眼高手低の意味とは?
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夢や目標をお持ちの方はいるでしょうか?
そして、その内容を誰かに語ったことは?
大概の人が「それは無理」「諦めなさい」などと言われます。
応援される人もいますが、ごく一握りではないでしょうか。「眼高手低」、そんな言葉が頭に浮かびます。
しかし、本当にその目標、実力の程は本当に眼高手低なのでしょうか?
そして、その内容を誰かに語ったことは?
大概の人が「それは無理」「諦めなさい」などと言われます。
応援される人もいますが、ごく一握りではないでしょうか。「眼高手低」、そんな言葉が頭に浮かびます。
しかし、本当にその目標、実力の程は本当に眼高手低なのでしょうか?
眼高手低の意味、類語、用例など
【意味】
理想こそ高いものの、実力が伴っていないことを言います。もしくは見る目はあるものの、自分で作ることができない場合にも使われる言葉です。
【類語】
志大才疎(しだいさいそ)
【用例】
「あの会社に入りたい?君には眼高手低だね」
理想こそ高いものの、実力が伴っていないことを言います。もしくは見る目はあるものの、自分で作ることができない場合にも使われる言葉です。
【類語】
志大才疎(しだいさいそ)
【用例】
「あの会社に入りたい?君には眼高手低だね」
達磨さんに駄目出しされた王様
その昔、中国にとある王様がいました。名は武帝。仏教に傾倒しており、仏僧のような服を着て精進料理を食べたり、写経をしたり、お寺に寄進をしたり、時にはお寺を建てたりと徹底した熱の入れようです。
「これで結構徳が溜まったんじゃないかな」と思っている所に達磨大師が現れました。
偉いお坊様らしいとのことで早速呼び寄せます。自分のしてきたことを語り、「私はどのくらい得を立てられたでしょうか」と聞きました。
達磨大師は静かに語ります。「大した徳ではありません」え?ワシあれだけ頑張ったのに?と耳を疑う武帝に、達磨大師は続けました。
「陛下、あなたがなさって来たことは善行ではありますが、徳を積むと言う目的で目が濁り、しっかりとした徳を積めていません。本当の功徳とは、純粋なる智慧で行うものです。『写経をした』『寺を建てた』という目に見える形ではなく、真の悟りを得ることが大事なのです」要約すると、「寺を建てた、写経をした、だから仏様は認めて下さるよね?」との気持ちがあるだろう、そんな気持ちがあるうちは全然悟れません、と言ったところです。
真の悟り方を知らず、そこから遠い所で満足していた武帝は、ある意味で眼高手低だったのかもしれません。
「これで結構徳が溜まったんじゃないかな」と思っている所に達磨大師が現れました。
偉いお坊様らしいとのことで早速呼び寄せます。自分のしてきたことを語り、「私はどのくらい得を立てられたでしょうか」と聞きました。
達磨大師は静かに語ります。「大した徳ではありません」え?ワシあれだけ頑張ったのに?と耳を疑う武帝に、達磨大師は続けました。
「陛下、あなたがなさって来たことは善行ではありますが、徳を積むと言う目的で目が濁り、しっかりとした徳を積めていません。本当の功徳とは、純粋なる智慧で行うものです。『写経をした』『寺を建てた』という目に見える形ではなく、真の悟りを得ることが大事なのです」要約すると、「寺を建てた、写経をした、だから仏様は認めて下さるよね?」との気持ちがあるだろう、そんな気持ちがあるうちは全然悟れません、と言ったところです。
真の悟り方を知らず、そこから遠い所で満足していた武帝は、ある意味で眼高手低だったのかもしれません。
日本の初期仏像を眼高手低と見るか?
目が肥え、実力が伴っていない場合も眼高手低と言います。日本の初期仏像も、ある意味では眼高手低と言えるかもしれません。
勿論、皆美しい像ばかりです。国宝、重要文化財に指定される像の、一体どこが低レベルだと言うのかとお叱りを受けそうですが、少なくとも作り手は歯がゆかったのではないでしょうか。初めて日本に送られてきた仏像の立派さを見よう見まねで作ったところで所詮は猿真似だと、どこかで悔しい思いをしていた可能性も否定できません。
世界一有名な絵画『モナリザ』は多くの人を惹きつけますが、ダ・ヴィンチは未完成との説があります。
世界中が称賛しても、作り手が満足しない場合だってあるのです。
「仏様ってこんな姿なんだー、へー」と最初は感心したかもしれませんが、どこかで「もっと凄い物を作りたい」「日本だけの仏像様式を確立したい」との気持ちが芽生え、額に汗して一彫一彫仕上げたに違いありません。だから人の胸を打つのです。
勿論、皆美しい像ばかりです。国宝、重要文化財に指定される像の、一体どこが低レベルだと言うのかとお叱りを受けそうですが、少なくとも作り手は歯がゆかったのではないでしょうか。初めて日本に送られてきた仏像の立派さを見よう見まねで作ったところで所詮は猿真似だと、どこかで悔しい思いをしていた可能性も否定できません。
世界一有名な絵画『モナリザ』は多くの人を惹きつけますが、ダ・ヴィンチは未完成との説があります。
世界中が称賛しても、作り手が満足しない場合だってあるのです。
「仏様ってこんな姿なんだー、へー」と最初は感心したかもしれませんが、どこかで「もっと凄い物を作りたい」「日本だけの仏像様式を確立したい」との気持ちが芽生え、額に汗して一彫一彫仕上げたに違いありません。だから人の胸を打つのです。
まとめ
「身の程知らず」の印象を与える眼高手低。無論、大部分がそれに当たるのですが、場合によっては向上心の表れとも取れます。身の程知らずか、悔し涙を飲んだ挑戦者か。残された仏像を見ながら考えるのもいいでしょう。