日本史

微笑む仏「円空仏」 仏師円空の生涯

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粗い鉈跡、決して洗練されているとは言えないフォルム、それでいて人々を魅了する不思議な微笑みを浮かべる円空仏。見ると思わずつられて笑顔になってしまうような優しいお顔です。

そんな仏を生涯にわたり作る続けた仏師・円空とはどのような人物なのでしょうか。

円空の生涯

現在の岐阜県、美濃国に生を受けた円空は、幼いころから仏門に入りお寺で修行をしていましたが、長良川の反乱で母親を亡くしたのをきっかけとして、お寺を出て山岳修行に励むようになりました。修行として全国を行脚しながら、さまざまな地方の人々と交流を深め、民衆の苦しみを知ることとなります。人々の苦しみを癒そうと円空は仏師となり、仏を掘り歩きました。

本拠地とした美濃をはじめ、愛知や滋賀などの近隣、北海道や岩手などの東北まで、足を延ばした痕跡をみることができます。

やがて、戻ってきた円空は自らが再興した弥勒寺に住みます。諸国を渡り12万体もの多くの仏像を彫った円空は門弟に後を託し、64年の生涯を閉じます。一説には母を亡くした長良川の畔で即身仏として入定したとも言われています。

作風

粗削りな円空仏は、力強く木目や節などもうまく取り入れたダイナミックな作風が特徴です。細くなった目とにっこりと口角を上げた口元で慈愛の微笑みを見るものに投げかけます。

円空仏は、立派なお寺の伽藍の中だけではなく、民衆が住む村にも野にも存在してくださる慈しみの仏として、悩み苦しむ庶民に寄り添う優しさがあります。受け入れる民衆の方もありがたさと同時に親近感を覚えた事でしょう。

日本の元祖微笑み仏「飛鳥大仏」

ところで、日本の微笑み仏の歴史をさかのぼっていくと、飛鳥時代にたどり着きました。現存する日本最古の仏像、飛鳥寺の釈迦如来像、通称「飛鳥大仏」です。

飛鳥大仏の作者は、仏師・鞍作止利(くらつくりのとり)です。渡来系の血筋に生まれた止利は中国と朝鮮の様式が混在した独特の「止利様式」を編み出しました。細面な輪郭、美しく弧を描く眉、アーモンド形の目、口元に浮かぶ微笑み・アルカイックスマイルが特徴的です。止利様式は国宝、法隆寺の釈迦三尊像や中宮時の菩薩半跏像でも見ることができます。やはりアルカイックスマイルを浮かべ、手足のスラリとした優しい佇まいの仏さまです。

人は、対面する人と似た表情になると言います。民衆に向かって微笑みをくれる仏さまは、私たちに微笑みを分け与えようとされているのかもしれませんね。
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