輪廻思想の変遷
関連キーワード
前世占いというものがあります。「前世であなたはこう言う人生を送った。だから今はこうなのだ」といったものです。
この種の占いはどうやら、良くも悪くも前世が現世に影響を与える輪廻思想から成り立っています。
この種の占いはどうやら、良くも悪くも前世が現世に影響を与える輪廻思想から成り立っています。
輪廻とは何か
輪廻とは、生まれ変わることを言います。輪廻転生とも言いますが、何に生まれるかはランダムではありません。
前世の行いが絡んでくるのです。この前世で行ったこと、罪障などをカルマ、もしくは業(ごう)と呼びます。元々は古代インドで発祥した考えであり、お釈迦様の時代には身分制度までカルマによるものだと言われていました。「前世の行いがよかったから王族になれた」「悪いことをしたから奴隷に生まれた」といった具合です。
しかし、王族に生まれることが最上ではありません。王だろうと、生きている限り苦しみはあります。お釈迦様が出家をした理由がまさにそれでした。苦しみの多い人間や衆生の世界を抜け出すのが仏教や輪廻思想の目指すところです。
前世の行いが絡んでくるのです。この前世で行ったこと、罪障などをカルマ、もしくは業(ごう)と呼びます。元々は古代インドで発祥した考えであり、お釈迦様の時代には身分制度までカルマによるものだと言われていました。「前世の行いがよかったから王族になれた」「悪いことをしたから奴隷に生まれた」といった具合です。
しかし、王族に生まれることが最上ではありません。王だろうと、生きている限り苦しみはあります。お釈迦様が出家をした理由がまさにそれでした。苦しみの多い人間や衆生の世界を抜け出すのが仏教や輪廻思想の目指すところです。
輪廻の始まり、五火二道
輪廻は元々五火と二道という思想から生まれました。
まず、死ぬと火葬にされます。ここから先が五火と呼ばれる五つの段階を踏んだ転生の始まりです。最初、死者は月に向かいます。雨になって地上に戻るのが第二段階です。雨水として植物に吸収されるのが第三段階。
穀物が加工されて男性に食べられて、その身に宿るのが第四段階。愛の行為で女性に移動して生まれるとされます。これが最初の輪廻思想です。二
道とは、「また五火の段階を踏むか、二度と生まれ変わらないか」という二つの道を示します。これは自分では選べません。生前の行いや徳などで決定します。
五火二道は、途中で植物になる段階こそあれど飽くまで「神になるか人間になるか」のどちらかでした。
まず、死ぬと火葬にされます。ここから先が五火と呼ばれる五つの段階を踏んだ転生の始まりです。最初、死者は月に向かいます。雨になって地上に戻るのが第二段階です。雨水として植物に吸収されるのが第三段階。
穀物が加工されて男性に食べられて、その身に宿るのが第四段階。愛の行為で女性に移動して生まれるとされます。これが最初の輪廻思想です。二
道とは、「また五火の段階を踏むか、二度と生まれ変わらないか」という二つの道を示します。これは自分では選べません。生前の行いや徳などで決定します。
五火二道は、途中で植物になる段階こそあれど飽くまで「神になるか人間になるか」のどちらかでした。
宇宙と一体化するヴェーダの輪廻
古代インドのバラモン教では、ヴァルナと呼ばれる身分制度があり、聖職者のバラモン、王族のクシャトリヤ、庶民のヴァイシャ、奴隷のシュードラの身分に分けられました。
バラモンは聖職者として経典『ヴェーダ』をまとめ、儀式を執り行います。
しかし、「何か坊さんたち儀式ばっかり。もっといい悟りの方法があるのでは?」との考えが生まれました。宇宙の原理ブラフマンと自我(アートマン)を一体化させることで悟ろうとする向きが出てきたのです。「これで悟れば、輪廻から抜け出せる」のがヴェーダの思想となります。
バラモンは聖職者として経典『ヴェーダ』をまとめ、儀式を執り行います。
しかし、「何か坊さんたち儀式ばっかり。もっといい悟りの方法があるのでは?」との考えが生まれました。宇宙の原理ブラフマンと自我(アートマン)を一体化させることで悟ろうとする向きが出てきたのです。「これで悟れば、輪廻から抜け出せる」のがヴェーダの思想となります。
「我」を否定した仏教での輪廻
お釈迦様も古代インド人であり、根本的には輪廻の思想を受け継ぎました。
しかし、従来の輪廻とは決定的な違いがあります。それ即ち、アートマンの否定です。お釈迦様は考えました。この件に関しては学者の間で論議が交わされていますが、要は「永久不滅の物はない」ということです。それまでの輪廻では「前世のことは覚えてないけど同じ魂」が生まれ変わり続けていましたが、仏教では「死んだ時点で自分は終わり。でも生まれ変わる」と説いています。
じゃあ、同じ魂では?と思う所ですが、違うのです。自分と他者、他の生物を分けるのではなく、「みんな同じ流れの中、仮の姿で生きているだけから、死んでも死ぬわけじゃない」と考えました。
学校のようなものと考えて下さい。進学校の一生徒として、あなたは勉強(修行)しています。一個人ですが、学校側(世界)からすると数ある生徒の一人に過ぎません。そして卒業すれば別の生徒が入ってきます。その生徒はあなたとは別人ですが、同じ制服を着て同じ行事に参加をし、同じ勉強をするのです。ここでいう卒業がいわば死と同じなのです。その後待っているのが第一志望の大学(解脱)か、それともニート生活(輪廻を回る)か、それはあなたの努力次第と言えます。
仏教はそれまでのインドにあった「前世のせいで今の身分がある」ではなく「来世をよくするためにどっろくしよう」と考えるのです。
しかし、従来の輪廻とは決定的な違いがあります。それ即ち、アートマンの否定です。お釈迦様は考えました。この件に関しては学者の間で論議が交わされていますが、要は「永久不滅の物はない」ということです。それまでの輪廻では「前世のことは覚えてないけど同じ魂」が生まれ変わり続けていましたが、仏教では「死んだ時点で自分は終わり。でも生まれ変わる」と説いています。
じゃあ、同じ魂では?と思う所ですが、違うのです。自分と他者、他の生物を分けるのではなく、「みんな同じ流れの中、仮の姿で生きているだけから、死んでも死ぬわけじゃない」と考えました。
学校のようなものと考えて下さい。進学校の一生徒として、あなたは勉強(修行)しています。一個人ですが、学校側(世界)からすると数ある生徒の一人に過ぎません。そして卒業すれば別の生徒が入ってきます。その生徒はあなたとは別人ですが、同じ制服を着て同じ行事に参加をし、同じ勉強をするのです。ここでいう卒業がいわば死と同じなのです。その後待っているのが第一志望の大学(解脱)か、それともニート生活(輪廻を回る)か、それはあなたの努力次第と言えます。
仏教はそれまでのインドにあった「前世のせいで今の身分がある」ではなく「来世をよくするためにどっろくしよう」と考えるのです。
まとめ
重厚長大に始まり軽薄短小に移るとは、技術g発達しより洗練されることを意味します。
教理も同じで、小さくなったりはしませんがより洗練されていくものです。仏教一つとっても、原始仏教と大乗仏教とでは大分異なります。
しかし、いずれも貴重な資料であり、教えである点は同じです。
永久不変に見えますが、微妙な点で変化は生まれています。分かりにくい変化も大きな変化も含め、それが仏教です。
監修:えどのゆうき
日光山輪王寺の三仏堂、三十三間堂などであまたの仏像に圧倒、魅了されました。寺社仏閣は、最も身近な異界です。神仏神秘の世界が私を含め、人を惹きつけるのかもしれません。
教理も同じで、小さくなったりはしませんがより洗練されていくものです。仏教一つとっても、原始仏教と大乗仏教とでは大分異なります。
しかし、いずれも貴重な資料であり、教えである点は同じです。
永久不変に見えますが、微妙な点で変化は生まれています。分かりにくい変化も大きな変化も含め、それが仏教です。
監修:えどのゆうき
日光山輪王寺の三仏堂、三十三間堂などであまたの仏像に圧倒、魅了されました。寺社仏閣は、最も身近な異界です。神仏神秘の世界が私を含め、人を惹きつけるのかもしれません。