一生に一度は見ておきたい金剛力士像の傑作! 東大寺南大門の仁王像とは

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金剛力士像は、仏教の金剛力士の像です。2体一組となっていることが多く、それぞれ阿形像(あぎょうぞう)、吽形像(うんぎょうぞう)と呼ばれています。金剛力士には仁王という別名があるため、仁王像と呼ばれることもあります。
金剛力士像の特徴は、何と言っても、その迫力あるお姿です。なかには異なるものもありますが、金剛力士像には、上半身をあらわにした筋肉むき出しのものが多いようです。しかもその筋肉も、細マッチョなどは裸足で逃げ出すような、筋骨隆々としたお姿です。
金剛力士像は、表情にも特徴があります。菩薩などによく見られる優しい表情とは全く違った、カッと両の目を見開いて、相手をにらみつけるかのような迫力たっぷりの表情をしています。全ての仏像のなかでも、インパクトの強さでは代表格と言っていいでしょう。

国内最高レベルの迫力!東大寺南大門の金剛力士立像

数ある金剛力士像のなかでも国内最高レベルの迫力を誇っているのが、奈良県奈良市は東大寺の南大門にある金剛力士立像です。
東大寺南大門の金剛力士立像が彫られたのは、鎌倉時代。戦火によって大きな被害を受けた東大寺復興の一環として、こちらの金剛力士立像も彫られました。
中心となって彫ったのは、当時の名仏師である運慶と快慶の2人とされてきましたが、今では少し、違ってきています。
東大寺南大門の金剛力士立像は、昭和の終わりから平成にかけて解体修理が行なわれたのですが、その際に、4人の名前が記された銘文が出てきました。
その4人とは、運慶・快慶に加えて、運慶の息子である湛慶と、運慶らが属する慶派の腕利きの仏師である定覚です。そのため、運慶・快慶の2人のみではなく、湛慶と定覚の力もあって、この傑作が生まれたものと考えられています。
東大寺南大門の金剛力士立像の魅力は、数多の金剛力士像のなかでも群を抜く迫力と、力感あふれる造形美です。
そのため、こちらの金剛力士立像は、国宝に指定されています。

東大寺南大門の金剛力士立像、実は左右で作風の違いがあった!

東大寺南大門の金剛力士像は、運慶と快慶、さらには湛慶と定覚も加えた4人に代表される慶派の仏師たちによって彫られていますが、そんななかでも、作風の違いは自然と表れてきています。
なかでも作風への影響が特に顕著なのが、運慶と快慶です。
まず、2人の作風についてですが、仏師としての基本的な傾向としましては、運慶は、リアルで力感あふれる作風が特徴となっています。
その一方、快慶は、運慶の力感あふれる作風に合わせるのも得意なのですが、力感あふれるなかにも、やわらかさ、優美さといったものが自然とにじみ出てくる作風となっています。
このような2人の作風の違いは、東大寺南大門の阿形像と吽形像に、それぞれ別個の個性を与えています。
具体的には、向かって右側の吽形像は、運慶の作風である、力強さが前面に表れる作品となっています。
一方、向かって左側の阿形像は、力強い造形のなかにも快慶の作風がにじみ出ており、吽形像と比べますと、やや端正な造りとなっています。
ただし、全体を統括したのは運慶ですから、トータルで見ますと、2体とも力感あふれる作品となっています。作り手による作風の違いが感じられ、しかもそれが2体一組の金剛力士像としての統一感を崩していないところが魅力なのです。

東大寺南大門の金剛力士立像が、わざわざ門に配置してある理由とは?

さて、そんな東大寺の金剛力士立像ですが、拝観できる場所は建物のなかではなく、南大門という門の両脇となっています。
有名で貴重な仏像であれば、建物のなかに安置して大切に保管するという方法もあるのですが、なぜか、そうはなっていないのです。
これには、金剛力士像のお役目が大きく影響しています。
金剛力士像は、単なる拝観の対象や願望成就をお願いする相手として配置されているわけではありません。
金剛力士像にはお寺全体にかかわる大切な役割があります。
それは、「お寺を仏敵から守る」ということです。
御仏の教えを妨げる者たちからお寺を守り、そういった者たちをなかに入れないことが、金剛力士像の大切な役割なのです。
そのためにわざわざ、仏敵が入ってきそうな門の左右に配置され、文字通り、にらみを利かせているというわけです。
これは、東大寺南大門の金剛力士立像だけでなく、ほかの多くの金剛力士像にも共通していることです。
わざわざ建物のなかではなく、外に配置されているのには、それなりの理由があるということなのですね。

知っておきたい豆知識!東大寺南大門の金剛力士立像は、立ち位置に特徴があった!!

ここでひとつ、豆知識をご紹介しておきましょう。
東大寺南大門の金剛力士立像には、鎌倉時代に彫られたほかの金剛力士像とは異なる点があります。
それは、阿形像と吽形像の立ち位置です。
東大寺南大門の金剛力士立像は、向かって左側が阿形像、向かって右側が吽形像となっています。
一方、同じ鎌倉時代に造られたほかの金剛力士像は、向かって右側が阿形像、向かって左側が吽形像と、逆になっているのが一般的です。
彫られたのは同じ鎌倉時代なのに、なぜ、このような違いがあるのでしょうか。
実は、鎌倉時代よりもずっと前の奈良時代には、東大寺南大門の金剛力士立像と同じように、向かって左側が阿形像、向かって右側が吽形像という配置が普通だったそうです。 その後、平安時代から鎌倉時代にかけては左右逆の配置が一般的になったのですが、東大寺南大門の金剛力士立像は、あえて奈良時代の配置に従ったのではないかと考えられています。

東大寺南大門の金剛力士立像って、どうやって彫られた!?

ところで、東大寺南大門の金剛力士立像はどのようにして彫られたのか、ご存知でしょうか?
彫ったのは前述しましたように、運慶・快慶に、湛慶と定覚を加えた4人を中心とする慶派の仏師たちです。では、具体的にはどのような方法で、どのくらいの時間をかけて彫られたのでしょうか。
すでにご紹介しましたが、東大寺南大門の金剛力士立像は、昭和の終わりから平成にかけて、全面的な解体修理が行なわれています。
その際に確認されたのですが、2体はほぼ同時進行で造られ、およそ70日で完成に至ったとのことです。携わった仏師らの数は、20名以上。また、使われた木材は、今の山口県にあたる場所から1年がかりで運ばれてきたとのことです。
ちなみに彫り方についてですが、東大寺南大門の金剛力士立像は、1個の木材から彫られているわけではありません。寄木造(よせきづくり)という、複数の木材を束ねて造る方法で彫られています。この方法は平安時代後期に普及したもので、それまでは木造の仏像と言えば、一本の木材を中心とする一木造(いちぼくづくり)が主流でした。

東大寺には、ほかにも金剛力士像がある!?

東大寺には、この南大門の金剛力士立像のほかに、法華堂にも金剛力士立像があります(法華堂以外に、三月堂という呼び名もあります)。
こちらも国宝となっていますので、せっかく東大寺に行かれるのであれば、法華堂にも足を運んでおかれるのがオススメです。
ちなみに、東大寺法華堂には執金剛神立像もあります(執金剛神の読みは、しつこんごうしん、しゅこんごうしん、など複数あります)。
「金剛力士像でもないのに、なぜ紹介するの?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、実は執金剛神と金剛力士は、ルーツが同じだと言われています。
ただし、執金剛神像は1体のみで配置される場合が多く、金剛力士像は2体一組で配置される場合が多い、などの違いがあります。
こちらの執金剛神立像は、残念ながら秘仏となっておりますので、普段はお目にかかることができません。しかし、毎年12月に1日だけ開扉となりますので、興味を持たれた方は日にちをよくご確認の上、あわせて拝観されるとよいでしょう。

頼もしい体躯をもつ仏法守護神、金剛力士の姿に迫る!

意外なところに仏教用語というものは転がっているものです。得意げになる「有頂天」とは、仏教世界の中心にある山「須弥山」の一部がもとですし、他人の力を当てにする言葉「他力本願」ももとは仏教用語。

もっとも、他力本願は意味は真逆のものとなっていますが。取り立てて仏教徒でないと自負する方でも、何となく、何気なく、というより知らず知らずのうちに仏教用語を使っていたりするんですね。なかには仏像から生まれた言葉もあります。息がぴったり、という意味の「阿吽」。これはご周知のとおり2体で一組の狛犬、もしくは金剛力士像からきています。片方は口を開き、もう片方は閉じている。「あ」「うん」と見えるため、それぞれを阿形像・吽形像と呼ばれるようになり、「阿吽の呼吸」という言葉が生まれたわけです。

仁王様こと金剛力士像基礎知識

「五十音順の始まりを表す『阿』が全て(宇宙)のはじまりを意味し、最期の文字となる『吽』が終わりを意味する」との説により、門の外、あるいは道内でも対の存在として左右に配置されることが多いそうです。日本に於いては裙(くん)と呼ばれる巻きスカートのような布を申し訳程度に巻き、半裸で筋骨隆々、いかにも頼もしい姿で知られます。この姿になったのは7世紀頃とかなり古く、歴史の重みを感じさせる伝統的な姿です。

半面基本的に「野ざらし」状態なため保存状態がいいとは言えない像が多いのもまた事実。しかし「屋根付き」の像も存在しますし、堂内でも左右に配置されて「守護神」の性格を如実に表してもいます。ちなみに阿形は大口を開け怒っている姿、吽形は静かに怒っている姿を現す、との説もあります。現在では左に吽形像、右に阿形像を置くのが一般的とされます。

「武器」金剛杵

では金剛杵(サンスクリット名ヴァジュラ)とは何か。煩悩を打ち砕き、仏敵を追い払うための武器のようなものです。ダイヤモンドを金剛石と言う通り、非常に硬いものとされます。金剛杵を持つ仏像はほかにもいますが、名前に「金剛」の文字が入っているのは金剛力士像のみ。もとの名前がそうだからと言えばそれまでですが、何だか「信頼されている」神様という感じを受け、頼もしいですね。

いろいろ種類があり、なかには独鈷と呼ばれるものもあるそうで、実際の僧侶も使っていたようです。

鎧姿の仁王様も

日本では基本裸形の金剛力士ですが、甲冑姿の像も存在します。先の執金剛神と同じく東大寺三月堂に祀られている像です。こちらは甲冑を着ているだけでなく、吽形像のみ「密迹力士(みっしゃくりきし)」という名で呼ばれています。金剛力士像の異名に「密迹金剛」もあるためこう呼ばれているのかも知れません。

二十八部衆でも違った呼ばれ方?「阿吽」コンビの別名

千手観音やその信者、ひいては阿弥陀如来をも守護する二十八部衆の一員にもなっています。
執金剛神ではなく金剛力士としてですが、阿形吽形ではなくちゃんと名前が存在します。阿形は那羅延堅固王(ならえんけんごおう)、吽形は密迹金剛力士という名に変更。那羅延堅固王という名前の由来は、ヴィシュヌ神の別名ナーラーヤナから。「何の関係があるんだ」と問われれば、『無量寿経』という経典のなかに答えがあります。

二十八部衆、千手観音がお守りする阿弥陀如来様がまだ修行中の頃、「悟るために」立てた48の誓いがありました。これができなきゃ如来にはなりませんという願掛けです。その26番目が、「ほかの修行者が、ナーラーヤナ神による金剛杵で打たれても大丈夫なほど丈夫な体を得られるように」というものでした。

豪快な願掛けに思えますが、そのくらい強固な意志を持っておられたと言うわけですね。吽形と那羅延天、つまりヴィシュヌ神がイコールというわけではないにせよ、金剛杵つながりでこの名を与えられた、ということでしょうか。

東大寺南大門の金剛力士像建立の影に歴史の壮大さ

金剛力士像を語る上で、外せない仏師がいます。
それ即ち、運慶と快慶。運慶と言えば仏師のなかでも抜群に有名ですし、代表作の東大寺南大門の金剛力士像も、仁王像のなかでは飛び抜けて知られた像と言えます。切っても切れない両者、そして南大門の金剛力士像建立の背景を見ると、何だか非常に大きな歴史のロマンが浮かんでくるようですね。仏師康慶の子として生まれた運慶は、奈良仏師と呼ばれる、当時としてはかなりマイナーな流派に属していました。

それが源平合戦に端を発する南都復興(南都とは奈良のことです。僧兵との軋轢がもとで、平清盛が「東大寺と興福寺の焼き討ち」を命じたんですね。怖い怖い)、並びに武士の台頭によりようやく日の目を見るようになったわけです。奈良仏師、康慶や運慶は「力強い作風」で有名です。武士の好みに合った、というわけですね。つまり、源平合戦及び、貴族から武士へという需要の歴史を体現するとも言えるのが運慶及び南大門仁王像というわけです。

運慶が今で言う「プロデュース」を任されたのが東大寺南大門の金剛力士像建設です。着手したのは運慶を含む4人。ほかのメンバーは快慶、定覚、運慶の息子湛慶です。

南大門の金剛力士像

1203年(建仁3年)に作られたこちらの像はいろいろとイレギュラーな点があります。
まず、「左右が逆」。通常と違い、向かって左に阿形像を置き、右に吽形像を置いているのです。そして「向かい合っている」点もまた変わっています。正面を向いて「失せろ仏敵!」とばかりに立ち向かっているのが通常の金剛力士像。南大門の者が向き合う理由は、風雨の被害から避ける意味合いもありますが、「どう見えるか」を配慮した向きでもあるそうです。大きさは8.36m。長いこと「阿形は快慶、吽形は運慶が担当した」と言われてきましたが、数百年を経てその説が覆りました。

1988〜1993年(昭和63〜平成5年)にわたる改修工事のなか、金剛力士像の内部にあった納入書により阿形を担当したのは運慶と快慶、吽形を担当したのが定覚と湛慶であることが判明しました。しかも彼らだけでなく、十数名あまりの小仏師が協力し合い、「寄木造り」という技法を作って作り上げたことまで分かったそうです。「2ヵ月強で出来た」というのも、その納入書により明らかになった事実。「どう見えるか」を綿密に計算し、検討し、納得のいく像を納得いくまで作り上げる。そのためなら、一度にかける時間がいくらかかっても構わない。強い職人魂が伝わってきますね。

まとめ

日本では奈良時代あたりから確認されている金剛力士像。どんな煩悩も敵も討ち壊してしまう武器と戦闘向きの体躯ながら、「怖い」というよりも「守られている」安心感を覚えさせる像です。異様な迫力だけではないその姿は、仏師たちの魂の証なのかも知れないですね。
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