三長三本の本山」のひとつに数えられています。 「朗門の三長三本の本山」は、日朗が住職をつとめた3つのお寺のことです。 山号と寺号には共通して「長」と「本」がつけられています。 また、日朗はもともと平賀家の者で、ふたりの弟がいました。 弟たちは日朗の弟子となり、それぞれ日像、日輪と名乗りました。 この3兄弟が生まれた平賀家の跡地が本土寺として使われているため、当寺は「聖人出生の場所」として崇められているのです。 そのご利益は「開運」「安産」「乳出子育て」「学業増進」「所願成就」など、広大無辺です。

日朗たちはほかの宗派による弾圧を受けたり、本土寺も明治維新の廃仏毀釈で衰退していましたが、そのたびに危機を乗り越えてきました。 そして、現在も「あじさい寺」として、人々に愛され続けています。

四季折々の景観に感動!

「あじさい寺」と称されるように、毎年6月下旬に10種類以上のあじさいが境内を彩ります。その数はなんと5万本!
青色や白色、ピンク色のあじさいが参拝客たちをやさしく迎えてくれます。
伽藍をバックにしてあじさいをみていると、別世界にきたような気持ちになります。
また、6月上旬には5千本の花菖蒲も咲きわたります。
あじさいの咲く時期と重なると、その美しさにため息がでます。

春にはしだれ桜やソメイヨシノ、八重桜が咲き、境内はピンク一色に染まります。
桜の数はあわせて100本ほどあり、人々を楽しませています。

11月下旬には紅葉をみることができます。
山もみじや大盃、関東の気候に合わせて品種改良された秋山紅の3種類の紅葉があり、その数は約1500本にもなります。 境内は赤やオレンジ、黄色のグラデーションが一面に広がります。

そして、冬には雪景色が広がり、白くなった木々や伽藍はほかの季節の姿とはまた違った雰囲気をみせてくれます。

さらに、境内には梅や木蓮、コブシ、藤、曼珠沙華など季節の花や樹をみることができます。
どの季節に行っても楽しめる本土寺。
ぜひ、お好きな季節に訪れてみてください!

本土寺の年中行事に行ってみよう!

本土寺にはいろいろな年中行事があります。
とくに、参拝客の方々に訪れてほしいのは、「新年祝梼会」と「節分会」です。

新年祝祷会では、開山堂にて檀信徒の新年のご祈願を行います。 そして、正月のみの破魔矢や絵馬のお守りが授与されます。 貴重な破魔矢やお守りを求めて、たくさんの人々がお参りにやってきます。

さらに、2月3日には「節分会」があります。
本堂の法要後に開山堂前の特設壇上で豆まきが行われます。 この豆にはくじがついており、景品の名前が記入されています。 当たるかは当たらないかは、みなさんの運次第!
どなたでも参加できるので、ぜひ豆まきに参加してくださいね。

お寺の年中行事に参加することは、ご縁を深めるということです。
ぜひ、本土寺の行事に足を運んでくださいね。

不思議な力がある「乳出のご霊水」を見てみよう!

瑞鳳門をぬけると、「乳出のご霊水」があります。
この地で日像が産まれたとき、清水がわき出て産湯として使いました。
その後は井戸として使われるようになり、水を飲むと病気が治ったり、お乳の出がよくなるといわれていました。 いつしか「日像菩薩誕生水」とよばれるようになり、祈願する人々の列が絶えなかったと伝えられています。 また、井戸の脇には銀杏の木があり、乳が垂れたような枝が生えていることから「乳出銀杏」とよばれています。

現在は水をいただくことはできませんが、不思議な霊力がある井戸と銀杏に願いをたくしてみてはいかがでしょうか。

いかがでしたか。
本土寺の四季折々の美しい姿は、参拝客の心をつかんで離しません。 どの時季でも、どんな時間でもいつもすばらしい景観を見せてくれます。
駅からのアクセスも便利なので、訪れやすく一日過ごすことができます。
ぜひ、本土寺へ参拝してくださいね。

■参拝料
大人(中学生以上)500円
小人(小学生)無料
団体(20名以上)400円
障害者300円

■参拝時間
開門8:00〜17:00(最終受付16:30)
年中無休

■所在地
〒270ー0002
千葉県松戸市平賀63
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