伝統工芸

知っておきたい江戸切子の作り方

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日本には「伝統的工芸品」として認定されている工芸品がいくつかあります。「江戸切子」もその一つで、江戸時代の後期に江戸で始められたガラス工芸品、ガラス細工です。
ここではそんな江戸切子について紹介していきたいと思います。

1、江戸切子の始まりと普及

江戸時代後期の天保5年(1834年)に江戸大伝馬町でビードロ屋を営んでいた加賀屋久兵衛(通称:加賀久)がイギリス製のカットグラスをまねて、金剛砂を使用してガラスの表面に彫刻を行ったのが江戸切子の始まりとされています。その後、加賀屋久兵衛はガラス問屋であった加賀屋から暖簾分けされ、本格的に切子を始めたとされています。

それから約30年後、浦賀に黒船で来航したペリーは加賀屋から献上された切子に驚嘆して絶賛したとされています。

明治時代に入ると殖産興業が盛んになり、切子もその一つとして「品川興業社硝子製造所」が作られました。そこにはお雇い外国人としてイギリス人のエマヌエル・ホープトマンを雇い、本格的にカット技術を学んでいきます。

大正から昭和にかけてはクリスタルガラスの技術も向上し、切子は高級日常品として大人気となっていきました。しかし戦争に突入すると製造地域が戦火に巻き込まれ壊滅的な打撃をこうむっただけでなく、職人たちが兵隊として駆り出され、戻ってこなかったということもあり切子は一時期急激に廃れていきます。

その後、復興の兆しを見せますが今度はガラスの加工や製造が機械化、量産化されていくことで手作業の切子は販売量では立ち行かなくなっていきます。

昭和50年代に入ると「江戸切子」が東京都伝統工芸品の指定を受け、伝統的工芸品として復活を果たしていきます。職人不足などの問題を抱えながらも現在は「江戸切子協同組合」「東京カットグラス工業協同組合」が後継者育成や普及活動を行っています。

2、江戸切子の製造方法

江戸切子の製造は大きく分けると4つの工程にわかれます。まずはガラスの表面にカットしていく目安、基準となる点や線を割り付けて印をつけていく「割り出し・墨付け」です。この時点では細かいカットの模様などは書き入れません。あくまでも大雑把な目安だけです。

そして次に「荒摺り」です。これはダイヤモンホイールにガラスの表面を押し当てて模様の基本となる溝(親骨・基本的なカット)を削っていくものです。先ほど付けた印を目安に点から点へと削っていくのですが、すべて手作業で行うために経験の差が出るところです。

ここからは荒摺りの続きとなります。少しずつ細かいカットを入れていき、それに応じて使用するダイヤモンホイールも交換していきます。ダイヤモンホイールを使用する以前は金板と磨き粉を合わせて使用していました。こうしてカットを続けていきますが、この時点ではカットは半透明で手触りもザラザラしています。

次に「石掛け」です。まずは底の部分に平面に回転する砥石の円盤を当てて滑らかにしていきます。それからカットした線を石掛けしていき、手触りをよくしていきます。この時に細かい模様も砥石で削り出していきます。

最後に「磨き」があります。カット面を木板といわれる木製ホイールに磨き粉をつけて磨いていきます。その次に布生地のホイールで磨き上げカットを輝かせていきます。

一応この後に割り出しの時に書いた跡やカットの際に出た粉、磨き粉の残りなどを丁寧に洗っていくという工程があります。

その後、ベテランの職人が細かい検査を行い、問題がなければ完成となります。

3、江戸切子の特徴

切子はガラスの表面に様々な模様を手作業で切り出していく技法です。菊、麻の葉などの植物や篭の目や格子など江戸の生活用具を図柄化したものが模様として彫られています。

かつては江戸切子は透明なガラス地にカットをしていく「透き」と呼ばれる技法が一般的でしたが、近年では問名なガラス地の表面に色ガラスの薄い膜をかぶせたガラスをカットした「色被せ」が広まっています。これはもともと薩摩切子が分厚い色ガラスをかぶせた「色被せ」を用いていたことが影響しています。明治時代以降に薩摩切子が廃れていくなかで職人が江戸に移転し、江戸切子の技法と融合していった経緯があるのです。それによってメリハリのきいた「色被せ」が一気に広まっていったのです。

現在では当初のクリスタルガラスなどの透きガラスよりも色被せガラスを素材に用いられたものが江戸切子としてのイメージとなっているほどです。

今日では江戸切子は東京都江東区と墨田区に約80%が集中しています。その業態としてはグラスや皿、器を中心に切子の模様などの装飾を施す「切子」と呼ばれるものと、多面体のグラスやガラスの時計の枠、トロフィーやオブジェなどの平面部分の研磨を行う「平物」の大きく2つがあります。それらを江戸切子の認定を受けている東京カットグラス工業協同組合がショールームの展示や販売、広報、カット体験、後継者育成などを行って次の時代につなげようとしているのです。

ちなみに墨田区出身のミュージシャンであるTHE ALFEEの坂崎幸之助氏が江戸切子親善大使として広報活動を行っています。
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