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仏像好きなら知っておきたい!仏教の開祖・お釈迦様って、どんな人?

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実は元・王子、って……知ってました?

お釈迦様が仏教に関係があるというところまでは知っていらっしゃっても、仏教の開祖であるということや、元々は、とある王国の王子だった、というところまではご存じない方が多いかも知れません。
そもそもお釈迦様とは実在の人物で、そのお釈迦様が悟られた悟りの内容を元にして、今日の仏教が発展してきたのです。
ですから、お釈迦様について知ることは、仏教についての理解を深め、仏像についてよりよく知ることにもつながってゆくのです。
以下に、お釈迦様の出自と生涯や、お考えを知ることができる書籍、さらにはお釈迦様をモチーフとした仏像や、お釈迦様に関するお祭りについて、ご紹介します。

お釈迦様の出自と生涯について

お釈迦様がお生まれになったのは、紀元前5世紀ごろのことです。
今のインドとネパールの国境付近にあった、釈迦族の王国の王子として、この世に生を受けました。
お名前は、ゴータマ・シッダールタ。ちなみに、ゴータマが名字です。
生まれて以来、特に苦難に遭うこともなく、恵まれた生活をしていたお釈迦様でしたが、そんな幸福な生活ができるのは、お釈迦様が王族だったからに他なりません。当時の市井の人々は、貧しさや病気など、大いなる苦しみの中で生活していたのです。
そのことに気づいたお釈迦様は、人々を苦しみから救う方法はないかと悩むようになります。そして、人々を救済する方法を見つけるため、王族の地位を捨てて、一介の修行者となったのです。これは、お釈迦様が29歳の時のことです。
その後、6年間の修行の末に悟りを開かれたお釈迦様は、人々を苦しみから救うための教えを広められることとなりました。これこそ、仏教の始まりだったのです。
その後、お釈迦様は80歳で亡くなられましたが、その教えはさまざまな形で発展を遂げ、今日に至っています。

元々のお釈迦様の教えに触れるには?

お釈迦様が悟りを開かれてから、すでに、およそ2500年もの年月が流れています。
その間、お釈迦様に端を発した仏教は、さまざまな名僧の着想を得て、さらなる発展を遂げてきました。
ですから、一口に仏教と言いましても、宗派の数も多く、その内容も異なっています。
では、元々のお釈迦様の教えとは、どのようなものだったのでしょうか。
元々のお釈迦様の教えは、今では初期仏教と呼ばれています。
幸いなことに、当時のお釈迦様にまつわるエピソードや教えの内容などは、仏典という形で残されており、日本語への翻訳を通じて、現代の日本に住む私たちも、その内容に触れることができます。
現在、日本で比較的、簡単に入手できるものとしましては、岩波文庫の『ブッダの真理のことば感興のことば』や『ブッダのことば スッタニパータ』があります。いずれも初期仏教の仏典を日本語に翻訳したもので、仏教の原点ともいうべき教えに触れることができます。
また、現代でも、スリランカの一部などには、スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)と呼ばれる仏教があり、初期仏教の面影を強く残していると言われています。
このスリランカ上座仏教の僧侶であるアルボムッレ・スマナサーラさんという方が、現在、日本に長く住んでおられ、スリランカ上座仏教に関連した日本語の書籍も多数、出版されています。
いずれの書籍も参考になるのですが、ここではスリランカ上座仏教の考え方に基づいて、怒りや欲に振り回されないことを説いた『執着しないこと』と、苦しみを離れるための仏教の教えである四聖諦について解説されている『これでもう苦しまない』を挙げておきます。
また、日本で書かれた研究書としましては、宮元啓一さんが書かれた『ブッダが考えたこと 仏教のはじまりを読む』や、白取春彦さんが書かれた『仏教「超」入門』などが参考になることでしょう。
初期仏教の教えは比較的シンプルで、一見、あっけなくも思えるのですが、そこには奥深いものが秘められており、知っておく価値は十分にあるものなのです。

意外!?お釈迦様も仏像になっていた!

仏像と言えば、大日如来や観音菩薩、不動明王に弁財天などが有名ですが、実はお釈迦様も仏像になっています。
お釈迦様をモチーフとした仏像は、釈迦如来像と言います。ちなみに、如来とは「真理を悟って体現する者」、という意味です。まさにお釈迦様にぴったりですよね。
釈迦如来像のお姿の特徴は、衣を身に着けていることです。しかし、これは多くの如来像に共通する特徴でもあります。
印相は施無畏印や与願印、説法印が一般的です。単体ではなく、両脇に計二体の仏像を従えた三尊像もよく見られます。なお、お付きの仏像は、文殊菩薩像と普賢菩薩像の場合が多いですが、他の菩薩の場合もあります。また、十大弟子などの眷属を従えておられる場合もあります。
釈迦如来像の有名なものとしましては、法隆寺金堂のご本尊となっている釈迦三尊像などが挙げられます。

毎年行なわれている、お釈迦様の生誕祭とは?

仏教の祖、お釈迦さまの心温まるお話と「レレレのおじさん」の意外な関係!?

あなたの描いた「お釈迦様」があなたの顔?

身をもって「避けられない死」を「理解させる」

さて、お釈迦様がまだ生きておられた、しかし悟りを開かれた後のお話。
インドにてある大金持ちに嫁いだ、ゴータミという女性がいました。
きっかけは、彼女が夫となるその男性を助けたことだったのですが、ゴータミの幸福は更に後になってやってきます。それ即ち、息子を授かったこと。しかし、かわいい盛りにその子は死亡。周りが「もう諦めよう」と葬式の準備を始める中、ゴータミは「死者を生き返らせる方法」を探して駆けずり回りました。
そんな中で出会ったのが、お釈迦様。何を思ったのか、お釈迦様は子を失ったゴータミにこう言いました。
「そんなに生き返らせたいなら、カラシの種(実?)を持ってきなさい」カラシ、つまりは一般家庭にもある調味料のこと。それならどこにでもある!と気色ばむ彼女に、こうも付け加えます。
「ただし一つ条件がある。『一度も死者を出したことのない家』からもらってくるのだ」女性は勢い込んで「死者を出したことのない家」を探しますが、カラシの種こそあっても「死者を出したことがない」という条件を満たす家はどこにもありませんでした。
有名なお話ではありますね。お釈迦様に言われる間もなく彼女は「死は避けられない。息子の死は受け入れなくてはならない」と身をもって知ったわけです。
その後出家したとのこと。周りの人々が言ったように「諦めなさい」と言葉ではなく、体験させることで諭し、悟りを開かせるのに至ったわけですね。

弟子に合った指導法

こうした方法は弟子にも活用されました。弟子の一人にチューラパンタカという人物がいたのですが、オブラートに包んだ言い方をすれば物覚えが悪い。出来のよろしくない人だったんですね。
兄がいたのですが、こちらは優秀。最初は弟に付き合っていたのですが、改めて見てみれば弟は経文も満足に覚えられないどころか自分の名前すら書けない。あまりの出来の悪さに「お前じゃお釈迦様の弟子は無理だわ、諦めて故郷に帰りなさい」と愛想を尽かしてしまいました。
兄「もう、諦めろ・・・」
弟「そんな・・・」
兄に見捨てられた、と落ち込むチューラパンタカに、お釈迦様は言いました。
「チューラパンタカよ。もう経文は読まなくていい。その代わり、掃除をしなさい(足を洗う、靴を磨くという説もあり)」出来はよろしくなくとも、兄に見捨てられても、お釈迦様の下で修業したい、悟りを開きたいという気持ちがあったんでしょう。
言われたとおり、誠心誠意「掃除」を実行。この時に経文を唱えさせた、との説もありますが、ともかくもある時遂にチューラパンタカは「悟り」に至りました。掃除(或いは足洗、靴磨き)は汚れもしくは垢を祓う行為。心の汚れも垢も取り去れば、そこには本来あるべき姿がある、ということなんでしょうか。経文を読むなど、どんな方法でも悟れる人は悟れる。お釈迦様は弟子に見合った「悟り」の方法を教えたんですね。人を見抜く目をも備えるとは、「悟り」と力恐るべし。

その弟子は・・・

周利槃特(しゅりはんどく)とも呼ばれるチューラパンタカですが、実は彼をモデルにした超有名キャラクターがいました。
そのキャラとは、『おそ松さん』、じゃなくて『おそ松くん』で知られるギャグマンガ界の巨匠、赤塚不二夫先生の代表作『天才バカボン』に登場します。
言われてみれば、何かしっくりくる要素が多々ありますね、このキャラ。そう、レレレのおじさんです。
「お出かけですかぁ~?」と言いながら常にホウキで掃除をしている彼のモデルが、お釈迦様の弟子だったんです。
「バカボン」という名前自体がお釈迦様を示す、という説もありますし、実は結構深い漫画だったんですね。
「これでいいのだ」という名言自体が深みを感じさせますし、チューラパンタカは頭こそよくなくとも「それでいいんだよ。君には君の修行方法がある」というお釈迦様の言葉のように思えてきます。パパがお釈迦様なのか、バカボンがお釈迦様なのか・・・。

「以心伝心」で後継者を決めた

さて、悟りを開き大勢の弟子をとったお釈迦様ですが、ある時霊鷲山(りょうじゅざん)という場所で有力な弟子たちを集めました。で、何をしたかと言うと花を一輪持って、皆に示して・・・。弟子たちは「どういう意味があるんだ?」とじっとお釈迦様を見つめていましたが、一人だけにこりと微笑んだ弟子が。彼の名は迦葉尊者(かしょうそんじゃ)。

お釈迦様は仰いました。「この者(迦葉尊者)を私の跡継ぎにする」と。どーゆうこっちゃねんと思われるでしょうが、どうやら「禅」の思想、よく言われる「以心伝心」という言葉が関係しているようなのです。とどのつまり言葉では表せない極意。それを迦葉尊者は感じ取り反応した。お釈迦様の方でもそのことを感じ取り、後継者に据えた、ということのようです。この一件は「拈華微笑」「無言の説法」という言葉で伝わっており、経文よりも座禅を組んで無我の境地に至ることが大切、という「禅」の形として残った模様です。

人生の長さは?

まとめ

「身長が4mほどあった」「餓えた虎の為我が身を犠牲にした」など人間離れした、或いは尊敬の念しか抱かせない印象のお釈迦様ですが、何となく親しみが持てましたでしょうか。

馴れ馴れしくする、とかではなくどんな人でも「悟り」、つまり幸福へ繋がる道はあるのだと思わせてくれるように思えてくることを願います。手塚治虫先生の『ブッダ』より。この作品では「悟る」までに体験した様々な苦悩が描かれています。

このシーンは予知能力を持った少年が「自分が死ぬ」予定の日、ブッダの努力にもかかわらず結局オオカミ親子の餌食になってしまうという・・・。

で、現代の漫画家によりヒッジョーに親しみやすいお釈迦様がご降臨されました・・・。中村光著『聖☆おにいさん』。お釈迦様、キリスト様が揃って現代に降臨して共同生活して、というお話。この中で手塚治虫の『ブッダ』全巻読破して泣いてました。

第一号はお釈迦様!菩薩がどんどん増えていく

菩薩とは

菩薩という言葉は、菩提薩?の略。
薩?は「衆生、もしくは人間」を意味しますが、菩提とは悟りという意味のサンスクリット語が元となっています。「悟りを得るために精進する者」といったところでしょうか。現在では、如来よりも下のランクで、「悟りを得て如来になる為修行中の身」という味方が一般的と思われます。しかし、ただ修行するだけじゃありません。
一生懸命になるのはいいのですが、そればかりやっていると視野が狭くなり、却って悟りの妨げになります。広い世界を見る、という意味があってのことかは分かりませんが、各菩薩には現世利益や、衆生を救うご利益が存在します。
またある時期からは、自身だけでなく衆生にも悟りを得させる役割が追加。その為に、あの手この手で人間たちの行動に介入することも多々あり、日本でも説話として残っています。

始まりは不安から

お釈迦様が80歳で入滅され火葬されて遺骨(舎利)を納めて。
そうなると、信者たちにある不安が沸き起こります。「お釈迦様いなくなっちゃったけど、誰が守ってくれるの?」と若干のパニック状態。しかし、人間追い詰められれば何かしら策は浮かんでくるもの。「そもそもお釈迦様おひとりという考えだから不安になるんだよ。きっと仏様はたくさんいて、世界も色々あるんだよ!」時は大乗仏教とほぼ同じ。こうして、現在の仏教の基礎ができました。
ちなみに紀元前。「仏の教え、仏道は永遠の物。じゃ、お釈迦様の前は?お釈迦様の前にも仏陀がいたんじゃないか?」というアショーカ王の考えにより、過去仏というものが誕生。
「仏陀が沢山いるなら、他の仏もいるんじゃないか」と、菩薩やら天部やらが生まれて行ったのですね。大乗仏教の誕生より300年ほど前ですが、アショーカ王、時代の先の先を行ってます。

肉付けされる仏教と菩薩

昨今ネットサーフィンをしていると、漫画にしろ小説にしろ、ネット上で人気作のファンが色々と考察や独自の解釈を述べる傾向があります。この風潮、仏教勃興時代すでにあったのですね。
即ち、仏の肉付けです。「きっと阿弥陀様にも如来時代があったに違いない」「こんな名前どう?」「悟るって並大抵のことじゃないから、きっと誓いを立ててたはず」インドと日本、仏教と創作物という違いはありますが、やっていることはそんなに変わっていません、薩た。いやさ人間。大乗仏教の誕生、隆盛に伴い、仏教や菩薩の肉付けは加速。
「色々変化する菩薩」「物凄く頭のいい菩薩」「記憶力を高めてくれる菩薩」などとどまるところを知らず状態。

観音菩薩のご利益

役目の変更

ソロ菩薩

オマケじゃないのよ、独尊じゃない菩薩

脇侍として祀られる音の多い菩薩もいます。だからと言って、如来様のオマケ扱いしないように。皆それぞれに意味や役割をお持ちなのです。
勢至菩薩:観音菩薩と共に、阿弥陀如来の脇侍とされる菩薩。頭に水瓶を着けているのが特徴。中には清浄な水が入っています。またの名を二十三夜尊。理由は、月待塔(つきまちとう)という、月の満ち欠けに関連する行事の二十三夜目のご本尊だから。
日光菩薩:薬師如来の左側に位置する脇侍。太陽を模したような持仏を持ちます。何も持っていなくとも立ち位置で分かります。
月光菩薩:薬師如来の右側に位置します。日光菩薩とは相方ですが、薬師如来と三人込々の説話も残っています。
他にも数え切れないほど存在するのが、菩薩。如来と比べても、数倍はいるのではないかという数ですが、悟るのはそれほど難しい、ということなんでしょうか。

親鸞が選んだ、元人間の菩薩

厳密には菩薩の名がつく高僧です。浄土真宗開祖の親鸞が選んだ七人の高僧の中にいました。
世親:インドの高僧。兄の無著もまた高僧として有名。またの名を天親といい、天親菩薩の異名をとります。「大乗仏教駄目だよー」という本と、「大乗仏教サイコーだよー」という180度主張の違う本をそれぞれ500冊ずつ出す、アグレッシブなお方です。
龍樹:またの名を龍樹菩薩。大乗仏教をきちんとまとめた人物です。

まとめ

路線変更、引き継ぎその他。何だか社会の縮図を思わせる菩薩の歴史でしたが、像容の華美、そしてひたむきさは本物です。実在の僧侶の中には変わり者もいました。それと同じく、ちょっと変わった趣の菩薩もいるのです。
なんにせよ、皆の願いの根本は同じ。そう、悟りと救世。今日も菩薩様方は、悟りのため、救世の為頑張っておられるのです。
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