和歌の魅力と歴史を知って、1句詠み、あなたも歌人になろう!
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和歌の魅力と歴史を知って、1句詠み、あなたも歌人になろう!
日本で数ある伝統芸能の中でも、特に歴史が深く、古くから教養として人々の中に浸透してきたものに和歌があります。和歌には「わか」という読み方と「やまとうた」という読み方の2通りありますが、総じて短歌形式の古典詩であることを指します。
今回は、そんな和歌についてその古い歴史を紐解いていくとともに、覚えておきたい代表的なものなどをご紹介していきたいと思います。ぜひ古来から伝わる伝統芸能に触れてみてください。
今回は、そんな和歌についてその古い歴史を紐解いていくとともに、覚えておきたい代表的なものなどをご紹介していきたいと思います。ぜひ古来から伝わる伝統芸能に触れてみてください。
和歌の始まりは伝説から
日本で和歌がどのような形で生まれ、それがいつの時代なのかは依然分かっておらず、すべては憶測にとどまっています。まずは、そんな謎に包まれた和歌の歴史から紐解いていくことにしましょう。
和歌の始まりとして有力なのが、スサノオノミコトが詠んだものとされています。スサノオノミコトとは、日本書紀に登場する神様で、ヤマタノオロチを退治したことで知られています。また、彼が詠んだ日本初の和歌というのが、以下のようなものとなります。
やくもたつ いづもやへがき つまごみに やへがきつくる そのやへがきを(八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を)
もちろんこれは伝説の一つなので、確かな情報ではないのですが、和歌がこういった形で始まったという説もあるのです。
一方、和歌といえば、「万葉集」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。実際に、万葉集には、貴族をはじめ防人などの、自由な思いを詠った和歌が多く残っています。この万葉集は、770~780年ごろに大伴家持によって編集されたことが分かっており、当時の天皇もその思いを和歌にしています。また、約4500首が収められているというこの万葉集は、日本最古の歌集でもあるのです。
その後平安時代になると、さらに和歌の地位は確立されます。貴族たちは挙って恋い焦がれる思いを和歌にし、異性へと送っていました。また、このころには「新撰万葉集」が編集されたほか、貴族たちの間で「歌合」と呼ばれる和歌の評論会も催されることとなっていたようです。
また、時代とともに、和歌も変遷していきます。平安時代だけでも、複数の歌集が生まれましたが、それらはすべて和歌の趣が異なり、それぞれに雰囲気が異なるものとなっています。
鎌倉時代になると、後鳥羽上皇の命で新古今和歌集が編集されるなど、貴族たちの中で和歌が再び盛んとなります。その後は近代を通じて、和歌の中でも派閥が生まれたほか、時代に沿った新しい和歌が作り上げられ、人々に愛されるようになっていくのです。
和歌の始まりとして有力なのが、スサノオノミコトが詠んだものとされています。スサノオノミコトとは、日本書紀に登場する神様で、ヤマタノオロチを退治したことで知られています。また、彼が詠んだ日本初の和歌というのが、以下のようなものとなります。
やくもたつ いづもやへがき つまごみに やへがきつくる そのやへがきを(八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を)
もちろんこれは伝説の一つなので、確かな情報ではないのですが、和歌がこういった形で始まったという説もあるのです。
一方、和歌といえば、「万葉集」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。実際に、万葉集には、貴族をはじめ防人などの、自由な思いを詠った和歌が多く残っています。この万葉集は、770~780年ごろに大伴家持によって編集されたことが分かっており、当時の天皇もその思いを和歌にしています。また、約4500首が収められているというこの万葉集は、日本最古の歌集でもあるのです。
その後平安時代になると、さらに和歌の地位は確立されます。貴族たちは挙って恋い焦がれる思いを和歌にし、異性へと送っていました。また、このころには「新撰万葉集」が編集されたほか、貴族たちの間で「歌合」と呼ばれる和歌の評論会も催されることとなっていたようです。
また、時代とともに、和歌も変遷していきます。平安時代だけでも、複数の歌集が生まれましたが、それらはすべて和歌の趣が異なり、それぞれに雰囲気が異なるものとなっています。
鎌倉時代になると、後鳥羽上皇の命で新古今和歌集が編集されるなど、貴族たちの中で和歌が再び盛んとなります。その後は近代を通じて、和歌の中でも派閥が生まれたほか、時代に沿った新しい和歌が作り上げられ、人々に愛されるようになっていくのです。
有名な歌集をご紹介
続いては、歴史ある歌集たちの内容をいくつかご紹介していきたいと思います。
1. 万葉集
まずは日本最古の歌集である万葉集ですが、こちらにはいくつか方言による和歌も残されているそうです。また、収められている和歌を詠んだ方々の身分もさまざまで、天皇から貴族、下級官人、防人などがいるそうです。
2.古今和歌集
続いては、日本初の勅撰和歌集である古今和歌集についてみていきます。勅撰和歌集とは、天皇や上皇の命で編集された歌集のことを言い、他に新古今和歌酒などもこれに当たります。こちらは醍醐天皇の命により編集された歌集で、主な撰者としては、紀貫之や紀友則などがいらっしゃいます。全20巻となっており、総首数1111もの和歌が編集されているそうです。
2. 後撰和歌集
古今和歌集、拾遺和歌集とともに三代集と呼ばれている勅撰和歌集です。こちらは成立年が不明となっていますが、村上天皇の命により勅撰されたことはわかっています。また、撰者がいないことも特徴な歌手であり、しかし当時の歌人である紀貫之や藤原兼輔のほか、女流歌人も和歌を寄せていることが分かっています。
このほかにも日本では数多くの歌集が編集されていたことが分かっています。興味がある方は、ぜひ調べてみてください。
1. 万葉集
まずは日本最古の歌集である万葉集ですが、こちらにはいくつか方言による和歌も残されているそうです。また、収められている和歌を詠んだ方々の身分もさまざまで、天皇から貴族、下級官人、防人などがいるそうです。
2.古今和歌集
続いては、日本初の勅撰和歌集である古今和歌集についてみていきます。勅撰和歌集とは、天皇や上皇の命で編集された歌集のことを言い、他に新古今和歌酒などもこれに当たります。こちらは醍醐天皇の命により編集された歌集で、主な撰者としては、紀貫之や紀友則などがいらっしゃいます。全20巻となっており、総首数1111もの和歌が編集されているそうです。
2. 後撰和歌集
古今和歌集、拾遺和歌集とともに三代集と呼ばれている勅撰和歌集です。こちらは成立年が不明となっていますが、村上天皇の命により勅撰されたことはわかっています。また、撰者がいないことも特徴な歌手であり、しかし当時の歌人である紀貫之や藤原兼輔のほか、女流歌人も和歌を寄せていることが分かっています。
このほかにも日本では数多くの歌集が編集されていたことが分かっています。興味がある方は、ぜひ調べてみてください。
有名な和歌をいくつかご紹介します
最後に、日本人なら知っておきたい、歴史ある和歌をいくつか紹介していきましょう。そもそも和歌は、ご存知五・七・五・七・七の形に整えるもののことですが、計31音の中に、枕詞や掛詞を用いて心情などを訴えるという趣向を凝らした風流なものでもあります。
1. 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
こちらは小野小町が詠んだとされる和歌です。百人一首に収納されているものなのですが、桜の美しさと自身の切ない思いを詠った和歌となっています。
2. 東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
こちらは太宰府天満宮でもおなじみの、学問の神様「菅原道真」の詠んだ和歌となります。出世街道を順風に上っていた菅原道真でしたが、反感を買い左遷されてしまいます。この和歌は、その思いを詠ったものとなります。
1. 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
こちらは小野小町が詠んだとされる和歌です。百人一首に収納されているものなのですが、桜の美しさと自身の切ない思いを詠った和歌となっています。
2. 東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
こちらは太宰府天満宮でもおなじみの、学問の神様「菅原道真」の詠んだ和歌となります。出世街道を順風に上っていた菅原道真でしたが、反感を買い左遷されてしまいます。この和歌は、その思いを詠ったものとなります。
試しに一句いかがですか?
いかがでしたか?いままで多くの歌人たちが和歌を詠んできましたし、これからもたくさんの和歌が誕生していくかと思います。ぜひ機会があれば、自分の気持ちに正直な一句を詠んでみてください。