西洋画

農民の美しさを前面に押し出したジャン=フランソワ・ミレー

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農民の美しさを前面に押し出したジャン=フランソワ・ミレー

世界的に知られている、バルビゾン派の画家といえばミレーです。
農民を描いた作品が多く占めるミレーの作品は、非常に写実的で人々の辛い人生を一瞬の惑いも無くキャンパスに投影しているのですが、どこか悲しさよりも美しさが前面に押し出されている、芸術作品として愛されています。
今回、そんなミレーの生み出してきた代表作たちを紹介していきます。

ミレーが描いてきたものたち

まず、ミレーがどのような作品を描いてきたのかを探っていきましょう。ミレーが、裸婦画を初期の頃は多く描いてきました。素晴らしい作品であり、関係者からも大変注目されていましたが、当時は裸婦画のような下品で低級な作品を描くミレーは低能であると言われていたため、ミレーは一切裸婦画を描かなくなっていきました。

その後、ミレーは女神であったり聖母、上流階級の人々などを選んで描き続けることとなります。そして、最終的にミレーが選んだモチーフが畑で働いている労働者や農民といった、バルビゾンの美しい風景へとうつっています。

また、この大地と共存していっている農民たちの生活を宗教的であり、崇拝するべきであるという、そういったイメージで描いていったことで、農耕民族であった日本人の心も射止めます。そのため、世界に二枚しか無いといわれている種をまく人という作品は、ひとつはイギリスにありながらも、あと一つは日本の山梨県立美術館にあるのです。

落穂拾い

ミレーの代表作として大変有名なのが、落穂拾いという作品でしょう。非常に写実的なアプローチで描かれいてるこの作品にて、労働者たちに対するミレーの尊敬の意が大変表現されていると思います。

また、この手前に描かれている3人の農婦たちは、借入といったように季節労働者として雇われている人物です。狩り入れが終わった大地をキレイに整えるために、畑に 落ちている麦の穂を拾うだけといった、非常に貧しい農民たちに課された作業となっています。

その昔、こういった穂を拾うという作業が農民たちにとって大切な作業のひとつだったことからも、大地主たちは敢えて、麦の穂を残していて仕事を与えていたといわれています。農婦たちを通じて、生きるということに対する尊厳を表現している、ミレーの最高傑作といっても過言ではないでしょう。

種をまく人

ミレーの代表作品を語る上で、この絵を知らない人はいないというのが、「種をまく人」です。こちらの作品は、イエスキリストの、「種撒く人」をモチーフとして描かれている作品ですが、落葉拾いの作品とは打って変わり、やや抽象的なタッチで描かれているところがポイントです。

手前に歩きながら無造作に種をまいている農夫が描かれており、どこか顔が険しい印象を与えます。背景部分はやや抽象化されており、それが一層、立体的な印象の仕上がりにさせています。

ボストン美術館にあるこの作品と、山梨県立美術館に所蔵されている種をまく人の作品は、一見ほとんど同じように見えているのですが、実際には絵の具のタッチが違っており、何か意図して違いを出したのではないかといわれています。

全体的にどこかもやがかかっているところなどは、風によって砂埃が舞っているような雰囲気を与え、農民たちの厳しい生活状況をここで伺い知ることができます。

晩鐘

ミレーの作品は、農民たちが貧しく、辛い日々を送っていることへの最大の畏怖の念を抱いた作品であるといわれています。宗教的なイメージもプラスされているミレーの作品ですが、悲しさと合わせて、美しく幻想的なイメージをも与えてくれるところが、ミレーをミレーたらしめているポイントです。その美しさが良く分かる作品が、「晩鐘」という作品です。

当時、農作業をしているものは、鐘が夕暮れに鳴ることをきっかけに一日の作業を終えていました。その鐘が鳴ったからといって、そそくさと帰宅するのではなく、彼らは今日一日この大地で作業できたことを神に祈るために、手を合わせます。

農民たちだりながらも、宗教的な意味合いと信仰心をしっかりと持って働いているということが良く分かる作品です。当時、ミレーがこの絵を書き終えた時には評価が得られませんでした。農民生まれのミレーであったことから、農民たちの生きる姿に誰よりも近く接しており、彼のその思いは死後になってから評価されるようになったのです。

この晩鐘に関しても、ミレーがこの世を去った10年後に認められており、さらには競売にかけられて、非常に高額な価格で落札されたことでも知られています。今後も、ミレーの作品は数多くの人たちから賞讃されると思いますが、金額の高い低いといった価値ではなく、彼が農民であり、その思いが絵画に込められていた…ということだけは忘れてはならないのです。

羊飼いの少女

ミレーの作品には、動物をモチーフとしているいものも存在しています。そして、その絵画の中でも最も多く人たちに知られているのが、「羊飼いの少女」という作品です。

多くの作品は、作業中の農夫であったり農婦を描いた、生活感のある生々しい作品ですが、こちらは柔らかく、どこか牧歌的な雰囲気を放っている作品として人気です。

やはり、ミレー作品のなかでも美しさがずば抜けている夕焼けのシーンを描いており、広大な大地に佇む少女の労が世界から労われているような、美しいシーンが描かれているのです。羊飼いの少女は、サロンでも1等賞を獲得しており、多くの絵画評論家たちから絶賛された作品として知られています。

ミレー:ポーリーヌ・オノの肖像

ミレーは、多くの肖像画を描いていることでも知られています。実は、彼が初入選を果たした時の作品は、自らの肖像画を描いたことであったことも有名な話しです。

「ミレー:ポーリーヌ・オノ」は、数ある肖像のなかでも大変人気があり、有名な作品のひとつとして多くの絵画ファンから愛されています。ミレーは、画家を目指し、その才能が認められて奨学金をもらってパリへと絵画修行へと出てています。その頃、肖像画家として生計を立てていこうと思っていたミレーと出会ったのが、ミレー:ポーリーヌ・オノです。この二人は、次第に惹かれあっていき、結婚することになります。

ミレー:ポーリーヌ・オノの肖像に関しては、当時はモナリザに大変影響を受けていたということからも、ミレーがこのポーズをとらせていたのではといわれています。肖像画に力を入れていた時代のミレーの、貴重な作品のひとつでもあるのです。

ミレーは、神話の登場人物を現実の世界に取り入れた作品を多く描いています。しかし、そのタッチはごく自然であり、神話の登場人物たちが何ら違和感なく、人間世界へと溶け込んでいるように感じさせる独創的な作品となっています。

このミレーの神話の登場人物を使った作品のなかでも、とても心温まる作品のひとつが、「冬」という作品です。

凍え、今にも倒れてしまいそうなキューピットを牧師と思われる人物と娘が抱きかかえ、家の中へと入れようとしている姿が印象的です。しかし、この二人に関しても足元には何も履いておらず、生活の苦しさ、厳しさが伝わってきます。それであっても、手を取り合って助け合うメッセージが詰め込まれた、この絵画に多く人たちの心が動かされたことには、間違いはないでしょう。

馬鈴薯の収穫(部分)

55年のパリ万国博美術展に出品し、評価を得たことで知られているのが、「馬鈴薯の収穫(部分)」という作品です。

馬鈴薯を袋に詰め替えている、農民の姿が描かれているのですが、広大な大地で埃まみれになりながらも、懸命に作業を続けているこの農民の姿が心を打ちます。奥の空は黒く、煙が舞っているような風景となっており、奥では馬鈴薯を引っこ抜いている作業を行っている農民を確認することができます。彼らの生活を支えていた、馬鈴薯という作物を懸命に収穫する姿は、農民であったミレーの心に強く印象が残ったのかもしれません。

ミレーの慈愛の心

ミレーは、神話の登場人物にもフューチャーして作品が描かれていますが、そこには全て真実が裏付けされているような、そういった作品が多く見受けられることが特徴といえます。

ミレーの作品には、人々の「生活」や「生き様」が描かれており、彼自身も絵画を描き続けることによって、そういったモチーフたちから刺激を手に入れてきたと思われます。

今後も、ミレーの作品は世代を超えても語り継がれていく、素晴らしいものになるはずです。名声だけではなく、何故ミレーがこの作品へとたどり着き、どんな思いで描かれたのかを知っていくことも大切なのではないでしょうか。

ミレーの人生

西洋画にあまり詳しくは無い、という方でも一度はその名を聞いたことがあるだろう、「ミレー」。正式には、「ジャン=フランソワ・ミレー」という人物ですが、落ち葉拾いをする農民たちの絵画があまりにも有名です。

このジャン=フランソワ・ミレーですが、西洋画の大家として大きな活躍していた過去、どのような人生を歩んでいたのでしょうか。今回、ここではジャン=フランソワ・ミレーの人生についてを紹介します。

幼少時代

ジャン=フランソワ・ミレーは、フランスの北部、ノルマンディー地方の生まれです。グリュシーという、小さいながらも美しい村に生まれており、牧畜や麦の栽培などを盛んに行っていた土地でした。

しかし、気候風土はとても厳しい地域であり、多く人たちは寡黙で厳格な人物であったといわれています。ミレーの生家はとても裕福であったといわれていますが、それも噂に過ぎず、近年ではその逆では無かったのかという議論も巻き行っていますが、今だその実態は分かっていません。

ミレー家には大勢の人物が住んでおり、彼を含めて祖母、両親と兄弟姉妹や使用人なども住んでいたといわれています。非常に優秀な家族に恵まれていたようですが、ミレーの心に残っているのは祖母であったといわれています。

献身的にミレーの面倒を見てくれ、とても優しく、いつも穏やかな人格者であったとして知られています。

父親は非常に芸術肌の人間であり、教会で聖歌隊などを勤めていましたが、その自らの芸術性を仕事にすることはなく、地道に真面目生きてきました。母親も、ミレーに早くからさまざまな教育をほどこすなど、非常に恵まれた環境のなかでミレーは幼少期、青年期を過ごしてきたといわれています。

夢の無い人生

ミレーは、12歳の頃に教会での教理問答の際に、自分には夢などはなく、ただただ今の生活を続けて両親の側にいてあげたいということが願いだったといわれています。自分の与えられた仕事を真面目に全うしていき、そしてそのまま自らの子孫に受け継いでいく。

派手に自らの自生を大きくしていこうという気概はなく、土地を耕すことにただ集中し続けていくと誰もが思っていたのです。しかし、18歳になるとミレーのとある行動が彼の人生を大きく変化させていくこととなります。

それが、1枚のデッサンだったのです。成長していくにつれ、ミレーは少しづつ画家になってみたいという夢が出始めます。そのことから、ミレーは絵画を描くようになっていました。父親も、彼の夢を応援したかったのですが、才能があるか否かは分からず、ひとまず二枚のデッサンを抱えて、ムッシェルというシェルブールで絵画を教えていた人物の場所へといきます。

その時に持ち込んだ絵が、「聖ルカによる施し」という聖書の物語をモチーフにしたものでしたが、このデッサンを見た時にムッシェルは驚愕します。この子は、とてつもない才能を持っており、このまま精進することを辞めなければ、大家になれると確信したといいます。そして、ミレーと父親を説得し、彼らはその道を歩ことを決心したのです。

父の死からラングロワとの出会い

父親はミレーの成功を誰よりも祈っていた人物でしたが、結果的にこの2年後に他界してしまいます。打ちひしがれ、路頭に迷ってしまったミレーですが、母親が画家を目指すことこそが、父の思いを受け継ぐことになるということで、画家ランク?ロワのもとへと弟子入りさせたのです。

この画家ランク?ロワのアトリエにて、古典の作品の模写などのデッサンにミレーは明け暮れます。時間があったミレーは、街の図書館にいっては、ケ?ーテやユコ?ー、シャトーフ?リアンなどといった、文学や哲学などを読みふけります。

図書館にあった本を詠み尽くしたミレーにとってみて、この時期こそが後の芸術的な想像量を掻き立てるポイントのひとつだったのかもしれません。

パリへと出発

ミレーは大変優秀な弟子であったことから、ラングロワも非常に彼に期待をかけていました。そして、ついにミレーに教えることは何も無いから、彼をもっと大きな舞台で学ばせて上げてほしい…ということで、街に嘆願書を提出します。

晴れて、ミレーはシェルフ?ールの奨学金を獲得してパリへと出発することができたのです。歴史画家ト?ゥラローシュのアトリエに入り、さらには E?cole des Beaux-Artsという有名という有名な美術学校への入学も許され増ました。

画家として、この時期に研鑽を積み続け、数多くの絵画の知識を学び続けることとなったのです。

初入選から貧しくなる

ミレーは、その後に研鑽を積んでいったミレーですが、26歳の頃に肖像画がサロンにて初入選し、プロの画家としての人生をスタートさせます。しかし、この頃に丁度、奨学金が停止していたため、生活がとても苦しいものへとかわっていきます。

マニエル・フルーリという技法を使いながら、裸婦画であったり肖像画をこの時期には多く残していることが、作品の特徴となっています。その後、ポーリーヌ=ヴィルジニー・オノという女性と結婚しますが、彼女は3年後に肺結核で死亡、その後に同棲していた女性と結婚して子どもを授かっています。

経済的に安定したミレー

子どもをもうけたミレーですが、この頃にはパリではコレラがとても流行していたこともあり、バルビゾンという土地へと移住することになります。

しかし、共和国政府からの絵画の依頼などが増えていったことから、生活が安定しはじめます。

農民画を専門に描き始める

ミレーは、以前は裸婦画を多く描いていましたが、世間に低級趣味と揶揄されてしまったことから、実はこの頃以降は一切裸婦画を描いていません。このターニングポイントも、ミレーの今後の絵画におけるひとつのポイントなのではないでしょうか。

そして、バルビゾンへと移住してから、ミレーの多くの名作が生まれだしたのです。そのひとつが、「種蒔く人」です。種蒔く人は、イエスキリストを暗示しているといわれており、さまざまな宗教的な意味合いを持った作品であるといわれています。

二枚の種まく人

ミレーの種蒔く人は大変有名な作品ではありますが、実は二枚描かれていたことがわかっています。

ひとつは、ボストン美術館に所蔵されていますが、一つは山梨県立美術館に所蔵されています。内務省の役人アルフレッド・サンシエという人物から、世界中に渡ってきた作品であり、最終的に山梨県立美術館で落ち着いているという珍しい状態となっています。

さらに、ミレーは農民画を多く描いていますが、あのヴィンセントゴッホが非常にミレーの影響を受けていることで知られており、彼も模写をした種をまく人を描いています。これも、ゴッホらしい色彩豊かなタッチとなっており、描く人物の個性が投影された、ユニークな作品として人気となっています。

人間の悲しみを描き続けたミレー

ミレーは、さまざまな作品のなかに、どこか宗教的であったり、人間の美しさ、儚さ、厳しい現実など、さまざまな思いを投影させていると言われています。

人々の悲しさを描きながらも、どこか見るものを安心させ、また遠ざけてしまう、真の芸術家として一生を遂げていったのです。
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