高野山で出来る「仏教体験」《阿字観・写経・宿坊体験》と弘法大師空海について

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出典:[663highland]https://ja.wikipedia.org/|https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%87%8E%E5%B1%B1#/media/File:Danjogaran_Koyasan12n3200.jpg

皆さんは「高野山」ってご存知でしょうか?実は「高野山」という山は存在しません。本当は1000m級の8つの山に四方を囲まれた標高800mほどのところにある盆地なのです。

「高野山巡礼」は「四国遍路」とも深いつながりがあります。今回は弘法大師空海にスポットをあててご紹介をしていきたいと思います。

1. 高野山巡礼とは?

「高野山巡礼」を語るうえでかかせないのは、「弘法大師空海」です。皆さんも歴史の教科書で一度は名前を聞いたことがあるかと思います。

実は、弘法大師空海は宗教家だけにとどまらず、土木事業、教育事業、加持祈祷の霊験など様々な分野で才能を発揮した「天才」であった、といわれています。

また、大乗仏教の精神の至上命題である「他者救済」の精神を後世に伝えた、という点では彼ほどの祖師はいないというほど、仏教にかなりの影響を与えた希代の大宗教家といえるでしょう。
この大師信仰の最も有名な聖地が「高野山」と「四国遍路」といわれているのです。

高野山は2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産にも登録されています。
それでは、次に弘法大師空海の生い立ちについてご紹介していきます。

2.弘法大師空海の生い立ち

空海は774年(宝亀5)讃岐国(香川県)多度郡?風ヶ浦に生まれました。
幼いころの幼名を「真魚」といい。幼少の頃より仏教への信仰が大変に篤く、様々な仏縁の深さを示す逸話が数多く語られています。

18歳の時都の大学寮明経道に留学、当時の大学は官史を養成する場でした。しかし、官史への立身出世の道が次第に疎ましくなった空海は大学を辞め、出家の道を望むようになり「私度僧」となったのです。

30歳の時、遣唐使の使節団の一員として海を渡ることになりました。その中にはあの最澄もいた、といいます。
中国最大の都市長安にたどりついた空海は、高僧・恵果阿闍梨より密教を伝授され、帰国の途につきます。
35歳の時に「私度僧」時代に足を踏み入れていた「高野山」開創に着手したといわれていますが、その生涯の多くはいまだ謎に包まれているようです。

3.壇上伽藍ってどんな場所?

「壇上伽藍」とは高野山の中心部にある「諸堂が軒を連ねる地域」の名称です。
壇上伽藍は主に「奥之院」と共に「高野山」の2つが大霊場として信仰されている場所であります。
総本山である金剛峯寺へのお参りが終わったら、この2大霊場にもお参りをする人が沢山いるそうです。

金堂、西塔、東塔、御社、山王院、御影堂、准?堂、孔雀堂、愛染堂、大塔の鐘、大会堂、不動堂、六角経蔵など密教思想に基づく堂・塔が建立されています。

4.高野山で体験してみよう!

皆さんが高野山に行ったら是非、参加してほしい様々な仏教体験をご紹介していきましょう。

1.阿字観 …真言宗に伝わる瞑想法で大日如来を象徴する梵字の「阿」の前に坐し、こころを落ち着かせ、自己を深く内観する作業です。

2.写経 …仏道修行の方法として最もポピュラーな修行ですね。 最近では、一般的な神社やお寺でも写経体験を実施しているところが多くなりました。52字を書き写した後に願意として最後の行に個々のお願い事を書きます。私も写経を何度か体験したことがありますが、とてもすがすがしい気持ちになれるので是非体験してみてくださいね。

3.宿坊体験…宿坊とは、ズバリお寺そのものに泊まる事。高野山には52の宿坊寺院が点在し、精進料理を楽しむもよし、素晴らしいお庭を眺めるもよし、朝6時にある勤行体験はちょっと眠いですが、きっとこころに残る素晴らしい体験になることでしょう。

5.高野山の歴史と文化財

ここで高野山のたどってきた歴史とその時代ごとの、文化財について触れていきたいと思います。

高野山は、994年。1149年。1521年と3度の大火にみまわれ、多くの堂宇が焼失してしまうという憂き目を見たにも関わらず、平安時代から室町時代にかけ多くの貴族や大名のサロンとして、庇護され続けました。

戦国時代になると、寺領は略奪の対象となったためそこで、高野山では有力大名達と師檀関係を結ぶことにより、それを免れました。師檀関係により有力大名たちからの寄進が活発になったことで、より信仰の対象として、篤く遇されるようになったようです。
現在、高野山には有名な戦国武将の供養塔や家族の肖像画などが多く残されているのはそのためです。
高野山において代表的な作品といえば、有名な運慶・快慶の作品です。

~ 国宝「八大童子立像」運慶~
~ 「孔雀明王像」「執金剛神立像」快慶~

また、金剛峯寺にある空海の甥・真然の作といわれている「大日如来座像」も中々圧巻です。
この仏像は高野山最古の彫刻であり、現存する最古の木像の大日如来像ということですので、金剛峯寺に行った時は必ず見ておきたい文化財の一つです。

いかがでしたでしょうか?最後に空海の教えで特に深く印象に残ったものをご紹介しましょう。

「始めあれば終わりあり、生ある者は死あり、合会は離るることあり、良に以あるかな。」~性霊集 第八巻より~

弘法大師空海は様々な著書の中で「生あるものは必ず死ぬ」ということを繰り返し訴えられています。
「始めあれば終わりあり…」誰もが一度は耳にしたことがある一節だと思います。

現代社会は急速な医療の発達に伴い高齢化が進み、誰もが「生」に対する執着心を過剰に持っている時代となりました。その反面「死」というものが忌み嫌われている風潮があります。

しかしながら「生」があるからこそ「死」があり、「生」と「死」は切っても切り離せないセットのようなもので、「生」だけを礼賛する現代において、弘法大師空海の言葉は改めて新鮮な響きがします。

今回、「空海」のことを知るにつれ、社会の教科書で強調されるお堅いイメージの宗教家「空海」ではなく、素晴らしい教えを後世に残されているやさしい「お師匠様」といった感じを強く受けました。

「高野山」に対しても高貴な「聖の修業の場所」という印象がありましたが、宗教家としてではなく、一人の人間・弘法大師空海の人柄、言葉を知るにつけ「高野山巡礼」をとても身近に感じることができました。

これから新緑の季節。皆様も機会があれば、是非「高野山」へお出かけになってみては?心身ともにリフレッシュするにはぴったりだと思いますよ。

女性のための高野山《女性の心に寄り添う女人高野とは?》乳房型の絵馬も

皆さんは「女人高野」という言葉を聞いたことがありますか?

元来、和歌山県にある高野山は、女性の立ち入りを禁止していました。 そんな時、女性のための高野山として崇められてきたお寺がありました。

今回は現在でも特に人気で、代表的な女人高野のお寺のご紹介をしましょう!

その前に……なぜ、高野山に女性が入ってはいけなかったのか?

高野山といえば真言宗で、空海が開祖であることはあまりにも有名ですよね。
そして、高野山は加持祈祷と門弟の修行場で、高野山真言宗の総本山は高野山にある金剛峯寺です。

明治以前は女人禁制のところは多くあり、高野山もその1つでした。
高野山のような霊山は特に、女性の立ち入りを禁止していました。

理由は様々あり、
・女性には生理があり、不浄とされていた
・山には女神様がいて、女性の登拝者にやきもちをやくから
・仏教では愛欲を煩悩とみなし、人間の欲の中でも克服しがたい性欲を抑制・断ち切るため
・巫女やイタコなど、神がかりには女性が多くあい、山で行う修行に向かない
など、たくさんありました。

そして、山には入山を規制する「女人結界」をはり、境界石を建てました。
しかし、信仰心のある女性も増え始め、念仏をするための「女人堂」も建てられました。

明治以降は女性の地位向上の傾向も相まって、高野山では1904年に女性の入山を解禁しました。
では、女人禁制が解禁されるまで、女性たちが念仏を唱えられた場所はどこだったのかご紹介しましょう!

空海の母が滞在した「慈尊院」

慈尊院は和歌山県伊都郡九度山町にある高野山真言宗の寺院です。
816年、空海が高野山を開創した時に、参詣の要所にあたる九度山の麓に寺務所を置き、宿所や冬期避寒修の場として創建しましたのが始まりです。

そして、空海の母・玉依御前が息子の開いた山を一目見よう、高齢ながらやってきました。
しかし、高野山は女人禁制のため、麓にある寺務所に滞在してご本尊の弥勒菩薩を厚く信仰しました。 空海はひと月に9度、20数kmある山道を下って母を訪ねたことからこの周辺を「九度山」と呼ばれるようになりました。 また、玉依御前は835年に亡くなり、崇拝していた弥勒菩薩に化身されたという信仰が広まりました。 そして、弥勒菩薩が別名「慈尊」ということから、この寺務所を「慈尊院」と呼ばれるようになりました。 高野山は女性が入ることのできない場所……ですが、この慈尊院は空海の母が滞在し祈りを捧げたことから、子宝や安産、育児、授乳など女性の願いを祈る場所として多くの女性の信仰を集めました。
このことから慈尊院は「女人高野」と呼ばれるようにもなりました。

乳房型の絵馬で女性の願いを託そう!

慈尊院には玉依御前が描かれたお守りがたくさんあります。
中でも、女性のシンボルである乳房型の絵馬は大変珍しいもので、多くの人々が奉納しています。 子宝・安産・授乳・乳ガン平癒など、女性の願いを心をこめて作ってみてください。 もちろん、男性が作られても大丈夫です。 ぜひ、弥勒菩薩や玉依御前に願いを託してみてくださいね。

四季折々が楽しめる女人高野「室生寺」

室生寺は奈良県宇陀市にある真言宗室生派大本山のお寺です。
室生寺は奈良時代末期、山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒のため、行いの正しい5人の僧侶が室生山で祈願しました。 すると、みるみるうちに快復したので、朝廷から寺院の造形を命じられた興福の高僧・賢憬がこの地に「室生寺」を建立しました。 元々、室生寺は興福寺との関係から法相宗でしたが、1698年に独立して、真言宗のお寺となりました。奥深い室生寺は密教の修行の場としてふさわしいと、たくさんの修行僧がいました。
そして、女性の入山が許されていない高野山に対し、室生山は許していたので次第に「女人高野」と呼ばれるようになりました。

室生寺の境内は、四季折々の風景が楽しめる素晴らしい場所で有名です。
特に、シャクナゲは湿気と寒さが適度な室生寺ではたくさん咲き、「女人高野」同様、室生寺の代名詞にもなっています。 花の色は濃い紅色からピンク色、白に近いピンク色へと変化していきます。 見頃は4月下旬~5月初旬までとなっています。 ぜひ、お見逃しなく。

そして、シャクナゲの季節以外でも、春には桜、秋には紅葉、冬には雪景色が見られ、一年を通して楽しめるお寺なのです。

日本で最も小さい「五重塔」

もう一つ、室生寺で有名なものといえば、この五重塔です。
屋外に立つ五重塔としては、日本で一番小さいのです。そして、有名な法隆寺の五重塔に次いで、2番目に古いといわれています。 また、室生寺の中では最も古い建造物です。 五重塔前の階段を上るときが、シャクナゲと五重塔が一緒に写真に映るベストポジションとなっています。

室生寺は、僧兵を持たなかったことや京の都からは離れていたため、戦乱や焼き討ちに巻き込まれることがなかったお寺です。そして、戦争の戦火にも遭うことがなかったため、密教美術を多く所持している貴重なお寺でもあるのです。 ぜひ、その素敵な芸術を楽しんでみてくださいね。

「大和四神めぐり」は特別な御朱印がいただける!

2010年、奈良県で平城遷都1300年を記念して、「大和四神めぐりの会」を発足させました。
平城京は元明天皇が「四禽図にかない、三山鎮をなす」と、宣言されて造営が始まったといわれています。 「四禽図」とは、陰陽思想の「四神相応の吉相の地」であり、奈良県内の東西南北にあるお寺をそれぞれの方角を司る神獣とかけて、独自に位置づけたのです。 東には青龍(室生寺)、南には朱雀(金峯寺)、西には白虎(信貴山朝護孫子寺)、北には玄武(西大寺)となっています。そして、参拝者には特別記念品として、四神の散華朱印及び納めるための散華帖が授与されます。
室生寺に参詣し、残りも三ヶ寺も制覇してみてくださいね。 きっと、素敵な御利益があることでしょう。

いかがでしたか?
今回は女人高野として有名な「慈尊院」と「室生寺」をご紹介しました。
どちらも創建の理由は違いますが、女性のための高野山として親しまれ続けてきた由緒あるお寺です。
現在でも女性のためにそっと寄り添うような、優しい女人高野―――。
ぜひ、参詣してみてくださいね。

■所在地
○慈尊院
和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832

○室生寺
奈良県宇陀市室生78
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