仏像

下界、上界何が違う?

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創作物の中で、神仏を扱うものの中に時折出る単語があります。「下界」です。
意味合いとしては大体人間の住む世界とされていますが、実はこの言葉は仏教用語でした。基本的な意味もほぼ、人間の住む世界と見て間違いありません。

下界とはどんな所?

仏教の世界観として、「三界」というものがあります。
それはその仏教の中心地たる須弥山が浮かぶ海の端っこにある小さな島、贍部州(せんぶしゅう)という場所に存在。須弥山の規模に比べれば小さなものです。
サンスクリット名はジャンブー・ドヴィパ。南にあるので南贍部州とも呼ばれています。この贍部州というものは、下は地獄から上は天上界の端っこを網羅する非常に分厚い層となっています。
下界は欲にまみれた衆生のいる場所なので、「欲界」というあまり有難くない別名を持つ場所です。

天上界も大きく見ると下界と同じ?

下界、とわざわざ「下」という言葉を付けるからには上界もあるのでは?実際、上界はあります。
正確には天上界と呼ばれる場所です。ここも何層かに分かれており、は神々が住んでいます。人間よりも苦しみは少なく、皆でのほほんと暮らすのが基本です。
しかし飽くまで六道の一つでしかありません。人間ほどではないにしろ煩悩、欲はあり、欲の程度や場合によっては下界に落ちることもあります。
天上界から下界に向かう場合には兆候が表れます。服が汚れたり、冠の花がしおれたり、体は臭いにおいを発し、脇から汗が出て「何か楽しくないな」と思うようになるのです。
引きこもりのような症状ですが、伝承の中に下界に落ちた天人がいました。

帝釈天と下界に落ちた天人

ある天神に、先に述べた兆候が出ました。「お前、下界に落ちるよ」と言ったのは天界でも上位に負わす帝釈天。
「私の知り合いに子供がいなくて困っている王がいるんだ。その王の子として生まれたらどう?」と勧めます。しかし、その天人からすれば下界に落ちること自体が嫌なもの。
「下界は欲にまみれた者しかいないでしょう。しかも王ですか?他の人間より地位が高いと言うだけで自分本位の政治をする存在なんて嫌ですよ」と偏見に満ちたお答え。
これでは下界落ちも納得です。しかし帝釈天は言いました。「じゃ、道を外さないよう注意してあげる」「どうでしょうね。
天部は楽しさのあまり道を外すこともありますし」「約束をするから」となだめ、人間として生まれ変わらせました。初めは善政を敷いたものの、次第に自分勝手になっていきます。
そこで、何度か帝釈天が注意をし、その度に反省を繰り返していましたが、キリがないと思ったのか王は帝釈天に頼みました。
「私が道を踏み外さないよう、戒めの目印を下さい」帝釈天は「いいよ」と部下に命じて立派な旗を与えます。旗を掲げる竿や、仏道の道場まで、天部製のキンキラ仕立てです。
王はお布施の為の場所まで設けます。しかし皆道場や旗を有難がり、畑仕事などをしなくなったため、王は道場を壊させ、旗も捨ててしまったとのことです。国益の為に。

まとめ

結局、天上界も極楽に近いとはいえ程度の差こそあっても下界とあまり変わらないようです。
しかし、肝心なのは下界で何を成すか。それに尽きます。「苦しい方が修行になるから」と敢えて下界落ちした天人もいるほどです。
下界が悪くて、上界(天上界)がいいと言うのではなく、その衆生に合った修行場があるということですね。目指すところは勿論、極楽浄土になります。
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