仏像

アスラ神族とは

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阿修羅は一人の神。興福寺の阿修羅像人気により、そんなイメージをお持ちの方もいるでしょう。元々阿修羅は一族でした。
インドでの名前は、アスラです。
かつてはデーヴァという神々の一族に対し、司法や天の理、呪術などを司る一族と言った扱いでした。言ってみれば占い師のようなもので、デーヴァとは違う一族であるだけで取り立てて悪の要素はありません。
むしろアスラ神族の最高神、ヴァルナは秩序の下、人間たちを監視して悪事を働けば罰するなどしていました。
しかしそれは初期の話です。時代とともに人の心は移ろうもの。デーヴァ信仰が盛んになると、「悪役は必要だよね」とばかりに魔神化されました。
ヴァルナなど、比較的人気のある神はデーヴァ神族に入れられるなど、結構ひどい改変ぶりです。
デーヴァ神族はアムリタと言う秘薬を飲んだので不老不死の存在ですが、アスラは違います。アムリタ作りを手伝ったものの、「デーヴァにやるもんか、これは俺らのモンだ!」とばかりに独占しようとしたため、ヴィシュヌ神により取り上げられて不死のチャンスを失います。
中にはすさまじい修行の果てにデーヴァを越えるなど、少年漫画の主人公のような神もいました。
また、皆が皆悪神になったわけではなく、施しを行う神、良い政治を行う神も存在します。
仏教では修羅道に堕ちた者も阿修羅と呼びますが、アスラ神族と呼ばれた頃の名残りと考えた方がいいでしょう。
阿修羅が悪に走るきっかけとなった娘の拉致に端を発する帝釈天との確執ですが、アスラ神族の神の一人、プローマンの物語が元になっています。
プローマンは帝釈天(インドラ)に返り討ちにされますが、仏教に入った阿修羅は更なる過酷な運命を背負います。憎しみが募り、怒りの原因を忘れただただ戦いを挑むという運命です。
正義から悪への転落、そして僧侶(釈迦)による救済と善神への復帰と言う更なる掘り下げと肉付けのプロセスは、やはり少年漫画的のようで、感慨深いものがありますね。

大物如来と同一視?イラン神話での「アスラ」

「アスラ」の名を持つ神はイラン神話にも登場します。これは「たまたま同じ名前」というわけではなく、インドのアスラと同一視される存在です。
何故同じに見られるのか。イラン神話とインド神話は、同じ古代アーリア人により作られたからです。
古代アーリア人はインドに向かいましたが、一部はイランにとどまりました。この間に口頭での伝承を説き神話が生まれます。その為、インド神話とイラン神話は一部に通った部分が発生しました。アスラもその一例です。
イラン神話でのアスラは最高神のアフラ・マズダーと言う名前で呼ばれます。先にお話したヴァルナの別名です。後々アフラ・マズダーは宗教改革により神格に肉付けがされました。
「アフラ・マズダー、それは宇宙の理(ことわり)」つまり、宇宙そのものを神格化した形です。
仏教でも似た性格の存在がいました。奈良大仏として知られる毘盧遮那仏です。密教においては大日如来と呼ばれます。名称や性格がやや違うだけで同じ存在です。同じアスラなので、阿修羅と大日如来を同一視する見方も生まれました。
また、アスラ神族の王は名をヴィローチャナと言い、それをそのまま漢字にしたのが毘盧遮那仏です。

阿修羅の執念から生まれた修羅道とはどんなところ?

元々、仏教において衆生が暮らす世界は五道でした。天界、人道、畜生道、餓鬼道、地獄です。この五道に修羅道が誕生します。
「許さんぞ、帝釈天。次こそ負けんぞ、帝釈天」と言う執念の果てに生まれたと言っても過言ではありません。
何だか殺伐とした経緯で生まれた修羅道ですが、具体的にはどんなところなのでしょうか。
よく言われるのは、絶えず戦っていると言うことです。サバゲーとか言っている場合ではありません。本気のバトルです。そこにある感情は憎しみや怒りのみ。
ここに生まれる人は単なる戦闘狂や戦死者だけではありません。過剰な嫉妬心、正義感などを抱く人も修羅道の住民となり得ます。過ぎた正義感で暴走した阿修羅と同じです。「あいつは俺よりイケメンだ!」「私の方が優秀なのに!」と常に比較をしあい、戦うのが修羅道とされます。
阿修羅がお釈迦様に救われたように、争いに疑問を持てば抜け出して別の世界へと行くことは可能です。
他では常に戦闘状態かと言われれば意外とそうでもありません。寿命、形色、快楽に関しては人間界よりも上とされます。
例えば、食事。人間界のものよりも圧倒的な美味です。意外といい所かも?と思う所ですが、そこは修羅道。
地獄よりはましな場所であり、人道よりも下に位置する世界です。嫉妬心や逃走心だらけの者に、そんなうまい話は転がっていませんでした。
どんな美味でも、最終的には泥と化します。最初おいしくて、最後は泥と言う、上げて落とすスタイルです。
自分は自分、と強く自分を保つことが大切と言えるでしょう。

日食、月蝕は阿修羅が原因だった!?

大昔は科学が発達しておらず、自然の怪奇現象は神による怒り、或いは啓示とされていました。
今でこそ壮大な天体ショーとして親しまれるあの現象が、阿修羅と関係していました。その天体ショーとは、日食と月蝕です。
阿修羅像は大抵六本腕で、内二つの掌をかざしています。ここには日輪と月輪、つまり月と太陽が乗っていますが、これは「日食や月蝕を起こすほどの力を持つ」との表現です。
帝釈天との戦闘の際、太陽と月を掴んだとの説話もあります。戦闘時、阿修羅は体が大きくなり月や太陽を手で覆うほどになるというのです。
仏教において阿修羅は一人の神との見方が強いですが、生前に何事か罪業を成して修羅道に堕ちた四名の阿修羅王なる存在がいます。
その内の一人、羅?羅阿修羅王もまた日食や月食と関係がありました。修羅道に堕ちる人は嫉妬深いので、太陽や月が「頭上にあるのがムカつく」という妙なところに怒りを覚えます。何をするかと言うと、取って食べてしまうのです。
羅?羅阿修羅王を、先の不老不死の妙薬、アムリタを唯一飲んだアスラ神族、ラーフだともする説話もあります。
太陽と月の神がヴィシュヌ神に告げ口をすると「アスラ神族は飲んじゃ駄目だって言ったでしょ!」とヴィシュヌ神は円盤を投げてラーフの頭を跳ねてしまいました。
アムリタを飲んだので死ぬことはなく、「チクりやがったな!」と太陽や月を追い回しては時々かじるようになった、とのことです。

阿修羅は引っ越し族

阿修羅とは、八部衆の一員というだけではなく修羅道に生まれる者すべてを言います。
ある意味で阿修羅たちは引っ越し族です。しょっちゅう住処を変えませんが、究極の引っ越しをします。元々修羅道は天界の一部とされていましたが、後に海底へと居を移しました。
優れている者はいい所(海底の宮殿)に住むことができ、劣った者は岩山に住んでいます。
基本的に住まいを変えることはできませんが、究極の引っ越しは可能です。それ即ち、悔い改めること。
地獄の場合は決まった刑期(一番軽くて1兆6000億年超え)がありそれが終わるまで出られませんが、修羅道は「何でこんな所で戦っているのだろう」との疑問を抱くだけで出られます。

監修:えどのゆうき
日光山輪王寺の三仏堂、三十三間堂などであまたの仏像に圧倒、魅了されました。寺社仏閣は、最も身近な異界です。神仏神秘の世界が私を含め、人を惹きつけるのかもしれません。
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