聖徳太子ゆかりの法隆寺は日本仏教の礎を築いたお寺!!
関連キーワード
出典:[663highland]https://ja.wikipedia.org/|https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA#/media/File:Horyu-ji11s3200.jpg
法隆寺は奈良県生駒郡斑鳩町にあります。
聖徳太子が父の遺願のために建てたお寺です。 聖徳太子と言えば、『1度に10人の言葉を聞き分ける』という有名な伝記があります。 それ以外にもたくさんの伝説を残した太子はたくさんのお寺を建立し、法隆寺はその代表格です。 太子には父のためにお寺を建てたいという願い以外にも、仏教を基盤とした政治をしたい、仏教を広めたいという強い想いがありました。 今回はそんな太子の想いと法隆寺の歴史を絡めながらご紹介します!
聖徳太子が父の遺願のために建てたお寺です。 聖徳太子と言えば、『1度に10人の言葉を聞き分ける』という有名な伝記があります。 それ以外にもたくさんの伝説を残した太子はたくさんのお寺を建立し、法隆寺はその代表格です。 太子には父のためにお寺を建てたいという願い以外にも、仏教を基盤とした政治をしたい、仏教を広めたいという強い想いがありました。 今回はそんな太子の想いと法隆寺の歴史を絡めながらご紹介します!
法隆寺の建立の歴史とは?
法隆寺は聖徳宗の総本山です。
平成5年(1993年)には、日本で最初にユネスコの世界遺産に登録されました。
現在の法隆寺は金堂や五重塔を中心とした西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍からなるお寺です。
とくに、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群であり、日本が世界に誇る建物なのです。
また、東院はもともと、聖徳太子が住んでいた斑鳩宮があった場所です。
仏教が朝鮮半島を経て伝来したのは538年、もしくは552年であるといわれています。 神道が根付いている日本に他国の宗教が入ってくることを快く思わない排仏派と、仏教を信仰する崇仏派の対立は長年続きました。 そんな中、太子の父・用明天皇は仏教への理解を深めました。 天皇は即位してまもなく天然痘にかかり、倒れてしまいました。 そのとき、「朕(われ)、三宝(仏・法・僧)に帰らむと思う」と、仏教を信じその神徳にすがることを公に発表したのです。 用明天皇の叔父で崇仏派の蘇我馬子が病気になったとき、仏教に帰依したところ完治したり、異母兄であり姉の夫である敏達天皇が、排仏を命じたのちに亡くなったことがあったからからではないか、と考えられています。 そして、病気になったとき、推古天皇と太子に「寺を建てて薬師像を安置したい」と、お願いをしたのです。 ところが、建立を待たずして用明天皇は亡くなってしまいました。 父の願いのため、太子は推古天皇と協力しあい、斑鳩宮の隣にお寺を建てることにしました。 それが斑鳩寺で、のちの法隆寺です。
法隆寺のいつ創建されたのかは記録が残っていないため、わかりません。 推古天皇15年(607年)には完成していたというのが通説です。
仏教が朝鮮半島を経て伝来したのは538年、もしくは552年であるといわれています。 神道が根付いている日本に他国の宗教が入ってくることを快く思わない排仏派と、仏教を信仰する崇仏派の対立は長年続きました。 そんな中、太子の父・用明天皇は仏教への理解を深めました。 天皇は即位してまもなく天然痘にかかり、倒れてしまいました。 そのとき、「朕(われ)、三宝(仏・法・僧)に帰らむと思う」と、仏教を信じその神徳にすがることを公に発表したのです。 用明天皇の叔父で崇仏派の蘇我馬子が病気になったとき、仏教に帰依したところ完治したり、異母兄であり姉の夫である敏達天皇が、排仏を命じたのちに亡くなったことがあったからからではないか、と考えられています。 そして、病気になったとき、推古天皇と太子に「寺を建てて薬師像を安置したい」と、お願いをしたのです。 ところが、建立を待たずして用明天皇は亡くなってしまいました。 父の願いのため、太子は推古天皇と協力しあい、斑鳩宮の隣にお寺を建てることにしました。 それが斑鳩寺で、のちの法隆寺です。
法隆寺のいつ創建されたのかは記録が残っていないため、わかりません。 推古天皇15年(607年)には完成していたというのが通説です。
太子が仏教を広めたかったわけは?
太子は敏達天皇3年(574年)、父・用明天皇と母・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の間に生まれました。
生まれた時、左手に仏舎利(釈迦の遺骨)を握っていた、7歳で経巻を読破したという伝説があります。
また、慈悲深い人でも知られています。
推古天皇21年(613年)の冬、飢えた人が倒れているのを発見し、食べ物をあげて、自分が着ている服を脱いで与えました。
倒れていた人は惜しくも亡くなってしまいましたが、遺骸が消えていたというのです。
実はその人は聖(徳の高い高僧)で、太子はそのことを知っていた、という伝説も残っています。
いつしか太子は、『救世観音菩薩の生まれ変わりだ』と、噂されるようになりました。
太子は、叔母である推古天皇が即位すると、20歳の若さで摂政になり政務を任されました。 その頃、日本は豪族が支配し、国家はあるようでないような状態でした。 そこで、仏教の『和と慈悲の精神』を政治に取り入れ、豪族や臣下、国民をまとめようと考えました。 また、中国や朝鮮半島と対等にやりとりができる国家を作りたかったのです。 そして、用明天皇の「お寺を建てたい」という願いと、仏教を取り入れた政治をしたいという自分の願いを叶えるために、法隆寺を建てたのでした。
また、推古天皇12年(604年)、日本で最初の成文法『十七条憲法』を制定しました。 臣下や高級官僚の心構えを説いて天皇中心の政治の仕組み、国民の道徳を作ったのです。太子の発した『和と慈悲の世界の実現』は、今でも法隆寺での教えとなっています。 太子の仏教精神を取り入れた政治、法隆寺をはじめ数々の寺院の建立、そして伝記や伝説も相まって、いつしか神格化されて信仰の対象になりました。 そして、『日本仏教の祖』といわれるようになったのです。
太子がいなければ、ここまで日本に仏教が広がっていなかったかもしれません。 ぜひ、太子の想いがつまった法隆寺を参拝してみてくださいね!
太子は、叔母である推古天皇が即位すると、20歳の若さで摂政になり政務を任されました。 その頃、日本は豪族が支配し、国家はあるようでないような状態でした。 そこで、仏教の『和と慈悲の精神』を政治に取り入れ、豪族や臣下、国民をまとめようと考えました。 また、中国や朝鮮半島と対等にやりとりができる国家を作りたかったのです。 そして、用明天皇の「お寺を建てたい」という願いと、仏教を取り入れた政治をしたいという自分の願いを叶えるために、法隆寺を建てたのでした。
また、推古天皇12年(604年)、日本で最初の成文法『十七条憲法』を制定しました。 臣下や高級官僚の心構えを説いて天皇中心の政治の仕組み、国民の道徳を作ったのです。太子の発した『和と慈悲の世界の実現』は、今でも法隆寺での教えとなっています。 太子の仏教精神を取り入れた政治、法隆寺をはじめ数々の寺院の建立、そして伝記や伝説も相まって、いつしか神格化されて信仰の対象になりました。 そして、『日本仏教の祖』といわれるようになったのです。
太子がいなければ、ここまで日本に仏教が広がっていなかったかもしれません。 ぜひ、太子の想いがつまった法隆寺を参拝してみてくださいね!
『法隆寺夏季大学』で講義を受けてみよう!
法隆寺では夏季限定で、『大学』を開いています!
古くから、法隆寺は『法隆学問寺』と称されるほど諸宗兼学の道場でした。
昭和25年、法相宗だった法隆寺は『聖徳宗』に改め、翌26年から仏教の歴史や太子の精神などを学び、広めるために開校しました。
夏季大学では拝観に加え、仏教の歴史や太子が伝えたかった『和と慈悲の精神』を招待講師や寺僧の講話により学びます。
毎年、多くの方々が受講し、近畿地方以外の方も多く来ています。 また、プログラムの内容も毎年違うため、リピーターも多いのです。
○開催期間
7月26日~7月29日
○開催場所
法隆寺聖徳会館
○対象年齢
15歳以上(定員600名)
○料金
3000円
○申し込みについて
6月1日から受付開始。定員に達し次第受付を終了。 法隆寺のホームページ(http://www.horyuji.or.jp/)より申し込み用紙をプリントアウトし、必要事項を記入後、会費と一緒に持参するか、現金書留便で申し込みをします。 ※真夏に行われるため、体調が悪い方は無理をせずにご遠慮ください。 また、持病や通院をされている方もご遠慮ください。 高齢者の方々はとくにご注意ください。
全部の日にちに参加しなければならない、ということはございません。 好きな講義に参加できるので、興味があるものに参加してみてくださいね!
夏季大学では拝観に加え、仏教の歴史や太子が伝えたかった『和と慈悲の精神』を招待講師や寺僧の講話により学びます。
毎年、多くの方々が受講し、近畿地方以外の方も多く来ています。 また、プログラムの内容も毎年違うため、リピーターも多いのです。
○開催期間
7月26日~7月29日
○開催場所
法隆寺聖徳会館
○対象年齢
15歳以上(定員600名)
○料金
3000円
○申し込みについて
6月1日から受付開始。定員に達し次第受付を終了。 法隆寺のホームページ(http://www.horyuji.or.jp/)より申し込み用紙をプリントアウトし、必要事項を記入後、会費と一緒に持参するか、現金書留便で申し込みをします。 ※真夏に行われるため、体調が悪い方は無理をせずにご遠慮ください。 また、持病や通院をされている方もご遠慮ください。 高齢者の方々はとくにご注意ください。
全部の日にちに参加しなければならない、ということはございません。 好きな講義に参加できるので、興味があるものに参加してみてくださいね!
『聖徳太子笏形お札』で聖徳太子のにあやかろう!
太子は生まれながらにして聡明で、20歳で摂政になったことから法隆寺は『学業成就』や『入学祈願』のご利益があるといわれています。
また、十七条憲法の制定や仏教を広めるために相次ぐお寺の建立など、願いを次々と叶えることから『諸願成就』のご利益もあります。
そこで法隆寺では、太子の肖像画にもあるように手に持っている笏の形でお札を授与しています。 笏は一位と呼ばれるイチイ科の常緑高木の木で作られています。 太子の月命日の22日(2月と11月は21日)に太子が祀られている聖霊院で、『入学祈願』『学業成就』『諸願成就』の法要が行われます。 そして、希望者にこの『笏形お札』を授与しているのです。
申し込みはホームページから申し込みをし、料金の入金確認後、毎月22日(2月と11月は21日)に祈祷したものを送っていただけます。 また、現金書留で申し込みも可能です。
○笏形お札(大)10000円(送料込み) サイズ約30cm
※名前と祈願日入り
○笏形お札(小)5000円(送料込み) サイズ約22cm
郵送も可能なので、家族や友人に送ってあげるのもいいかもしれませんね。
いかがでしたか。
法隆寺は世界最古の木造建築物群があり、国宝や重要文化財に指定されている『宝の寺』です。 そして、太子が伝えたかった仏教の精神を今も守り続け、人々に伝え続けている『教えの寺』でもあります。 法隆寺はただの観光名所ではなく、乱れた世に『和の精神』をもたらせてくれる貴重なお寺なのです。 ぜひゆっくりと巡って、和の心と1400年の歴史を感じてみてくださいね!
■所在地
〒636ー0115
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1‐1
■拝観時間
2月22日~11月3日 8: 00~17: 00
11月4日~2月21日 8:00~16: 30
■拝観料(西院伽藍内、大宝蔵院、東院伽藍内共通)
一般1500円
小学生750円
団体30名以上
大人1200円
大学・高校生1050円
中学生900円
小学生600円
そこで法隆寺では、太子の肖像画にもあるように手に持っている笏の形でお札を授与しています。 笏は一位と呼ばれるイチイ科の常緑高木の木で作られています。 太子の月命日の22日(2月と11月は21日)に太子が祀られている聖霊院で、『入学祈願』『学業成就』『諸願成就』の法要が行われます。 そして、希望者にこの『笏形お札』を授与しているのです。
申し込みはホームページから申し込みをし、料金の入金確認後、毎月22日(2月と11月は21日)に祈祷したものを送っていただけます。 また、現金書留で申し込みも可能です。
○笏形お札(大)10000円(送料込み) サイズ約30cm
※名前と祈願日入り
○笏形お札(小)5000円(送料込み) サイズ約22cm
郵送も可能なので、家族や友人に送ってあげるのもいいかもしれませんね。
いかがでしたか。
法隆寺は世界最古の木造建築物群があり、国宝や重要文化財に指定されている『宝の寺』です。 そして、太子が伝えたかった仏教の精神を今も守り続け、人々に伝え続けている『教えの寺』でもあります。 法隆寺はただの観光名所ではなく、乱れた世に『和の精神』をもたらせてくれる貴重なお寺なのです。 ぜひゆっくりと巡って、和の心と1400年の歴史を感じてみてくださいね!
■所在地
〒636ー0115
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1‐1
■拝観時間
2月22日~11月3日 8: 00~17: 00
11月4日~2月21日 8:00~16: 30
■拝観料(西院伽藍内、大宝蔵院、東院伽藍内共通)
一般1500円
小学生750円
団体30名以上
大人1200円
大学・高校生1050円
中学生900円
小学生600円