【後編】意外と個性あるんです。持ち物、乗り物などの観点で見る仏様
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乗り物・台座編
仏像を置いておく台にも種類はあります。この台座、当初はお釈迦様のおられる場所として、お釈迦様の座っておられた四角い台座が主流でした。その後時代の変遷で様々な台座が作られるに至ったのです。
蓮華座:蓮の花をかたどった、坐像、立像共に超ポピュラーな台座ですね。むしろ「他にあるのか」と言いたくなるほどです。仏教において、蓮華の花は清浄な花。そのためか、この蓮華座に乗れるのは悟りを得た如来と、修行中の菩薩のみのようです。
踏割蓮華座:「ふみわりれんげざ」。小さめの蓮華の上にそれぞれの足を乗せたもの。小さいためか、明王も乗ることが許されているようです。
荷葉座:「かしょうざ」。点でも特に徳の高い存在が乗ることのできる台座。何を表しているかと言えば、蓮の葉です。
宣字座:一見地味ですが、仏教の最重要地須弥山をモデルにしているため「須弥座」とも呼ばれます。「宣字」の名は見た目が「宣」の字に似ているため。こちらの台座は飛鳥時代、如来像の台座として使用された模様です。
裳懸座:その宣字座から、裳で覆うようにした坐像をこう呼びます。実質宣字座と同じと言えば同じです。
岩座:その名の通り、岩。明王や憤怒相の天がよく乗っている模様。
州浜座:州浜の形の台座。お釈迦様の十大弟子や八部衆がこの台座の上におわします。
瑟瑟座:「しつしつざ」。不動明王専用の台座です。木材を積み重ねたような形です。
榻座:「とうざ」。丸型という珍しい台座です。
雲座:来迎時の阿弥陀如来、もしくは天が乗る雲です。
上畳座:文字通り畳です。これは仏像というより、高僧の像などに使用されます。
禽獣座:またの名を鳥獣座。動物、或いは鳥を模したもの。詳しくは下記。
蓮華座:蓮の花をかたどった、坐像、立像共に超ポピュラーな台座ですね。むしろ「他にあるのか」と言いたくなるほどです。仏教において、蓮華の花は清浄な花。そのためか、この蓮華座に乗れるのは悟りを得た如来と、修行中の菩薩のみのようです。
踏割蓮華座:「ふみわりれんげざ」。小さめの蓮華の上にそれぞれの足を乗せたもの。小さいためか、明王も乗ることが許されているようです。
荷葉座:「かしょうざ」。点でも特に徳の高い存在が乗ることのできる台座。何を表しているかと言えば、蓮の葉です。
宣字座:一見地味ですが、仏教の最重要地須弥山をモデルにしているため「須弥座」とも呼ばれます。「宣字」の名は見た目が「宣」の字に似ているため。こちらの台座は飛鳥時代、如来像の台座として使用された模様です。
裳懸座:その宣字座から、裳で覆うようにした坐像をこう呼びます。実質宣字座と同じと言えば同じです。
岩座:その名の通り、岩。明王や憤怒相の天がよく乗っている模様。
州浜座:州浜の形の台座。お釈迦様の十大弟子や八部衆がこの台座の上におわします。
瑟瑟座:「しつしつざ」。不動明王専用の台座です。木材を積み重ねたような形です。
榻座:「とうざ」。丸型という珍しい台座です。
雲座:来迎時の阿弥陀如来、もしくは天が乗る雲です。
上畳座:文字通り畳です。これは仏像というより、高僧の像などに使用されます。
禽獣座:またの名を鳥獣座。動物、或いは鳥を模したもの。詳しくは下記。
乗り物・禽獣座編
仏様の中には動物、鳥に乗っておられる方もいらっしゃいます。
獅子:文殊菩薩の乗り物。百獣の王に乗っているのが知恵の象徴というのも、面白いですね。知恵は悟りの到達に絶対とはいかずとも必要、ということでしょうか。
象:普賢菩薩像の乗る六本牙の象の他、帝釈天の乗る象もいます。ただし、帝釈天が乗る場合は密教の場合で、蓮華座を置くことはありません。ライオン(獅子)同様、仏教では神聖な動物です。
孔雀:孔雀明王の乗り物。クジャクは蛇を食べることから毒、すなわち害悪を取り除く意味合いがあるようです。
ガチョウ:梵天の乗り物。元は「ハンサ」という鳥で、「インドガンではないか」と考察されています。
水牛:大威徳明王の乗り物。
獅子:文殊菩薩の乗り物。百獣の王に乗っているのが知恵の象徴というのも、面白いですね。知恵は悟りの到達に絶対とはいかずとも必要、ということでしょうか。
象:普賢菩薩像の乗る六本牙の象の他、帝釈天の乗る象もいます。ただし、帝釈天が乗る場合は密教の場合で、蓮華座を置くことはありません。ライオン(獅子)同様、仏教では神聖な動物です。
孔雀:孔雀明王の乗り物。クジャクは蛇を食べることから毒、すなわち害悪を取り除く意味合いがあるようです。
ガチョウ:梵天の乗り物。元は「ハンサ」という鳥で、「インドガンではないか」と考察されています。
水牛:大威徳明王の乗り物。
座り方
いわゆる坐像ですね。「胡座かいてる」と思われがちですが実際はどうでしょう。
結跏趺坐:胡座をかいているように見える「けっかふざ」が基本。どちらの脚が上かによって、呼び方、意味が違ってきます。右足が上の場合は吉祥坐(きっしょうざ)、左足が上の場合は降魔坐(ごうまざ)と呼ばれます。結跏趺坐は実際に座禅を組む時の座り方で、如来像に見られる座り方です。
半跏不座:「はんかふざ」と読む座り方で、菩薩に見られます。結跏趺坐との違いは片方の足をもう片方のももに乗せたもの。椅子に座って、もう片方の足を下に下ろしているケースも多く見受けられますが、こちらは半跏踏下(はんかふみさげ)と呼ぶようです。
輪王坐:「りんのうざ」立膝にした右足と、左足の裏をつけたという座り方です。如意輪観音、馬頭観音が時たま行う座り方。ちなみに仏教の世界では右側が仏、左側が自己を表すとされているため、右側が上になっているわけです。
跪坐:「きざ」こちらも仏像の座り方の一つ。正座に似ています。
倚坐:「いざ」普通に椅子に座っている仏像なんてのもあり、「坐像」と一口に言っても結構な種類があるものです。
結跏趺坐:胡座をかいているように見える「けっかふざ」が基本。どちらの脚が上かによって、呼び方、意味が違ってきます。右足が上の場合は吉祥坐(きっしょうざ)、左足が上の場合は降魔坐(ごうまざ)と呼ばれます。結跏趺坐は実際に座禅を組む時の座り方で、如来像に見られる座り方です。
半跏不座:「はんかふざ」と読む座り方で、菩薩に見られます。結跏趺坐との違いは片方の足をもう片方のももに乗せたもの。椅子に座って、もう片方の足を下に下ろしているケースも多く見受けられますが、こちらは半跏踏下(はんかふみさげ)と呼ぶようです。
輪王坐:「りんのうざ」立膝にした右足と、左足の裏をつけたという座り方です。如意輪観音、馬頭観音が時たま行う座り方。ちなみに仏教の世界では右側が仏、左側が自己を表すとされているため、右側が上になっているわけです。
跪坐:「きざ」こちらも仏像の座り方の一つ。正座に似ています。
倚坐:「いざ」普通に椅子に座っている仏像なんてのもあり、「坐像」と一口に言っても結構な種類があるものです。
立ち方
座り方の次は立ち方について。ただ突っ立ってるわけじゃありません。割とメジャーなものが正立(しょうりつ)像というものなので、「立像イコール突っ立ってる」と思われるかもしれませんが、結構バリエーションがあります。
斜勢像:「しゃせいぞう」。片方の足を前に出したものです。
経行像:「きんひんぞう」。座禅の後ゆっくり歩む姿を捕らえた姿。経行というのは座禅で眠くなった時の眠気覚まし運動のようなものです。却って疲れて寝ちゃうかどうかは、心がけ次第。
丁字立像:「ちょうじりつぞう」。片方の足だけで立った姿。
舞勢像:「ぶぜいぞう」丁字立像とに同じく片足立ちであるものの、踊っているように見えるもので、明王に多いようです。
斜勢像:「しゃせいぞう」。片方の足を前に出したものです。
経行像:「きんひんぞう」。座禅の後ゆっくり歩む姿を捕らえた姿。経行というのは座禅で眠くなった時の眠気覚まし運動のようなものです。却って疲れて寝ちゃうかどうかは、心がけ次第。
丁字立像:「ちょうじりつぞう」。片方の足だけで立った姿。
舞勢像:「ぶぜいぞう」丁字立像とに同じく片足立ちであるものの、踊っているように見えるもので、明王に多いようです。
印相・根本五印
手の組み方を仏教、仏像界では「印」と呼びます。サンスクリット名はムドゥラー。その仏様特有の印もあったりします。お釈迦様が瞑想、或いは説法の際とられた印を「根本五印」と呼びますが、他の仏様もこの「根本五印」をとることがあります。
説法印:人々に説法を利かせるときの印。両手を胸の前に上げ、指は象によって違った形に曲がっています。
与願印:指五本を下に、掌を前にしたポーズ。「あなたのお願い聞いてあげるよ」という印です。
施無畏印:世が陰々とセットでとられることが多いです。「話を聞いてあげるから、安心しなさい」という意味を持つ印です。
定印:座禅を組む時のポーズ。
降魔印:右手の人差し指を地に着け(或いは示して)間の類を退散させるポーズ。瞑想時、お釈迦様が邪魔をしてきた魔物を退散させた印だそうです。
説法印:人々に説法を利かせるときの印。両手を胸の前に上げ、指は象によって違った形に曲がっています。
与願印:指五本を下に、掌を前にしたポーズ。「あなたのお願い聞いてあげるよ」という印です。
施無畏印:世が陰々とセットでとられることが多いです。「話を聞いてあげるから、安心しなさい」という意味を持つ印です。
定印:座禅を組む時のポーズ。
降魔印:右手の人差し指を地に着け(或いは示して)間の類を退散させるポーズ。瞑想時、お釈迦様が邪魔をしてきた魔物を退散させた印だそうです。
印相・その他の主な印
「その他」というと「動でもいい」と思われてしまいそうですが、上に挙げた五つ以外の印を記します。皆重要にしてありがたい印なんですよ。
智拳印:右手で左手の人差し指を握る形。金剛密教の大日如来のみがとるポーズです。
来迎印:阿弥陀如来が「迎えに来たよ」と示す印。「九品来迎印」として、前世の行いによって「どの程度で極楽に着くか」などが「迎えに来た」時点で分かる便利な印です。
智拳印:右手で左手の人差し指を握る形。金剛密教の大日如来のみがとるポーズです。
来迎印:阿弥陀如来が「迎えに来たよ」と示す印。「九品来迎印」として、前世の行いによって「どの程度で極楽に着くか」などが「迎えに来た」時点で分かる便利な印です。
持物
「もちもの」ではなく「じぶつ」と読むこちら。基本的に菩薩、明王、天などが持つもの。如来では薬壺を持った薬師如来だけです。では、どんな事物があるのでしょうか?
蓮華:蓮の花ですね。台座となったり、須弥山とも関係があったりするほどに清らかとされるのは、泥から生まれても美しい姿を保つため。何があっても浄い心を保つことが悟りを表すそうです。
水瓶:何故に瓶?中には汚れを祓う水が入っているそうです。蓮華、水瓶共に菩薩像の持仏としては象徴的なアイテムといえます。
宝剣:煩悩、魔を断ち切り祓う剣。明王、四天王の他文殊菩薩も所有しています。
金剛杵:これまた煩悩を打ち砕くためのもの。杵の両端は尖っており、独鈷(とっこ)とも呼ばれます。
宝珠:先端の尖った、願いを叶える球です。地蔵菩薩、吉祥天女などが持っています。
錫杖:実際の僧侶も手にする杖。
戟:矛、つまり槍の一種。
法輪:車輪の一種ですが、掌に乗るほど小さいと見るか、仏様が大きいと見るか。これも煩悩を破砕するためのものです。武器としてだけでなく、仏の教えを広げる意味合いも持っています。
蓮華:蓮の花ですね。台座となったり、須弥山とも関係があったりするほどに清らかとされるのは、泥から生まれても美しい姿を保つため。何があっても浄い心を保つことが悟りを表すそうです。
水瓶:何故に瓶?中には汚れを祓う水が入っているそうです。蓮華、水瓶共に菩薩像の持仏としては象徴的なアイテムといえます。
宝剣:煩悩、魔を断ち切り祓う剣。明王、四天王の他文殊菩薩も所有しています。
金剛杵:これまた煩悩を打ち砕くためのもの。杵の両端は尖っており、独鈷(とっこ)とも呼ばれます。
宝珠:先端の尖った、願いを叶える球です。地蔵菩薩、吉祥天女などが持っています。
錫杖:実際の僧侶も手にする杖。
戟:矛、つまり槍の一種。
法輪:車輪の一種ですが、掌に乗るほど小さいと見るか、仏様が大きいと見るか。これも煩悩を破砕するためのものです。武器としてだけでなく、仏の教えを広げる意味合いも持っています。
螺髪でないお釈迦様
清凉寺式と呼ばれる釈迦如来像のことです。平安時代、ちょう然(ちょうねん)が中国に赴き、模写ならぬ模刻して帰国したもの。この像、実は生前のお釈迦様の姿を模したもの、だそうです。特徴は如来特有の着衣姿でないこと、髪型も螺髪でないこと。インドの優でん王(うでんのう)が作ったことに起因する、インドスタイルである点などです。何だか新鮮・・・。清凉寺風の釈迦像は他に東京の大円寺、神奈川県称名寺、奈良県西大寺(善慶作)、京都府の西明寺、常楽院など100体に上るそうです。
アフロな阿弥陀様
五劫思惟阿弥陀如来像といいます。「何でアフロ!?」と、テレビ番組などでも取りざたされたようですが、修行に入る前四十八もの誓いを立て、実行に「五劫」の時が立ち、神も伸び放題になった、というわけです。「五劫ってどのくらい?」と言われても、そもそも一劫が非常に長い時間の象徴とされます。「極めて大きな石がある。100年に1度天女が下りてきて、その石をなでると、いくらかすり減る。目に見えないほどの分量であり、この石がなくなってやっと一劫」といったところです。それを五回分。考えただけで意識が遠のきますね。