『レオナルド・ダヴィンチにまつわる豆知識』ビル・ゲイツが30億円で購入したダヴィンチの残したモノとは?
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レオナルド・ダヴィンチは歴史上最も多才な人物でした。絵画にせよ学問にせよ、彼がやることなすことすべて超一流の腕前。そんな才能のかたまりのような人物のことですから、当然、逸話や豆知識には事欠きません。ダヴィンチにまつわる豆知識を通じて、ダヴィンチという人はどのような人だったのか、ダヴィンチの歴史的な意義はなにか、について探っていきます。
1. 世界一価値あるノートCodex Leicester
ダヴィンチの残した作品はどんなものでも高値がつきます。
なかでもダヴィンチが残した72ページのノートCodex Leicester(レスター手稿)にはものすごい値がつきました。
気になるお値段を発表する前に、Codex Leicesterの来歴を述べておきます。名前の由来は、1719年にCodex Leicesterを入手したトマス・コークが、レスター候(Earl of Leicester)という称号を持っていた、ということにさかのぼります。その後1980年にアメリカの石油王ハマーの手に渡り、Hammer Codex(ハマー手稿)と改名されました。
Codex Leicesterには、天文学から、水の動き、月の明るさ、化石が山で見つかる理由、などさまざまなテーマに関する科学的な考えが、自由に書き残されています。鏡文字で書かれていることも目を引きます。おそらくダヴィンチが左利きだったため、描きやすい鏡文字を使っているのだと考えられます。
さて、Codex Leicesterの値段ですが、ハマーが購入した時点で500万ドルとかなり高価でしたが、のちにさらに値が上がります。1994年にCodex Leicesterを購入したのが、ご存知ビル・ゲイツでした。彼は、レオナルド・ダヴィンチの手稿に人類的な価値を認め、Codex Leicesterを3000万ドル、日本円にして当時30億円で購入しました。ビル・ゲイツはCodex Leicesterを入手後、マイクロソフトの壁紙としてユーザーに頒布するとともに、全ページをデジタル化しました。Codex Leicesterは、一年に一回、毎年別の都市で公開されています。2005年には東京が会場となり、ニュースになりました。
なかでもダヴィンチが残した72ページのノートCodex Leicester(レスター手稿)にはものすごい値がつきました。
気になるお値段を発表する前に、Codex Leicesterの来歴を述べておきます。名前の由来は、1719年にCodex Leicesterを入手したトマス・コークが、レスター候(Earl of Leicester)という称号を持っていた、ということにさかのぼります。その後1980年にアメリカの石油王ハマーの手に渡り、Hammer Codex(ハマー手稿)と改名されました。
Codex Leicesterには、天文学から、水の動き、月の明るさ、化石が山で見つかる理由、などさまざまなテーマに関する科学的な考えが、自由に書き残されています。鏡文字で書かれていることも目を引きます。おそらくダヴィンチが左利きだったため、描きやすい鏡文字を使っているのだと考えられます。
さて、Codex Leicesterの値段ですが、ハマーが購入した時点で500万ドルとかなり高価でしたが、のちにさらに値が上がります。1994年にCodex Leicesterを購入したのが、ご存知ビル・ゲイツでした。彼は、レオナルド・ダヴィンチの手稿に人類的な価値を認め、Codex Leicesterを3000万ドル、日本円にして当時30億円で購入しました。ビル・ゲイツはCodex Leicesterを入手後、マイクロソフトの壁紙としてユーザーに頒布するとともに、全ページをデジタル化しました。Codex Leicesterは、一年に一回、毎年別の都市で公開されています。2005年には東京が会場となり、ニュースになりました。
2. ダヴィンチとヘリコプター
ダヴィンチは優れた発明家でありましたが、彼のノートにはヘリコプターらしき物体が描かれ、飛行できることが示唆されています。ダヴィンチはそのアイデアを実験することはありませんでしたが、彼が書き残している、羽を回転させることで浮力を得る、という発想は紛うことなくヘリコプターの原理です。結局、ヘリコプターが発明され、しっかりと空を飛ぶのは1930年の終わり頃まで待たなければなりませんでした。
3. フロイトとダヴィンチ
精神分析学の祖として、心理学のみならず、さまざまな分野に足跡を残したフロイトですが、彼もまた、ダヴィンチの多才なパーソナリティーに惹かれた人物の一人でした。ダヴィンチは、鳥の飛行について考察したノートの脇に、彼の幼年時代の記憶を書き残しているのですが、フロイトはそれを手掛かりにダヴィンチのパーソナリティー分析を試みています。また『モナリザ』などの作品もダヴィンチの精神分析の手掛かりとなりました。フロイトのダヴィンチ論は1916年に出版されました。解剖学にとても興味をもっていたダヴィンチのこと、もし彼が生きていたならばきっと、フロイトの手法に大いなる興味を抱いたことでしょう。
4. レオナルド・ダヴィンチの「ヴィンチ」は地名
「ダヴィンチ」とは「ヴィンチ (vinci) 村の」を意味します。したがって、レオナルド・ダヴィンチの名前としては、ダヴィンチよりもレオナルドが一般的であるようです。もっとも「ダヴィンチコード」という映画・小説のおかげで「ダヴィンチ」といえば誰もが『モナリザ』を書いたレオナルドを思い浮かべますけどね。ところで、日本には勝海舟という人がいますが、彼は一時、勝安芳と名乗っていましたが、この安芳は、彼が安房守だったことに由来します。
5. ダヴィンチとパラシュート
ダヴィンチがヘリコプターのプロトモデルを構想していたことはすでに紹介しましたが、ダヴィンチは別の飛び方も考えていました。彼のスケッチに書き添えられた言葉には、パラシュートの寸法まで計算されているから驚きです。彼の構想から500年たった、2000年のこと、ダヴィンチの設計にしたがって作ったパラシュートの飛行実験が行われましたが、無事着地に成功し、彼の先見性が証明されました。
6. ダヴィンチのDNAを特定するプロジェクトがある
ダヴィンチはどんな顔をしていたのか? この謎を解くためにあるプロジェクトが進行しています。「レオナルド・プロジェクト」と題されたそのプロジェクトとは、ダヴィンチのDNAサンプルを採取し、現代の科学によってDNA配列を明らかにする、というもの。DNAサンプルは、モナリザなどの絵画に残留している可能性があるダヴィンチの皮膚や毛髪、指紋等。プロジェクトはダヴィンチの死後500周年にあたる2019年にあわせて完了する予定です。