伝統工芸

愛知県名産『砥部焼』歴史とその魅力

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砥部焼は愛知県砥部町の名産品で、滑らかな白磁と透き通るような青、温かみを感じる質感が人気の焼き物です。
古くから親しまれている砥部焼は伝統的工芸品としての認定を受けている磁器です。

こちらでは砥部焼の歴史とその魅力について述べていきたいと思います。

1、砥部焼の歴史

砥部焼のルーツとなっている「伊予砥」は奈良時代ごろから砥部山、砥石山から切り出される砥石でした。
非常に質が良いものとされており、奈良の東大寺「正倉院文書」には観世菩薩像造立に対しても「伊予砥」を使用したと記載があります。
また、平安時代に記された「延嘉式」にも伊予国(今の愛媛県)の名産として「外山産砥石」の記録があります。

そして江戸時代、伊予のこの地域は大洲藩が治めていました。
この地域ではやはり砥石の生産が盛んでしたが、その石の切り出しの際にでてしまう砥石屑が問題でした。
これらの処理は手間と時間がかかるだけで一文の得にもならず、地域の村人などが動員してその処理を行っていましたが、あまりの負担の大きさのために村人たちが藩に負担免除を願うほどでした。
大洲藩第9代藩主加藤泰候の時代にその伊予砥石の販売を任されていた大阪の砥石問屋である和泉屋治兵衛が集めて捨てていただけの砥石屑を原料にして磁器を作ってはどうかと藩主に進言します。
藩主はすぐに家臣の加藤三郎兵衛に磁器を生産するように命じます。
加藤三郎兵衛は現場責任者に杉野丈助を任命し、すでに陶磁器の有名な産地であった肥前から陶工を招いて五本松の上原に登り窯を築きました。
この辺りには窯で焼く際の燃料となる松の木が多く、生産に適していたと考えられています。
しかし何度試し焼きをしてもうまくいかずにそのうち肥前の陶工たちは諦めて帰ってしまいました。
釉薬を塗って焼くと割れてしまうのです。
それでも杉野丈助は諦めずに一人で試し焼きを行い続けます。
そんなときに筑前の陶工である信吉が「釉薬」の問題であることを指導し、以降筑前の釉薬を使用することになります。
そしてついに白磁器の製造に成功しました。
そのうち伊予の三秋で釉薬の原料が見つかり、そちらを利用するようになります。
また、川登陶石が発見されてからはより白さを強調した磁器を作ることができるようになり国内での販売に加えて海外へも輸出されていくようになります。
江戸時代末期になると亀屋倉蔵が肥前で錦絵を修得し、それを砥部焼にも組み入れたためさらに緻密で繊細な絵が描かれるようになります。
明治の世になると向井和平が製作した「淡黄磁」がにシカゴ博覧会で1等賞を受賞するという快挙をなしとげます。
このことによって砥部焼の名はさらに世界に広がっていきました。
しかし世界大戦がはじまると生産が一時期落ち込んでいきます。
このころには瀬戸や多治見で安価な陶磁器が大量生産されるようになっており、そちらにシェアを奪われていったのです。
ところが戦争が終わると再び砥部焼のすばらしさが評価されはじめ、昭和51年には伝統的工芸品としての認定を受けるに至りました。
戦後は特に大量生産を行うのではなく、手作りや手作業にこだわって生産していたことが評価されたと考えられます。

2、砥部焼の特徴と作り方

伊予の地域で採れる砥石をまず砕いていきます。
現在は上尾峠の安山岩が陶石化したものが多く使われています。
それを水に混ぜて一度泥水にし、粘土として必要な部分と使わない不要な部分とにより分けていきます。
そしてより分けた粘土を乾燥させて、中の空気を抜いていきます。
それを練りながらろくろで形作っていきます。
ここは指先の感覚で一定の厚さにしていくという非常に高度な技術が要求されます。
生乾きの時点でやすりなどを使って磨いて仕上げていきます。
天日干しして乾燥させたら窯で素焼きをします。
この時の温度は900℃前後です。
焼き上がると呉須を塗り、下絵付けした上で釉薬を塗ります。
そして本焼きを行います。
これは1300℃ほどの高温で1日かけてじっくりと焼きます。
こうしてできた砥部焼は食器として使われたりします。
同じ四国の讃岐うどんの器としても多く使われています。
また、柔らかく発色した花入れなどは実用性と美観を備えたものとして重宝されています。

3、現在の砥部焼

現在では「白磁」「青磁」「白磁に藍の染付」「鉄釉による天目」の4種類を基本として生産されています。
砥部焼はその時代によって大きく3つに分かれます。
江戸時代に作られたものは「古砥部」と呼ばれ、素朴で趣がありながら実用性に優れたものが多くありました。
明治時代に入ると、陶石が良質なものに変わり、呉須(コバルト)による青色発色が進化していきます。
また、錦絵を取り入れた絵付けが行わるようになり高い芸術性を持つようになりました。
そして現代です。
現在は古来よりの技法を継承しながらも現代風にデザインや絵柄などが工夫されたものが多いのも特徴で、女性の職人も多く活躍しています。
とにかく手作りの温かみがありながらも実用的であり頑丈で、しかも値段がてごろとなっているために日常的に使用するものとして人気を博しています。

主要生産地:愛媛県松山市、伊予郡松前町、砥部町
産地組合:砥部焼協同組合
住所:〒791-2132 愛媛県伊予郡砥部町大南604番地
電話:089-962-2018
FAX:089-962-6246
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