仏教のシンボルフラワー、蓮華は何故重要なのか?

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日本の国家は桜です。花をシンボルとすると、文字通り何だか華やいで親しみやすい雰囲気になりませんか?仏教では蓮華の花がシンボルとなっており、仏像の手印異義られたり、台座となっていることが多いです。しかしなぜ蓮華なのでしょう?

泥から生まれる悟りと聖なる物の象徴

蓮華の花は美しいことで知られます。では、その蓮華は一体どこで咲くのか?これは意外と知られていないかもしれません。
蓮華の花は泥に咲くのです。混沌とした泥と美しい花。仏教はそこに目を付けました。泥を煩悩に、蓮華を知恵と修行の果てに至る悟りの境地に見立てたのです。
ドロドロした煩悩の中でも清浄な美を保ち、大輪の花を咲かせる姿が、何より貴い悟りの境地、理想の姿としてシンボライズされました。

世界はへそから始まった?仏教伝承の要の神とインドの創世神話

仏教にも名を連ねる梵天と呼ばれる神様がいます。
この神様、元はインドでブラフマーという名前でした。宇宙の真理であると同時に、あらゆるものを作り上げた創造神とも言われています。そんなブラフマーも、蓮華と関係がありました。インドの経典『マハーバーラタ』によれば、ヴィシュヌ神という神のへそからいきなり蓮華がニョキニョキ生えてきたとされます。ブラフマーは「そこいいねえ。ちょっと座らせて」と蓮華の上に座り、世界を作りました。その後、蓮華の上で作った世界で一人の若者が苦悩し、出家し、悟りに至ります。「お、真理を悟ったね。人間なのにやるじゃない。え?誰にも言わないでおく?ダメダメ何言ってるの」と、その人間の前に姿を現し、「悟ったことの内容を広めて、人々を救いなさい」と言いました。この人間こそがお釈迦様です。
その後同じインド発祥の仏教で蓮華は先に述べたように清浄なもの、真理のシンボルとなりました。

時に最上の女性のシンボルとなり、女神となった

ヒンドゥー教では女性のランキングを四つに分け、その最高位を蓮女、ラクシュミーと呼んでいます。
このラクシュミーは女神として崇拝されており、仏教では吉祥天の名で親しまれています。吉祥天とラクシュミーの役割は、美、富、幸福と現世での利益をもたらすことです。現世利益など与えたら、悟りから離れてしまいそうに思えますが、甘やかしの方法ではありません。吉祥天に関しては定期的に行われる吉祥悔過会という懺悔の行事で本尊となることがあります。元が蓮華を神格化した女神が懺悔の会で主役を務めるというのも偶然とは言えないでしょう。ちなみに、吉祥点も良く知られた像などで蓮華座を使用しています。どことはなしに、ボッティチェリの『ビーナスの誕生』を彷彿とさせませんか?

蓮華から生まれる?極楽往生の仕方と、ド悪党を迎えに来る蓮華

清らかな心を持って念仏を唱えれば極楽往生が叶います。煩悩や苦から解放された種情が生まれ変わる極楽にも蓮華が関係していました。極楽往生すると、蓮華の中から生まれることになっています。これを蓮華化生といいます。
『観無量寿経』では「無間地獄に堕ちるようなド悪党でも、悔い改めれば極楽往生できますよ」と説いており、その時には蓮華がやって来て、乗り物となるのです。懺悔をした者、つまり正しい心の象徴でもあるのでしょうが、何だか素っ気ない気もしますね。

持物、光背、台座に使われる蓮華

そんな蓮華のこと、仏像関連でも事物や光背などにもよく使用されています。
最も有名なのはやはり蓮華座と呼ばれる台座でしょう。
仏像は坐像、立像いずれも蓮華座の上におわすのが普通です。普賢菩薩に至っては象の上に蓮華座を置いて座ると言った、一見静かなのに地味にアクロバティックな像容がとられることがあります。蓮華座を使用できるのは、如来もしくは菩薩のみと、意外なところでカーストを感じますが、悟りに関係する仏様達なので蓮華座の使用が許されているのです。もっとも、明王でも蓮華座を使用することもあるにはあります。立像の際使用される踏み割り蓮華座です。それぞれの脚に、片方ずつ蓮華の花を踏む形となります。スリッパのようで何だかかわいいです。

観音菩薩が持つ未敷蓮華の意味

観音様の中には、つぼみの状態の花を持っている像もあります。これは未敷蓮華と呼ばれる物です。観音様は、菩薩。つまり修行中の身になります。悟りの象徴である蓮華がつぼみなのは、修行中であることを表しているのです。何だか「一緒に頑張ろう」と言われている気になって来ますね。

観音様の別名?蓮華手菩薩

数多い菩薩の中にも、蓮華の名を持つ菩薩がいます。その名は蓮華手菩薩。
その名の通り、手が蓮華、というわけではなく、蓮華を持つ者という意味のパドマパーニが元になっています。取り立てて経典にも「こういう仏様だよ」と言った記述も無いらしく、一部では「観音様ではないか」と言われるようになりました。ガンダーラやアジャンターなどの遺跡からも蓮華手菩薩「と思われる」菩薩の姿があり、法隆寺の金堂にある壁画のモデルにもなっており、美しい蓮華を持つことも相まって謎が深まるパドマパーニ。「観音様?それとも別の菩薩様?」との議論が長らくありましたが、現状「観音様の別名かな」ということになっています。

奈良大仏の足下に刻まれた宇宙、蓮華蔵世界

東大寺南大門の毘盧遮那仏、通称奈良の大仏様の足下にも蓮華はありました。
「どこ!?」と言われれば、蓮台の花びら部分です。どういう世界かと言えば、まず十層もの金輪、風輪などの名称で呼ばれる層があります。一番上の金輪には清浄を具現化したような海、香水海(こうずいこう)で満たされており、そこからニョッキリと巨大な蓮華が突き出しているのです。それはもう、何の迷いもなく。ちなみにこの蓮華は光幢光明荘厳(こうどう こうみょう そうごん)という名前です。この上にもやはり香水海があり、少し小さめの蓮華が無数に咲いています。その中に、須弥山などもあるという、「どこまでスケールを大きくしたら気が済むのか」と聞きたくなる前に気が遠くなる、そんな世界観です。

まとめ

泥は混沌としています。人間の悩み、煩悩もまた同じです。
そこからニョッキリ姿を現し、大きく美しい花を咲かせる蓮華は古代の人の目にこの世の物とは思えない花に写ったことでしょう。そこから世界観が発展し、「この世はどでかい蓮華の中にあるんだよ」とスケールがどこまでも大きくなっていきます。
どこにでも希望を見い出し、大きく成長する。蓮華とは、そんなことを思い起こさせてくれる花なのです。
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