風林火山の意味・使い方
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意味
軍隊を動かす際の手段・方法をあらわしたもの。
兵法の一種とされ、「孫子」「武田信玄」にゆかりの深い言葉とされています。
兵法の一種とされ、「孫子」「武田信玄」にゆかりの深い言葉とされています。
由来
日本の戦国時代、甲斐・信濃の国主であった武田信玄の軍旗に記されたとされている「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」(疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し)を総称的に呼んだもの。江戸時代以降の軍記物語でさかんに武田信玄の軍旗として紹介されたために武田家の象徴のようになっているものの、その理由は曖昧なものが多く、明確な証拠もありません。
もともとは「孫子・軍事篇第七」に記されている軍隊の進退について述べられたものである「故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆。」(故に其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷霆の如し)という部分から抜粋されたものです。
戦況は常に変化していくものだから、こちらもその状況に応じて適切に軍を動かすことが重要であるとするものです。つまり軍隊移動させるときは風のように素早く移動させ、対陣するときは林のように静かに構えることが重要で、攻撃するときは火のように激しく、動きづらいときには陰のように静かに、相手の出方を見るときは山のように不動である。攻撃に転じるときは雷のように激しくするというもので、意味が重複している「陰」と「雷」は意図的に外されて残りの「風」「林」「火」「山」が残ったと考えられています。
武田信玄がこの文言をいたく気に入り、恵林寺の快川紹喜に依頼して軍旗に書かせたとされています。ちなみにこの快川紹喜はのちに織田信長に攻め込まれた際に「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉を残した和尚として有名な人物です。
武田家のことについて書かれた「甲陽軍鑑」には1561年ごろから使用されたとされていますが、この甲陽軍鑑自体が歴史書としては信憑性を疑われている書物でもあり、また武田信玄がなぜこの言葉を使うようになったのかという理由までは書かれていないということもあって不明確な部分が多くなっています。
特に有名になったのは歴史小説である「風林火山」に描かれてからということもあり、そもそも武田信玄が本当に「風林火山」の軍旗を用いていたかどうかということも実証はされていません。ただ、「孫子に関する軍旗」を用いていたのは事実らしく、そこから拡大解釈されたという説もあります。
いずれにせよ、現代においては「風林火山」と言えば「武田信玄」というほどイメージが定着しているために、歴史的真実かどうかはさておいてその部分は考える必要がある言葉だと思われます。
もともとは「孫子・軍事篇第七」に記されている軍隊の進退について述べられたものである「故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆。」(故に其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷霆の如し)という部分から抜粋されたものです。
戦況は常に変化していくものだから、こちらもその状況に応じて適切に軍を動かすことが重要であるとするものです。つまり軍隊移動させるときは風のように素早く移動させ、対陣するときは林のように静かに構えることが重要で、攻撃するときは火のように激しく、動きづらいときには陰のように静かに、相手の出方を見るときは山のように不動である。攻撃に転じるときは雷のように激しくするというもので、意味が重複している「陰」と「雷」は意図的に外されて残りの「風」「林」「火」「山」が残ったと考えられています。
武田信玄がこの文言をいたく気に入り、恵林寺の快川紹喜に依頼して軍旗に書かせたとされています。ちなみにこの快川紹喜はのちに織田信長に攻め込まれた際に「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉を残した和尚として有名な人物です。
武田家のことについて書かれた「甲陽軍鑑」には1561年ごろから使用されたとされていますが、この甲陽軍鑑自体が歴史書としては信憑性を疑われている書物でもあり、また武田信玄がなぜこの言葉を使うようになったのかという理由までは書かれていないということもあって不明確な部分が多くなっています。
特に有名になったのは歴史小説である「風林火山」に描かれてからということもあり、そもそも武田信玄が本当に「風林火山」の軍旗を用いていたかどうかということも実証はされていません。ただ、「孫子に関する軍旗」を用いていたのは事実らしく、そこから拡大解釈されたという説もあります。
いずれにせよ、現代においては「風林火山」と言えば「武田信玄」というほどイメージが定着しているために、歴史的真実かどうかはさておいてその部分は考える必要がある言葉だと思われます。