永遠にあせることのない、奥ゆかしい美を持つ銀閣寺へ行ってみよう!!

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京都市左京区に銀閣寺があります。
金閣寺とともにその名前が知られ、たくさんの人々が参拝しています。 金閣寺の華やかさとは反対に、銀閣寺は銀箔が貼られているわけでもなく、質素な佇まいです。 しかし、その裏では開基した足利義政の数奇な運命がからんでいるのです。 運命に翻弄されながらも、幾多の困難を乗り越え完成されてきました。
なぜ、銀閣寺は建てられたか?
なぜ、金閣寺のように派手ではなく、質素な姿なのか?
今回は銀閣寺の歴史を解き明かしながら、その魅力をご紹介します!

足利義政と銀閣寺の歴史とは?

銀閣寺は文明14年(1482年)、室町幕府第8代将軍・足利義政により建立されました。 実は、『銀閣寺』とは通称で、正式名称は『東山慈照寺』といいます。 慈照寺とは義政の法号『慈照院殿』にちなみ、名付けられた寺号です。 義政の祖父・足利義満が建てた金閣寺にちなんで、慈照寺の観音殿が『銀閣』とよばれていました。 そしていつしか、『銀閣寺』とよばれるようになりました。 宗派は臨済宗相国寺派で、相国寺の山外塔頭寺院のひとつです。

義政は9歳という若さで家督をつぎ、14歳で将軍となりました。 義政は義満のように、五山僧と芸術や文学の交流をしていました。 その頃、義政の側近たちは義満の側近よりも人格や力量が劣る人材たちで、私腹を増やそうとする者や利害関係を持つ者などがいました。 また、母や養父が政治に関わるようになり、幕府内は混乱していました。 そして、幕府の財政破綻や農民の一揆などが起こり、義政は対策に追われました。 しかし、どれもうまくいかなかったのです。 きっと、義政は芸術に触れているときだけ、心が休まっていたのでしょう。

そこで義政は、39歳で将軍の地位を譲ろうと考えました。 義政には男の子がおらず、浄土寺で出家した弟・義尋を呼び戻して義視と改名させました。 ところが、翌年、妻の日野富子との間に男の子が生まれたのです。 将軍職を争って、義視を指示する幕府の管領・細川勝元と富子が頼った山名持豊の戦いが始まりました。これが『応仁の乱』です。

戦いは10年にもおよび、終息すると、義政は余生を山荘で過ごすために造営を計画しました。 場所は義視が出家した浄土寺の跡地を選びました。 文明14年(1482年)に着手され、翌年に常御所が完成すると、義政は息子の義尚に家督を譲りました。 そして、名前を『喜山道慶』と改め、出家したのです。 山荘の東求堂や東山殿会所、泉殿が完成していき、芸術の目が肥えている義政はこだわりにこだわって造っていきました。 とくに、のちに『銀閣』とよばれるようになる観音殿は、金閣寺の舎利殿(金閣)にならって造りました。 ところが、義政は病に倒れ、完成をみることなく志半ばで亡くなってしまったのです。 その後、義政の相談相手だった相国寺の禅僧たちや五山文学僧、作庭家たちによって山荘が完成しました。

そして、「山荘を禅のお寺に改めるように」という遺命により、夢窓疎石という臨済宗の禅僧を勧請し、開山しました。 寺号は前述のとおり、義政の法号『慈照院殿』から慈照院と名づけられ、翌年に『慈照寺』と改めました。 派手な金閣寺に対し、落ち着いて質素なため「銀閣寺」とよばれ、親しまれるようになりました。

ちなみに、金閣寺は新興の武家文化と伝統的な公家文化の融合した文化の代表格で、『北山文化』と呼ばれていました。 それに対し、銀閣寺は禅宗の影響を受ける一方で、わび・さびが重んじられた文化の代表格で、『東山文化』と呼ばれていました。

それから銀閣寺は金閣寺とともに、平成6年(1994年)にユネスコの世界文化遺産に登録されました。

質素な銀閣寺は、さまざまな苦難に見舞われた義政が心を落ち着かせ、いつまでもながめていられるような美しさを表した寺院です。 飽きがこない美しさは、見る人をホッとさせてくれるのではないでしようか。

『京都五山送り火』を見てみよう!

京都といえば、8月16日に行われる『京都五山送り火』です。
京都の夏の夜空をいろどり、精霊を冥府に送る仏教的行事です。

起源は諸説あり、いまだに誰がどのような目的ではじめたのかハッキリとは分かっていません。 しかし、慈照寺には由緒を記す軸が残されています。 そこには、義政が25歳という若さで亡くなった息子・義尚の死を悼み、菩提をとむらうために発案したものだと書かれています。 義政の命を受けた芳賀掃部頭は横川景三の書をもとに、如意ヶ岳に火床を掘らせて、お盆に送り火をしました。

送り火は如意ヶ岳の『大文字』がもっとも有名ですが、ほかには金閣寺大北山の『左大文字』、松ヶ崎西山と東山の『妙法』、西賀茂船山の『船形』、嵯峨曼荼羅山の『鳥居形』があり、京都のあちこちでみられるのです。

送り火のとき、水をはったお盆やコップに送り火の灯りをうつして飲むと、中風にかからないという言い伝えがあります。 また、大文字の消し炭や灰は厄除けのご利益があり、持ち帰って家の出入口や門に飾る風習があります。

ぜひ、送り火を見てみてくださいね!

講話と坐禅を体験しよう!

銀閣寺では毎月第3月曜日の夜に『坐禅会』を行っています。
また、毎月第1日曜日の昼には『講話と坐禅』を行っています。

『講話と坐禅』では、佐々木弉堂天正寺住職が講師となり、『禅の言葉』をもとにした講話をしていただけます。そして、坐禅を行っています。 静かで趣のある銀閣寺で坐禅ができるなんてうれしいですよね! 都会の喧騒から離れ、自己を見つめ返すことができる坐禅をぜひ、体験してみてください!

『坐禅会』

○費用:無料

○開催日時
毎月第3月曜日
・夏季(3月~11月)18:30~
・冬季(12月~2月)18:00~
※ただし、8月と12月は休会

○定員:30名(先着順。定員に達し次第、締め切り)(対象は高校生以上)

○申し込み方法

往復はがき(1名につき1枚)にて、『希望日』『氏名』『住所』『電話番号』を明記の上、 「銀閣寺 坐禅会係 〒606ー8402 京都市左京区銀閣寺町2」までお送りください。
※受付期日は希望日の前月1日から15日まで。

『講話と坐禅』
○講座料:無料
※ただし、拝観料を納めてください。そして、改札で「講話と坐禅に予約をした」とお伝えください。

○開催日時
毎月第1日曜日(ただし、1月・4月・5月・12月のみ第3日曜日に開催)
・受付:9:30~
・講座:10:00~11:30

○定員40名(対象は高校生以上)
○申し込み方法
研修道場あてに電話やFAX、メールのいずれかで申し込み可能。FAXとメールの件名は「○月○日 講話と坐禅 参加の件」と記入。『氏名』『電話番号』を本文に明記する。
・TEL  075ー752ー8711
・FAX  075ー752ー8755
・e-mail ginkakuji-dojo@shokoku-ji.jp

いかがでしたか。
銀閣寺は金閣寺と比べると、”地味”だといわれています。
しかし、実は義政が凝りに凝って造り、室町幕府の激動の時代をみてきました。 東山文化は茶道や華道、水墨画や能など、現在にも伝わる文化の礎を築いてきた貴重な寺院なのです。 ぜひ、義政が追求した美と文化を感じながら、参拝してくださいね。

■所在地
〒606ー8402
京都市左京区銀閣寺町2

■拝観料
大人500円
小・中学生300円
(団体割引はありません)

■拝観時間
夏季(3月1日~11月30日)8:30~17:00
冬季(12月1日~2月末日)9:00~16:30
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