西洋画

ベルトモリゾ、印象派・女流作家の代表作「ゆりかご」はフェミニズムの象徴?

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印象派のなかでも紅一点の存在であった女流作家、ベルト・モリゾ。彼女の描く作品は、母性の慈愛に満ちたものから風景画などに及び、当時の女性ならではの視点で描かれている、美しく独創的な構図のものばかりです。

見るものをベルト・モリゾの世界に引き込むような、独特なタッチで描かれる彼女の作品こそ、19世紀のフランスの女性のあり方を象徴する存在だったのではないでしょうか。

さて、そんなベルト・モリゾの描く、「ゆりかご」ですが、現在では素晴らしい絵画のひとつとしてだけではなく、フェミニズムの象徴として議題にあがることが多く見受けられます。

特に、ベルト・モリゾの代表作である「ゆりかご」に関しては、研究者たちから当時の女性像を紐解く道しるべになるのではないか、と思われ研究が続けられています。今回、ここではフェミニズムという概念からみた、ベルト・モリゾの「ゆりかご」を研究していきたいと思います。

ベルト・モリゾとゆりかご

まず、ベルト・モリゾにとって「ゆりかご」とは、どういった存在であったのか、というところから確認していく必要性があるでしょう。ベルト・モリゾは、姉と一緒に画家を目指し、そして制作活動を続けていた人物です。

姉妹仲良く、共に画家としての頂点を目指し日々奔走していたようです。しかし、そんな姉は男性と恋に落ち、そして結婚、出産という人生の新しいステージへと立ち上がるようになります。

姉は、本当は画家を続けていたかったようですが、当時は妻であり、母親であるという理由で画家を続けることは困難であり、その道を諦めざるを得なかった、という状況に追い込まれたようです。妹であるベルト・モリゾは、そんな姉を引き止めることもせず、そして責めることもせず、見守り自らは画家という道を全うします。

その後、姉もベルト・モリゾをしっかりと支えたとされていますが、そんな時に生まれた作品が、この「ゆりかご」、という作品だったのです。

妹だからこそ捉えた表情

「ゆりかご」は、仮に第三者が描いたのであれば、ここまでの臨場感と慈愛、そしてタッチで描くことはできなかったでしょう。

画家を諦め、苦悩の中にいた姉ということを知っていたからこそ、この我が子どもの眠る一瞬の優しい世界を捉えた姉の姿を、切り取ることができたのではないでしょうか。また、この絵画が話題に挙がる部分としては、焦点の中心が母である姉になっている、というところです。

通常、母子の絵画を制作する場合ですが、基本的には子どもを中心に添えるものが多いとされていました。

しかし、「ゆりかご」では、薄く淡いベールに包まれた子どもを奥へと持っていったような視覚効果で描き、前面に姉を配置するという、独特な構図で描かれています。ベルト・モリゾの、姉への強い思いがあらわれている、非常に興味深い作品として現在でも語り継がれているのです。

様式や時代背景

さて、ベルト・モリゾが生きた19世紀のフランスというのは、戦争や政治不安が交錯した時期であり、彼女の描いた作品に関しても多くの感心が寄せられていました。

また、「ゆりかご」にも代表されるように、前面には細かな表現で陰影をつけたような母子が描かれていますが、背景は印象派の技法を取り入れた平面的な、明暗をつけた作風となっています。つまり、様式自体が自由であったことからも、「様式の欠如」として彼女の作品が捉えられていた、と見られています。

さらに、その欠如を「女性らしい」と捉える向きもあったようで、まだまだ当時のフランスでは、女性が男性同様の市民権を得られていなかった、というようなことが想起されます。ただ、その政治不安のなかで子づくりなどを奨励していた時代背景もあり、ベルト・モリゾの描く、「ゆりかご」のような母子像自体は歓迎されていた、という見る向きもあります。

現代では、あまり話題となるようなことは無いであろう、シンプルな母子像ではありますが、当時のフランスでは大変画期的な作品である、として注目されていたことがわかります。

ゆりかごの評価

ちょうど、ベルト・モリゾが「ゆりかご」を描いた時期というのは、彼女が30歳という節目の年齢だった頃でした。姉が結婚して、子どもを授かったことで、彼女を考察して数多くの母子画を描くようになっています。

この理由としては、画家として自らが努力で勝ち得てきた技術と評価はあるものの、女性として、母としてという部分が欠けていたため、姉にその姿を求めたとの見方もあるようです。そして、それまでは風景画を多く描いていたベルト・モリゾですが、実はこの「ゆりかご」を発端として、新しい自らの画風を確立させていった、ということでも知られています。

ベルト・モリゾは、印象派のマネに教えを請うていたことで知られていますが、彼からの脱却を図っていた、という話があります。

さらに、印象派展には出品してはいけない、とマネから忠告を受けていたのにも関わらず、その忠告を守らずに印象派展へと、「ゆりかご」を出品しています。つまり、彼女自身、先に女性として人生の生きる道を見つけた姉に影響を受けて、女性作家としての自分を確立しようとし、この「ゆりかご」を描いたという推察もあるようです。

高い評価を得ていた

デュランという人物によって組織されていた展覧会に「ゆりかご」が展示されたのですが、ベルト・モリゾが提示した値段の倍額を提示したほどに、この作品は評価が高いものであったことで知られています。

美術館に買い上げられたことで有名となった、ベルト・モリゾの「ゆりかご」ですが、第二次世界大戦の頃、なんと第一優先して守るべき絵画として、真っ先にリストアップされたほどに素晴らしい作品である、という国自体が認めていた作品のようです。

実際、ベルト・モリゾの描く作品のタッチなどは批評家のなかでは、あまり評価が高くなかったといわれています。印象派自体の作風が認められていなかった、ということもあるでしょう。ただし、どんな批評家であれば、この「ゆりかご」に関しては賞讃しており、観念と仕上げが完璧に一致している奇跡のような作品である、と高く評価しているところがポイントです。

女性に許された特権

これら、「ゆりかご」を巡る評価のなかで、ベルト・モリゾが描いた「ゆりかご」から、男性ではなく、女性が描く母子像のうつくしさと慈愛は、特別なものであるという見方が強いことがわかります。

当時、男性なども母子を描くことは多かったようですが、乳母車などに乗せたシーンが多く、愛情という側面から見ると、ベルト・モリゾのような慈愛に満ちたものは伝わってこないようです。

男性ではなく、女性だからこそ許されるテーマであり、それを完璧に表現したものが、「ゆりかご」であったということが理解できるしょう。女性も男性同様に、戦い続けることが良し、とされている世の中でありながらも、やはり女性にしか無い特権というのは母子の関係性です。

そして関係性を、画家という道で進むことを決意したベルト・モリゾは否定するのではなく、女性ならではの視点で賛美する、というアプローチがこの名作を生み出したきっかけとなっているのではないでしょうか。

当時、女性の作家はフランスにも少なからずいますが、ベルト・モリゾの描いた「ゆりかご」は、多くの作家たちの注目を集め、そして強い影響を与えました。今後も、「ゆりかご」は世界の宝として、守り、語り継がれていくことでしょう。

ベルト・モリゾの「ゆりかご」から印象派を学ぶ

19世紀印象派の女流作家として代表として知られているのが、「ベルト・モリゾ」です。19世紀の頃の芸術家といえば、男性芸術家が多いことでも知られており、その中で自らの芸術を昇華させるために、戦い続けたことでも知られている人物です。

さて、そんなベルト・モリゾを代表する作品といえば、「ゆりかご」でしょう。数多く作品を作り上げてきたベルト・モリゾの作品のなかでも、傑作と呼ばれているこの作品は、母性愛に溢れた心温まる美しい作品でもあります。今回、ここではベルト・モリゾの描いた、「ゆりかご」を巡る評価などを探っていきたいと思います。

ベルト・モリゾの人生

フランスのシェール県官吏の子として、この世に生を受けたベルト・モリゾ。姉であるエドマも妹同様に画家を目指していたことで知られており、仲の良い姉妹として評判であった、といわれています。

ベルト・モリゾは、画家ジャン・オノレ・フラゴナールと言われていることからも、ロココ調のどこか女性らしさを感じさせる画風が特徴的です。落葉拾いで知られるミレーのバルビゾン派という、ジャン=バティスト・カミーユ・コローという画家に師事したのが20歳の頃であり、それも姉と共に彼のもとで絵画を学び続けます。

姉は引退

ベルト・モリゾは、生涯仲の良い姉妹であったことで知られていますが、姉の方は先に画家の道を諦めています。

姉は、結婚をすることを決意したことで絵画の道から退き、ベルト・モリゾは画家としての一生を選んだことで知られています。

しかし、姉妹の絆は途絶えることはなく、多くの手紙をやり取りしていており、その中の手紙には姉が画家の道を諦めざるを得なかったことを、大変残念に感じている内容も記載されているとのことです。ベルト・モリゾは、画家として孤独ながらも努力を続けており、その姿勢を姉は見守りしっかりと支え続けていました。

印象派との出会い

印象派は、当初は批判の的に晒されていましたが、徐々にその素晴らしさが認められていき、結果的に西洋絵画の中でも大変重要な派閥として知られるようになっていきます。そんな印象派がまだ注目されていなかった1864年、ベルト・モリゾは風景画を描きサロンで初入選を果たしますが、印象派の展覧会が開催されてからは、サロンへの出展をやめています。

1868年に、ベルト・モリゾはマネと出会っており、彼から絵画について多くを学ぶようになりました。ベルト・モリゾは、マネのモデルなどもつとめていた、と言われていますが、そのおかげで恋仲が噂されるようにもなります。

しかし、ベルト・モリゾが一方的にマネに師事していたわけではなく、互いに作品に影響を受けていたことがわかっており、当時のマネの作品からもベルト・モリゾが大きな影響を与えていたことがわかります。印象派の画風に傾倒していったベルト・モリゾは、ピエール=オーギュスト・ルノワールやステファヌ・マラルメなど、多くの画家との親交を重ね成長を続けていきました。

ゆりかごの制作

ベルト・モリゾが、名作と言われる「ゆりかご」を完成させたのは、1872年です。印象派の一員として活動をしていたベルト・モリゾですが、この「ゆりかご」は、あの伝説の印象派展の第1回展に出展されています。

自らの芸術を追いかけ続けていた最高の仲間として姉がいたベルトですが、エドマはこの作品を描く前に結婚して子どもを授かり、絵画の道を引退しています。この、「ゆりかご」で描かれているのは、彼女の姉であるエドマとその子どものブランシュです。

女性であり、さらには自らの親族である姉をモデルとして描いているだけあり、大胆な構図と微細に表現される皮膚感や髪の毛、そしてその表情。母の持つ慈愛に満ちた雰囲気が伝わってくる、素晴らしい作品に仕上がっています。

薄いベールに包まれているブランシュの幸せに満ちた寝顔は、世の中の不条理を忘れさせる美しいものであり、それを眺めているエドマも母親の顔をしています。

斬新な構図として話題になった

今の時代、この「ゆりかご」を見ると、何ら変哲の無いシンプルな母子の絵画に見えます。しかし、当時は対象の中心を母親に据えることは珍しく、さらに子どもをベールで薄く透かせている、という画風が大変斬新であったといわれています。

ベルト・モリゾは、幼き頃から一生に生活をしてきた姉が母の姿になっている、ということに強い興味が惹かれたと思われ、姉妹だからこそ描き出すことができた作品ではないか、と言われています。

印象派としてのゆりかご

「ゆりかご」は、母性に満ちたエドマの姿、そして姉妹の絆が反映されている素晴らしい作品です。ただ、ベルト・モリゾは印象派の人間であり、背景などはそういった印象派のタッチがしっかりと活かされているので、その辺りにも注目すべきでしょう。

平面的な空間描写、さらには質感を柔らかくするなど、当時の印象派の技法が、いかんなく発揮されています。この絵画の特筆大書すべきポイントとしては、母子のバランスの中心を母親に持ってくる、という斬新なものですが、その背景や風景は平面的に捉えている、というところです。

さらに、印象派の技法である“明暗”に注目したことで、立体感を失わせることなく仕上げている、というところにもベルト・モリゾの技術の高さを伺うことができます。

一見、シンプルな作品であり、子と母親の持つやわらかで神々しい雰囲気を感じてしまう作品ですが、しっかりと鑑賞することで、その魅力をしっかりと受け取ることができるのが、この作品の最大の魅力ではないでしょうか。

印象派を新たな角度から学ぶための作品

ベルト・モリゾが描いた、「ゆりかご」は、印象派でかつ女性作家である、という視点から鑑賞すると大変面白い作品となっています。風景画から入ったベルト・モリゾだけに、絵画全体の構図を作る視野が広く、絶妙な陰影とバランス感を発揮することができています。

彼女の作品は、母子を描いたものも多く、その全てが当時としては斬新な構図で仕上げられています。フェミニズムの象徴として議論される、「ゆりかご」ですが、純粋に絵画として鑑賞する、ということも忘れてはいけない、名作なのではないでしょうか。
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