西洋画

アンリマティスという芸術家の人生

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自然を芸術の対象とし、美しい色彩を用いて名作を描き続けた画家が、アンリ・マティスです。アンリ・マティスは、フランス生まれの画家であり、野獣派というグループで活躍をしていた有名な画家です。

色彩の魔術師などと呼ばれていたように、緑を中心として非常に美しい作品を多く描き続けてきたことからも、今も尚、自然をモチーフとした作品を描いている画家たちから崇拝されています。今回、ここでは「アンリ・マティス」とはどのような画家だったのか、その人生を追っていきたいと思います。

穀物商人の子ども

アンリ・マティスは、穀物商人を営んでいた一家の長男として生まれています。フランスの最北部とも言われている、ル・カトーカンブレジという村に生まれており、豊な生活を送っていたことで知られています。

家族は、その後にボアン=アン=ヴェルマンドワという場所に引っ越しており、アンリ・マティスは幼少期のほとんどをこの場所で過ごしています。

画家への道

当時、マティスは父のすすめで裁判所の管理者の資格を取得するために、遠くパリへと向かっていました。しかし、彼にとってパリという街は全てが新鮮であり、そして刺激的でした。たまたま、盲腸炎を患ってしまったことから身動きが取れず、母から画材が送られてきたと言います。

この時、彼が残した言葉としては「楽園のようなもの」を見つけた、というのです。盲腸炎、そして慣れないパリという地で心細かったこともあってか、この絵画という道に希望と癒し、そして夢を見つけたのかもしれません。当然ながら、マティスが裁判の管理者から画家になる、と言い出したことには父は失望し、恐らく当分の期間は良い関係を築くことができなかったのではないでしょうか。

熱烈な意欲

画家を目指すことになったマティスは、その後に私立美術学校であるアカデミー・ジュリアンへと入学しています。しかし、ここで絵画を学びつつ、名門であるエコール・デ・ボザールへの入学を夢見て日々努力を続けることとなります。

ただし、エコール・デ・ボザールへの入学をなかなか許されることが無く、マティスは落胆してしまいます。

とはいえ、非常に熱意を持っていたことからも、教官ギュスターヴ・モローに認められ、学校に入学した訳ではないのですが、手厚い個人指導を受けることを可能にしたのです。このことからも、マティスが絵画への道に進みたい、ということは生半可な気持ちではなかったことが、容易に想像できるのではないでしょうか。

自由な色彩への傾倒

マティスは、写実的な世界観をキャンパスの中に落とし込んでいました。マティスの表現する世界は、見たままのものを、見たように描くというようなものです。

しかし、ゴッホやゴーギャンなどといった、後期印象派からの影響を強く受けるようになり、徐々にレアリスムに縛られることのない、自由な色彩を描くことに強い興味を受けるようになってきます。結果、マティスが選んだ道は後期印象派のような、自由で楽しい色使いであり、これがきっかけで「色彩の魔術師」というマティスの画家人生がスタートするわけです。

野獣派の時代

ゴッホのように、自由な色彩と現実、そしてやや抽象的な印象を与える作品にマティスは傾倒していきます。大胆な色彩を使った、フォーヴィスム、いわゆる野獣派というグループをつくるようになっていきます。

当時、モーリス・ド・ヴラマンク、アンドレ・ドランなどの有名画家たちと共に、グループで活動をしていたものの、徐々にマティスの心は躍動感溢れた作品から、静的なものへと傾倒していきます。

結果的に、マティスが野獣派を牽引していたのは3年間程度であり、それからはまったく雰囲気の異なった作品を出すようになったのです。しかし、野獣派として話題をかっさらい、さらには大活躍をしていたマティスだけに、人々の印象としては野獣派の荒々しい色彩の使い手、というものでした。

彼自身、そういった評価を受けることに酷く傷ついていたようで、「私は人々を癒す肘掛け椅子のような、そんな絵を描きたいだけ」という言葉を残しているともいわれています。

ハサミを利用した作品

通常、画家はキャンバスに水彩画、パステル、油彩など、こういった手法で作品を作っていきます。マティスの発想はとても自由で、色彩をより自分らしく表現することを追求していった結果、切り絵という手法に辿り着いたといわれています。

「ジャズ」シリーズが、マティスの作品の中ではよく知られているところですが、ハサミを使用した今までに無い、新しい作風に常にチャレンジし続けていたことが、ここからも推測されるのです。

徐々に名声をあげていったマティスは、ドミニコ会修道院ロザリオ礼拝堂のデザインや、切り紙絵をモチーフにしたステンドグラスなどを発表。キリスト教美術としては、20世紀最高の芸術家であるなど、こういった賞讃の声を浴び続けることとなっていったのです。

自然環境を取り入れたアトリエ

マティスは、キリスト教などの宗教的なものと芸術を掛け合わせた作品を多く生み出していますが、彼自身はとても自然に興味を持っていたことで、そのアトリエがユニークであった、ということでも有名です。

とても大きな観葉植物を部屋中に置いたり、テーブルの上を多様な花で埋め尽くすなど、自然環境の中で作品を生み出しているかと錯覚するような、ある意味で植物園がアトリエのような、そんな空間を演出していたというのです。

また、自然環境好きがこうじてか、なんと鳥を300羽飼っていた、というのですからさらに驚きです。

ピカソの親友

20世紀最高峰の芸術家といえば、誰もがピカソの名を思い浮かべると思いますが、このピカソとマティスは親友であり、そして生涯の友人であった、ということで知られています。

マティスは、自然を愛していたのですが、ピカソは空想世界を主体として描いています。しかし、愛人であったり、妻であったり、女性をモチーフとして描くという部分は双方に共通する部分であり、結果的に互いの才能に惹かれ合うようになっていきます。

ガートルード・スタインにアリス.B.トクラスなど、当時の有名コレクターが開催するパーティーで出会うことのなった二人ですが、その後も「27 rue de Fleurus」という社交会にて毎回出会っていたといわれています。

カットアウト作品

晩年、マティスは腹部のがんを診断されると、油絵ではなくハサミを使ったカットアウトという技法の作品を多く造ることになります。

そのため、殆どの生活をベッドで過ごすことになってしまいます。アシスタントに適当に絵の具で書いてもらった紙を自らカットアウトし、それらを貼付けるという作業を繰り返すことになります。

ハサミを使う、ということで体全体、神経を使うことがとても良い作用になり、その時々の神経状態を作品に投影することができるようになっていきます。

このカットアウトという技術をメインとし始めた時、最初は小さな作品群しか作ることができませんでしたが、徐々に大きな作品となっていき、最終的には3メートルを超える大作を仕上げています。

マティスの功績

マティスの死後、あのアンディ・ウォーホールが、「マティスになりたかった」と言っているように、後世の芸術家たちに多大なる影響を与えました。20世紀において、大変重要な芸術家として今もなお、多くの芸術家に影響を与え続けているのです。

アンリマティスの描いた作品たちを解説

フォーヴィズム、野獣系の旗手と呼ばれた大芸術家が、「アンリ・エミール・ブノワ・マティス 」です。晩年は、コラージュという手法を用いた作品を多く発表しており、どんな芸術家とも比較されない、独自の世界で芸術界のトップを走り続けてきた人物として知られています。

今回、ここではアンリ・エミール・ブノワ・マティスの遺してきた数々の作品について、ひとつずつ解説をしていこうと思います。

帽子の女 / Woman with a Hat

油彩で描かれた、どこか物悲しげな顔つきの女性の作品「帽子の女 / Woman with a Hat 」。フォーヴィズムという芸術様式で呼ばれるようになった、きっかけの作品であると大きく話題となった作品です。

この作品は、1905年の第二回サロン・ドートンヌという展覧会に出品する目的で描かれている作品であり、その独創的な色彩感覚が特徴となっています。印象派の影響を初期の頃に強く受けていたマティスだけに、この作品の頃は分割描法からの脱却ともいえる、重要な作品です。

妻のアメリーをモデルに描いたものであり、黒の衣装を身にまとっていながらも、これだけ想像で色彩を使い分けたことは驚きです。ちなみに、この作品が野獣系と呼ばれるようになったのは、ルイス・ボークセルズがこの作品を見て、「野獣たちに囲まれたドナテロ」などと言ったことに由来すると考えられています。

緑の筋のあるマティス夫人の肖像 / Green Stripe

マティス作品を語る上で、外すことができない最重要作品が、この「緑の筋のあるマティス夫人の肖像 / Green Stripe」です。

紫と赤、そして緑を背景に大胆に配置し、影などを他には無い色彩表現で描き出した、まさにマティスらしい芸術性の高い1枚となっています。当時の伝統など、さまざまな様式などに一切縛られない、というマティスの自由な発想を伺い知れる貴重過ぎる作品です。この作品を批評する美術評論家たちは、マティス夫人の顔面中央に緑の太いラインが描かれており、これが婦人の二面性を現していると言います。

女性ならではの、太陽な明るさと優しさ、そして不安などを感じている暗さなどを的確に色彩で現せているという、大胆な批評ではないでしょうか。

しかし、この作品が非常にかつ、とてもユニークで彼の代表作と言われている所以は、「自らのパートナーをモチーフにしているが、私の妻はこんな顔をしていない。こんな顔の人間がいたら、恐らく自分は逃げ出すだろう」と言っていることです。

つまり、彼は妻をモチーフとしながらも、そこから女性という存在を浮かび上がらせ、自分が思う女性像を無意識に描き出してしまったのかもしれません。この偶然性も、マティスらしい芸術感なのではないでしょうか。

赤のアトリエ / L Atelier Rouge

まるで、世界の色彩を反転させたかのような、大胆な構図と色使いで仕上げられた、マティスの有名作品が、「赤のアトリエ / L Atelier Rouge」です。マティスが、さまざまな作品や芸術様式の触れた後、彼自身それら全てを租借して、自らの思う芸術様式に落とし込んだ、まさに集大成とも言える大胆な作品が仕上がっています。

この作品は、芸術界において多大なる影響力を持っている、と言われる所以としては、全近代美術作品の中で大変影響力があるという、作品500の5位に選ばれていることです。

一見、赤という世界に塗りつぶされた抽象的な世界に感じますが、眺めていくうちのその世界観に引き込まれていき、自分の中の新たな一面に気付かされるという、強い影響力を持ち合わせた作品となっています。カラーフィールド・ペインティングという、後に生まれた芸術技法に重要な役割をもたらした作品です。

生きる喜び / The Joy of Life

アゴスティーノ・カラッチの描いた、「両思い、または黄金時代の愛」や、ポール・フラマンの「黄金時代の愛」に強い影響力を受けた、と言われているマティスの代表作のひとつが、「生きる喜び / The Joy of Life」です。

どこか、幻想的でサイケデリックな色彩でゆがめられた世界観は、見るものをマティスの世界へと誘っていきます。サロン・デ・アンデパンダンという展示会ではじめて展示されているのですが、非常に批判を受けた作品だと言われています。

しかし、その分大きなショックを与えた作品となったことで知られており、彼の友人でもあったピカソの「アヴィニョンの娘」制作のきっかけとなった作品として、知られています。

かたつむり / The Snail

数多くの芸術家に多大なる影響を与え続けてきた、アンリ・マティス。晩年は、カットアウトという技法によって、色彩のついた用紙をコラージュのように貼付けていく作業が中心となりました。

その中でも、最も有名な作品が「かたつむり / The Snail 」という作品です。色彩の魔術師と呼ばれていたマティスならではの、補色を意識した、独特なコントラストをバランスよく配置した名作となっています。

かたつむりと呼ばれる作品なだけに、どういった見方であっても、それように変化していくユニークな出来上がりとなっています。

マティスの世界

マティスは、芸術家たちはもちろん、我々にも多大なる難問を投げかけます。正しい、正しくない、という単純なニ沢の答えではなく、アナタはどう感じるのか、という強いメッセージを感じさせます。アンリ・マティスは、これからも多くの芸術家たちに多大な影響を与え続けることでしょう。
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