景勝地

特別史跡かつ特別名勝・毛越寺と毛越寺庭園

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 「特別史跡」「特別名勝」と、その文化価値を国から二重に指定されている毛越寺。北に塔山と呼ばれる小山を背景に、広々とした苑池美観が展開します。杉並み松陰を大泉が池の水面に映して、勇壮な石組みの築山、出島の立石・伏石と、平安時代の優美な作庭造園の形状を如実にとどめています。日本庭園史上にも特に貴重な遺構として調査の上、旧観に復元されました。地中に埋もれた遺跡をよみがえらせて語るには、直接発掘に携わった調査団の記録に頼ることになります。

 まず、南大門跡は東西三間(柱と柱の間を一間といいます)南北二間の、十二個の礎石が整然と原位置に並んでいます。

 「吾妻鏡」に「二階惣門」といい、芭蕉が「奥の細道」の中で「三代栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有」と綴るのもこれを指します。ここから苑池伽藍のほぼ全体が見えたはずです。大泉が池の対岸正面が金堂円隆寺で、その左右には廊を回し、そこに方形の空間ができます。南大門からは中島の向こうに奥深く広やかな庭と見えたでしょう。その西側が嘉祥寺(昔は嘉勝寺)跡です。金堂とほぼ同じ規模であったようです。五十四個の礎石は地表に完存し、雨落溝は地中に原状をとどめているのです。金堂・嘉祥寺ともに主要な寺跡で、これに講堂・常行堂・鼓楼・鐘楼とあわせると臨池伽藍の美しさが完成します。

 池のなかほどに一つの平らな島があって、その北と南に橋が架けられていました。南大門より中島に至る南橋は全長28m、北橋は18m、橋幅は3.6mです。今でも池の水を落として水位を低くしていくと橋脚があらわれます。その間隔は2.5mほどですが、中央のところだけは南橋・北橋ともに特に広くしてあって3.6mほどになっています。そこを音楽を奏で、船が通過できるようにしたのでしょう。そのころの風景が目に浮かぶようです。

 中島の橋の袂には四カ所に「橋引石」が組まれています。「平安時代には木橋の装飾として橋引石が用いられていたことと平安時代すでに七・五・三の数に配置する石組が行われていたということの毛越寺における実証は日本庭園史にとってまことに貴重な資料である」と記されています。

 南大門から橋を通して中島へ、そして対岸金堂までの南北につらぬく軸線を基準にして、庭園を二分することによって造園配置を対照比較してみることができます。南大門からは南北軸線の右手、東南の隅からおおらかに池中に伸び出た州浜が入り江を作り、そばには荒磯を表現した石組みの出島があります。出島の先端に高さ2.5mの立石がほどよい傾きをもって立ち、広い水面を引き締めています。もっとも印象的な景観といわれる個所です。

 左手、池の西南の隅に築山があり、百五十個もの黒味を帯びた蛇紋岩の石組みは、池全体の水際がゆったりとした曲線を描いている中で、重量感に富み、大海の巌を感じさせます。この築山と出島とは南大門をはさんで位置的に対称であるばかりでなく、その景観も対照的で味わい深くなっています。池水は東北岸から入れて西南のこの築山の橋から落とす順流(右回り)です。

 発掘調査の結果は、毛越寺の伽藍形式と庭園の遺構が、京都岡崎に遺構を残す白河天皇の法勝寺のそれに類似したものであったことが明らかになりました。境内は極楽浄土の構図そのままを地割りした典型的な浄土庭園の遺構をとどめています。弥陀浄土への引接(救済)をあらわす橋は、「橋脚と橋引石などを残すのみではあっても、日本の橋梁遺構として最古の、ほぼ具体的にその構造形式を知り得る貴重なものであること」もわかりました。

 そして承暦元年(1077年)金堂供養後、半世紀にわたり造営の続いた法勝寺の名声は陸奥の果てまでも聞こえたであろうし、法勝寺の完成前後に建てられた毛越寺の工匠や造庭家は法勝寺の造営に関係し、または親しく実見した人々に相違ないと考えられます。

 類似的であるというのは、寺地がともにほぼ二町を占める大寺院であり、南大門に接近しての池のあること、池の形が東北に深く湾入する点などでした。これは隣接する観自在王院の苑池・中島が京都府浄瑠璃寺のそれと著しく類似し、三代秀衡の造営による無量光院が宇治の平等院を見本にしたのと同じではなかったでしょうか。

 昭和29年以降数度にわたる発掘調査の結果は、予想した以上の成果を得ることができ、寺城の跡をほとんど明らかにすることができました。それは「平安時代後期庭園の特質をもっとも純粋なまま具体的に示している毛越寺」であり、伽藍遺構にも適確な資料の多い点でも国の「特別史跡」「特別名勝」に指定された意味合いがわかります。

 また毛越寺は無形文化財「延年の舞」を伝承・保存するところとしても有名です。延年の舞は、正月二十日毛越寺常行堂で行われる摩多羅神の祭礼には常行三昧供の修法のあとに法楽に奉納されるものです。もっぱら仏や寺を讃え、千秋万歳を寿ぐものです。
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