仏教版讃美歌、声明
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キリスト教には神々しい讃美歌があります。信者が集まり、神を崇め奉り、神への愛や信仰の誓いを新たにするための歌です。
実は仏教にも似た物がありました。声明(しょうみょう)です。別名は梵唄など。
実は仏教にも似た物がありました。声明(しょうみょう)です。別名は梵唄など。
バラモン時代から続く学問
声明の起源を辿るとバラモン教の時代にまでさかのぼることができます。
この時代には、五明と呼ばれる学問があり、声明はその一つでした。
論理学を意味する「因明」、仏教について学ぶ「内明」、工学や数学など理系学問の「工巧明」、医学を意味する「医方明」に加え、文法、文学、音韻を間な部分系の学問、「声明」を加えたものです。とは言っても、具体的にどんなものかなどの詳細は不明とされます。
この時代には、五明と呼ばれる学問があり、声明はその一つでした。
論理学を意味する「因明」、仏教について学ぶ「内明」、工学や数学など理系学問の「工巧明」、医学を意味する「医方明」に加え、文法、文学、音韻を間な部分系の学問、「声明」を加えたものです。とは言っても、具体的にどんなものかなどの詳細は不明とされます。
中国で発展、仏典ミュージックとミュージシャン僧侶
仏教が中国に伝わると共に、声明もまた伝播しました。
時代としては魏の辺り。日本で卑弥呼が国を治めていた辺りになります。
「何かインド調のままだとやりづらいから自分ら流にアレンジしよう」と始まったのが、経典に節をつけた梵唄(ぼんうた)です。
その後、作曲担当、歌担当のミュージシャンような僧が生まれるなど、ほぼ音楽文化と化しました。
時代としては魏の辺り。日本で卑弥呼が国を治めていた辺りになります。
「何かインド調のままだとやりづらいから自分ら流にアレンジしよう」と始まったのが、経典に節をつけた梵唄(ぼんうた)です。
その後、作曲担当、歌担当のミュージシャンような僧が生まれるなど、ほぼ音楽文化と化しました。
奈良大仏開眼時にも使われた
日本にもまた声明は伝わっています。中国から仏教だけでなく陰陽五行の思想も取り入れた日本では、「宮、商、角、徴、羽」の五つの音(順にド、レ、ミ、ソ、ラ)を基調としています。
東大寺の大仏の開眼供養の時にも声明が用いられました。芯としたイメージのある開眼供養ですが、実はBGM付きでした。
東大寺の大仏の開眼供養の時にも声明が用いられました。芯としたイメージのある開眼供養ですが、実はBGM付きでした。
流派いろいろ
音楽にバラード、ロックがあるように、声明にもジャンルがあります。
【真言声明】
空海が伝えた声明を基礎とします。作曲や編曲に重きを置きました。
【天台声明】
最長が伝えた物を基礎に、良忍という僧侶があちこちに散らばった天台声明を一まとめにした物が伝わります。
【四派】
声明の流派があまりに多い為、覚性入道親王により「似たのを一つの流派にしよう」と四つにまとめられました。本相応院流、新相応院流、醍醐流、中川大進流となります。
【智山声明】
真言宗の智山派。もともと中川大進流の流れを汲みますが、豊臣秀吉による根来寺の焼き討ちでその辺りでは衰退。醍醐流の流れから再出発をしました。
【大原魚山声明研究会】
明治以降に勃興した大原魚山声明研究会による近代的な声明です。「一人一切人、一切人一人(一人は皆の為、皆は一人の為)」と言う三銃士のような標語を掲げており、CDデビューにまで至りました。
【真言声明】
空海が伝えた声明を基礎とします。作曲や編曲に重きを置きました。
【天台声明】
最長が伝えた物を基礎に、良忍という僧侶があちこちに散らばった天台声明を一まとめにした物が伝わります。
【四派】
声明の流派があまりに多い為、覚性入道親王により「似たのを一つの流派にしよう」と四つにまとめられました。本相応院流、新相応院流、醍醐流、中川大進流となります。
【智山声明】
真言宗の智山派。もともと中川大進流の流れを汲みますが、豊臣秀吉による根来寺の焼き討ちでその辺りでは衰退。醍醐流の流れから再出発をしました。
【大原魚山声明研究会】
明治以降に勃興した大原魚山声明研究会による近代的な声明です。「一人一切人、一切人一人(一人は皆の為、皆は一人の為)」と言う三銃士のような標語を掲げており、CDデビューにまで至りました。
「図に乗る」の語源
気が大きくなったり調子に乗ったりすると「図に乗るな」とたしなめられます。何故「図」なのでしょうか?実は声明には楽譜があり、調子が変わる部分を「図」と読んでいました。その調子を上手く帰られた場合「お、図に乗れたねえ」と言われたのです。元は褒め言葉だったのですね。
まとめ
荘厳なる場面でも音楽が使われたり流派があったりと、意外に仏教世界も音楽で満ち満ちていたようです。
伝統の曲ともなるとやはり荘厳ですが、どことなく、より仏の世界が身近に感じられます。
伝統の曲ともなるとやはり荘厳ですが、どことなく、より仏の世界が身近に感じられます。