沖縄一の石垣の美しさ、座喜味城跡

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1 沖縄のグスクの美しさ

沖縄のグスクには門や石垣など、非常に美しい建造物が多くあります。
たとえば、首里城の瑞泉門は内郭に構えられた八つの門のうちの一つで、アーチ門とはならず、城壁が分断された部分に木造の櫓が載る櫓門です。
そしてこの瑞泉門へ上る石階段の下に清らかな湧水が流れ出ています。
このため瑞泉門は「ひかわ御門」と呼ばれました。
湧水は龍樋と呼ばれる樋口から流れ出ており、城内の生活用水として、さらに中国からの冊封使が訪れた際には、その宿舎まで届けられました。
この龍樋は石製で1523年に中国から運ばれたもので、首里城に設置された彫刻物のなかで唯一当時のものです。

また、南城市には糸数城があります。糸数城の築城年代は明らかではありませんが、伝承によると三山時代に玉城按司が西方への守りとして三男を糸数按司に任じて築かせたといいます。
城は琉球石灰岩台地の先端を利用して築かれており、台地続きの東側から北側には高さ6mにも及ぶ石塁を築いて城壁としています。
この東側石塁に開口して正門が構えられています。切石積の立派なもので、上部には木造の櫓門が架けられていました。
また、南のアザナ(物見台)は野面積の東辺石塁に築かれています。切石積によって方形のテラスを突出させており、中国の城壁に見られる「馬面」の影響をうけた非常に美しいものです。

勝運城は阿麻和利の居城として知られています。人望の厚い阿麻和利は中山王尚泰久によって滅ぼされ、勝運城も使われなくなりました。城は勝運半島の二つの台地に北城と南城が築かれ、その間の平地も城壁に囲まれる構造で、琉球屈指の大グスクでした。現在は北城がほぼ往時の姿に復元整備されています。
その構造は頂部より一の郭、二の郭、三の郭を階段状に連郭に配したもので、絶壁に連なる石塁は圧巻です。

中越城は琉球の築城家として著名な護佐丸によって勝運城の阿麻和利に対する備えとして築かれたと伝えられています。この護佐丸は後に述べる座喜味城を建築した人物です。第二尚氏時代には琉球王の直轄地となり、王子の居城として利用されました。城は中城湾を望む標高150mの丘陵に位置しており、南の郭、一の郭、二の郭、三の郭を一直線上に配する連郭式構造となります。いずれの曲輪も虎口となるアーチ門の両脇の城壁がカーブして合横矢がかかるようになっており、軍事的に発達したグスクの虎口構造として注目されています。

今帰仁城は規模が大きく、歴史が古いものです。首里城と共に並ぶ沖縄の代表的兵城で、13世紀のころ英祖王系の今帰仁按司が築城したといいます。
初め天孫氏の一派がいましたが、権臣利勇がこれに代わり、利勇を滅ぼして舜天王が中山王となります。舜天王とは、鎮西太郎為朝の子といいます。その異母弟が大舜で北山王となります。やがて絶世の美人といわれた志摩真乙樽が愛育した丘春公子の時代となり、のち、今帰仁城は現在のような規模になりました。
規模が大きいだけに城壁のあとも壮大で、その美しさは必見です。

知念城は知念森城という別名のとおりの城です。「神降り初めの城」といって美しい野面積みの石垣に囲まれた丘上の森の中にあります。沖縄の霊地でもあります。この城の西方にある「新城」の部分は尚真王のころ、内間大親が築いたようです。
この人は古根大掟の養子ですが、実は尚真王の父・尚円と内間祝女との間に生まれた子で、のちに知念按司となりました。

2 石垣の美しさ、座喜味城

城原の山上にあり、読谷山城という別名があります。中城城を築いたことでも評価され、その築城術は沖縄の歴史上で第一級の人物で忠臣としても有名な護佐丸の手になる城です。
護佐丸は読谷山按司もつとめていました。のちにその護佐丸は王権を勝連按司の阿麻和利から守ろうとしましたが、阿麻和利は護佐丸が動く前に海上を横断し、中城湾を経て与那原に上陸、護佐丸の謀反を讒言し、王命を奉じて征討軍を率いて中城城を囲みました。
そこで護佐丸は抗弁もしないまま妻子とともに自決したといいます。この中城城は中城湾の海岸線に近く、百数十mの丘上にあります。その丘城ともいえる中城の城跡には、本丸・二の丸・三の丸跡を中心に本丸西側の城郭、正門内の城郭などがあった連郭式の城跡です。三の丸跡下の井戸や、本丸跡へ向かう石段の右側にみられる石積みは、ありありと往年の隆盛をしのぶことができます。特に三の丸跡や裏門にみられる城壁の積み方は「亀甲乱れ積み」として有名です。
初め、護佐丸は山田城(国頭恩納村字山田)にいましたが、中山王世子の尚巴志と北山王を滅亡させ、今帰仁城に入り、次に座喜味城を築いて、ここに移ったのです。
その築城にあたって、沖之永良部・喜界・与論の各島から人夫を集め、山田城を解体して、その建材を手渡して運ばせたという逸話が残っています。
のちに沖縄に来航したペリーは護佐丸の築城による城の堅固さと美しさに驚嘆したといいます。 
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