ヨーロッパ アンティークドールの歴史

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アンティークドールとは

『アンティークドール』は、一般的に100年以上前に作られた人形を指す。特にヨーロッパのアンティークドールは、19世紀のフランスやドイツで誕生した。その中でも人気を博したのは、ビスク・ドールである。ビスク・ドールは、フランス語のビスキュ(二度焼き)を語源に持ち、磁器を焼き重ねることで人間らしい柔らかな肌質を表現した2。まるで本物のように精巧に作られたビスク・ドールは多くの子供たちを魅了し、当時の人気玩具の一つであった。

ビスク・ドールの歴史

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人形は、先史時代から現代に至るまで人間の文化活動と密接なつながりがある。例えば、厄災の身代わりや信仰の対象として用いられてきた。ビスク・ドールもヨーロッパの歴史とともに姿形を変えた。

ファッション・ドールとして

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最初のビスク・ドールは、1860年代に製造された。初期のビスク・ドールは、上流階級の貴婦人のファッション・ドールとして流行した3。対象は子供ではなく、大人の女性で、最新のファッションを伝えたり、自分と同じ洋服を着せて楽しむ観賞用であった。フランスの多くのブティックは競い合って、贅沢な素材をふんだんに用いた人形用ドレスを製作した。当時の人形パーツは、華やかで巧みに作られていることから現代のコレクターにも大変人気である。

べべ・ドールとして

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印刷技術や製造業が発達した産業革命により、ビスク・ドールは転換期を迎えた。ファッション・ドールは雑誌などの紙面にとって代わられたことで衰退した。また、人形の大量生産が可能になったことから、貴族から広く一般市民の手に渡るようになった。この時期のビスク・ドールは、大人の姿をしたものから子供の姿を模したベベ・ドールへと変わり、子供用玩具として広まった。数々の工房が立ち上げられ、人形美を追求したビスクドールが多く出回るようになっていった。1855年にはパリ国際万博が開催され、そこで展示された日本の市松人形がビスクドールの造形に影響を与えたとも言われている。

ビスク・ドールの衰退

19世紀の終わりには、安価で高品質なビスク・ドールがドイツで誕生し、生産拠点はフランスからドイツへと移り変わっていった。特に粘土鉱床で有名なテューリンゲン地方が生産の中心になった。20世紀初頭には、戦争による材料不足や工房の減少によりビスク・ドールの生産は激減した。

多くのファンを魅了するビスク・ドール

歴史的背景や地域によって、ビスク・ドールは、それぞれが少しづつ違った顔姿を持っている。その優雅で美しいドールは、今もなおたくさんのファンに愛されている。
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