日本史

竪穴式住居から見えてくる、古代日本の文化と性

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古代日本には、家族という形態はありませんでした。
それは古代日本の住居、竪穴式住居からも読み取ることができます。
私たちのご先祖様でもある、古代日本人の生活を覗いてみましょう。

竪穴式住居とは

竪穴式住居というのは、竪穴に屋根を被せた形状の住居を示します。
ヨーロッパでは中石器時代(紀元前20000年頃-前12150年頃)から出現している住居で、中国やアメリカでも発見されています。
日本でも同じような時期から作られるようになり、縄文時代(前14000年頃-前数世紀頃)には盛んに造られました。
竪穴式住居はその後も弥生時代(前数世紀頃-3世紀頃)を経て平安時代(794年-1185年)ぐらいまで造られています。
その後、建築技術の発展などにより、竪穴式住居は造られなくなりましたが、地方によっては江戸時代(1603年-1868年)まで造られていたことが判っています。

竪穴式住居は意外にも快適

竪穴(50-60cm)を掘っただけの住居なので、雨が入れば水が溜まるなど、あまり快適ではなかったと考えてしまうでしょう。
しかし、そこには快適に暮らすための創意工夫が施されています。

屋根が竪穴(居住スペース)より外側に延びており、雨水が直接流れ込まないようにしています。
また、竪穴を掘った時の土を利用して、竪穴の周囲に低い土手を作って竪穴を囲い水が入らないようにしていたり、土手の外側に水が流れるように溝を掘っていたりする造りの竪穴式住居も存在します。

竪穴式住居が作製された年代にもよりますが、古墳時代(3世紀頃-7世紀頃)には炉やカマドが備え付けられているもの登場し、より快適に暮らすために進化していきました。

竪穴式住居の屋根にも草ぶきから土ぶき(草ぶきの屋根の間に土を挟む方式)へ変えるなどの工夫が見られます。

石棒と信仰

縄文時代には竪穴式住居とともに、石棒と呼ばれる磨製石器(石材を石や獣骨などで作製した石器)が出土しています。
石棒は一端または両端が亀頭状に形成されており、男根信仰の始まりではないかとされています。
縄文時代後期には、石棒は石刀や石剣への分化が見られ、さらに祀る場所も、炉などの側から野外祭祀へと変化していきました。
石棒の信仰についてはどのような神様に捧げられたかははっきり判っていません。
男根を模した祭器というのは、女神信仰に使われていることが多く、とくに民間信仰では多くみられる事例ですので、女神信仰説を唱える学者も多いです。
逆に石棒を男神が宿る依り代としての意味があったのではないかという説もあります。

埋ガメと信仰

縄文時代の住居(竪穴式住居も含めた)の入口には埋ガメが地中に埋められている事例がよくあります。
埋めガメというのは、幼児や死産児を埋葬するための土器のことで、亡くなった子供が再び家に戻ってくる、女性のお腹に宿って欲しいという願いを込めた、一種の信仰ではないかと推測されています。
また、竪穴式住居のような造りの家を、母体として意識していたのではないか(女神信仰)と指摘する専門家もいます。

家族体系と結婚制度

竪穴式住居の居住スペースは、一般的に10人前後の男女が暮らしていたと考えられています。
現代のように祖父母、両親、子供というような家族体系ではなく、氏族による一族体系でした。
つまり、結婚した男女を中心に家族が形成される形ではなく、氏族の長を中心とした一族です。

結婚も妻問婚と呼ばれる形式であり、男女の恋愛は自由に行われ、女性が男性を気に入れば結婚は成立しました。それを族長が承認することで正式な婚姻関係となります。
正式な婚姻関係といっても、財産は父親の氏族、母親の氏族で管理されていますし、夫婦が一緒に暮らして生活するということもありませんでした。
結婚しても夫婦は別々に暮らし、子供は母親の一族の子供として育てられたのです。

夫婦のセックスを営む場所については、諸説ありますが、古墳時代に入る頃には、専用の住居が用意されていたことが判っています。それ以前に関しては、妻の一族が寝ている居住スペースで行われていたのではないかと推測されています。

ちなみに夫が妻のもとへ来なくなれば、離婚が成立し、それによって氏族間でなにか問題が起きるということもありませんでした。
また、族外婚でなければならないという習慣はなく、近親婚も比較的多かったという指摘もあります。

妻問婚の制度は律令制度が整う奈良・平安時代まで続き、竪穴式住居が衰退する時期と一致しています。

文化を支えた竪穴式住居

竪穴式住居は寒暖に強く、古代日本人が持っていた文化に適していた家であったことが伺えます。

確かに律令制度が庶民にも浸透し、中国や朝鮮半島から持ち込まれた建築技術によって、竪穴式住居は消えていきましたが、炉やかまどの配置、部屋に仕切りを作らず、大きな部屋で家族が生活するなど、竪穴式住居の間取りの部分は引き継がれました。

なによりも、石器時代から平安時代まで造られてきたという歴史が、いかに古代の日本人にとって快適かつ重要な住居であったかを、証明しているのではないでしょうか。
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