20世紀最大の芸術家、世界中に多大なる影響を与えたパブロ・ピカソ
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20世紀最高の現代芸術家といえば、間違いなくパブロ・ピカソでしょう。キュビズムという、幾何学的なパターンを独自の理解と構築で仕上げた、立体的な作風が人気です。
パブロ・ピカソは、画家としての一面が多く取り上げられていますが、彫刻や舞台芸術など、さまざまなジャンルの作品を手掛けていることでも知られています。
絵画に関しては、1万3500点を残しているといわれており、挿絵はおよそ3万点、彫刻や陶器も多く残すなど、多産な芸術家としてギネスにも認定されているほどです。代表作である、「ゲルニカ」をはじめ、数多くの名作を世に送り出してきたピカソ。今回、ここではパブロ・ピカソの人生などをご紹介していきましょう。
パブロ・ピカソは、画家としての一面が多く取り上げられていますが、彫刻や舞台芸術など、さまざまなジャンルの作品を手掛けていることでも知られています。
絵画に関しては、1万3500点を残しているといわれており、挿絵はおよそ3万点、彫刻や陶器も多く残すなど、多産な芸術家としてギネスにも認定されているほどです。代表作である、「ゲルニカ」をはじめ、数多くの名作を世に送り出してきたピカソ。今回、ここではパブロ・ピカソの人生などをご紹介していきましょう。
ピカソの作品の概要
パブロ・ピカソは、さまざまな作品を残していますが、「ゲルニカ」のようなキュビズム時代に入ったのは後期のことでした。それまでは、陰鬱な世界観を表現した作品を多く描いており、さまざまな時代を経て、自らの芸術を完成させていっています。
「青の時代」にはじまり、「ばら色の時代」、「アフリカ彫刻の時代」を経て、ついに「分析的キュビズム」、「総合的キュビズム」という分類で分けて語られることとなります。画風は非常に難解なキュビズムをベースにしたものですが、パブロ・ピカソ自信はシュルレアリスムに多大なる影響を受けたということを伝えています。
多作なパブロ・ピカソだけに、オークションでもたびたびその作品が競売にかけられていることでも有名です。最も高額な価格がつけられたものに関しては、ニューヨーク・クリスィーズにて競売にかけられた「アルジェの女たち」であり、その価格は1億8000万ドルという破格の価格だったといわれています。
全て多額の落札額となることからも、ピカソには愛人が多くおり、ある種では遺産を狙っていたという不穏な噂も飛び交っています。常にスキャンダラスな人生を送っていたからこそ、彼の生み出す芸術作品の価値も高まっていくのでしょう。
「青の時代」にはじまり、「ばら色の時代」、「アフリカ彫刻の時代」を経て、ついに「分析的キュビズム」、「総合的キュビズム」という分類で分けて語られることとなります。画風は非常に難解なキュビズムをベースにしたものですが、パブロ・ピカソ自信はシュルレアリスムに多大なる影響を受けたということを伝えています。
多作なパブロ・ピカソだけに、オークションでもたびたびその作品が競売にかけられていることでも有名です。最も高額な価格がつけられたものに関しては、ニューヨーク・クリスィーズにて競売にかけられた「アルジェの女たち」であり、その価格は1億8000万ドルという破格の価格だったといわれています。
全て多額の落札額となることからも、ピカソには愛人が多くおり、ある種では遺産を狙っていたという不穏な噂も飛び交っています。常にスキャンダラスな人生を送っていたからこそ、彼の生み出す芸術作品の価値も高まっていくのでしょう。
孤独を嫌ったピカソ
芸術家というと、孤高の存在であり、他人と相容れないというイメージが強いといわれています。
しかしながら、ピカソの特徴は孤独がとても苦手であったということです。ギヨーム・アポリネール、ガートルード・スタインといった、画家の仲間たちと常に時間を過ごしていたと言われており、さらには妻だけでは物足りず、愛人も数多く作っていたことで知られています。
しかしながら、ピカソの特徴は孤独がとても苦手であったということです。ギヨーム・アポリネール、ガートルード・スタインといった、画家の仲間たちと常に時間を過ごしていたと言われており、さらには妻だけでは物足りず、愛人も数多く作っていたことで知られています。
恋に生きた芸術家ピカソ
妻がいながらも、多くの愛人を作っていたということで知られているピカソ。しかし、ピカソが結婚をしたのは生涯2回だけであり、その数は案外多くないようです。ピカソが恋をした女性たちは多く、フェルナンド・オリヴィエ、エヴァ・グール、マルセル・アンベール、マリー・テレーズ・ワルテルなどです。
それぞれに、ピカソが彼女たちをモチーフとした作品を残しており、名作として絵画ファンからも厚い信頼を得ています。そんなピカソですが、非常に気性が荒いこともで知られています。1916年にピカソは、セルゲイ・ディアギレフが引率していた、当時最高峰と謳われていたロシア・バレエ団の舞台美術の担当になります。
そして、貴族出身であったオルガ・コクローヴァと出会い、恋に落ちて結婚をします。しかし、最初は貴族出身のオルガ・コクローヴァに合わせていたものの、直ぐにその気持ちが褪せてしまい、結果衝突が絶え間なく続いていたといわれています。
この頃にもピカソは愛人がおり、そちらと結婚をしたかったようですが、オルガ・コクローヴァとの結婚で遺産を半分渡すことになるために、オルガが亡くなるまでは愛人として関係を続けていたと言われています。
それぞれに、ピカソが彼女たちをモチーフとした作品を残しており、名作として絵画ファンからも厚い信頼を得ています。そんなピカソですが、非常に気性が荒いこともで知られています。1916年にピカソは、セルゲイ・ディアギレフが引率していた、当時最高峰と謳われていたロシア・バレエ団の舞台美術の担当になります。
そして、貴族出身であったオルガ・コクローヴァと出会い、恋に落ちて結婚をします。しかし、最初は貴族出身のオルガ・コクローヴァに合わせていたものの、直ぐにその気持ちが褪せてしまい、結果衝突が絶え間なく続いていたといわれています。
この頃にもピカソは愛人がおり、そちらと結婚をしたかったようですが、オルガ・コクローヴァとの結婚で遺産を半分渡すことになるために、オルガが亡くなるまでは愛人として関係を続けていたと言われています。
戦争を嫌ったピカソ
パブロ・ピカソは、「ゲルニカ」という20世紀史上最も破壊力のある絵画を制作していますが、平和主義者であり、あまり反戦に関心が無かったといわれています。画家などのなかには、平和を脅かす戦争やテロは積極的に身を乗り出すものですが、第一次世界大戦、スペイン内戦、第二次世界大戦とピカソは声を潜め続けていたとして知られています。
スペインの暗黒時代といわれているフランコとファシズムには意を唱え、作品で痛烈に批判したものの、共和国市民軍へは関心が無く、画家として作品を描き続ける道を選んでいます。
しかし、「ゲルニカ」に関しては非常に強いパワーをピカソ自身も感じていたようで、ドイツ国防軍の将校からゲルニカを書いたのはお前かと言われた時に、「お前達だ」というように答えている記録も残っています。
また、フランコ政権を徹底的に批判しており、自ら追放者となって没するまで抗い続けていたとして知られています。後に、ヴィシー政権がスペインを統治しますが、ピカソはそれでもパリから離れずに制作を続けていました。ヴィシー政権の逆鱗に触れたのか、ピカソは作品を発表することを禁じられますが、アトリエで銅像や絵画を作り続けたといいます。その後、フランス共産党に入党しているものの、トラブルを多く起こしていたとのことです。
スペインの暗黒時代といわれているフランコとファシズムには意を唱え、作品で痛烈に批判したものの、共和国市民軍へは関心が無く、画家として作品を描き続ける道を選んでいます。
しかし、「ゲルニカ」に関しては非常に強いパワーをピカソ自身も感じていたようで、ドイツ国防軍の将校からゲルニカを書いたのはお前かと言われた時に、「お前達だ」というように答えている記録も残っています。
また、フランコ政権を徹底的に批判しており、自ら追放者となって没するまで抗い続けていたとして知られています。後に、ヴィシー政権がスペインを統治しますが、ピカソはそれでもパリから離れずに制作を続けていました。ヴィシー政権の逆鱗に触れたのか、ピカソは作品を発表することを禁じられますが、アトリエで銅像や絵画を作り続けたといいます。その後、フランス共産党に入党しているものの、トラブルを多く起こしていたとのことです。
新たなアプローチを楽しむピカソ
ピカソの評価が高まるなか、ピカソは晩年になるとユニークな試みをはじめます。それが、巨匠たちの描いてきた作品をピカソ流にアレンジをして、新たな作品を生み出すというものです。
ディエゴ・ベラスケスをベースにした作品が特に有名ではありますが、ゴヤ、プッサン、マネなど、印象派などもキュビズムという手法で新たな命を絵画に吹き込んでいきました。
さらに、「ミステリアス・ピカソ 天才の秘密」という映画作品にも協力をしており、この時にも書き下ろしということで作品を多く描いています。しかしながら、映画の公開が終了した後には作品は全て破棄されており、現在ではその絵画をその目で見ることはできません。
今映画は、非常に高い評価を獲得しており、第9回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞しただけではなく、フランス国宝としてこの映画が選ばれています。
ディエゴ・ベラスケスをベースにした作品が特に有名ではありますが、ゴヤ、プッサン、マネなど、印象派などもキュビズムという手法で新たな命を絵画に吹き込んでいきました。
さらに、「ミステリアス・ピカソ 天才の秘密」という映画作品にも協力をしており、この時にも書き下ろしということで作品を多く描いています。しかしながら、映画の公開が終了した後には作品は全て破棄されており、現在ではその絵画をその目で見ることはできません。
今映画は、非常に高い評価を獲得しており、第9回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞しただけではなく、フランス国宝としてこの映画が選ばれています。
エロティックな作風で後に影響を与える
ピカソは、晩年になっていくと驚きのアプーチで作品づくりを開始します。それが、エロティックな銅版画の作成です。男性器や女性器をモチーフとしたような作品や、女性と男性が交わっているような印象を与える作品など、数多くのエロティックという観点から新たな作品を生み出し続けていきます。
しかし、これは当時の多くの芸術家たちから大変不評であり、「狂った老人のめちゃくちゃな作品」や「時代遅れの画家の暴走」など、散々な言われようだったことで知られています。
しかしながら、既に名声と自らの芸術を確立していたピカソは、「子どもらしい作品がやっと作れるようになった」ということを語っており、純粋に愛と現実から目をそむけることができない、男女間の愛の大切さを貫き、伝え続けました。
結果的に、新表現主義というのちの美術様式に多大なる影響を与えることとなっており、現在では非常に高く評価されているシリーズとなっています。
しかし、これは当時の多くの芸術家たちから大変不評であり、「狂った老人のめちゃくちゃな作品」や「時代遅れの画家の暴走」など、散々な言われようだったことで知られています。
しかしながら、既に名声と自らの芸術を確立していたピカソは、「子どもらしい作品がやっと作れるようになった」ということを語っており、純粋に愛と現実から目をそむけることができない、男女間の愛の大切さを貫き、伝え続けました。
結果的に、新表現主義というのちの美術様式に多大なる影響を与えることとなっており、現在では非常に高く評価されているシリーズとなっています。
ピカソという存在
キュビズムという新たな作風を確立しただけではなく、20世紀の美術界に多大なる影響を残したピカソ。
国立ピカソ美術館という場所がありますが、紙に書かれた作品が3000点、ほか、400点ほどが展示されている、世界最大のピカソ美術館として人気です。死後、その名声が高まるに連れてオークションでもピカソの作品は高騰。
数百億円を超えるような価格がつけられるなど、作品の素晴らしさだけではなく、その存在自体の大きさを今も尚見せつけられています。パブロ・ピカソこそ、今後も数世紀に渡り賞讃され続ける芸術家なのです。
国立ピカソ美術館という場所がありますが、紙に書かれた作品が3000点、ほか、400点ほどが展示されている、世界最大のピカソ美術館として人気です。死後、その名声が高まるに連れてオークションでもピカソの作品は高騰。
数百億円を超えるような価格がつけられるなど、作品の素晴らしさだけではなく、その存在自体の大きさを今も尚見せつけられています。パブロ・ピカソこそ、今後も数世紀に渡り賞讃され続ける芸術家なのです。
パブロ・ピカソの代表作
20世紀最大の芸術家として、美術ファンのみならず、世界中の人々に多大なる影響を与えたのが、パブロ・ピカソです。
「ゲルニカ」に代表される、メッセージ性の強い独特の作風で美術界に大きな影響を与えました。画家として活躍する一面が多く話題となるパブロ・ピカソですが、実は彫刻家であり版画家であり、舞台デザイナーや詩人としても活躍していました。
視覚美術の第一人者として知られているピカソは、同時期にアンリ・マティス、マルセル・デュシャンなどの仲間と一緒に芸術革命を起こしました。今回、ここでは、伝説の画家「パブロ・ピカソ」の代表作について紹介していきます。
「ゲルニカ」に代表される、メッセージ性の強い独特の作風で美術界に大きな影響を与えました。画家として活躍する一面が多く話題となるパブロ・ピカソですが、実は彫刻家であり版画家であり、舞台デザイナーや詩人としても活躍していました。
視覚美術の第一人者として知られているピカソは、同時期にアンリ・マティス、マルセル・デュシャンなどの仲間と一緒に芸術革命を起こしました。今回、ここでは、伝説の画家「パブロ・ピカソ」の代表作について紹介していきます。
「人生」
ピカソには、青の時代といわれているシリーズの作品があります。そのシリーズの中でも、最も重要といわれているのが、「人生」という作品です。1903年に制作されたこの「人生」は、絵画の前で悲壮感漂う裸体の男女と子を抱きかかえた聖母が描かれた作品です。
全体的に薄暗い青を使用した色彩となっており、どこかただならぬ空気感が全体を支配しているように感じさせます。この絵画の若い男女にはモチーフがおり、片方がカルロス・カサジェマスという親友で片方がその恋人のジェルメールという女性です。
この作品は、ピカソが、カルロスが失恋で悩んでいることを、慰めるために描いたといわれています。しかし、最終的にはカルロスは思い悩み、女性を誘い出し拳銃で撃ち自らも頭を打って自殺しています。
女性は、死んだふりをしていたので生きてはいましたが、双方を救えなかったピカソが自責の念に苦しんでいた頃の作品といわれています。母子像と共に、どこかピカソの内面が映し出されているような、精神的メッセージの強い作品として今も人気を博しています。
全体的に薄暗い青を使用した色彩となっており、どこかただならぬ空気感が全体を支配しているように感じさせます。この絵画の若い男女にはモチーフがおり、片方がカルロス・カサジェマスという親友で片方がその恋人のジェルメールという女性です。
この作品は、ピカソが、カルロスが失恋で悩んでいることを、慰めるために描いたといわれています。しかし、最終的にはカルロスは思い悩み、女性を誘い出し拳銃で撃ち自らも頭を打って自殺しています。
女性は、死んだふりをしていたので生きてはいましたが、双方を救えなかったピカソが自責の念に苦しんでいた頃の作品といわれています。母子像と共に、どこかピカソの内面が映し出されているような、精神的メッセージの強い作品として今も人気を博しています。
「サルタンバンクの家族」
ピカソのバラ色の時代に描かれた重要作として知られているのが、「サルタンバンクの家族」という作品です。サルタンバンク一家をモチーフとしたこの作品ですが、彼らは大道芸人として放浪の旅を家族で続けていたようですが、ピカソはこの時期に彼らをモチーフとした作品を多く描いています。
サーカスというと享楽的なイメージではありますが、彼らはサーカス一家の中でも最下層にいた人々ともいわれており、どこか陰鬱な表情を浮かべています。
また、一人一人目を合わすことがなく、孤独や辛さ、人生への悲しみなどが伝わってきます。この頃のピカソの作品は、キュビズムほどの立体感はありませんが、どこか構図が独特なのがピカソの非凡さを高めているようです。
サーカスというと享楽的なイメージではありますが、彼らはサーカス一家の中でも最下層にいた人々ともいわれており、どこか陰鬱な表情を浮かべています。
また、一人一人目を合わすことがなく、孤独や辛さ、人生への悲しみなどが伝わってきます。この頃のピカソの作品は、キュビズムほどの立体感はありませんが、どこか構図が独特なのがピカソの非凡さを高めているようです。
「アヴィニョンの娘たち」
ピカソの作品群における、最重要とされている作品のひとつが、この「アヴィニョンの娘たち」という作品です。バルセロナのアヴィニョ通りという場所にあった売春宿にいた、5人の売女たちをモチーフとした作品です。
非常に巨大な作品として知られており、243.9cm × 233.7cmというサイズの大作として知られています。顔かたちはもちろん、構図、女性達の体のラインを、不一致で美しさを感じさせないこの作品は、当時は大変な物議を醸したといわれています。
ピカソ自身の友人や美術評論家たちも、この作品において厳しい批評を投げ方といいますが、結果的にはプリミティズム・アートを取り入れたことで、当時の芸術の概念を完全に崩したとして評価されました。
ジョルジュ・ブラックという人物は、特にこの作品に嫌悪感を示したようですが、後にもっともキュビズムという芸術様式を愛し、そして自らも表現者として活躍することになります。
非常に巨大な作品として知られており、243.9cm × 233.7cmというサイズの大作として知られています。顔かたちはもちろん、構図、女性達の体のラインを、不一致で美しさを感じさせないこの作品は、当時は大変な物議を醸したといわれています。
ピカソ自身の友人や美術評論家たちも、この作品において厳しい批評を投げ方といいますが、結果的にはプリミティズム・アートを取り入れたことで、当時の芸術の概念を完全に崩したとして評価されました。
ジョルジュ・ブラックという人物は、特にこの作品に嫌悪感を示したようですが、後にもっともキュビズムという芸術様式を愛し、そして自らも表現者として活躍することになります。
「おもちゃの舟を持つ少女(マヤ・ピカソ)」
ピカソの娘を描いた作品として知られているのが、「おもちゃの舟を持つ少女(マヤ・ピカソ)」という作品です。ピカソは、思春期を迎えた性への悩みを持つ少女や、大人の苦悩、世の中の不平不満を中心に描いてきた作家として知られています。
しかしながら、こういった愛くるしい自らの娘が無邪気に遊んでいる風景も切り取っており、どこか心が和むような仕上がりとなっています。キュビズムの方式が取られていますが、シュールレアリスム様式をベースにしているようです。
色彩も独特であり、チェック柄の絨毯の上で無邪気に遊んでいる娘の姿が映し出されています。「おもちゃの舟を持つ少女(マヤ・ピカソ)」について、ピカソは暗いものばかりが自分のモチーフでは無いとハッキリと言っていたようです。
しかしながら、こういった愛くるしい自らの娘が無邪気に遊んでいる風景も切り取っており、どこか心が和むような仕上がりとなっています。キュビズムの方式が取られていますが、シュールレアリスム様式をベースにしているようです。
色彩も独特であり、チェック柄の絨毯の上で無邪気に遊んでいる娘の姿が映し出されています。「おもちゃの舟を持つ少女(マヤ・ピカソ)」について、ピカソは暗いものばかりが自分のモチーフでは無いとハッキリと言っていたようです。
「裸体、緑葉と胸像」
女性のヌードを多く描いていたピカソの愛人がモチーフとなっている作品が、「裸体、緑葉と胸像」です。マリー=テレーズという人物とピカソは長い間愛人関係を続けてきたことで知られており、親しい友人であっても全く気がつくことはなかったとも言われています。
カーテンや観葉植物は、秘密裏という意味合いを持つモチーフとして使われており、美しい裸体のマリー=テレーズや銅像が見つめる視線など、非常に禁欲的な大人の恋愛模様が切り取られた作品となっています。
「マンドリンを弾く少女」今でいう、3Dポリゴンのような立体的な構図に目を奪われる、「マンドリンを弾く少女」。初期キュビズム作品において、重要といわれている作品のひとつです。
この作品で描かれている少女は、フェルナンド・オリヴィエという1909年当時にピカソの妻であった人物とされています。ヌードでマンドリンを弾いている姿が投影されています。
通常、正面や背後、横など一方向でしか捉えられない体をさまざまな角度から見ているかのように表現できるのが、キュビズムの持つ力といわれています。
幾何学的なアプローチで背景も描かれており、色彩もバランスよく同系色でまとめられていることからも、作品自体が同化しているような印象に仕上がっているのも、魅力のひとつとされています。
カーテンや観葉植物は、秘密裏という意味合いを持つモチーフとして使われており、美しい裸体のマリー=テレーズや銅像が見つめる視線など、非常に禁欲的な大人の恋愛模様が切り取られた作品となっています。
「マンドリンを弾く少女」今でいう、3Dポリゴンのような立体的な構図に目を奪われる、「マンドリンを弾く少女」。初期キュビズム作品において、重要といわれている作品のひとつです。
この作品で描かれている少女は、フェルナンド・オリヴィエという1909年当時にピカソの妻であった人物とされています。ヌードでマンドリンを弾いている姿が投影されています。
通常、正面や背後、横など一方向でしか捉えられない体をさまざまな角度から見ているかのように表現できるのが、キュビズムの持つ力といわれています。
幾何学的なアプローチで背景も描かれており、色彩もバランスよく同系色でまとめられていることからも、作品自体が同化しているような印象に仕上がっているのも、魅力のひとつとされています。
「ゲルニカ」
ピカソの作品のなかでも、世界的にもっとも知られているのが、「ゲルニカ」です。ナチスドイツやイタリア軍のバスク地方にあるゲルニカの無差別爆撃における、反戦の意が込められた作品となっています。
全体はモノクロで構成されていますが、苦しみもだえる人々の姿やウシや馬といった家畜までもが、苦しみの声を上げているという、史上最もメッセージ性の強い反戦作品ということで知られています。
当時、一部では素晴らしいと賞讃されていたものの、馬鹿げた反戦絵画ということで相手にされなかった時期があったといわれています。しかしながら、第2次世界大戦以降は戦争という人間たちの欲が導き出した破壊的行為へ世界中が意を唱える方向性になったことで、「ゲルニカ」が注目されるようになりました。
現在では、スペインのソフィア王妃芸術センターが所蔵しており、縦349cm×横777cmの大作として今も尚多くの人々から注目されている作品となっています。
全体はモノクロで構成されていますが、苦しみもだえる人々の姿やウシや馬といった家畜までもが、苦しみの声を上げているという、史上最もメッセージ性の強い反戦作品ということで知られています。
当時、一部では素晴らしいと賞讃されていたものの、馬鹿げた反戦絵画ということで相手にされなかった時期があったといわれています。しかしながら、第2次世界大戦以降は戦争という人間たちの欲が導き出した破壊的行為へ世界中が意を唱える方向性になったことで、「ゲルニカ」が注目されるようになりました。
現在では、スペインのソフィア王妃芸術センターが所蔵しており、縦349cm×横777cmの大作として今も尚多くの人々から注目されている作品となっています。
世界で最も愛を求めた人物
ピカソは、一部の作品が多く注目されていますが、作品数が非常に多いことでも知られており、生涯絵画や芸術作品を作り続けていたということが知られています。
また、注目すべきはピカソには常に愛人がおり、愛をモチーフとした作品などが多く描かれているということです。男女の恋をどこまで追求していたピカソは、人生そのものこそが芸術であると捉えていたのかもしれません。
今後、ピカソの絵画を自分の目で鑑賞できる機会がありましたら、その当時のピカソの生活状態なども照らし合わせて鑑賞してみてはいかがでしょうか。
また、注目すべきはピカソには常に愛人がおり、愛をモチーフとした作品などが多く描かれているということです。男女の恋をどこまで追求していたピカソは、人生そのものこそが芸術であると捉えていたのかもしれません。
今後、ピカソの絵画を自分の目で鑑賞できる機会がありましたら、その当時のピカソの生活状態なども照らし合わせて鑑賞してみてはいかがでしょうか。