仏像

「増上慢」の意味わかりますか? 一歩退いた謙虚な気持ちで幸せを掴む心得

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物事は奥深くできています。小説や論文などを呼んで「フムフム、なるほど。いや勉強になった。自分もどんどん成長しているな」と思うのも良いですが、それは増上慢かもしれません。
本当に内容を完全に理解していますか?再構築して自分の言葉で説明できますか?

増上慢の意味

増上慢とは、仏教でいう所の「慢(まん)」と呼ばれる煩悩の一つです。
慢は自惚れや驕りの気持ちを示します。どのようなものかと言えば、「俺悟っちゃったもんね」といったものです。悟ってもいない、というか悟りの端っこをちょこっと見た程度なのに全体が分かったかのように振る舞うことを言います。
傍から見るとカッコ悪いと言うかみっともないことこの上ないです。しかし、単に「カッコ悪い」だけではないのが増上慢の恐ろしい所。これは真の悟りの妨げにもなるのです。
何せ、「自分はもう悟った」と、間違った方向に進んでいるわけですから。高い所で作業をする時に、思い込みで間違った土台の組み方をするようなものです。

七慢御紹介

増上慢に限らず、「慢」と名の付く驕りの心は他にもあります。

【慢】
単なる「慢」の場合、これは他者を見下す心を意味する優越感と言ったところです。

【過慢】
慢よりもタチが悪いかもしれません。慢は自分より格下の相手を見下しますが、こちらはあまり変わらないドングリの背比べで「こいつより上だもんね」と思い込むことを言います。五十歩百歩とも言えそうです。

【慢過慢】
何でも上には上がいます。過慢を更に超えるのが、「相手の方が優れているにも拘らず、自分の方が上だと思うこと」、慢過慢です。毎年試合で優勝を狙えるスポーツの強豪校にたまたま勝っただけで「今年はあの学校弱いな!いや、俺らが強すぎるんだ!」と思い込む心持ちがこれに当たります。

【我慢】
昨今我慢という言葉は「耐えなくちゃ」との意味で使われていますが、元々は仏教用語で「自分は正しい、間違ってなどいない」と思い込むことです。仏教では自我というものを否定していますが、我慢は自我に固執し、自分が正しいと思い込んでしまう心を言います。

【卑慢】
卑慢と少し似ているかもしれませんが、自分よりも優れた相手に対し、口では褒めながら腹の内で「自分の方が上」もしくは「こいつは大したことがない」と思う心です。

【邪慢】
過ちを過ちを認めず、むしろ正しいと思う心を言います。「自分は徳がある」との思い込みもこれに当たる慢の一つです。

五千起居・増上慢な僧侶たちの勿体ない話

お釈迦様が方便(分かりやすく説明するための人目を引くかりそめの教え。
高等文学を教えるのに作家や作品が描かれた時代背景のトリビアなどで引き付けるような物)を教え終わり、『法華経』について語ろうとした時です。「俺ら帰ります。もう悟ってるんで」と立ち上がり、帰ってしまったザ・勿体ない軍団がいました。その数5000人。その5000人はお釈迦様直々の有難いお話を聞かず、真の悟りを得るチャンスをみすみす逃したのです。
五千起居と呼ばれるこの逸話は、増上慢がいかに怖ろしいものかを教えてくれます。大悟を得るチャンスを逃したのですから。

まとめ

悟りなんか得なくてもいい、と思うでしょうがそれもまた愚かしいことです。
何も仏教を悟らずとも増上慢は怖ろしいもの。間違った知識では、何らかの災害の時に悲劇に繋がりかねません。「自分は間違っていない、正しい」と思わず、一歩退いた謙虚な気持ちでいれば思わぬ間違いに気づき、場合によって幸福を掴むことができるのです。

監修:えどのゆうき
日光山輪王寺の三仏堂、三十三間堂などであまたの仏像に圧倒、魅了されました。寺社仏閣は、最も身近な異界です。神仏神秘の世界が私を含め、人を惹きつけるのかもしれません。
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