紫式部も愛した紫の藤の花

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桜の見頃が過ぎ、晩春に咲き誇るもう一つの花。その美しさにふと立ち止まってしまう藤の花。俳句では藤の花は晩春の季語にあたります。 滝のようにしたたり落ちる姿がとても優雅です。万葉集を始めとする日本の代表的な書物に藤の花は多く登場しています。

しっとりとした雨にも似合う、昼間には色濃く咲き、夜には慎ましやかな表情をみせる藤の花。
和歌や俳句に詠まれた藤の花の魅力とはいったいどのようなものだったのでしょうか。

平安時代の藤の花は高貴な花

平安時代よりもっと昔から藤の花は存在し、今よりももっと高貴で天皇や貴族に愛されていました。和歌に詠まれる藤の花を平安時代の歌人たちはどのように美しく表現していたのでしょうか。

『いささかに 思ひて来しを多古の浦に 咲ける藤見て 一夜経ぬべし』(万葉集/久米広縄(くめのひろなわ))

ほんのすこし藤の花を思って多古の浦に来てみたら、言いようもないほど美しく藤の花が咲いていた。その藤を見ていると寝ることも忘れてしまい一夜を明かしてしまうほどだ。
作者は、藤の花を見るために多古浦に足を運んでいます。そしてそのうつくしさを前にしたとき、寝る時間も惜しいほど美しいと詠んでいます。平安時代の和歌では度々、藤の花を思いびとに掛けて表現している素敵な歌もありますが、純粋に藤の花の美しさを表現したこの和歌もとても素敵です。

藤の花はあの名作・源氏物語にもゆかりがあった

今もなお評価され続けている平安時代の名作・源氏物語にも実は藤の花は大きく関わっていたのです。

平安時代には藤の花は高貴な花でした。紫の花びらは高貴な色として、源氏物語の作者・紫式部の紫も高貴な色の紫を意識して名付けられたと言われています。

藤の花・紫は紫式部にとって特別な存在

平安時代の傑作・源氏物語には、『紫』・『藤』を高貴な人物に名付けて登場させています。
自身にも名付けた『紫』は、源氏物語の中でどのように登場しているのでしょうか。 まず、源氏物語の冒頭に登場する『藤壺の女御』。 光源氏の父・桐壺帝の妃です。桐壺帝は物語に登場する最初の帝です。 藤壺と言われるこの女性は光源氏の義母であり、初恋の相手でもあります。 この物語では高貴な人物として登場しています。

名前の由来は、女御が住む中庭に藤の花が植えられていたところから命名されています。 実に高貴で美しいこの女性に紫の藤の花を重ね合わせています。

そして物語中ごろには、藤壺の女御の姪として『紫の上』という少女が登場します。藤壺に未練を残していた光源氏は、藤壺に似たこの紫の上に心を奪われ、その後、この女性を妻として迎えるのです。 藤壺に似ている紫の上を発見した時に光源氏が詠んだ和歌です。

『手に摘みて いつしかも見む 紫の 根にかよひける 野辺の若草』(源氏物語/第五帖)

手に摘んで早く見たいものだ。紫草にゆかりのある野辺の若草を

『紫の根』とは、ここではゆかりのあるものという意味で使われています。
光源氏の義母の藤壺の姪である紫の上は光源氏から見ればゆかりのある人です。さらにこの時代、紫草の根で染められた紫の色というものは最も高貴なものとされていました。
藤壺にゆかりのある高貴な美女に出会ったこの章は、光源氏のその後の人生を大きく変えていく章でもあったのです。

ところで、紫根とは何故ゆかりのあるものと言う意味があったのでしょうか。 その理由には紫の根で染めた懐紙や布を他のものと重ねておくと、その重ねたものにこの紫の色が移るということから紫根には、「近くにあるものを染める」=「ゆかりのあるもの」という意味で使われていました。

紫式部はこの物語の中で、藤や紫を大切な存在としてとりあげています。紫式部をも魅了した紫の藤の花は和歌や俳句にも彩りを添えてくれる高貴な花だということは間違いありません。藤の花を晩春のしっとりとした雰囲気に寄り添わせ、和歌や俳句に詠んでみてください。

江戸時代の俳諧でも藤は美しすぎる花だった

少し時代を先に進めて江戸時代を見てみましょう。
江戸時代の俳諧人といえば松尾芭蕉や与謝蕪村の名前が挙がることでしょう。
日本が誇る江戸時代の俳諧人もやはり藤の花の歌を詠んでいました。

奥の細道ではみちのくを過ぎ美濃国で芭蕉は、俳諧人・維然と出会います。俳諧の道をこの先も進んでいくのか悩んでいた維然に芭蕉はこの俳諧を送ったのでしょうか。

『藤の実は 俳諧にせん 花の跡』(松尾芭蕉/奥の細道)

藤の花と詠むには季節はずれ、芭蕉は「藤の花」ではなく「藤の実」と表現した一句です。

与謝蕪村は、まるで絵画でも見ているように美しい俳句を詠む俳画家として有名です。

『月に遠くおぼゆる藤の色香か』(与謝蕪村)

遠く月の光にうつる藤の花の艶やかさを表現しています。
五七五の十七音の中に、美しい言葉と風景を残す蕪村の技が光ります。

俳諧と絵画に精通していた蕪村ならではの表現力。藤の花が月のパワーで、より艶っぽく芳しい香りを放っている姿が目に浮かびます。

明治の俳人も晩年には藤の花に魅せられていた

晩年、床に臥せりながらも藤の花の美しさに心を奪われた明治の俳人・正岡子規。
紫のしたたり落ちるその美しさに魅せられ多くの歌を詠んでいます。

『持ちそふる 狩衣の袖に 藤の花』 (正岡子規/寒山落木)

野狩りの装束の袖の下に藤の花を持っていたのでしょうか。源氏物語を思い起こさせるとてもロマンチックに藤の花を詠んだ一句です。

『松の木に藤さがる画や百人首』 (正岡子規/寒山落木)

平安時代から松の木と藤は対で登場することが多く、それこそが藤の美しさを引き立てる最高の組み合わせと考えられており、源氏物語にも枕草子にもこの組み合わせは登場します。平安時代から現代まで藤の花のたおやかさに多くの人が魅了されてきた証拠です。

平安時代から江戸時代、明治時代と時代が移り変わっても藤の花のたおやかで控えめな美しい高貴な花というイメージは変わりません。
紫式部を始め、明治の俳人・正岡子規まで、実に多くの歌人、文人に愛された藤の花。人を誘い、雨を予感させるしっとりとした晩春の花です。
藤の花から連想されるものと美しく掛け合わせ、藤の花の美しさを引き出しながら、春の終わりの春らしい俳句を、自分好みに詠んでみるのもまた面白いかもしれません。
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