三大松原のひとつ、虹の松原
関連キーワード
佐賀県唐津市、松浦川口の東唐津から東方浜玉町の玉島河尻に至るゆるやかな弧状の海岸線に沿って、幅400~1000mにおよぶ美しい松原が延々5kmにわたって続いています。松原は紺碧の松浦潟を縁取って、美しい白砂青松の弧を描いており、その形から虹の松原と称されています。また元々長さが8km(二里)あったことから「二里の松原」から「虹の松原」になったという説もあります。
この松林は慶長のころ(1596~1614)、唐津藩主寺沢広高が防砂防風林として植林したもので、それから代々の藩主に保護されてきました。木を伐るものや落葉の採取さえ厳罰に処されました。樹齢200年を超えた老松が、玄界灘の烈風を受けて、磯馴松の趣ある姿で延々と続いている様はまことに見事で、三保の松原、天橋立とともに日本の三大松原の一つに数えられ、昭和30年に国の特別名勝に指定されました。また、同時に日本の白砂青松100選などいろいろな名勝に指定されています。
所在としては玄海国定公園の一部になります。玄海国定公園は九州の北西岸、玄界灘に臨んだ海岸部にひろがる海洋自然公園です。東は北九州市若松区遠見鼻から、西は東松浦半島の西岸部までの約120kmに及ぶ海岸部と、沿岸の大小の島々からなり、指定区域は福岡、佐賀、長崎の3県にまたがっています。県内では福岡県境の沿岸部から伊万里湾の浦潟付近までとその周辺、および伊万里市の竹の古場、大平山、唐津市の鏡山、浜玉町の十坊山一帯が園地となっています。
園内は玄武岩の柱状節理が発達した海食洞門や弧状の松原海岸が多いのが特徴で、朝鮮・中国大陸との関連の深さを示す史跡も多くあります。また、鎮西町の波戸岬周辺の海域は海中景観にすぐれていて、海中公園に指定されています。
この松林は慶長のころ(1596~1614)、唐津藩主寺沢広高が防砂防風林として植林したもので、それから代々の藩主に保護されてきました。木を伐るものや落葉の採取さえ厳罰に処されました。樹齢200年を超えた老松が、玄界灘の烈風を受けて、磯馴松の趣ある姿で延々と続いている様はまことに見事で、三保の松原、天橋立とともに日本の三大松原の一つに数えられ、昭和30年に国の特別名勝に指定されました。また、同時に日本の白砂青松100選などいろいろな名勝に指定されています。
所在としては玄海国定公園の一部になります。玄海国定公園は九州の北西岸、玄界灘に臨んだ海岸部にひろがる海洋自然公園です。東は北九州市若松区遠見鼻から、西は東松浦半島の西岸部までの約120kmに及ぶ海岸部と、沿岸の大小の島々からなり、指定区域は福岡、佐賀、長崎の3県にまたがっています。県内では福岡県境の沿岸部から伊万里湾の浦潟付近までとその周辺、および伊万里市の竹の古場、大平山、唐津市の鏡山、浜玉町の十坊山一帯が園地となっています。
園内は玄武岩の柱状節理が発達した海食洞門や弧状の松原海岸が多いのが特徴で、朝鮮・中国大陸との関連の深さを示す史跡も多くあります。また、鎮西町の波戸岬周辺の海域は海中景観にすぐれていて、海中公園に指定されています。
また、虹の松原付近には観光名所が多く、東の浜海水浴場もそのひとつです。東の浜公園一帯の海岸は水のきれいな遠浅の海水浴場として知られています。「日本の渚100選」にも選ばれました。東の浜公園は虹の松原をそのままいかした公園で、風情ある磯馴松の間に休憩所やテーブルが設置され、行楽地としてにぎわっています。
海浜には国民宿舎や唐津シーサイドホテルがあり、海の家休憩所・シャワー場・食堂などの諸施設が完備し人気となっています。
鏡山は市の東端にある秀麗な屋根形の山で、頂上に平地があり、どこから見ても山容が変わらないというので七面山の名前もありますが、古くは松浦山と称し、他には松浦佐用姫の伝説にちなんで領巾振山とも呼ばれています。
鏡山の名前は神功皇后が三韓遠征に際し、この山の頂で宝鏡をささげて戦勝を祈願し、その鏡を納めたという伝説によるもので、現在は普通この名前で呼ばれます。そ
頂上まで延長約5kmの自動車道が通じていて、ドライブしやすい環境となっています。展望台からは虹の松原を眼下に松浦潟から玄界灘まで一望することができます。
鏡山や松浦佐用姫に寄せた歌が「万葉集」をはじめ多くの歌書に残されています。なかでも山上憶良の「遠つ人 松浦佐用姫 夫恋に 領巾振りしより 負える山の名」はよく知られています。
ふもとには古代の森会館があり、先土器時代の石器から近世の陶磁器に至るまで出土品や遺品が幅広く展示されています。
海浜には国民宿舎や唐津シーサイドホテルがあり、海の家休憩所・シャワー場・食堂などの諸施設が完備し人気となっています。
鏡山は市の東端にある秀麗な屋根形の山で、頂上に平地があり、どこから見ても山容が変わらないというので七面山の名前もありますが、古くは松浦山と称し、他には松浦佐用姫の伝説にちなんで領巾振山とも呼ばれています。
鏡山の名前は神功皇后が三韓遠征に際し、この山の頂で宝鏡をささげて戦勝を祈願し、その鏡を納めたという伝説によるもので、現在は普通この名前で呼ばれます。そ
頂上まで延長約5kmの自動車道が通じていて、ドライブしやすい環境となっています。展望台からは虹の松原を眼下に松浦潟から玄界灘まで一望することができます。
鏡山や松浦佐用姫に寄せた歌が「万葉集」をはじめ多くの歌書に残されています。なかでも山上憶良の「遠つ人 松浦佐用姫 夫恋に 領巾振りしより 負える山の名」はよく知られています。
ふもとには古代の森会館があり、先土器時代の石器から近世の陶磁器に至るまで出土品や遺品が幅広く展示されています。
鏡神社は、神功皇后が宝鏡を納め、一祀を建てて鏡宮と称したのにはじまるとされています。祭神は神功皇后で、これを一の宮といいます。この宮には天平12年(740年)に大宰府で兵を起こして敗れた藤原広嗣の霊を祀っています。古来、朝廷をはじめ唐津藩主の崇敬が厚く、保護されてきました。
社宝の絹本着色楊柳観音像は国の重要文化財に指定され、佐賀市の県立博物館に寄託されています。
また、虹の松原駅からバスで5分で行ける恵日寺は同源山と称し、曹洞宗に属しています。南北朝時代、宗祐寂門和尚がこの地を行脚のおり、赤水観音の由来をきき、永和元年(1375年)松浦佐用姫の菩提を弔って建立したものと伝えてられています。
この寺にある銅鐘は、朝鮮鐘でわが国に渡来した経路は明らかではありませんが、はじめ勝楽寺に入れられ、のちにこの寺に移されたものとされています。大平6年在銘の貴重な鐘で、国の重要文化財に指定されています。
この銅鐘は竜頭や文様などが和鐘と大きく異なっています。鐘は総高80cmで、笠形までの高さは69cm、口径は47.5cmとなっており、笠形の上部には朝鮮鐘特有の旗指があり、上帯と下帯には華やかな文様があります。乳の間には扁平な九乳が唐草模様の枠内におさめられていて、四ヶ所に配され、草の間には撞座・銘座があります。
鐘銘には大平6年とありますが、中国では大平元号が数回あり、この鐘銘にある大平6年は1026年のものとされています。
また、「唐津拾風土記」によると、この鐘には追刻銘があって、それによれば南北朝の応安7年(1374年)に勝楽寺に入れられたとされています。
渡来の経路やこの寺に移されたいきさつについては詳しくはわかっていませんが、県内唯一の貴重な朝鮮鐘で、大正2年に国の重要文化財に指定されています。
社宝の絹本着色楊柳観音像は国の重要文化財に指定され、佐賀市の県立博物館に寄託されています。
また、虹の松原駅からバスで5分で行ける恵日寺は同源山と称し、曹洞宗に属しています。南北朝時代、宗祐寂門和尚がこの地を行脚のおり、赤水観音の由来をきき、永和元年(1375年)松浦佐用姫の菩提を弔って建立したものと伝えてられています。
この寺にある銅鐘は、朝鮮鐘でわが国に渡来した経路は明らかではありませんが、はじめ勝楽寺に入れられ、のちにこの寺に移されたものとされています。大平6年在銘の貴重な鐘で、国の重要文化財に指定されています。
この銅鐘は竜頭や文様などが和鐘と大きく異なっています。鐘は総高80cmで、笠形までの高さは69cm、口径は47.5cmとなっており、笠形の上部には朝鮮鐘特有の旗指があり、上帯と下帯には華やかな文様があります。乳の間には扁平な九乳が唐草模様の枠内におさめられていて、四ヶ所に配され、草の間には撞座・銘座があります。
鐘銘には大平6年とありますが、中国では大平元号が数回あり、この鐘銘にある大平6年は1026年のものとされています。
また、「唐津拾風土記」によると、この鐘には追刻銘があって、それによれば南北朝の応安7年(1374年)に勝楽寺に入れられたとされています。
渡来の経路やこの寺に移されたいきさつについては詳しくはわかっていませんが、県内唯一の貴重な朝鮮鐘で、大正2年に国の重要文化財に指定されています。