能登最強の縁結びスポット! 気多大社で恋愛運&結婚運をUP!!

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石川県羽咋市にある気多大社は、神社本庁に属していない単立の神社です。 能登半島の付け根に鎮座し、奈良時代にはすでに『北陸の大社』として都にまで名が伝わっていた大きな神社です。 近年は縁結びによる絶大な効果があると人気を呼び、女性の姿やカップルの姿が多く見られます。 今回は気多大社の縁結び祈願をたっぷりとご紹介します!

ご祭神は縁結びの神様・大己貴命!

気多大社のご祭神は大己貴命という神様で、島根県にある縁結びの神社・出雲大社のご祭神・大国主命の別称です。 大己貴命はたくさんの女神と結ばれ、多くの子どもをもうけたことから『縁結び』の神様として有名です。 気多大社の社伝によれば、能登国がまだ越中国の一部であった時代のころまでさかのぼります。 船の航行を邪魔する怪鳥や湖にいる大蛇の悪さにより、人々が困り果てていました。 それを聞きつけた大己貴命が出雲から300あまりの眷属の神様を率いてやってきて、怪鳥や大蛇を倒したのです。 そして、越中国から能登国ができ、大己貴命が鎮座するようになりました。

創建の年代は孝元天皇または崇神天皇の御代と言われていて、ハッキリとはわかっていません。 しかし、古来より大社であることが知られ、平安時代に成立された延喜式神名帳には『気多大社 名神大』と載っていることから『名神大社』であったことがわかっています。 名神大社とは社格のひとつで、名神は古来より霊験著しい神様に対する称号のことです。 中世以降は能登国の一宮とされ、能登の中で最も社格の高い神社に位置づけられました。 能登を守護していた畠山氏や加賀藩藩主・前田利家をはじめ前田氏も、その強力なパワーを崇め、保護してきました。 利家の妻・まつも、身内の病気平癒を気多大社に祈願したほどです。 戦国時代を乗り越えてきた利家とまつのように固い絆を結べ、さまざまな困難を乗り越えられる縁をいただけるかもしれませんね。

古来から伝えられている強いパワーが現在も変わらずある気多大社。 今でも参拝者が絶えないのがうなずけます!

ついたち結びで縁結びをサポートしていただこう!

気多大社では毎月1日に、『ついたち結び』が行われます。 ついたち結びでは、1日の午前8時30分から行われる月次祭に先着100名の参拝客が参列できます。 月次祭では、神楽や祝詞、巫女舞、玉串の奉納などが行われます。 その後、本殿の背後にある禁足地『入らずの森』へ向かいます。 入らずの森には奥宮があり、大己貴命の父神・素盞嗚尊と母神・奇稲田姫命が鎮座しています。 奥宮は宮司以外、足を踏み入れられない聖域で直接参拝できません。 そのため、鳥居の前で礼をします。直接参拝はできませんが、境内に遙拝所があるのでそちらでお参りしましょう。 ちなみに、入らずの森の木々は平地の原生林としては第一級の森と言われ、国の天然記念物に指定されています。

また、月次祭に参列できなくても、なんと無料のお祓いを受けることができます。 入らずの森もいつでも鳥居の前までは行くことができるので、じっくりと自然を味わうのもいいではないでしょうか。

そして、境内には日本で唯一の縁結び専用祈願所である『気麗むすびどころ』があります! ここではハート型の絵馬があり、たくさん奉納されています。
同じく境内にある太玉神社の前には『むすび神苑』と書かれた石があります。 その石の上に小石を乗せると幸せになる、と言われています。 ぜひ、特別なついたち祈願にお参りしてくださいね!

8月の『心むすび大祭』に行ってみよう!

毎月1日にはついたち結びを開催していますが、毎年8月13日と14日には『心むすび大祭』が行われます!

無料お祓いはもちろん、巫女の衣装を着て禊ぎをする『みそぎ体験』も行われます。 独身女性に限り参加でき、巫女の衣装を着て入らずの森から流れ出る水で禊ぎをします。 手水舎の水で清めるのではなく本格的な禊ぎができるので、身も心もきれいにした状態で祈願ができるのです。

そして、13日の夜には『キャンドルナイト』も行われます。 境内にたくさんのキャンドルが灯され、幻想的な雰囲気の中、訪れた人々が願いを託します。 灯されたキャンドルの中で、能登半島地震の復興を感謝する巫女舞は神秘的で圧倒されます。

ぜひ、神秘的な雰囲気を味わいに8月に参拝してみてくださいね。

気多大社はメールで縁結び祈願ができるお手軽な神社!

気多大社では遠方などで参拝できな方のために、ホームページ(https://www.keta.jp/kigan/)の『心むすび祈願』から縁結び祈願ができるのです! 無料のアプリもあり、そちらから縁結びの願い事を送信したり、最新情報や特製待受画像のダウンロードができます。

願い事は送ってから一週間、本殿にお供えしてくれます。 願いが叶ったら時間を作って、ぜひお礼参りに行ってくださいね。

初穂料2000円のお守り!? 『きれい結び守』と『福縁的中守』をいただこう!

気多大社にはたくさんのお守りが授与されていて、どれも人気です。 その中でも目を引くのが、『きれい結び守』と『福縁的中守』です。 『きれい結び守』はきれいな心になることで良縁に恵まれるお守り。 『福縁的中守』は復縁や良縁に恵まれるお守りです。
その初穂料はひとつ2000円! ふつう、お守りは500~800円ですが、『きれい結び守』と『福縁的中守』が高めなのは一年間のお祓い料も入っているからなのです。

お守りをいただくと名前を本殿にあげていただくことができます。 そして、お守りと一緒に『祈願シール』を2枚いただけます。 1枚は携帯電話などに貼って、願いが叶ったらもう片方のシールを相手の人に渡すというものです。

1年間もお祓いをしてくれるなんて、縁結びの勇気をいただけそうです。 みなさんもぜひ、いただいてみてくださいね!

いかがでしたか。
能登随一の気多大社は、古くから地元の人々や武将たちから信仰さえてきた神社です。 その名の通り、『気が多い』神社ですから、疲れた時には癒されることでしょう。 そして、身も心も清められた後は、願い事を届けてゆだねてみてはいかかでしょうか。 きっと、大己貴命が力を貸してくれるでしょう。 ぜひ、北陸へ行った際にはお参りしてみてくださいね!

■所在地
〒925ー0003
石川県羽咋市寺家町ク1

気多大社にみる伝統の維持と新しい神社経営

能登半島にある気多大社は、2000年以上の歴史を持つ神社で、古くから能登国の一宮と見なされてきました。
この気多大社が、近年「恋愛成就・縁結びの神社」として、若い世代を中心に注目を集めています。その背景には現代の神社が直面する、厳しい現実と新しい神社のあり方が隠されていました。

能登一宮の格式も高い気多大社

石川県羽咋市にある気多大社は、能登の一宮として栄えた神社。縁起によると創建から2100年の歴史を持つという、神代の御代から続くといわれる古社です。境内には社殿の後ろに「入らずの森」と呼ばれる、国の天然記念物に指定された約1万坪の社叢があり、その中の奥宮に素戔嗚尊と奇稲田姫命が祀られています。

御祭神は大己貴命。孝元天皇の御代の頃、鳥に化けた魔王や大蛇に人々が苦しめられていました。この時に眷属を引き連れた大己貴命が、出雲より現れて化け物を退治し、この地に止まられたという伝説が残っています。大己貴命は別名を大国主命。出雲大社の祭神であり、毎年11月に神様が集まって全ての縁を取り決めるという逸話から、縁結びのご利益があるとして人気を集めている神様です。

共通点の多い気多大社の縁起にまつわる伝承

別の伝承では、大己貴命は出雲から因幡の気多崎に到着し、そこから能登国を平定した後、所口の能登生國玉比売神社に鎮祭され、そこから気多大社へ鎮祭されたとも伝えられています。また、大己貴命ではなく異国の王子が従者を率いて渡来し、能登一帯の鬼神を一掃したという説も伝えられています。

いずれにしろ、多くの人々を率いた人が能登半島を訪れ、その辺りを治め海路を開き発展させたというのが、実際に起きた事実に近いと考えられます。気多大社が文献に登場するのは、万葉集の大伴家持の歌ですが、その内容を見ると奈良時代には京都まで名が聞こえる、北陸地方の主要な神社だったのは間違いないようです。

縄文時代からの勢力をほのめかせる寺家遺跡

この地方に強大な勢力があったとする説は、気多大社の直ぐ近くで発見された寺家遺跡からも裏付けされます。寺家遺跡は気多大社から約800メートル離れた場所で発掘された、縄文時代から室町時代にかけての複合遺跡です。建造物では竪穴式住居や堀立柱建物、土塁のついた中世建築などが見つかっており、海からの攻撃に備えた要塞があったことをうかがわせています。製塩技術や鉄器の生産技術があったこともわかっており、高い武装力を持っていた勢力だったようです。

出土品にも各時代のものが含まれ、縄文・弥生土器から土師器・須恵器、陶磁器、銅鈴や貨幣、ガラス製品まで、幅広い種類が発掘されています。どうやらこの遺跡のあった場所には、気多大社の祭祀を行うための塩や鉄器、銅器やガラス器を生産する神戸(かんべ)と呼ばれる人々が住んでいたようで、気多大社と深い結びつきがあったと言われています。

このことは縄文時代には集落を作るほどの勢力が、すでにこの地にあったことを示唆しており、その後も室町時代に至るまで、変わらずこの地を治めていたと考えられます。神世の御代から続くと伝えられる、気多大社の成立時期もかなり信憑性が高いようです。

縁結び専用サイトまである恋愛成就の神社

気多大社は大己貴命(=大国主命)が祀られているために、恋愛成就で有名になったわけではありません。その背景には現代の神社経営の、厳しい現実が絡んでいるのです。

気多大社は2000年以上の歴史を持つ、格式の高い神社ですが、北陸の能登半島にあるため、どうしても知名度では他の神社に引けを取らざるをえません。そのため、現代ではその運営自体が厳しいものになっていました。これは何も気多大社だけの問題ではなく、多くの神社が抱えている厳しい現実でもあります。

参拝客を増やし、お賽銭やお守り、ご祈祷といったことで収入を得なければ、現代の神社経営は破綻に直面してしまいます。そのため神社としては、参拝客獲得のための活動が必要になってきます。ところが全国の神社の総括である神社本庁は、こういった集客・売名活動を快く思っていないのです。神聖な神様をホームページやアプリなどで汚したくないというのがその真意であり、決して間違ったことを言っているわけではないのですが、それでは神社は成り立ってゆきません。

こういったシガラミを断ち切り、自由な経営を目指して、気多大社は2005年から2010年までかけて、神社本庁から離脱する訴訟を起こしています。結果、最高裁まで持ち込んだ訴訟は、気多大社の勝訴で決着がつき、現在は神社本庁に属さない単立神社となりました。気多大社の公式ホームページを見ると、そのアピールの仕方が他の神社と異なる印象受けるのは、こういった背景が裏にあったからなのです。

親しみやすいのに長い伝統的を持つ気多大社

気多大社の公式ホームページは、画像をメインに据えたデザインで、見る人に強い印象を与えます。まるでおしゃれなレストランやファッションブランドのように見えますが、神社の由緒から主要な祭りや祭祀、交通の案内まで必要な事項はすべて網羅され、しかもわかりやすく作られたサイトです。スマホにも対応したフレキシブルデザインで、他の神社と一線を画しています。

公式のアプリはホームページに掲載されている由緒や催事の情報の他、待受画像や来訪スタンプを受け取れるサービスや、「かなった恋話・かなった願い事」を投稿する機能もついています。ナビ機能との連動もしているので、アプリがあれば今いる場所からの経路も検索できる優れものです。

インスタグラムやフェイスブックといったSNSも活用しており、掲載される写真のクオリティにも、ドローンを使った空撮など驚かされるものがあります。更新頻度も高く、ほぼ2、3日に1度のペースで写真や情報が掲載されるのも、認知度を上げている要因となっているのは間違いないでしょう。

2000年以上続く伝統を守るために、新しい神社経営に乗り出した気多大社。そこにはこれからの神社と私達との関わり方が見えてくるようです。
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