仏像

普通の出家とわけが違う?貴人の出家、落飾

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何かのきっかけで「仏門に入ろう」と決めて実行をする時、それは通常出家と呼ばれます。
出家僧の中には高い身分の人々もいました。貴人の出家は常人とは別で、落飾(らくしょく)と呼ばれます。女性に対し使われることが多い言葉です。
飾りを落として仏門へ、と言えば聞こえもよく雅な趣がありますが、貴人とは時に権力者と繋がりがあります。必ずしも大人しい僧侶、尼さんばかりではありませんでした。

尼将軍、北条政子

鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝を夫に持つ北条政子。彼女もまた落飾した人物です。
初めは流罪になった頼朝を監視するのが目的でしたが、そのままラブラブになり、結婚。しかし、夫の死後落飾してからは波乱万丈でした。
北条家が執権として権力を握る為に、「邪魔」とされた頼朝の子、孫を一族郎党皆殺しです。
この件で政子が批難を浴びることもあるようですが、「お腹を痛めて産んだ子を殺したいものか」と擁護する向きもあります。
政治に関わる以上、時には仏門に入っても平穏は望めないようです。

大奥では落飾が決まりだった

実際仏法にそれほど傾倒していなくても、落飾を決まりとする場所がありました。
江戸時代の大奥です。将軍正室の御台所だけでなく、側室も落飾をするのが通例でした。家光公側室のお万の方など、幾名かの例外もいますが、概ね将軍だけ以外の男性と触れ合わないよう、落飾をしていたのです。
天璋院篤姫などが有名です。大概、ドラマなどでは髪型を残したままの人物もいますが、尼僧の場合はセミロング程度に髪の毛を切る程度にとどめることがありました。
これは江戸時代だけでなく、古来よりのことです。髪は女の命。それをバッサリ切ることで仏に帰依するというわけです。髪の毛を残す剃り方を薙髪(ちはつ)と言います。

落飾を免れ皇帝になった則天武后

今度は落飾をしなかったバージョンをご紹介。中国に凄まじい野心を持った女性がいました。
名は武照。何だか勇ましい字面ですが、後宮に上がるほどの美女です。
そして、策略家で決して妥協をしませんでした。
そういった意味では字面の逞しさも納得がいきます。武照はその美貌で皇帝の寵愛を得ましたが、「どうせ権力者の『愛』なんて移ろいやすい」と、ライバルをことごとく潰しました。
その中には自分の姪、腹を痛めて産んだ子もいます。しかも、産んだ直後の赤子まで自分で殺したのです。理由は、見舞いに来た皇后に罪を着せる為。誰も、子供を産んだばかりの母親が我が子を殺すとは思わないでしょう。
中国の後宮では仕えていた皇帝が崩御すると女たちは落飾をしなくてはいけませんでした。
しかし武照は皇帝の息子を手懐け、落飾を免れます。皇帝となって権力を握る為です。
過去に虐待を受けたのが原動力になっている模様ですが、仏教を軽んじてはおらず、むしろ重用しました。自らを弥勒菩薩の生まれ変わりとまで言ったのです。
仏に仕えていればいっそ楽だったかもしれません。しかし、権力といういばらの道を選んだのです。

まとめ

権力者、貴人という飾りを落とした時、そこに何が見えるのか。実際に仏法に傾倒していなくても幾らか仏門を意識した時、単なる権力者には見えない物も見えたのではないでしょうか。
北条政子は何を想い、我が子や孫の暗殺を受け入れたのか。天璋院篤姫が動乱の時代、故郷の薩摩と相反する江戸に残ったのは何故なのか。
則天武后が権力に執着しながらも自らを仏陀の後継者、弥勒菩薩の生まれ変わりと称した理由に想いを馳せてみるのも、悟りに通ずる一つの道かもしれません。
少なくとも、違った角度からの偉人や仏教について考えるのも一興です。

監修:えどのゆうき
日光山輪王寺の三仏堂、三十三間堂などであまたの仏像に圧倒、魅了されました。寺社仏閣は、最も身近な異界です。神仏神秘の世界が私を含め、人を惹きつけるのかもしれません。
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