仏像

吉祥天と弁天様、仏教の二大美女神の特徴を解説

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美しい人を「女神」と呼ぶことは多々あります。実際、神話でも美女として描かれることが多いのは、いろいろな意味で女性の理想像だからかも知れません。もちろん、美しいばかりでないのもまた事実。仏教の世界にも、吉祥天、弁財天という二大美女が存在します。弁天様は仏法を守る護法神で、天部というランクに位置する重要な役割をになわれています。では「吉祥天と弁財天とでは何がどう違うのか」。説話や見分け方のポイントからご説明いたします。
ちなみに天部とは、インド方面の神話から仏教に取り入れられた神々のこと。その役目は仏法を守り、信者にご利益をもたらすことにあります。さて、二人の美女神はどのような神様なのでしょうか?

吉祥天

【基礎情報】
日本に初めてその名を知られたのは奈良時代。『金光明最勝王経』というお経に名前を連ねています。それによれば、信者に福を授けるのがお役目。お経を読めば食事や着るものに困らず、吉祥天像を祀れば家が栄えて金持ちになり、お経を捧げれば五穀豊穣間違いナシ、と物質面を豊かにしてくれるわけです。吉祥天を祀る為の祭事「吉祥悔過会」(懺悔のようなもの)も存在していました。しかし、日本での初期仏教は「護国鎮護」、国を守るなどの政治的な性格を持っており、吉祥悔過会にしても、「国を守ってくださる」「ありがたい」といった信仰は貴族などごく一部の限られた人々のものだったため、平安時代まで民衆には吉祥天信仰は広まらなかったそうです。一時期は七福神の一員も務めましたが、弁財天に譲りわたすことと相成りました。

【インド時代】
ラクシュミーという名前。幸運・豊穣・美を司る女神。資料を見る限り、自由奔放でほんわかとしたイメージですが、運や実りはまさに天任せで、人間の力だけでどうにかできる代物ではありません。非常によく神格化されているのではないでしょうか。

【仏教入り】
帝釈天(インドラ)などと共に早い段階で仏教入り。ラクシュミー時代のご利益をそのままに、ほぼ名前だけ変えたわけですが、先に述べた通り一般大衆にあまり知られていませんでした。それでも仏像としては珍しい像容からか、鎌倉時代以降は徐々に大衆人気も得ていたようです。

【仏像像容】
古代中国の貴人風。何故かと言えば、日本に仏教を伝えたのが唐代の中国だからです。『大吉祥天女念誦法』もしくは『陀羅尼集経』といった経典に記されている通り「宝冠を被り、瓔珞(ようらく)等の装身具を身に着けている、左手に宝珠という球を持ち、右手は与願印と呼ばれる形をしている」という像容が一般的。瓔珞というのは古代インドの装身具です。宝珠とは正式名称「如意宝珠」。如意とは「意のままに」という意味で、どんな願いでも、意のままに叶えるための道具、と言った意味合いを持ちます。与願印は仏像の手の形のひとつ。「どんな願いも聞き入れますよ」という意味を持つそうです。 宝珠も与願印も吉祥天独自のものではありませんが。優しそうな性格がうかがえますね。
浄瑠璃寺の吉祥天。この手の形が与願印。吉祥天像と言えば、京都の浄瑠璃寺、阿弥陀堂のものが有名です。

弁財天

【基礎情報】
七福神の一員として有名ですが、仏教での神様です。神仏習合で神道に取り入れられるなど、いろいろ掛け持ちしています。ちなみに中世では龍神の化身と言われる神様、宇賀神と同一視されて「蛇、もしくは龍が弁財天の化身」という日本独自の弁財天のキャラクターも完成しました。日本で初めに祀られたのは、琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)。そこから、日本での弁財天信仰のはじまったのです。司るのは音楽・芸能・学問など。また財宝の神としても崇められています。独尊の場合、主に泉や湖など水辺に関系する場所に祀られます。

【インド時代】
サラスヴァティーという名前。このサラスヴァティー、もともとは川です。今現在はありませんが、とにかく川を女神として神格化するくらいですから、相当に美しく神秘的だったはずですね。水関係の神ということで豊穣を司っていましたが、のちに智慧の女神ヴァーチと一体化します。以降、学問や弁舌、芸術、なかでも音楽を司るようになります。この一件に関し、「川は元々流れるもの。学問の教えも弁舌も音楽も、川のように次世代へと流れていく」との考えもあるようです。江ノ島・厳島・金華山・竹生島・富士山にいわゆる五弁天があります。

【仏教での役割】
ほぼそのまま学問や音楽、弁舌の神として仏教入り。災いを取り除き、福を与える役目も加わりました。もともとが川の神だったこともあり、水や農耕も担当しています。弁舌に関しては経典を学ぶ者の智慧を増幅させ、人々に説く才能を与えることをお釈迦様に誓ったそうです。

【仏像像容】
基本的には七福神と一緒に宝船に乗った姿を連想しますが、独尊で作られることもあります。そのときもやはり、琵琶を持った天女姿です。しかし、この姿が一般化したのは鎌倉時代以降のことだそうです。実は弁天様は初期にはあの阿修羅と戦って勝ったという武勇伝を持っており、戦闘を司ることもありました。学芸だけでなく武術にも優れる文武両道型だったわけですね。その性格が残っていたのか、腕が8本、しかもすべての手に武器を持つなど、学芸の神様にしては物騒な姿でした。とは言えそんな像が作られた当時でも、経典では「満月のように美しい」とされています。戦う女性、カッコイイですね。

宝珠も持っていますが、剣、斧、煩悩を砕く法輪など武器ばっかりです。しかし顔つきは穏やか。現代では神話等をモチーフにしたネットゲームのキャラクターもありますし、戦闘神としての弁財天も見られるかもしれない・・・と思ったら、既にキャラクター化されていました。そこまで親しまれている、ということでしょうね。鎌倉時代以降は二臂、つまり日本腕で服装も吉祥天と似ていますが、基本的に琵琶を持っているので見分けがつきます。

下北沢森厳寺の弁天様。このお寺には銭を洗う、いわゆる「銭洗弁天」的な性格もあるようです。

琵琶持ったバージョン。足の与方が弥勒菩薩像っぽいですが、弁天様です。いわゆる「江ノ島弁天」。江ノ島には「七福神めぐり」ができる神社があり、そこには坐像の弁天様もおわします。

同一視する見方もある?

比べると結構違いがありますが、天女であり、新旧七福神の一員ということもあって同一視する見方もあるようです。弁天様の方は神仏習合や神仏分離も相まって少々ややこしいことになっていますし、いろいろな見方があっていいのかも知れませんね。

ミス仏像?いやミセス仏像、旦那様はあの神様!『吉祥天』大解剖!

仏像と言うと「男性っぽい」印象を持つ方が多いのではないでしょうか。力強い金剛力士像をはじめ、取り立てて女性的要素もないですし、「そもそも性別とかあるの?」といったところかと思います。仏教世界では「仏様」のランクとして「天部」と呼ばれる地位が存在。天部とはほかの神話から取り入れられた神々です。なかには女神もいます。吉祥天(きっしょうてん、あるいはきちじょうてん)もそのひとり(神様はひとりではなく一柱と数えますが)。一見すると仏像っぽく見えませんが、如来や観音も結ぶ手の形、「印」を結んでおります。

もとの神様

吉祥天はインド出身のラクシュミという女神であり、五穀豊穣・美・幸運などを司り福徳を授けます。もとの神話から、神々も敵対するアスラ族も見惚れるほどの絶世の美女神だったようです。そんな吉祥天の誕生は敵対する者同士(神々とアスラ)の協力がもとだったとされています。不老不死の薬を作るため乳海攪拌(にゅうかいかくはん)と呼ばれる行為を行おうとしたものの、アスラの助けも必要、ということでしぶしぶの協力だったそうですが、そこから生まれたのがラクシュミなど。ラクシュミ自身は比較的移ろいやすい、奔放な性格だったようです。

完全女性型の「仏像」

「仏像」としてきわめて珍しい吉祥天の特徴、それは「女性的で一目で女性と分かる様相をしている」こと。基本的には冠等を着けた、唐時代頃の貴婦人を思わせる衣装に身を包んでおり、髪型、表情、すべてに置いて美しく優し気な女性の面にじみ出る像容です。

吉祥天像鑑賞ポイント

基本的な吉祥天の像容として服装や容姿以外に「宝珠」と「蔽膝」が挙げられます。宝珠とは、お地蔵様も持っておられる(こともある)先のとがった珠のことです。またの名を如意宝珠と言います。燃える炎を表す、ともされており、願いを叶えてくれる珠です。衆生に福徳や富などを授ける吉祥天にはうってつけともいえるアイテムですね。もうひとつの蔽膝(へいしつ)とは、かつての中国で高貴な身分の人物が身に着けていた衣。帯に見えますが、エプロンのようなものです。ほとんどの場合、宝珠を持っていない方の手は願いを叶える与願印という形をしています。手を差し伸べているようにも見えますが、仏像の場合は手の形にも意味があります。その手の形もまた女性的で優しいですね。

実はもと七福神

実はこの吉祥天。驚きの秘密がありました。それ即ち、「もと七福神」。七福神も海外の神話・信仰から来た神様です(ちなみに日本の神様は恵比須様のみ)。現在は特徴ある外見の福禄寿に七福神の座を譲ったように引退しています。後に座に就いたのは弁天様こと弁財天という説もあります。「吉祥天と弁天様はどう違うの」という部分に戻りますが、両方とも仏像界では美女の代名詞とも言える存在ですし、一部伝承では弁天様と同一視されてもいますが、弁天様(インド名サラスヴァティー)」は学問や音楽という、まったく別の分野を司る神様なのです。

弁天様との違い

まず、吉祥天も弁天様も単体で祀られることがあるので、「一体だから吉祥天」と早合点しないようにしてくださいね。
弁天様は先に述べたように音楽を司るため大体琵琶を持っておられます(鎌倉時代以降のもの)。鎌倉時代以降の弁天様はこのように琵琶をお持ちです。「芸能の神」ともされるゆえんが何となく分かるように思えませんか。

また「護国の神」の性格もあるため、初期の弁天様は腕が多く、武器を持っていたことも見分けポイントのひとつです。護国院の弁天様。顔つきは穏やかに見えますが、手に手に武器を持っています。

旦那様は毘沙門天

タイトルにも書きましたが吉祥天、実は人妻です。旦那様は誰かと言ったら、七福神のひとり毘沙門天です。一説には、弁天様が毘沙門天に恋をして、吉祥天が七福神の座を譲った、とあります。弁天様、音楽を司るだけあって中々に情熱的ですね。そして旦那様をとられかけても許してあとを譲りわたしてしまう吉祥天様は大人物ですね。勿論、両方とも美貌だけでなくご利益もある重要な神様です。ちなみに毘沙門天はクベーラという神と、ヴィシュヌ神(ラクシュミの夫)とを合わせたものだそうです。基本的には一体で祀られますが、旦那様と対になるように祀られることもあるようです。力強い武勇の神、毘沙門天と「対」になるのは、夫婦だからだけでなく、先に述べた通りの女性らしさもあるからなんですね。善膩獅童子(ぜんにしどうじ)と共に脇侍として毘沙門天と三尊状態で並ぶこともあるようです。この善膩獅童子、何者かと言えば二人の間に生まれた子らしいです。微笑ましいと言うか、家族写真的な仏像って何だかご利益ありそうですね。

吉祥天とかかわりのある行事

そんな吉祥天とかかわり深い行事が、現在でも残っていました。その名は「五節(ごせち)の舞」。大嘗祭・新嘗祭などの「五節」と呼ばれる儀式の際に大歌と共に4、5人の舞姫が躍る、という行事です。その起源はうんと古い、天武天皇の時代。天武天皇が吉野の山中で天女(吉祥天)が舞い踊り、5回袖を振ったところからこの行事を始めたそうです。「これは吉兆(吉祥)に違いない」として。その一方で「吉祥悔過(きっしょうけか)」と言う、懺悔のようなものも存在しています。吉祥悔過は国家の安寧・五穀豊穣のため正月に行われます。名前を見れば分かるように、ご本尊は吉祥天。天部でもご本尊を務めることはあるのです。

女性特有の包容力?吉祥天の伝承と仏像

テレビで活躍中の芸能人。人々に希望や夢などを届けてくれますが、売れていてもずっと活躍できるかどうかは分かりません。売れたがために却って苦労した人もいますし、一度売れてひと休み、そしてまた売れた人もいます。まさに浮き沈みの激しいのは芸能界だけではなく、一般人も同じことが言えます。そしてそれは神仏の世界でも。華やかな美女神、吉祥天もまた、そんな浮き沈みある仏様かも知れません。

吉祥天概要

厳密に言えば仏という吉祥天は神に当たります。「仏教で神って」と思われるかも知れませんが、他国、特にインドの神話から帰化のような形で仏教に入って来たメンバーを「天部」もしくは「天」と呼び、神として扱うということはすでにお伝えしましたが、天部は、一神教の神のように全知全能というわけではなく、自然信仰の神のように「どこにでもいる」という神でもありません。仏教の神様の役目は仏法を護ることと、衆生(人間など)が生きている間にご利益を与える現世利益です。唐時代の貴婦人を思わせる衣装に身を包んでおり、その特異性や美女神という形容、現世利益の性格も相まって人気があります。吉祥天の密教での名前は功徳天。この名前で、千手観音をお守りする二十八部衆の一員も務めます。

お釈迦様のもとで下積み時代

「いつ沈んでたの」と思われるかもしれませんが、『金剛明経』という経典に記されて以来、少なくとも中国では独尊で作られることもなく、お釈迦様、千手観音といった有名な仏様の脇侍でした。いわば下積み時代ですね。華やかで美しい女神様でも、ご苦労を重ねておられるのです。

女神のように美しく、五節の舞

こんなエピソードもあります。それは遡ること1000年以上前、7世紀のことです。それは天武天皇の時代に起こりました。吉野の山にある中宮でボロ~ンとお琴を引いたとき、空から舞い降りてくるものがありました。そう、吉祥天です。吉祥天は袖を5回振りました。その様があまりに美しかったことから新嘗祭・大嘗祭などの際に5人の舞姫が舞い踊るようになった、というお話は前記述にありますが、美女神だけあって美しい物語ですね。しかし、農耕関係者の舞がもとになっているとの説もあるようです。いずれにせよ、日本で吉祥天が日の目を見だした第一歩と言えるお話でしょう。いきなり天女がおりりてきたらビックリしますね。

懺悔と五穀豊穣!吉祥悔過会

吉祥悔過会(きちじょうけかえ)という行事もあります。これは言わば懺悔です。懺悔するのはキリスト教ばかりではありません。悔過もまた、吉祥天だけというわけではなく、阿弥陀如来の場合もあります。毎年正月に吉祥天を本尊に頂き、懺悔をすると同時に五穀豊穣や国家の安穏を祈ったとされます。この行事は今も薬師寺で行われておりますので、興味を持たれた方は行ってみてはいかがでしょうか。

天女風が基本

吉祥天の像様と言えば、先に述べた通り、唐時代の貴族を思わせる衣装を着ているのが通常です。唐の時代に来たためこの姿なわけです。左手には先のとがった物体を持っていますが、これは宝珠と言い、願いを叶える力を秘めたものです。そして右手は与願印という形をとっています。仏像は手の形(印と言います)で言いたいことを手話のように表すことがあり、少し詳しい人なら印を見ただけで「あの仏様だな」と分かるわけですね。ちなみに与願印とは願いを聞き入れる、というもの。宝珠も与願印も、吉祥天独自のものではありません。しかし、思わず涙を流してすがりつきたくなるような滋味があります。もちろん、お地蔵様そのほか、宝珠を持っていたり与願印で作られたりしている仏像も大変ありがたいのですが、吉祥天の場合、女性特有の包容力のようなものを感じます。とくに有名な像は京都の浄瑠璃寺、広隆寺に祀られている像です。京都以外では、福岡県の観世音寺にも立像が祀られています。

実は妹がいました。その名も黒闇天

仏様に家族というものは無関係に思われますが、吉祥天には夫も子どももいましたね。子どもの善膩師童子(ぜんにしどうじ)共々、夫の脇侍を務めることもたまにあります。そして、実は吉祥天には妹もいたのです。黒闇天(こくあんてん)。何だか一転して怖そうな名前ですが、名前通り、司るのは夜の闇や災いなど。この辺はインド時代の性格を受け継いでいる様子です。ラクシュミーという幸運の女神だった吉祥天ですが、ラクシュミーにも不運を司る妹がいました。黒闇天のインド時代は闘いの女神ドゥルガーがもとになっています。吉祥天と黒闇天はいつも姉妹一緒に行動しているようです。姉と真逆なのは性格や司る物だけでなく容姿も同じで、黒闇天は醜悪とされています。しかし、信仰すれば逆に安らげる夜を与えてくれたり、災いや危険を取り除いてもくれるのです。信仰って大事ですね。

もうひとつの姿?宝蔵天女

弁財天と同一視されることもあった吉祥天ですが、もうひとり、宝蔵天女という天女がいました。福徳を与えることから同一視されるようで、像様も似ているようですが、密教では違う天部ということになっているそうです。とは言え、宝蔵天女の像は作られていないとか。

富と幸運をもたらす美女の代名詞・吉祥天とは

仏にはその悟りのレベルに応じてランクがあります。トップに君臨するのが如来。これは「真理を悟った者」という意味で完全解脱した仏様です。完全解脱しているので、おっとり座っている姿の像が多く造られました。もちろん例外もたくさんあります。
次にくるのが菩薩。「悟りを求める者」という意味の仏様で、如来に進むのにはまだほんのちょっとだけ徳が足りないか、あるいはもっと人を救いたい教化したいという気持ちがあるから菩薩の位にとどまっている、そういった仏様です。苦しんでいる人をすぐ救いに行けるように、本来菩薩は立像で作られます。こちらも例外は多いです。
その下に明王がいます。まだ煩悩が抜けきっておらず、険しい顔立ちをしています。でもあの憤怒の表情は、人を苦しめる不条理に対する怒りです。
さらのその下。仏の位としては最下層に属する天部があります。仏にまでなったものの、まだまだ修行も徳も足りないという仏様です。

今回取り上げている吉祥天(きちじょうてん・きっしょうてん)はその天部に属する仏様です。

1.天部の仏たち

天部の仏はその多くが、仏陀以前のインドの古代宗教で祭られていたものです。彼らを仏教の教義のなかに吸収したという形です。如来・菩薩・明王に比べて種類は多く、複雑で猥雑、性質が時代と共に変わってしまうものまであります。また現世利益的信仰を集めるものが多いという特色もあります。

天部で最も有名なのは仁王像でしょう。寺院の入り口のところに置かれ、仏敵が入り込むのを防ぐ筋骨隆々の仏様です。そして四天王像があり十二神将があり、いずれも個性的な顔立ちをしています。
如来や菩薩に比べて、これらの仏像は表情が豊かで強いアイデンティティが感じられます。

さて、その天部に分類される吉祥天ですが、富と幸運を表す女神で、性質は気高く移り気、彼女を手に入れようとした神々はことごとく逃げられて失敗しています。でも最終的にはヒンドゥー教の最高神のひとり・ヴィシュヌの妻になりました。

2.七福神にいた!?

七福神とは、室町時代に成立したと言われる日本の民間信仰の神々です。
しかしそのメンバーは最初からこの全員がそろっていたわけではありませんでした。
最澄が祭ったヒンドゥー教の神である大黒天を最初として、民間信仰から恵比寿が加わり、さらに毘沙門天が加入して三神がセットで信仰された時代がありました。そこに近江信仰から弁財天が加わったのち、室町時代となり、仏教からは布袋(弥勒菩薩の化身)、中国の道教からは寿老人と福寿録が派遣されてきました。そうして徐々に数が増えてできあがったのがインド・中国・日本の多国籍混合ユニットである七福神です。

ここではさらっと弁財天が加わったと書きましたが、どうやら当初七福神にいたのは吉祥天だったらしいのです。吉祥天が弁財天に取って代わった理由については、七福神に加わりたかった弁財天に吉祥天が席を譲った説、弁財天が吉祥天に嫉妬して追い出した説、弁財天は吉祥天の化身である説、吉祥天の夫である毘沙門を取り合った説、などいろいろ面白おかしいお話があるようです。
身も蓋もない現実話をしますと、平安時代に王侯貴族には絶大な支持を得た吉祥天も、鎌倉時代になって武家が台頭すると貴族の力は衰えます。吉祥天は支持層を失いその代わりに民間からの絶大な支持を得た弁財天が、吉祥天の代わりに七福神の席に座りました。

3.吉祥天の桃色エピソード

日本霊異記 中巻 第十三 愛欲を生じて吉祥天女の像に恋ひ、感応して奇き表を示しし縁

ある山寺に吉祥天女の塑像があった。そこに優婆塞(在家の男の仏教信者)が修行に来た。男はこの天女の像を見て一目で気に入り、1日6度の勤行ごとに祈った「どうか、このような美しい女性を私にください」。そんなある日男は夢を見た。天女が自分とまぐわう夢だった。目を覚ましてふと吉祥天像を見ると、あらぬところがあり得ない濡れ方をしていた。

古本説話集下巻六十二 吉祥天女と契った男

ある寺に鐘つきの法師がいた。その男が寺に安置してあった吉祥天の絵像に恋をしてしまった。毎日その絵をなでたり、口づけをしたりしていたが、ある夜に夢を見た。
「そんなに私のことを想ってくれるのなら、あなたの妻になりましょう」
「でも浮気はしないでね」という約束をして、家まで建ててしばらくは裕福に暮らしましたが、とうとう男が浮気をする日がやってきます。そしてバレました。吉祥天は怒り狂い「この何年か分よ!」と言って大きな瓶に2杯分の男の淫欲(男の体液)をぶちまけて帰っていきました。

本来仏に性別はありません。しかし吉祥天や弁財天そして鬼子母神などのように、最初から女性としてイメージが固定されている仏様も存在しています。
儀軌という規制でガチガチに固められた如来像と違い、天部の仏は自由闊達な空気にあふれています。八百万を信じる日本人にとって、身近な存在だったのでしょう。ちょっと手を伸ばせば届くかもしれないと思わせるような、そんな存在だったのだと思います。だから、こんな艶っぽいエピソードも生まれるのでしょう。
おそるおそる遠くから眺める仏様ではなく、手を出してみたくなる仏様。その代表として吉祥天がいます。
それも日本人の愛し続けた信仰の形です。少々不遜な言い方を許して貰えるのなら、神や仏との付き合いというのは、そのような接し方のほうが健全である、と言えるのではないかと思います。原理主義などに最も遠い日本人の信仰の仕方です。

4.世界の女神

吉祥天は富や幸運の仏様ですが、世界にも同じような現世利益的神々が存在します。例えばギリシャ神話では勝利の女神ニケ。スポーツシューズメーカーナイキの語源であることは有名ですね。ローマの勝利の女神「ヴィクトリア」はVictoryの語源になりました。フォルトゥナは幸運の女神で「Fortune」の語源です。女神という神秘に対するイメージは、東西の違いを超えているようです。

元の名前はラクシュミー。吉祥天今昔

都会に行った娘がお盆などで帰省。するとすっかり垢ぬけてしまってビックリ、なんてこともあるんじゃないでしょうか。環境が変われば人も変わります。心境その他を含めて、変わるということは成長を意味します。神話の世界も、人々の心境や時代の状況で内容が変わることが多々あるようです。仏教世界でもあまたいる仏様の性格等が当初と違うものになる事例がときたま見受けられます。そんななかから、華やかな美女神吉祥天についての今と昔の話をします。

インド時代のお話、始まりは怒れる賢者

吉祥天の仏教入り前の名はラクシュミー。
司るのは吉祥天同様幸運。ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の妻。とお話しましたね。ラクシュミーの幸運を与える能力がそのまま仏教に入ったと言った感じでしょうか。女神というものは美しいものですが、なかでも格段に美しく、神も悪魔もこぞって「お嫁に来てください」と願うほどだそうです。そもそも生まれからして通常的ではありません。インド神話には「乳海攪拌」という非常にスケールの大きな一種の創世神話があるのですが、全ては怒りっぽい賢者と、神様たちの喧嘩(というより戦争)がもとでした。乳海攪拌図、何だか微笑ましく見えます。ドゥルヴァーサスという、信者には優しいものの「馬鹿にされた!」と思うや遠慮なく呪いをかける、はた迷惑な男性の賢者がいました。

この短気な賢者(短気な時点で賢者と言えるのか不明ですが、賢者なんです)は、たまに人間たちに助言を授けるべく地上に降りるのです。「いつもお知恵を拝借しているから」と、ある王国からお礼の意味で、花の首飾りをもらい喜びました。そして、王国に祝福を授け、あることを思いつきました。「そうだ、この花を雷の神様インドラにも分けてあげよう」。インドラもまたドゥルヴァーサスをもてなして送り出します。ここでもおもてなしを受け、ドゥルヴァーサスは喜んで帰っていきます。が、見てはいけないものを見てしまいました。インドラの乗っている象が、その花に興味を示したのであげたところ、像は怖れ多くもその花を地面に叩きつけたのです。ドゥルヴァーサスは激怒しました。そして、インドラを含む神々の力を奪ってしまいました。そこで、神々の敵に当たるアスラたちが「弱っている今が攻めどきだ」と悪神らしく虚をつく作戦に出ます。インドラたちは、影響を受けていない神ヴィシュヌに助けを求めました。ヴィシュヌは言いました。「アムリタという薬を作って飲むとよい。不老不死の効果があるがアスラたちと協力して作らないと駄目なのだ」。インドラたちとアスラたちはこの薬を半分ずつ分ける、という約束で和解します。インドの神様方、結構素直ですね。このアムリタ作りが乳海攪拌です。1000年かけて植物の種・乳海・その他諸々を入れたものを、皆でこねました。そこから太陽や月、政令などが誕生したのです。前置きが長くなりましたが、ラクシュミ―もそんななかから生まれたひとりでした。

インド時代のお話、神と悪魔がメロメロの美女神誕生

その美貌はまさに絶世。女神というものは基本的に美しいと相場が決まっていますが、ラクシュミーの美貌は群を抜いていました。アスラも神々も、皆乳海攪拌のときの協力はどうしたのかと思うほど彼女に夢中になり、あの手この手で妻にしようとします。しかし、皆袖にされてしまいます。最強の武力を持つインドラさえ、彼女を4つに分断しないとどこかへ行ってしまうというありさま。結局夫に選んだのは、先のヴィシュヌ神。理由は最高神のひとりだからです。さすが学問の神ですね。

そして仏教へ

そんなラクシュミー、インドの、ほかの神々と一緒に仏教に入り、吉祥天と名前が変わりました。中国では独尊として祀られることがなくあまり有名でもなかった様子です。しかし、日本に入ってからは、独自の行事や言い伝えが作られるなどしました。それにより、インド時代同様の福徳を授ける神として人気や信仰を集めるに至ったというわけです。日本での仏像容は、仏教が伝わった唐の時代の衣装をまとい、仏像特有の服飾品(蔽膝という、腹部の帯のような物)や装身具、持仏を複数持つ天女風です。

実は家庭持ちです

神話における意外な人脈、人間(?)関係というものがありますが、吉祥天実は結婚して子供がいます。息子共々時折、夫である毘沙門天の脇侍として祀られることがあります。高名な仏師、運慶の長男湛慶によるものが特に優れているとのこと。雪蹊寺にあります。
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