仏像

時代とお国柄が見えてくる?超初期仏教徒が崇めた宝塔とその変遷

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お釈迦様の骨壷としてスタートした崇拝対象、宝塔。今度は宝塔のこぼれ話や、宝塔に関係の深い仏像について見ていきたいと思います。

「塔」という言葉の語源

細長い、というか縦ににょっきり伸びる建物を「塔」と呼びますね。実はこの「塔」という言葉、卒塔婆から来ているんです。
サンスクリット語のストゥーパが卒塔婆と漢訳された頃、既に塔婆と略す傾向にありました。日本ではさらにこれを略して「塔」と呼ぶこともあります。英語で言う所のタワーに当たる細長い建造物を「塔」と呼んでいますが、元は仏教用語だったんです。仏教が入って来た頃、庶民はお寺に入れませんでした。しかし、塀の外からでも自然目に入る、今まで見たことのない物。それが五重塔です。
「宝塔と違うじゃないか」とお思いかもしれませんが、五重塔は多重塔と言い、れっきとした宝塔の一種です。

多重塔が奇数なのは陰陽思想が関係している!?

単に宝塔という場合、それは一階建て建築です。二階建て以上になると「多重塔」もしくは「多層塔」と呼ばれることになります。
法隆寺の五重塔もこれに当たり、必ず階層は奇数です。五層なのは先の五輪塔の考えに通じますが、三重塔、現存していませんが七重塔があったのもまた事実。これは一説には中国における陰陽思想が関係している為です。
陰陽思想では奇数や縦長の物は「陽」として考えられており、縦長となる多宝塔が奇数の五重塔が作られるようになったと言われています。中国を経て入って来た仏教で住んで、その影響もあるのでしょうね。

多宝塔と多重等の違い

多宝塔という言葉もあります。これは多重等とはまた違った様式になる、少々ややこしいものです。多層なのは同じですが、以下の違いがあります。

【多宝塔】
内部に多宝如来と釈迦如来の像を安置するのが基本です。一層目が四角形、二層目が縁系をしているのが通常の形態とされます。

【多重塔】
五重塔などに代表されるのがこちらです。四角形で構成された層から成り、中国様式の楼閣に影響を受けています。

宝塔絡みの多宝如来

ここで、「多宝如来とは、一体どちら様?」との疑問もわくでしょう。
サンスクリット名はプラブータ・ラトナ。『法華経』によれば、東方の浄土、宝浄国の主とされており、大乗仏教における過去仏の一人でもあります。大乗仏教とは、仏教が少し栄えた頃に生まれた宗派の一つで、「出家しないと救われませんよ。仏様はお釈迦様だけですよ」という所期の上部座仏教より少し発展した形の仏教です。
その教理とは「出家しなくたって救われるし、誰だって修行を積めば仏(如来)になれますよ」と少し門戸が広く、親しみやすさを抱く方も多いかもしれません。日本の仏教は基本的にこちらの大乗仏教なので、そう思う所も多いかもしれないですね。
少し脱線しましたが、この過去仏多宝如来が何故た宝塔の内部でお釈迦様と共に祀られているのでしょうか。過去仏はいくらでもいるのにもかかわらず、です。答えは簡単。お釈迦様が説法の最中、いきなり地鳴りと共に地面から瑠璃や玻璃といった金属、七宝で出来たどでかい宝塔が現れた為です。内部からは「釈迦の教えはスンバラシイ!」とのお声。空中に浮かんでいた宝塔ですが、地面に降り、お釈迦様は中に入ります。常人だったらいくら褒められても腰を抜かすところでしょうが、さすがに悟りを得ると恐怖も何も感じないのかもしれません。内部にいたのは当時東方の浄土の主だった多宝如来でした。「やあ、来たね。あなたの教えは大したものだよ。私の横に座んなさい」わざわざ現れて褒めて座を勧めたわけですが、これは多宝如来が悟る前に立てた誓いによるものでした。悟りを得る前、多宝如来は『法華経』で修行をしていたのです。
そして立てた誓いが「法華経を解く者がいたら、世界のどこへでも飛んで行って、宝塔と一緒に現れてそのものと『法華経』が正しいことを証明する」というものでした。だからお釈迦様の所に現れたのです。しかも余程感じ入ったらしく自分の横に座らせるほどの気に入りよう。
以降、多宝塔にはお釈迦様と多宝如来が一対で祀られるようになりました。

宝塔を持つ仏・弥勒菩薩

いくらか教理に融通性が出ると、次第に「お釈迦様のシンボルなら作ってもいいのではないか」「足跡(仏足跡)ならいいよね?」と崇拝対象にも変化が生じ、やがて仏像が作られるようになりました。中には宝塔を持つ仏像もありますが、大事なお釈迦様の仏舎利です。以下な菩薩や如来でも中々持つことは許されなかったご様子。
その中で持つことを許されたのが、弥勒菩薩でした。何故なら弥勒菩薩はお釈迦様の後継者だからです。「菩薩はいっぱいいる」とお思いかもしれませんし、直弟子のマハーカーシャーパですら持っていません。が、弥勒菩薩には「末法と呼ばれる世の終わりに現れて、仏の教えを持って全ての衆生を救う」という使命があります。未来の救世主としての重要な役目がある為、その証として宝塔を持つのです。

「ちょい待ち。弥勒菩薩ってあの片足組んだあの像でしょ?何も持ってない気がするけど?」という方。確かにそうです。
しかしあの半跏思惟像はごく初期の形態で、平安時代辺りからは違うポージングをとることが多くなります。時には僧形になったり、分かりやすい菩薩の姿(着飾った姿)をしていることもありますが、片手の宝塔が弥勒菩薩だと見分けるためのポイントです。直接手に乗せていたり、手に持った蓮華の先に生えていたりとバリエーションが結構豊富だったりします。

宝塔を持つ仏・毘沙門天

もう一尊、宝塔を持つ仏がいます。天部(インド神話から入った神)にして、七福神の一員として知られる毘沙門天です。「そんなに重要な物を持ってたの!?」持っているのです。七福神として祀られる時も、毘沙門天として毒損で祀られる時も、四天王のリーダー多聞天という名で祀られる時も、ほぼ常に宝塔を持っているのです。
仏としては位の低い方なのに何故か?仏法を守護する四天王のトップだからです。四天王は仏法と共に東南西北(トウナンシャーペイ。仏教というか中国での四方の呼び方です)をあらゆる仏敵から守るのがお役目。
宝塔を持つのは「何が何でも守るんじゃ!」という覚悟や決意の証かもしれませんね。

まとめ

何か小さなお城、もしくはお寺。そんな認識だったかもしれませんが、元々は骨壷。
そこから出発し、時に本殿の役目を果たしたり、時にいずれ来る救世主や覚悟の証となるとは、まさにお釈迦様でも思わなかったことでしょう。人の世は意外な所から来る驚きの連続です。仏教伝来時も驚きが沢山ありましたが、そこから生まれた者も数多くあります。
伝承のように、宝塔のように変遷していく人の世を面白いと思った時、何か新しい発見があるかもしれません。
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