仏像

仏像の種類の見分け方の基本と、例外の方々

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インターネットの時代になり、多少仏像に興味のある方々は調べ物をして、仏様にも種類があることをご存知でしょう。
おさらいの意味で言えば、大まかに分け如来、菩薩、明王、天という部類に分けられます。図式で表すとまるでピラミッド状のカーストのようですが、実際には如来が偉い、とか天は偉くないという意味ではなくそれぞれに役割等があるんですね。
そして、仏像もまた、種類によって異なります。ただ、何にでも例外は存在する物。仏像世界もまた然りなのです。

如来編

悟りを得たのが如来。基本的な像容としてはザ・質素。衲衣(のうえ)という大きな布を巻き付けるように着ているだけなのが一般的です。
他の特徴として舌が以上に大きく、歯が40本あり、という像として表しにくい特徴もある為そちらはカット。
ただ、「仏さんってパンチパーマだね」と言われるような髪型。実際には毛を一本一本ぐるぐる巻いた気が遠くなることこの上ないヘアスタイル螺髪(らほつ)も、如来のみの特徴。この如来ヘアは肉髻(にっけい)という特徴もあります。要するに、頭部が二段階に盛り上がっています。

如来の例外

大日如来:元々この方は密教の出身で、そのトップ。その為か、如来であるにも拘らず装身具を付け宝冠を被っています。菩薩との見分け方は智拳印という大日如来特有の印を結んでいる点。

薬師如来:持物ナシが基本の如来像ですが、薬壺を持っています。中身は万病、怪我に効く薬で、しかも尽きることがありません。

阿弥陀如来:大まかな外見は他の如来像と変わりませんが、極楽往生時に迎えに来るという役目を持ち、「阿弥陀定印」という特殊な印を結びます。親指と他の指で必ず輪を作っているのが阿弥陀様です。

菩薩編

修行中の身で、いずれ如来になるべき身であり、衆生を救うべく励んでいるのが菩薩。
こちらは仏教開祖のお釈迦様が出家する前の姿と言うことで、アクセサリーを着けているのが普通。また、時代と共に腕、顔が増えるのも特徴です。表情は菩薩顔、と言われるように穏やか。裳というスカート状の物を下半身に巻き付けており、天衣という羽衣状の物を巻くことも。

菩薩の例外

馬頭観音菩薩:忿怒相という、いわゆる怒った顔つき。忿怒持明王の異名を持ち、元は明王だったという説までありますが、馬頭観音の怒りの形相はいわば愛の鞭。赤点をとった時の母親と同じ、説教の為の忿怒相なのです。

地蔵菩薩:一般的に、お地蔵様こと地蔵菩薩は僧侶姿。衆生を苦しみから救うのが目的なので、平安時代以降、民衆に広まった分かりやすい仏教を説き、苦難の多い人々を精神的に救った僧形をとるのも頷けます。

明王編

馬頭観音の時にも述べた、忿怒相の仏群。発祥は密教で、密教のトップ、大日如来の怒りを具現化した存在です。
役目は教えに従わない人間を愛の鞭で叩きのめし、煩悩を破壊、或いは背負った炎で焼き尽くすこと。多宗教の神様とも戦います。たまにスカウト、というより打ち負かして「強いから味方にしよう」と仲間にもする、屈強なる怒りの集団。基本的に多臂(腕が沢山)で、場合によっては背中に炎を背負っています。
服装は、下半身に裳を巻き付け、条帛と呼ばれる幅狭の布を巻き付けるのがほとんど。

明王の例外

天部編

主にインドの神話から引き抜かれるようにスカウトされた神々です。別名は「天」。仏法を守る護法神と、現世利益を与える福徳神とに大別されます。

護法神:甲冑姿のものがほとんど。独尊もしくはグループに分類可能。独尊としては梵天、帝釈天、毘沙門天。グループとしては二体で一組の金剛力士、四天王、十二神将など。梵天や帝釈天は三尊像として如来の脇を固めることもあり、四天王は担当守護方角があり、本尊の周りをSPのごとく固めます。

福徳神:鬼子母神のような元鬼神もいますが、それは護法神と同じ。こちらは女性型の神様が多く、服装もインド風、唐時代風と時代によって違う程度で、特に例外らしい例外は見当たりません。

天部番外編

インドの豊かすぎる発想力から生まれた神々を取り入れた天部の中には、単なる護法神、福徳神にとどまらない性格を持った方々もおられます。 韋駄天:やたら足が速い神様です。仏法、というかお寺の守り神で、仏の遺骨が速疾鬼という同じく足の速い鬼に盗まれた際は「待てやゴルァ!!」と自慢の俊足で追いかけ、奪い返した逸話の主。日本においては、武人のような甲冑姿で、剣も所有。漫画のように足がジタバタ、なんてことはありません。韋駄天様をお祀りすると食うに困らないとされますが、ご馳走(駆けずり回って食を集める)という言葉から来ているのではないか、との説あり。 歓喜天:象頭の二体が抱きあっている、不思議な像容。元はヒンドゥー教のガネーシャ神ですが、日本では男女。大自在天という魔神を鎮めるため、観音様が天女に化けてハニートラップを仕掛けた、という神話から来ています。ご利益は夫婦円満、子宝、災いを除くことなど。 青面金剛:悪霊や悪鬼の退散に長けた神様です。インドというより、中国は道教から来ました。
庚申信仰のご本尊でもあります。庚申信仰というのは、道教の神話。人間の体内に三匹の虫、三尸(さんし)が住んでおり、宿主の行動を見張っては、悪さをする度天帝にチクるわけです。チクられると宿主の寿命は減っていき、死んだ時三尸は自由を得る。つまり、自分たちが外に出たいからチクってるんですね。
ただ、報告は宿主が寝ている間に成されるので「じゃ、寝ないでお祭りしよう」となったわけです。何でしょう、この「物は言いよう」を体現した信仰。日本では平安時代貴族を中心に「オールナイトで宴するぞー!人の悪口も言うぞー!」と祭が広まり、江戸時代まで続いたとか。青面金剛の像容は多々ありますが、一番多いのは三つ目に腕が六本の忿怒相、腕や足などに蛇が絡みつき、鬼を踏んでいる物。

まとめ

何にでも例外があると言いますが、主な四つのグループの基本形と例外をまとめてみました。
菩薩以下は脇侍として如来等別の仏像の脇に控えていることもありますので、その辺も念頭に入れてみると面白い発見があるかもしれません。
今回挙げたのは飽くまで基本形ですが、中にはもっと面白い仏像もあるんですよ。面白いというより変わり種、の上野大仏。

仏像の種類の見分け方・三尊像脇侍や、例外の方々

象に乗る普賢菩薩

普く、つまり広く賢い者という意味。いろんなところに現れて、仏の教えを説いてくださいます。
仏教界の営業マンです。一方、『法華経』では「女の人でも成仏できるよ」とフェミニストな一面も。それまで、極楽浄土は女人禁制。普賢菩薩が男女平等化を図ったおかげで、女性信者を多く獲得しました。
像容としては、大体が象に乗っているのですぐ分かります。それも6本牙の白い象。この牙は、各々目、舌、鼻、耳、身、意(心)を表します。
白は清浄の色。ちなみに直乗りではなく蓮華座に座った状態でさらに象の上。バランス感覚も優れています。釈迦三尊像で、文殊菩薩と共にお釈迦様の脇侍を務めます。

獅子に乗る文殊菩薩

観音様は頭に小さな仏像付き

四本腕の十一面観音像

花を持つ愛染明王

基本的に仏教では煩悩はご法度。盗みや殺生はともかく、飲酒も駄目、果ては男女が愛を確かめ合う行為も駄目(子供を持つためならOK)。
しかし中にはこの煩悩を許して下さる仏様もいます。それが愛染明王。
「子供は必要だし、その為の欲だもん、しょうがない」と割と寛容です。しかし喜ぶのはまだ早い。「その煩悩を修行のエネルギーにしろ」というのが正確なお考えです。
明王は皆似たような姿ですが、愛染明王の場合、花を持っていることもあります。この花は清浄の証。煩悩パワーが悟りに至ったことを表しているようです。体が赤いのも特徴。また、天に矢を向けた、天弓愛染という像も存在。

天を踏み付け、特殊な印を組む降三世明王

五大明王というグループが存在しており、そのメンバーの一人が降三世明王(ごうざんぜみょうおう)です。智慧の象徴とされる阿?如来の化身。明王の務めは仏敵排除と、仏法に従わせること。
なんですが、降三世明王はちょっと、いやかなりやり方が強引です。像容としては鬼ではなく、二人の天、大在自天とその妻烏摩妃(うまひ)を踏んでいます。何で天を踏んでいるかと言えば、「中々言うこと聞かなかった」からです。この踏まれている夫婦、元はヒンドゥー教で有名なシヴァ神とパールヴァティー。パールヴァティーにはカーリー、ドゥルガーと言った戦闘神の一面もあるので強さは折り紙付き。
「仏教に来いってんだろ!」「断る!」の応酬の果て、降三世明王はヒンドゥー教の悪神、アスラの姿をとってまで戦い、踏み殺してもう一度蘇生。
「どっちが上か分かったろ」的に仏教入りさせました。そんなおっかない逸話の主ですが、降三世印という独自の印を結びます。見ようによっては可愛いです。見ようによっては。

ガチョウに乗るのは密教版梵天

同じ仏でも、仏教版と密教版で像容が違ってくる場合もあります。「密教ってそもそも何よ」と言われれば、経典ではなく、口伝で伝えられたもの。
お釈迦様としては「女性の体、バラモンの呪文、邪見は隠すべきだけど、真理や実践は常に明るみに出ているべき」としてるのですが、一般大衆や信者たちがお釈迦様や僧侶を「魔術師だ!」「奇跡起こした!」と勝手に盛り上がったのが密教の始まり。その後大日如来をトップに据えて今に至るわけです。
この密教に、仏教を作らせた梵天、サンスクリット名ブラフマーも取り入れられました。
梵天は真理の象徴。悟りを開いたお釈迦様に、「その教えを皆に広めて救いなさい」と説いたため仏教が出来上がったわけです。
仏教版の梵天は唐の貴人のような出で立ち、与願印を結んでいるのが特徴。よく帝釈天とセットで安置されることもあります。密教版ではガチョウに乗っているのが特徴。これはハンサという聖鳥。ガチョウではないという説もありますが、空、つまり真理の方に飛んでいくという解釈のようです。

天女、女神の見分け方

天部の中には女性型もいます。主に、吉祥天、弁財天、鬼子母神、摩利支天。
吉祥天:貴婦人といった出で立ち。手は与願印と宝珠を持ち、福徳を授けるのが役目です。とかく華やかなのが吉祥天。

弁財天:初期は戦闘芯の性格を持ち、多臂で武器も持っていたのですが、鎌倉時代以降は芸能の髪に転身。琵琶を持っています。服装も、吉祥天と比べると控えめな印象です。

鬼子母神:500人だの1000人だの、ギネス級の子供を産み、他人の子をさらって食べさせた鬼神がお釈迦様により改心、子供の守り神となりました。天女風の出で立ちで、子供を抱いています。

摩利支天:元は陽炎だったインドの女神、マリシが元。この方は二面性が激しいです。天女風と、多面多臂の忿怒相姿の二つが存在。天女バージョンは身を隠すための天扇を持ち、忿怒相バージョンは猪、もしくは月に乗っています。
摩利支天、猪バージョンです。勇ましいです。

まとめ

実はカースト制(身分制度)?仏像の種類別鑑賞方法

「カースト」、というと「スクールカースト」をはじめとする、何だか陰湿なイメージを浮かべる方も多いかもしれません。
そのイメージの元となったのは恐らくインドの身分制度でしょうが、これは本来「ヴァルナ」と呼ばれるもの。親から引き継いだ身分を一生背負うわけですが、「今この身分なのは、前世の行いの結果だな」「頑張ったら来世で上の身分に上がれる」といった考えがあったようで、奴隷階層こそあれど、思ったより悲壮なものでもなさそうです。
現在でもヒンドゥー用で使用されているようですが、かつてお釈迦様が反発した時代のように奴隷といった意味合いはない模様。
なので、仏様の位も便宜上肩ひじを張らない、軽い意味合いで「カースト」という言葉を使わせていただきます。そう、仏様にもカーストはあるんです。

如来の鑑賞編

如来とは悟りを開いた仏であり、仏教においては最上位。
悟りを開いた者を「仏陀」と呼ぶこともあるようですが、一般的には(日本の大部分の宗派では)お釈迦様だけを「仏陀」とお呼びする模様。そんな如来像の特徴は、一見すると「何か地味」といったところでしょうか。その昔、「じゃらじゃら着けてない仏様の方が偉い(悟っている)」と聞きましたが、改めて見ると、確かにそのようです。場合によっては後光も後輪もしっかり背負っていますが、「素材だけで勝負」といった感じです。が、如来特有の要素もある模様。

1.「パンチパーマじゃね?」などと言われる(こともある)「螺髪(らほつ)」という髪型。
仏像と言えばこの髪形を思い浮かべる方も多いようですが、実は螺髪にしているのは如来像のみ。他の仏像は結い上げたりざんばら髪だったり、兜をかぶっていて頭部が見えなかったりします。ちなみに螺髪は、髪の毛を巻いてあの形にしたもの。実際にあの髪形を再現するとなると、気が遠くなりますね。

2.物を持っておられない。「印」と呼ばれる特殊な手の組み方をされていますが、菩薩、明王、天のように何かを持つ、ということはないようです。

と言ってもこれはあくまで基本的なこと。

薬師如来像は薬入りのツボを持っておられますし、密教由来の大日如来像は(密教において)森羅万象を表す究極の仏とされているためか、王という認識。そのためか、装飾具をつけているのです。かように個々の仏様によってお姿も、結んでおられる印も異なるようですが、何ていうか「無駄なものを取っ払った」威風堂々としたたたずまいが頼もしくもありがたい感じを与えませんか?

観音の鑑賞編

続きまして、菩薩像。
こちらも、仏さまによって腕いっぱい、顔いっぱいの豊富なバリエーション。
装飾具も着けておられるため、役目や性格が分かりやすいと言えばわかりやすい仏様たちです。お顔いっぱい、十一面観音像。後頭部の顔は大笑いしてます。最初見たときびっくりしました。
観音とも呼ばれる菩薩とは、「如来となる」つまり悟りを開くことを目的とし、時に如来を助けることも。役割の中には「六道輪廻のそれぞれの世界で苦しむ衆生を救う」というものもあります。仏教の世界では極楽を除いて天道、人道、畜生界、修羅道、餓鬼道、地獄道の六つの世界が存在しており、それぞれ担当の菩薩が担当の世界へ行くのです。
有名な「お地蔵様」は地獄担当。親よりも先に死んだ子供が行く「賽の河原」という場所にも出向きます。賽の河原とはあの世の入り口のような場所です。
死んだ子供はそこで石の塔を積み上げなくてはならないのですが、積み上げる直前に鬼が塔を破壊。また一から積み直し、という作業が延々と続きます。
そういった子供を救うのもお地蔵様の役目。賽の河原は「親より先に死んだ罰」として石積みをする場所。修行もしながら、様々な世界で様々な魂を救っておられるのです。

さて、菩薩像の特徴としては。

1.装飾具をつけている。(それも、やたら派手)
2.性別が分からない。(両性を備えている、との説もあります。これは何かを超越している、という意味なんでしょうね)
3.杖など、持ち物がある。(腕が多い場合はこれでもかと持っていることも)
4.腕や顔が多い。

等が挙げられます。先のお地蔵さまだけ、何だか「普通のお坊さん」といった容貌ですが、地獄に赴いたりしなきゃなりませんし、そこは致し方ないかと。一般人にとって、仏像は勿論ありがたい存在。
しかし、比較的身近な僧侶の姿をした地蔵菩薩の方がより親しみやすかったのかもしれませんね。如来と比べると何だか異形的な印象ですが、そこでまず興味を持ち、仏像や仏教にのめりこむ、ということもあるかもしれません。

明王の鑑賞編

続きまして、明王。図では「大日如来の化身」とありますが、その実は「仏法に帰依しない?宗旨替えしない?言っても聞かない奴は力づくで説き伏せる!」という方々です。
なので、基本的には

1.憤怒相と呼ばれる「怖い」顔。
2.複数の腕を持つ者もいるが、大概武器を持っている。
3.炎を背負っている。

といった特徴が挙げられます。腕が二本で剣のみを持つ
不動明王、憤怒相ではない孔雀明王など、例外が存在するのは先に挙げた如来、菩薩と同じ。鑑賞ポイントとしては、やはりその憤怒相や全体的に力強い様相でしょうか。怒っているわけじゃないですし、「何を思っているのか」などを考えるのも面白いかもしれません。しかし明王たちがいきなりやって来たら「こら敵わん」と正座で話聞いちゃいそうです。説法がちゃんと耳に入るか心配ですが、真摯に聞く気があれば大丈夫かと。

天の鑑賞編

最後に「天」。これは別の宗教、神話などの「神」が仏教に取り込まれたもののようです。
またの名を「天部」。主にヒンドゥー教など、インド方面の神々が多い模様。役割としては仏法を守ること。ヒンドゥー教のシヴァ神など有名な神様も多いので、「元の神名」を聞けば「ああ!」と納得される方もいるのでは?

1.元が「軍神」である「天」も多いためか、鎧を着けている者も。
2.菩薩同様「異形」を思わせる「天」もいるが、元ネタとなる「神」の影響もある。歓喜天ことガネーシャもそのひとり。
鬼子母神。自分の子供(500人1000人など諸説あり)に食べさせるため他人の子供をさらっていた鬼女が、お釈迦様に諭されて子供の守り神となりました。
諭す方法に関しては賛否両論ありそうですが。(一番下の子をさらう)阿修羅、鬼子母神といった、お釈迦様に「救われた」「諭された」として仏法及び仏教徒の守護神になった存在もいる模様です。何がきっかけになるか分かりませんね。ある意味仏教のプロパガンダ的な存在と言えるかもしれません。
そのことを抜きにしても見ごたえや慈悲を感じ入ることに変わりはありませんが。
鑑賞ポイントは、雑多ながらも各々に伝わる「どのようにして仏教に入ったのか」などといった観点でしょうか。「それでこういう姿かあ」なんて感じ入るのも一興かと。

まとめ

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