西洋画

印象派の中心的存在、エドゥアール・マネ

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印象派の中心的存在として、数多くの名作を生み出し続けた画家が、エドゥアール・マネです。
1866年に、モネが出品した作品とマネが間違えられて以来、二人の親交がスタートしたという話しが有名です。西洋近代絵画史上、重要な人物として知られているマネ。ここでは、知られざるマネの人生についてを紹介していきます。

謹厳な家庭で育ち絵画に触れる

エドゥアール・マネは、青年期パリ、セーヌ川の左岸にある、ボナパルト街にてマネは生まれました。1832年に生まれたマネは、3人兄弟の長男として生まれており、将来を期待された存在であったといわれています。画家というと、貧しい家庭に育つとか、複雑な家庭環境で育ってきたなど、これらの話しが定石となっていますが、マネの生まれた家庭は謹厳な家庭でした。

法務省の高級官僚であった父親は、レジオンドヌール勲章を手にするなど、非常に優れた人物でした。母親も、外交官フルエニ家であるなど、格式の高い家柄の息子として生きてきたのです。中学校は、コレージュ・ロランに入学しています。

この頃、マネは美術に初めて触れており、その奥深さに魅せられ、心の片隅で将来は画家になりたいと思うようになっていった、といわれています。伯父であったフルエニ大佐が大の美術好きであったことからも、ルーブル美術館など、数多くの美術作品を見ては自らもこの場所に作品が飾られることを、日夜夢見ていました。

特に、その中でも、「スペイン絵画館」で見たスペインのリアリズム海外に衝撃を受け、これをキッカケにマネは印象派というひとつの道を目指すキッカケを作ってきました。

画家の道へと進むキッカケ

絵画を非常に愛していたマネですが、謹厳な家庭環境の影響もあり、海軍兵学校を受験を両親のすすめにより受験することとなります。しかし、なかなか受験に合格することがなく、さらには練習船に見習い船員になり半年航海に出ていたのにも関わらず、また落選してしまいます。この頃、マネは17歳であり、この次々の落第により画家を目指したいことを両親に話します。

このことは、画家になりたいという意思が非常に強かったことからも、故意に受験に落ちていたのではないかといわれています。それほど、絵画を愛しており、自らもこの世界へと飛び込んで行きたいという、マネならではのアプローチだったのかもしれません。

そして、マネは両親の了解を得た後、アカデミスムの大家、トマ・クーチュールの弟子として活動をはじめ、画家としての第一歩を踏み出すことになったのです。

落選と初入選

画家を目指し、トマ・クーチュールに師事をしたマネ。6年間の間、マネは一心不乱に自らの技術を上げるために、絵画に力を入れ続けました。この期間、マネが自らの芸術作品を自由に創作するではなく、巨匠たちの作品を模写し続けたといわれています。

画家になりたいと思い、それを志す人物たちは、新しいものを作り、古きものを否定しがちですが、マネが基本である古典の模写に没頭としていたというのは、非常にリアリストであったことが伺える一面なのではないでしょうか。

そして、1859年にマネはついに『アブサンを飲む男』という作品でサロンに初出品をします。しかし、まだまだ力量不足であったマネは落選してしまいます。ただ、ドラクロワや、ボードレールといった時代を代表する芸術家には、非常に高い評価を受けており、一目置かれる存在となっていました。その後、その後ろ盾を自信にし、マネは精力的に絵画を懸命に描き続けて行きます。初出品の落選からの2年後、『スペインの歌手』と『オーギュスト・マネ夫妻の肖像』という作品をサロンへと出品します。

結果、この『スペインの歌手』と『オーギュスト・マネ夫妻の肖像』という作品がサロンに初入選を果たします。画家を目指して11年後、ついにマネはプロとして画家の道を歩こととなり、名作といわれる素晴らしい作品をここから多く生み出すことになっていくのです。

マネの作風

良く、比較されているモネとマネですが、画風は二人とも大きく違っています。例えば、モネの場合は光や時間、季節などの時間の移り変わりを、1枚のキャンパスの中へと閉じ込め、あたかもその絵の中で時間が流れているような、そういった画風で人気を博しています。

一方、マネの方はベースに、ヴェネツィア派、フランドル・オランダ絵画などにありますが、基本的には色彩が非常に鮮やかであり、平面的な印象を与える近代絵画の先駆けといわれている画風が有名となっています。立体感などを敢えて出さずに、写実主義を大切にし、表現主義という方法でさまざまな作品を生み出して行きました。

マネの場合、代表作の多くがヌード作品となっています。男性、女性が一緒にうつっているような絵画であっても、女性だけがヌードとなっていたり、当時としては衝撃的な作品をいくつも出しています。マネのそういった画風や表現は、当然ではありますが、当時の絵画界で大きな物議を醸すこととなります。

スキャンダラスな絵画

マネは、さまざまな人物と交流が深かった人物であるといわれています。シャルル・ボードレール、エミール・ゾラやステファヌ・マラルメなど、詩人などの文化人たちとも深く交流しており、その幅広い表現主義のもたらした、ひとつの殻に閉じこもらない、マネらしい人物交流図であるといわれています。

しかし、こういった目立つ文化人のなかでも目立つ存在であったマネですが、やはりスキャンダラスな作品を世に多く届けたことも要因のひとつです。

『草上の昼食』と『オランピア』という作品は、マネの代表作でもありますが、屋外で裸体の女性がいたり、娼婦を描いたものであることから、当時の人々から痛烈な批判を受けました。裸婦が悪いわけではなく、これら作品はヴィーナスであったり、神話のなかの女神を描いておらず、娼婦や不自然なシチュエーションなどを描いたことが、大きな話題となっていたのです。

しかしながら、マネは現代社会が抱えている闇であったり、さまざまな古典絵画の常識を崩して行くことで、新しい近代画の礎を築いて行ったことが後の活動からも分かって行きます。

そもそも、マネは古典絵画を愛し、その古典絵画に影響を受けたからこそ画家の道を歩み続けていました。だからこそ、自らの力で新たな芸術を生み出そうと革命をおこし、古典絵画だけに頼ることの無い絵画界を切り開こうと思ったのではないでしょうか。

謎多き画家マネ

謎の多い画家として常にさまざまな場所でいわれていたマネですが、名前が似ているクロードモネとの交流も盛んだったといいます。

自らの描いた作品が、モネと間違えられたことをきっかけに、この交流がスタートしていますが、マネはモネを大変評価しており、7歳年上でありながらも、モネについては「水のラファエロ」といって賞讃していることが分かっています。

さまざまなエピッソードなどを持つマネですが、唯一弟子として雇っていたのが、エヴァ・ゴンザレスという女性画家でした。

唯一の弟子として知られており、魅了溢れた女性であったことからも、印象派の画家たちにモデルとして雇われていたことも多く、その流れからか、マネが彼女を弟子にしたとされています。

マネは、物議を醸すような作品を描く一方、美しい風景なども描きます。さらに、さまざまな業界の人間たちと交流があり、その知識も人並みはずれたものであったといわれています。まだまだ、謎の多い画家であるマネ。これからも、素晴らしい作品たちで人々を魅了し続けていくのではないでしょうか。

マネが描いた代表作たち

西洋近代絵画史の代表的な存在である画家のひとりが、エドゥアール・マネです。古典絵画を愛し、研究し尽くしたマネは、新たな表現で敢えて新たな絵画の世界をつくりだし、多くの物議を醸しながら名作を遺していった人物です。

その人生は、多くの文化人たちとの交流や思い切った表現方法の絵画などの出品など、未だ多くの謎の包まれています。

しかし、彼の作り出す素晴らしい作品たちは、世界中の画家たちに大きな影響を与えており、今もなお、画家を目指すものにとっての神のような存在として君臨しています。ここでは、エドゥアール・マネの代表作をいくつか紹介していきます。

笛を吹く少年

マネの作品のなかで、最も多く人目に触れている作品が、恐らく笛を吹く少年でしょう。笛を吹く少年は、1866年にマネに描かれた油絵ですが、現在ではパリのオルセー美術館に所蔵されており、世界中からこの絵のために美術館に足を運ぶ人たちがいるほです。

この作品が生み出されたのは、後述する『オランピア』が物議を醸し、パリに居座っていられなくなったマネが、スペインへ旅行中の出来事が関係しています。スペインの美術館にて、マネがディエゴ・ベラスケスの「道化師パブロ・デ・バリャドリード」を見た時に、大きな衝撃を受けます。

背景が消えており、空気だけで人間が包まれているという評価をし、この技法から笛を吹く少年という作品が生まれています。フランス近衛軍鼓笛隊のマスコット的少年がモデルとなっているといわれていますが、鼻の部分だけはレオンという息子の鼻に似せてつくったのではないかといわれています。

しっかりと前を向く、精悍な顔つきの少年ですが、背景が無く、どこか平面的に描かれているのに立体感を示しているような印象を受ける、とても不思議な絵画となっています。眺めて行くと、作品のなかに引き込まれて行くような、独創的な雰囲気がとても印象的な作品となっています。

ゾラの肖像

マネは、多くの文化人との交流を持っていた人物ですが、そのうちのひとりが、このゾラの肖像のモデルとなった文豪の文豪エミール・ゾラという人物です。自然主義文学の代表者であり、美術評論家としても活躍をしていました。

絵画をこよなく愛していた彼は、オランピアが世間から痛烈に批判されているマネの作品を擁護していたことでも知られており、それ以来、深い交流を続けて行ったといわれています。

絵画のなかには、日本の花鳥画の屏風であったり、力士、オランピアなどが飾ってあるなど、これらの平面的な画風に興味を持っていたことが分かります。現在、パリのオルセー美術館に所蔵されています。

草上の昼食

マネの代表作でありながら、近代絵画史に残る問題作として知られてる作品のひとつが、草上の昼食です。素晴らしい絵画でありながらも、サロンの入選方針が大きく変わった時期だったため、草上の昼食は落選しています。

作品のなかでは、ジャケットをまとった男性と裸の女性がいます。さらに、リキュール瓶が飲み干されており、かなりその場にいる人物たちは酔っていることが想像できます。こういったところから、この絵を見る人物たちの想像力がよからぬ方に働き、尚かつそういった自分を戒めることとなり、その怒りがこの絵を描いたマネに向けられた、ということがいわれています。

リアリティのある、写真のような写実主義的な作風は、当時非常に危険視されており、これらたぐいの絵画が厳しく取り締まられる、そういったキッカケとなった大切な一枚となっているのです。

オランピア

マネの人生のなかでも、大きな転機となった作品は、オランピアという作品でしょう。パリには、当時は12万人を超える娼婦がいたといわれており、当時のフランスの経済状況がとても悪かったことが伺えます。当時、上流階級に気に入られることにより、地位を高めることができた娼婦は、厳しい女性たちの生活のなかではひとつの憧れとなっていました。

そんな高級娼婦を目指している女性たちが集っていたのが、このオランピアという劇場だったのです。

ヴィクトリーヌという、マネの愛人とされていた人物がモデルとなっていますが、この作品が問題となったのは、女神などの神聖なものでない、裸婦を描いたからといわれています。黒人女性の召使いや、使い古したサンダル、さらにこちらを見つめる娼婦といったように、非常に写実的であり不道徳というレッテルを貼られてしまったわけです。

ただ、マネはこの絵画の説明をしているわけではなく、何か娼婦と気付く心辺りがあるような男性、または古典芸術主義者たちにより、芸術への冒涜ということで批判を強く受けます。

しかし、娼婦たちは、こういった生き方でしかやっていけない、という社会的なメッセージ性も強く含まれており、マネの思惑通りは大きな物議は醸すこととなりますが、今も問題作として扱われているようになっているのです。

タールを塗られるボート

マネは、往年になっていくと、より印象派らしい作風へと変化していきます。それが、タールを塗られるボートという作品でハッキリと分かり始めます。

1873年夏に描かれている作品ですが、鈍く黒い光が特徴的な作品となっています。滑らかに、より輪郭をハッキリとさせて描かれていた1860年代とは打って変わり、ぼかしなども感じられる作風となっていった70年代のマネの代表作といえます。

浜辺に打ち上げられたボートを火で炙る乗組員と空、そして大きな海といった、叙情的で詩的な印象を与える作品となっています。

フォリー=ベルジェール劇場のバー

マネが、この世を去る前年の1881年に描かれた名作が、フォリー=ベルジェール劇場のバーという作品です。

フォリー=ベルジェールという場所は、演劇であったり、コンサートであったり、さまざまな催しが開催されていたミュージックホールとして人気のあった場所です。

この、絵画にはさまざまな要素が取り入れられているということで、絵画ファンからは、長年良い意味で問題作として扱われています。中心にたたずむ女性の物悲しそうな目、しかしながら、その奥の瞳には強い力を感じさせる要素も眠っているように思われます。

女性の人生の全てを語っているような、そういった一瞬が切り取られたかのような、美しくも寂しさを感じさせる作品です。

ガラス花瓶の中の白いライラック

マネが、亡くなった年に描かれた作品が、ガラス花瓶の中の白いライラックという作品です。

印象派らしい、あたたかみのあるタッチが印象的な作品ですが、さまざまな問題作を描き続けてきたマネの、どこか優しさや、全てをやりきったという、そういったメッセージも感じさせる印象を持つ作品です。

色使いも柔らかく、さらには冷たいイメージを持つ花瓶に関しても人間が持っている温度を感じることができる、名作として残っています。現在、ベルリンの美術館に所蔵されています。

マネの作品たち

マネは、印象派にとってとても重要な人物であることはいうまでもありません。技術面だけではなく、マネが残して行った作品には、どれも強いメッセージ性が込められているといわれています。

さらに、構図がユニークであったり、後から美術評論家たちが血眼になり、その絵画の描かれた背景を探ろうとする探究心をも与える、まだまだ問題作ばかりです。マネの作品は、さまざまな有名美術館に所蔵されています。機会があったら、ぜひ1枚づつマネの人生を思いながら鑑賞してみてください。
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