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お坊さん姿にもなるのは何故?文殊菩薩の秘密

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知恵、というと頭の良さをまず思い浮かべますね。
地頭が良い、機転が効くといった頭脳の働きを示しますが、仏教では「智慧」という字で表されます。意味は、悟りに則った精神の働き。つまり、悟った人の語ること、行うこと、考えることは皆智慧というわけです。
この智慧の仏として知られるのが文殊菩薩。サンスクリット名マンジュシュリー。別名文殊師利など。学問に関するご利益があるので、受験生や学生の皆さんは参拝されるのもいいでしょう。
特に学生でなくとも、資格取得を目指す人にもいいかもしれません。興福寺の東金堂や東寺などに、有名な文殊菩薩像が祀られています。

像容は大きく分けて三つ

【獅子に乗った姿】
釈迦三尊像では向かって右側(お釈迦様の左側)で、獅子に乗り剣を持つ姿で表されますが、剣も獅子も、強い智慧の象徴です。独尊でもこの姿で祀られることはあります。獅子に乗るようになったのは中国以降ですが、日本でも乗っていないことはあります。

【海渡文殊】
インド、中国から日本へやってくる時の姿。優填王、善財童子や最勝老人、仏波利三蔵などのお供を連れています。

【聖僧文殊】
僧侶の姿をした文殊の菩薩。僧侶たちの手本のようなものです。

モデルも優秀、前世のことまで記憶!

元々は実在したインドの一部族の王子(もしくはバラモンという聖職者階級の子)、とも言われていますが、「お釈迦様の弟子だった」とおう説もあれば「入滅後に生まれたので、直弟子ではなかった」という説も存在。何にしても、モデルとなった人物は経典の編纂もキビキビと行う人物でした。
あまりによくできる人物だったため仏格化というか神格化されていきます。智慧に関することで言えば今現在と同じく「頭が良い」という意味で「前世のことまで覚えている」「しかも、お釈迦様の前世の師匠だった」というトンデモ伝説が付与されるようになりました。

前世での名前は妙光菩薩といい、『法華経』の中ではお釈迦様が読経すると同時に額の白毫が光ったのを見て「懐かしいなあ。前にもこんなことがあったっけ。前世のことなのだけどね」と弥勒菩薩に語って聞かせるエピソードがあります。サラッと前世のことを語るとは、さすが智慧仏。

『維摩経』の維摩居士との論争

文殊菩薩といえば『維摩経』での、維摩居士とのやり取りが知られます。
「維摩居士って誰よ」と言われれば古代インドの大富豪にして、在家ながら悟りを得た人物です。「居士」というのは、出家をせずに仏道の修行をする人のこと。維摩居士もその一人で、奥さんも子供もいました。しかし悟りは完璧。
また弁も立つので「なってない」修行僧や菩薩に対し、時に自信を失くさせるほどやりこめるややスパルタな面も存在。五十六億年後、お釈迦様の後継者として世界を救うことが決まっている弥勒菩薩にさえ噛みつき、やり込めるほどに仏道を極めているわけです。
おまけに、仏道修行の虎の巻がある蔵(菩薩用)に我が物顔で入り、いわゆる超能力まで習得。
そんな彼が病気(仮病)になった際、お釈迦様が「誰かお見舞いに行ってあげて」と弟子たちに言いますが、「あの人には嫌な思い出しかないから嫌です」とリアルな理由で拒否られること多数。生徒思いなのに嫌われ者の教師を見る思いです。

「骨のない奴らめ」と思ったかはともかく、それでも待っていると、文殊菩薩が現れました。本音を言えば来たくなかったんですが、お釈迦様に「行ってあげて」と言われたので、「行きます」と決意。
そこには何かを得る気で来たという覚悟すら感じられます。他の仏たちも一緒に。「文殊が心配」というよりも「どーなんの?」という好奇心の方が勝ったようです。仏道修行する身でそれはどうなの、となる所ですが、皆さんまだ悟り切れていないし、重要なのは維摩居士と文殊菩薩の問答。 「どうしてあなたは病気なの?」「衆生が病気だから、一緒に病気になっているんだよ」といった、常人には「何のこっちゃ」な問答を始め、菩薩として行うべき修行、慈悲など、仏道に於ける重要なやりとりがなされていきます。他の菩薩も「どーゆうこっちゃ」「ついてけない」と思いながらも耳を傾けます。悟りを得る為の問答を続け、最終的に「不二法門」という何だか小難しい問いに差し掛かりました。どういうものかといえば、一見相反するもの(「生と死」や「浄と不浄」など)が実際は別々ではなく一つの物、という悟りの境地なわけですが、『維摩経』ではこの言葉で表されています。まずその場の菩薩たちに自分が悟ったこと、考えなどを聞きます。皆色々な相反するものを挙げ、「それらは、実は一つ」だの「光がなければ闇はない。どちらか一方しか存在しないなんてことはない」だのと哲学的な見解を述べた上で文殊菩薩にまとめを頼みました。「で、どう思う」と答えを求めると、維摩居士は黙ったまま。「答えられないのかな?」と思いきや、文殊菩薩は言いました。「なるほど。言葉にも文字にもできない、ということか」と。「不二法門」についてダーラダラ述べた菩薩たちは、まだ完全な悟りの境地には悟っていなかったようで、維摩居士の見解で真の「不二法門」を感じ取った文殊菩薩の鋭さを示すエピソードでもあります。

聖僧文殊

真理を悟に至った文殊菩薩ですが、一方で「智慧だけでなく、戒律の師」とする考えもあります。
『文殊師利文経』にこの記述があり、修行僧の監督のような役目を持った僧形の文殊菩薩像が作られるようになりました。「ちゃんと文殊様を見習いなさいね」ということか、食堂(じきどう)などに安置されたようです。「何で食堂?ご飯はゆっくり食べたい」と思う所ですが、食堂に創業の像を置くのは、実はインド時代からの風習なのですね。
日本では主に比叡山を始めとする天台宗の地院に祀られています。理由は最初に聖僧文殊を置いたのが天台宗の僧侶だからです。
僧形の文殊菩薩像は地蔵菩薩などとの区別の仕方が難しいですが、経典によると老人のような顔をしているそうです。持物は経巻と、如意という道具。ただ、こうした像容の仏は他にもいるので、パッと見の区別は難しいかもしれません。

会いたい人の元には、貧者の姿で現れます

鎌倉時代になると、真言律という真言密教の一派が貧者や病人の救済を始めました。
「貧者を助けなさい」という教えがあったためです。文殊菩薩は「文殊様にお会いしたいなあ」と思っている人の下に現れるそうですが、その時必ず貧者、もしくは病人の姿をとるとされます。つまり、「貧者を助けろ」というのは、「文殊様の化身かもしれないから、大切に扱いなさいね」という意味なのです。
「下心がありそう」って?仏様を祀るように、弱者とされる人々を大切にしなさい、という意味ではないでしょうか。文殊菩薩がこの教えを吹き込んだとしたら、「相手が仏だと思えば大事にもするだろう」という作戦のようにも思えますね。

卯年の守り本尊

各干支、十二支にはその干支に関する法衣等を守護する守り本尊が存在しますが、文殊菩薩は卯年の担当です。

いかにして像容が変化した?菩薩のリーダー文殊菩薩のインド日本漫遊記

はやり廃りや変化は人の世の常。仏像の世界だって同じです。
ほんの数十年前のファッションでさえ、「うわあ」と驚き、時に失笑し、時に文化について考えを巡らせちゃったりもするわけです。インドで生まれた仏教も大分変わりましたが、仏像容も考えも勿論時代に合わせ変化してきました。
考えを巡らせるということに最も適した仏と言えば文殊菩薩。そこで、文殊菩薩の像容がいかに変化したかを見ていきたいと思います。

文殊菩薩基礎知識

サンスクリット名はマンジュシュリー。この名前を漢字にして文殊師利とし、後文殊菩薩となりました。
釈迦三尊像で、普賢菩薩と共にお釈迦様の脇侍として、向かって右側に控えています。定位置がちゃんとあるんです。脇侍として三尊像の右側に陣取る時の像容も大体決まっており、片手に剣を持って蓮華座に座り、さらにその下には獅子がいる、という、腕が二本の割にダイナミックなものです。ワイルドな威厳を持ちますが、共に智慧の象徴として知られます。

ここで言う智慧とは、真理を得て、悟りに至る為の心の働き。頭が良い、というよりも偉大な頭脳で真理を悟ると言ったところです。
「三人寄れば文殊の知恵」ということわざでも知られていますね。
二世紀には既に文殊菩薩の信仰が完成。主に『維摩経』『華厳経』『法華経』などに登場しますが、いずれも先見の明があるだの、出家もしてない人物と仏道について語り合っただの、前世の記憶があるだの「文殊様凄いですよ!」と興奮気味に活躍を書いています。

インド時代

文殊菩薩と言えば獅子に乗っているのが特徴ですが、インドではそんな像も壁画も無ければ、文献にも「乗っていますよ」と記述があるわけではありません。
インド時代の文殊菩薩像を見てパッと見て「お、文殊様」と分かるのは少々難しいので、見分けがつかなくても落ち込むことはありません。インド時代は蓮華の上に乗っているような、そんなイメージ。
それが剣を持つわ、ライオンに乗るわの、一見文武両道オラオラ系に走ったのは何故なんでしょうか?

中国から獅子に乗り始めました

唐の時代に作られた『陀羅尼集経』の中文殊菩薩は「七宝で出来た瓔珞やら宝冠やらを突けていて、獅子に載っている」と言った記載がされ獅子に乗る像容が多く作られるようになりました。
モードとしては結構新しめの方で、日本でも平安時代になってからこの像容が一般化したわけです。「なぜ、獅子に載っているのかの説明になってない」って?智慧の象徴文殊菩薩は菩薩のトップ。お釈迦様の言葉は「獅子吼」と表現されるためです。ちなみにこの獅子には、威猛獅子王という名前があります。

日本へやって来る様を視覚化、海渡文殊

中国において、文殊菩薩は中国の五台山に自分の土地を持っているわけですが、ここには他にも菩薩が住んでいるのですね。
いわば、菩薩ニュータウンです。正確には清涼山という名前なのですが、中国では「この五台山を清涼山の代わりにしよう」「文殊菩薩様は、インドから我が国にやってこられたのだ」との考えから、五台山文殊を作りました。後述の海渡文殊と似た像容ですが、海渡文殊が五尊なのに対し、五台山文殊の方は三尊が普通です。
シチュエーションとしては、五台山を巡って説法に向かう所。後に「日本に行くぞ」というシチュエーションの海渡文殊と呼ばれるようになります。
周りのメンバーはどちら様ですかと言われれば、手綱をとる優填王(うでんのう)、子供の姿をした善財童子、後方に仏陀波利三蔵という僧侶、仙人にも似た藪数仙人です。

海渡文殊メンバー

1. 優填王。
コーンシャビーという国の王様で、伝説上初めて仏像を作らせた人物とされています。仏教に帰依する気持ちは熱く、いつでもお釈迦様に会えるようにと作ったのが始まり。お釈迦様の生前に像が作られることはなかったので伝説と分かりますが、文殊菩薩の獅子を「ハイ、こっちねー」と誘導しているのは文殊菩薩と関わりある『華厳経』が、彼の国の僧侶により伝わった、とされるためのようです。

2. 善財童子。
『華厳経』に登場し、「僧侶に限らず、53人の知識人に話を聞いてきなさい」と直々に声を掛けられた人物です。弥勒菩薩や普賢菩薩と言った大物からも話を聞き、最終的に悟りを得たと言われます。

3. 仏陀波利三蔵。
文殊菩薩の聖地である五台山を訪れたインドの僧侶。安倍文殊院などでは、釈迦十大弟子の一人、須菩提と称されます。須菩提は文殊菩薩の説く「空」をよく理解するため「解空」の異名をとるそうです。ちなみに「空(くう)」とは「出来事も存在も、色んな関係の上で成り立っているから、存在に執着したらいけないよ。そもそも、物事は変化するしね」といった考えのこと。

4. 文殊菩薩の化身とする見方もありますが、安倍文殊院等では維摩居士ともされます。ある意味文殊菩薩とは切っても切れない人物です。

日本での像容

中国での像容を受け継ぎ、獅子に乗る場合も多いですが、そうでない像も存在します。智慧や戒律の師匠とされることから、僧侶姿の文殊菩薩もまたあり、県ではなく経巻や如意という儀式に使う道具を持つ像も存在。

密教バージョン

密教では少し像容が違っていて髻の数に応じて一字文殊、(または一髻文殊)などと呼ばれます。
髻の数は一つ、五つ、六つ、八つで、持物も変わってきます。

一つの場合は左手に如意宝珠(願いの叶う弾)を、右手に揚栁枝(柳には解熱作用があるとされます)という枝を持つのが一般的。
五つの場合は左に青蓮梵篋、右手に金剛剣を所有。六つの場合は持物ナシで印を結び、八つの場合は左手に蓮台の付いた智杵、右手に智慧の剣を持ちます。また髻の数にも、一から順に利益増幅、敬愛する、調伏する、息災という意味があるのです。

稚児文殊

別名が法王子。これは少年、男の子という意味合いで、瑞々しい智慧を表すためか少年の姿をした稚児文殊もあります。

法隆寺に残る、維摩居士との論争風景

維摩居士との論争風景も残っています。この人は在家ながら悟りを得て、超能力を使い、菩薩として修行中の面々まで泣かせるほどの頭脳と弁舌の主。
病気の振りをして仏を呼び寄せ論争を行い、「仏道を完璧にこなしたいのなら、戒律を守らなかったり、怒ったり愚痴ったりすればいいのだ」と言ってのけたお人です。これは「海の底の宝を得るために、海に飛び込む」と表現される通り、一種の「虎穴に入らずんば虎子を得ず」。煩悩を知った上でそれにとらわれないよう精進したりすること。乱痴気騒ぎしろっていうじゃありません。
文殊菩薩に「究極の答えは?」と聞かれて何も答えなかったわけですが、これも「言葉で表せるか」ということらしいのです。これは『維摩経』の、ほんの一部。結構面白いですよ。

文殊菩薩 何故智慧が大切なのか

菩薩のリーダーとして、皆に説法

出典:文殊菩薩

智慧の象徴たる文殊菩薩は、菩薩のリーダーです。時々獅子に乗った姿で表されることもありますし、そう言われればリーダーとしての風格はあります。
しかし、智慧と同じくらい大切とされる行(修行)担当で、相方同然の普賢菩薩を差し置いてリーダーというのはどういうことでしょうか?実は文殊菩薩は、菩薩のリーダーというより、理想的な菩薩(修行者)といった方が近いです。
修行を行うのが普賢菩薩であり、悟りに至る智慧を司るのが文殊菩薩ということになります。「悟りってこういうものだよ、こうするんだよ」と実際にやってみせるのが普賢菩薩、教えるのが文殊菩薩といった所です。言ってみれば、体育担当の普賢菩薩と受験用科目担当の文殊菩薩先生になります。

『維摩経』において、文殊菩薩はその明晰すぎる頭脳を持って、同じく頭の良すぎる維摩居士と論争をしたとの伝説を持つ傑物です。この維摩居士は、あらゆる菩薩を言い負かすほど仏道を極めていますが、そんな彼と対等にやり合えたのが文殊菩薩でした。
二人の論争は多くの菩薩も見守っていました。その光景は説法を越えた超能力も使われ菩薩にとってはこの上ない体験となったようです。

智慧と知恵はどう違う?

「ちえ」といっても、智慧と知恵は別物です。字が違うとかそんな次元ではありません。確かに画数で言えば智慧の方が多いのですが、実際はかなりの差が存在します。
知恵は一般的には「頭がいい」といった意味で使われます。時に機転を利かせたり、有名大学に入ったり、高いIQを叩き出したりする、といった具合です。言ってみれば、知恵とは「俗世で生きるための頭脳」になります。生まれつきのものだけではなく、鍛えることも可能です。これは学校の勉強だけにとどまりません。
学校や職場でのゴタゴタなどが人を育てると言いますが、まさにその通り。コンピュータを人間の頭に例えることがありますが、あながち間違いでもないのです。

パソコンなどは、ある程度のプログラミングやツールはあるものの、あらゆるソフトをインプットし、時にはグレードアップをすることでよりバージョンアップがされます。
パソコンで「絵を描く」という行為にしても、元の機能としてついている「ペイント」ではなくそれ用のソフトを使うこともあるでしょう。実際ソフトの方が多機能で、より高価な絵が仕上がります。「遊びの時はそんなに力を入れないけど、仕事の時は色々なツールを使う」人も多いでしょう。
この使い分け、力の加減。つまり「状況に対し、いかに処理をするか」というのが知恵なのです。
それに対し、智慧は悟るための頭の働きとなります。俗世で使われる知恵といえば、出世競争、受験など、とかく目の前のこと、目に見えることが重視されがちです。

智慧とは目に見えるものではなく、もっと深い宇宙の真理を追究するものです。宇宙だって見えるだろう、物理的に存在しているだろうとお思いでしょう。ここでいう宇宙とは、天体やそこに暮らす地球外生命体の事ではないのです。この世界における絶対的な真理に気付くことを指します。

先のコンピュータで例えれば、今使っているパソコンにはどのような基盤やプログラミングが用いられているのだろうかと考えを巡らせるようなものです。基盤やプログラミングが真理なら、プログラミングの入門書などが教典と言えるでしょう。

仏教では智慧の完成を般若(はんにゃ)と言います。これはあの鬼のお面とは無関係ですのでご注意下さい。サンスクリット名はパンニャと言います。初期の仏教とその流れをくむパーリ上部座仏教においては、智慧から悟りに至る般若の過程が三学と呼ばれる三つの過程から成り立つとされました。
自分の行動をよく顧みる「戒」、自分の心を自在に制御できる「定」、この二つの心の動きによって「慧」を得て、涅槃寂静の境地に至れるとの考えです。般若とは、小難しい方程式や理論の上で証明されるものではありません。言ってしまえば至極シンプルな究極の真理を知ることです。またの名を空(くう)と言います。
仏教ではすべては流れ移ろい、変わるとされますが、決して変わらない真実、それが空であり般若なのです。それに気づく力こそが智慧になります。般若と仏教、といえば独特の言い回しが知られる『般若心経』があります。これは、全600巻という桁違いのスケールを誇る『大般若経』をたったの262文字で表した超ダイジェスト版です。

『般若心経』の「心」は神髄を示します。まさに、極意です。ただホニャホニャと「空とはこうですよー、これが真理ですよー」と述べているわけではなく、実は物語形式になっています。内容は、といえば「智慧を完成させて悟るぞー」と修行をしていた観音様からスタート。五蘊(ごうん)という、人間を構成する要素がみんな仮のものだということに気づきます。ここで、弟子の舎利子が登場し、観音菩薩が悟ったことを聞くわけです。
「ちょっと!舎利子!ワシったら、凄いことに気付いたよ!」と語った内容こそ、智慧により得た空の真実です。
「あのね、舎利子。形があるけど実体がないっていうのが真理なんだ。実体がないからこそ、一時的に何かの姿を取ることもあるんだよ。形があるものはみんなそうなんだ。形があるものだけじゃなくて、現象だって同じこと。だから、生じたり滅したり、汚れたり浄化されたり、増えたり減ったりもしないの。形のあるものも無ければ、感じることも考えることもないんだ」と長々口上を述べます。
つまり観音様が言いたいことは、「智慧を完成させよう。そして真実の世界に行こう」ということのようです。ちなみに『大般若経』はあの玄奘三蔵法師によって漢訳されました。この『大般若経』の元となるのは、あらゆる時代、あらゆる場所で描かれた『般若経』シリーズです。中には、『文殊般若経』も存在します。玄奘三蔵法師が『大般若経』の漢訳や経典を求める度旅路で、あらゆる知恵を使ったことでしょう。

漢訳作業や経典を求める旅は、根底にこそ「仏の教えを広める」との思いがありましたが、経典、仏の教えという目に見える目標です。どちらかといえば、それは知恵に近いものと言えます。しかし学ぶうちに大いなる真理の一旦を得たなら、それは智慧と呼べるものでしょう。知恵の端っこでも触れられたら、後はそれを追求するべく、修行あるのみです。
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