犬走りの代表的な城「岸和田城」

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1 犬走り

 城の石垣と堀の間にある細長い通路部分のことを「犬走り」といいます。もともとは犬が通れるほどの幅しかないという云われからこう呼ばれました。
城郭においての犬走りは敵に侵入の足がかりを与えてしまうことになり、防御側から見ると非常に不利なように見えます。
なぜ、このような空地空間が作られたかについては、石垣、土塁などの崩落を防ぐために必要であったため、という説が有力です。

 ここでは「犬走り」がある代表的な城を見ていきます。

2 岸和田城

 岸和田には南北朝時代のころ、和泉の守護職として楠木正成の一族和田氏が築いた岸和田城(古城)がありました。
和田高家、正武二代の居城で岸和田駅の北方、野田町一丁目の「和田氏居城伝説地」」の碑が建つ周辺がその跡だといわれています。のち和田氏の一族である信濃氏(春木城主)が古城の地を受け継ぎました。このとき信濃氏があらたに築城した地が、現在の岸和田城二の丸の所と伝わります。しかし、二の丸の地に城を築いたのは永禄、元亀のころ(1558~73)松浦肥前守だとする説もあります。

 このころの岸和田城は、今の二の丸あたりが本丸で、海岸を背に築かれた簡素な造りでした。それを現在の本丸のほうへ拡大され、南に対する虎口に馬出し状の「あぶみ堀」が付け加えられました。さらにその南方には出城を配置して外郭を固めていました。旧小栗街道にかかる虎橋(岸和田市土生町今城)は、「虎口」の名残といわれ、橋の東詰崖上の府営住宅一帯がその跡で、松浦肥前守の家老松阪氏が守備していたと伝わります。これが初期岸和田城の形成でした。これ以後は紀州街道の要衝として、また紀州の押さえの城として本格的な近世城郭が築かれていきました。

慶長二年(1597年)小出氏の時には、五層の天守閣が完成しました。
元和五年(1619年)松平康重は入城後、城郭に総曲輪を置いて城下町を整備しました。次いで寛永十年(1633年)入城した岡部宣勝は、城郭を大改築しました。新しく設けた曲輪に、伏見城から櫓や城門を移築し、堺口、伝馬口の城門を整備しました。移築された伏見櫓は城内唯一の三層櫓で、五三桐の金箔瓦が屋根を飾っていたといわれ、二の丸の北隅に明治初めの破却まで存在しました。
堺口は堺町門とも呼ばれ、岸和田城下を通過する紀州街道の大坂側の城門で、紀州側の城門が伝馬口門でした。大手門は東大手、西大手、南大手の三箇所に開かれ、北面の浜辺には石垣を積んで、津田川沿岸の堤防を修築して外郭を整えました。「上田崖」と呼ばれたこの石垣の一部は、市内中町の児童公園脇に残されています。

 完成した岸和田城は、東西約370m、南北約650mの平城で、本丸・二の丸・三の丸を総曲輪を持った規模の大きなものでありました。その縄張は、本丸と二の丸が軸線に並ぶ天秤あるいは織機の「ちぎり」に似ていたため「千亀利城」の別名が生まれたといいます。さらに本丸の東と南下の「犬走り」と二の丸北東部の鉢巻き石垣は、石垣を補強するためのものですが、それが本丸や二の丸が大きな内堀内に浮く島のように見せて、美しさをいっそう強調させています。

この現存している内堀の石垣の下部に狭い幅の周堤帯が存在する。これを「犬走り」です。これは攻められている城側の防衛という点から考えると足場となってしまうために非常に不利であり、なぜわざわざこのようなものを設置したのかは判明していません。
専門家はこのあたりのもろい泉州砂岩で造られた石垣が崩れるのを防ぐためという説を出している。岸和田城のこの「犬走り」がある周辺の石垣は平成11年 (1999年)6月の豪雨で崩れて、現在は以前のものより強度のある花崗岩で補修されたため他とは色が違う石垣が組まれています。

 本丸にそびえていた天守閣は、文政十年(1827年)の落雷で焼失しました。以後再建されることがありませんでしたが、「正保城絵図」には、五層下見板張り千鳥破風付きの天守閣が描かれています。昭和二十九年に再建されたものは、三層の白亜で絵図とは無関係な模擬天守閣です。そのため木造で絵図に見る五層の下見板張りの天守閣に立て直そうとする長期計画案も出されています。

 岸和田藩主岡部家の初代宣勝は、寛永元年(1661年)隠居して別荘とした所が泉光寺でありました。以後、泉光寺は岡部家の菩提寺となり、境内には歴代城主の墓が並んでいます。

 岡部家の藩主代々は本草(薬草)学に熱心で、現在の裁判所付近に薬園があって整備されていました。なかでも九代藩主長慎の「重訂本草綱目啓蒙」は、本草学史上有名なものといいます。
五代城主長泰は、城の鎮守として京都の伏見稲荷を勧請したさいに、城下の人々がこれを大いに祝い、車をつけた箱に太鼓を乗せて賑やかに踊り歩きました。これが、今日のだんじり祭りで、九月になると飾り付けた地車が市内を引き回します。
地車と天守閣はよく似合う情景として、秋の岸和田に映えますが、昭和四十四年に再建された城門と隅櫓の城壁は緑の水堀と対比され岸和田城を一層美しく見せます。
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