『西国三十三箇所巡礼』~日本で一番古い巡礼の旅に触れる!~

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『西国三十三箇所巡礼』~日本で一番古い巡礼の旅に触れる!~

「西国三十三ケ所巡礼」をご存知でしょうか?四国八十八ヶ所に比べると、全国的には知名度は低いようですが、関西方面では認知されているようです。実際、「西国巡礼」の方が、「四国巡礼」より歴史が古いそうです。

「四国巡礼」との大きな違いは、「学業成就」や「事業盛大」などの現世利益を求め平服で参拝する人がほとんどで、「四国遍路」のよりも巡礼をする際の服装も自由度が高く、平服の人がほとんどで、一見すると巡礼者とはわからないといいます。
それでは「西国三十三ケ所巡礼」とはどのような巡礼の旅なのでしょうか?触れていきたいと思います。

1. 西国巡礼とは?

冒頭でも触れましたが、「西国巡礼」は日本で一番古い巡礼の旅といわれている「巡礼の旅」です。
平安時代後期に始まり、鎌倉時代には主に修行僧や修験者が巡礼していたようですが、室町時代になると武士や庶民の間にも広がり、室町時代の後期には現在の札所や順路が整備されていったようです。

まず、初めに伊勢神宮参拝を終えた後に、一番目の札所「青岸渡寺」を参拝するのがしきたりです。「お伊勢さん」は三十三ケ所巡礼の数には入ってない、というのもなんだか面白いですね。

西国巡礼は、他の巡礼の旅に比べると移動する範囲が最も広いといわれており、太平洋側から日本海側にかけ山、海、様々な風景に出会えるのが醍醐味でもあります。

2.札所紹介

西国巡礼のコースには3つの寺院が「番外札所」として含まれています。

8番目長谷寺の次の 「発起院」
14番目「三井寺」の次の「元慶院」
24番目「中山寺」の次の「花山院」

この3つの寺院は西国巡礼の開創時から特別な札所として番外扱いで巡礼のコースに組み入れられています。

「発起院」は西国巡礼の創始者といわれている徳道上人を祀っているといわれています。
「元慶院」は花山天皇が出家され花山法王となられた寺院です。
「花山院」は花山法王が隠棲されていた寺院といわれ、いずれ寺も西国巡礼にとっては欠かすことのできないゆかりのある寺院ということから、「番外札所」となったのでしょう。

3.西国巡礼の歴史と文化

西国巡礼の旅は、長谷寺の開基である徳道上人によって718年(養老2年)に始められました。伝説では、上人様が病の床についたときに夢枕に閻魔大魔王が立ち、悩める人々を救うように 「霊場を開くように」とお告げを受け、その後、病がたちどころに平癒したといいます。

病が癒えた上人は、お告げ通り、三十三ヶ所の観音霊場を設けますが人々の信仰を全く得られず失意のうちに、その宝印を集め中山寺の「石の唐戸」の中に埋めました。それから、200年の時を経て、988年(永延2年)花山法王が仏眼・性空両上人のすすめにより宝印を掘り起こし、新たに西国三十三ケ所霊場を定め西国巡礼をひろめたといわれています。

花山天皇は第63代天皇冷泉天皇の第一皇子として生まれ、第65代天皇となったのですが当時、権力の座の頂点にいた藤原家の当主・藤原通兼の陰謀により、19歳という若さで退位、出家させられてしまいました。

出家後は様々な寺や寺院を参詣する一方で、修行にも励まれました。また、和歌や絵画などの芸術方面において優れた才能を開花させられ「拾遺和歌集」の選者として、歌壇では重鎮されていたようです。

西国巡礼はそんな悲劇の天皇、花山法皇がぶつけることのできない憎悪、絶望、悔しさなどの渦巻く情念を沈めるために修行に励んだ結果に生まれたものなのです。

4.お参り・お作法

ここでお参りのお作法について、少し詳しくご紹介していきたいと思います。

1.門前で合掌する。
合掌にも種類があるそうです。
堅実心合掌…両掌を隙間のないようにピッタリと合わせる。素直で偽りのない祈りの心を表現している。
虚心合掌…手のひらと平に少し隙間ができるように合わせる。
金剛合掌…指を少し開き、交互に組むようにして右手を上に手のひらを合わせる。別名を帰命合掌ともいう。

2.本堂に行くまでの手水場で手を洗い、口をすすいで身を清める。
まず、左の手のひらを清め、次に右の手のひらを清めます、再度左の手のひらに水をため口をすすぎます。再び、左の手のひらを清めて終了です。

3.線香・灯明(ろうそく)をあげる。
火種から火をつけるほうがよいそうです。線香の本数は自由だそうですが、灯明(ろうそく)の数の基本は、 1本です。
線香の意味は観音様の徳をいただくもので、ろうそくの意味は観音様の知恵をいただく、という意味がある いわれています。

4.納め札を納める。

5.お賽銭をあげる。
よく、お賽銭をいきおいよく投げる方がいますが、本来は、静かに落とすのが礼儀とされています。 もう少し丁寧な方法としては、お賽銭を白い紙に包んであげるのもよいでしょう。

6.鰐口を鳴らす。
これは観音様にお参りに来ましたよ、という合図を送るために鳴らすそうです。合掌後祈願をしますが、 その際自分の氏名、住所を心の中で告げると、観音様がより早くお願い事を叶えてくれるといいますよ、 お試しください。

7.読経する。
数珠を左手にかけ、お経本を手にしてお唱えします。読経のはじめと終わりには数珠をすり合わせ合掌 三礼するとより良いでしょう。

8.納経帳に御朱印をいただく。

9.山門前にて一礼する。

5.花山天皇と西国巡礼

花山法皇に関する記述は、平安時代の長編歴史物語である「大鏡」から知ることができます。「大鏡」によると「主上にあるまじき行い多し。」という記述と共にその「狂人」ぶりを 示す記述がいくつかあります。

しかし、出家後には那智の滝で千日の修業をなさり、ほどなくして上人のすすめで「巡礼」を思い立ちました。「西国巡礼」の祖とも、「尊き聖の帝」ともいわれ庶民の間でも伝説となり、いまなお巡礼の信仰の対象となっていることなどから考えると「狂人」というのはいささか疑ってみたほうがいいのかもしれませんね。

「七日関白」と後の世に揶揄された藤原通兼にまんまとはめられ、王座を追われた「悲劇の帝」というのが事実だとすれば、花山法皇は余りにも、「世間知らず」で「純粋」 であったようです。

法皇は、西国巡礼を終えたのちの長保5年(1003)花山院に隠棲され、5年後の寛弘5年(1008)41歳の生涯に幕をおろされました。いかがでしたでしょうか?「四国巡礼」とはまた違った趣が「西国巡礼」の旅にはありそうですね。
関西地方ではポピュラーな旅なので、「四国巡礼」よりは敷居が低く気軽に出かける方も多いようです。

「お伊勢さん」をスタート地点としているところは、やはり、花山法皇が天皇家のお血筋だからなのでしょう。 お寺の数は少なくても、距離はかなり長いですが自然と触れ合え、功徳もいただける素晴らしい旅いえそうです。 皆様も、一度足を運んでみてはいかがでしたでしょうか。
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